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37 とにかく鈍い
しおりを挟む日が落ちて。辺りの空が暗くなった頃。マリウスと共に王宮から本部に戻ったスタンレーは、遅い夕食を取るために騎士団用の食堂を訪れた。
会議やら事務仕事やらの苦手なスタンレーは、大臣たちと顔を合わせて疲れたのか、とかく機嫌が悪そうで。スタンレーを見てわらわらと彼の足元に嬉しそうに集まってくる従騎士たちを、マリウスが、「し、今日はそっとしといたほうがいいよ……」と、苦笑まじりに首を振りながらなだめている。
スタンレーはそのまま食堂の広いテーブルの前にのっそり座り、腕を組んで無言。
しかしそんなスタンレーの様子にも慣れっこなのか、手伝いの従騎士たちは、マリウスに言われた通りに静かにしながら彼の前に料理の皿を並べてくれる。
「今日もご機嫌ななめだねー」
「大臣たちと顔を合わせた日はだいたいこんなふうだよね」
またくどくど言われたんだろうねぇなどとヒソヒソ言いながら。
……とはいえもちろんその会話はスタンレーにも聞こえているが、その辺は気にしないのが彼である。
「ああ、君たちありがとう」
茶を手に戻って来たマリウスが従騎士たちに礼を言う。と、優しい副官に微笑みかけられて嬉しそうな従騎士たちは、にっこり笑って下がって行った。
従騎士たちと入れ替わりでスタンレーの傍に戻った副官は、茶をテーブルに置きながら、彼の正面の椅子に腰を下ろした。
そして料理を挟んだ向かい側にいる男の渋面をまじまじと見つめながら、副官は感心したように言った。
「いやー……スタンレー様……まさか本当に王宮で一言も喋らずにやり過ごすとは思いませんでしたよ」
「……」
その言葉には呆れが滲んでおり、言われたスタンレーは腕組みしたままフンと横を向く。誰が喋ってやるかという表情に、マリウスはやれやれという顔。
本日も、スタンレーは王宮での会議に呼び出されていた。
しかし──スタンレーは、とにかく誰かに「そこにじっと座っていろ」と言われるのが嫌いな男だ。
じっとしているのも嫌いだし、他者に己の行動を決められるのも嫌いだ。
だからこそ、騎士団に入団して長まで上り詰めたと言ってもいい。誰にも命じられたくないゆえに。
けれども。彼の父はある地方の大領主。何かと父の代理として王宮に呼び出されることもしばしばで……
が、そうして呼ばれた本日の会議を、ぬけぬけと無言でやり過ごして来たスタンレー。
会で大臣たちに発言を求められても、ふんぞり返ったままプイッと横を向き、全てをマリウスに丸投げにぶん投げた。
……そうなるだろうなぁと思っていた副官もやや疲れた顔である。
「まあ……聞かれそうな質問の返答を、全部事前にせっせとまとめといて下さったから、困ることはなかったですけどね……」
横着な態度はしばしばだが、仕事を疎かにする訳ではない男スタンレー。
だが、会議に出席する大臣や高官の中には、スタンレーが対立関係にある者や、単純に嫌いな者もいる。そんな彼らの前でスタンレーは死んでも「にゃん」と言いたくなかったのだろう……
けどなぁとマリウス。せめて、もっと可愛らしい態度をしてくれれば高官や大臣たちにも睨まれることもないのに。喉を痛めて声が出ないという言い訳をしたのだから、もっと病人らしくしてくれれば説得力もあるのだが。
「あーあ……またスタンレー様わがまま気分屋説が王宮に流れてしまう……」
その通りなんだけどさぁ……と、皿の上の腸詰めをフォークで突き刺しながらぼやくマリウスの様子にも、スタンレーは素知らぬ顔で、彼の持って来てくれた茶を飲んでいる。
噂などスタンレーにとってはどうでもいいことだった。……それらは既に散々流れてしまっているのだから。
「……にゃん(うまい)」
「あーはいはい、それは何よりです」
スタンレーのつぶやきがなんとなく分かったらしいマリウスが苦笑する。
──しかし騎士団長たるものが、なんとも可愛らしい鳴き声になってしまったものである。これはこれで人気が出そうだけどな、面白くて。とマリウス。もちろん声に出しては言えない。そんなことを言ってしまえば、いくら従兄弟であるとはいえ、スタンレーは烈火の如く怒るに決まっている。
(……あと実家の連中にこれがバレたらヤバいな……)
スタンレーの家族や、彼の親族にあたる己の家族たちを思い浮かべた青年の顔が──虚無を見る。
「……やめよう、恐ろしすぎる」
「?」
マリウスは、ひとまずその問題は忘れる事にした。要はバレなければいいのである。
ところで……と、青年はチラリとスタンレーを見上げた。
「……まあ……その鳴き声については順次対応していくとして……昼間の──……告白はどうするんです?」
「にゃ?(あ?)」
窺うように、やや慎重に問われた言葉に、茶を飲んでいたスタンレーが不思議そうな顔でマリウスを見た。彼は怪訝そうに首を傾けいて。その頭の上のほうでパタパタ動く三角の耳を見て──マリウスは、ああこれはダメだなと悟った。
どうせそんなことだろうと思ったが……どうやらスタンレーは、昼間コニーに『愛するスタンレー様のためなら』……と……大きな声で、面と向かって、あれほどはっきり言われた言葉に……まったく気がついていなかったらしい。途端マリウスが、フッと失笑。
「やっぱり……そんなことだろうと思いましたよ、まったく……」
「にゃあっ?」
呆れ顔のマリウスに、スタンレー「あ?」と少しムッとした顔。しかしマリウスの呆れは止まらない。
「女の子にあれだけ面と向かって言われておきながら、聞き流せるなんて……ちびっ子らに激鈍とか言われるはずですよねぇ……」
まあ、あれは言った本人も意識してはいなさそうな発言ではあった。
もしかしてとマリウス。コニーの気持ちはダダ漏れすぎて、もはやスタンレーも当然のこととして受け止めてしまっているのだろうか。
それとも逆に、まったくコニーに興味がなくて、その発言をスルーしてしまったのか……
「……どうにも今回はおかしな具合だなぁ……」
いつもなら、想いを打ち明けに来た娘へのスタンレーの返答はきっぱりとしたものだ。
世には、“英雄、色を好む”などという言葉もあるが……「精神年齢、従騎士と一緒じゃない?」とマリウスが常々思うスタンレーの場合、多くは断るという形でその返事は返される。
「うーん……まあ、ここは見守るのが一番か……面白いし……」
「?」
腕を組んで思案する従弟に、スタンレーは不審げな視線を送っている。
と──……そこへ、トボトボと小さな焦げ茶の少年が歩いてやって来た。
しょんぼりした従騎士に気がついたマリウスが「あれ?」と腕組みを説いてそちらに顔を向けた。
「どうしたんだフランソワ。やけに暗いね?」
マリウスが問いかけると、スタンレーも振り返って彼を見る。二人に気がついた子熊の少年は、どこかホッとしたような表情を見せた。
「マリウス様! スタンレー様も! よかった」
「にぁ?」
「どうかしたの?」
二人が従騎士に問うと、フランソワは懸命な様子で喋り出す。
「あ、あの、お二人ともコニーさんを止めてください!」
その名にスタンレーが眉を持ち上げ、マリウスが首を傾げる。
「コニーちゃん? ……あ──もしかして……あれからだいぶん根を詰めてる?」
なんとなく察したらしいマリウスが言うと、勢いよく彼を見たスタンレーの眉間のシワがグッと深くなる。フランソワはしょんぼりと頷いた。
「そうなんです……コニーさん、あれから全然休憩もとってくれないし、まだ夕食も食べずに作業に没頭してて……」
「あー……」
フランソワの困り切った顔を見て、マリウスはなるほどと頷く。
コニーはかなり責任感が強そうな娘だ。
「昼間の件を随分気に病んでいるんだね、別にコニーちゃんのせいじゃないんだけどな……じゃあちょっと俺が今から──あれ⁉︎」
コニーに夕食と休憩を進めるべく、椅子から腰を上げかけたマリウスは。
目の前にいたはずのスタンレーの姿がいつの間にか消えている事に気がついてギョッとする。と、傍に座っていた騎士が彼に告げる。
「スタンレー様なら、たった今風のように食堂を出て行かれましたよ。なんかあの辺で……まったり肉まんじゅうかじってたハルシロの首根っこ捕まえて……」
「は……?」
食堂の出入り口を指差す騎士に、マリウスはぽかんとした。
──ハルシロとは、例の、白に黒ブチの通訳係の子猫従騎士の名前である。
それを聞いたマリウスは、スタンレーの行き先を察して──手で額を押さえた。苦悩するような、苦笑するような……なんとも微妙な面持ちである。
「はぁ……これなのになぁ……」
なんで彼は“愛”には気がつかなかったのだろうか。
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