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29 不満顔もかわいい byコニー
しおりを挟む本気で怒った女性の顔は迫力が違う……
「あわわわ……」
泡を食うとはまさにこの事である。
コニーは令嬢の怒りをにじませた顔を見てうろたえた。が……しかし、団長室の扉が閉まると同時に、その顔は扉の向こうに消えてしまった。
けれどもそれで彼女の怒りが消えたということではもちろんないだろう。
閉じられた扉をオロオロと見つめる娘は不安に思う。
(え? あれ大丈夫なの? 大丈夫なの!?)
しかしコニーを担いだスタンレーはどこ吹く風で。慌てる娘をよそに、平然と、のしのし団長室の奥へと戻って行った。
コニーは思った。
もしやスタンレーは後ろを見ていなかったゆえに、令嬢の怒りに気がついていないのではないか……
高貴だなんだと誇っていたプライドの高そうな令嬢を蔑ろにしては、スタンレーも侯爵家から何かしらの苦情を受けてしまうのではないか。そう案じたコニーは、スタンレーの肩の上で身を捻って彼の顔を振り返る。
「ス、スタンレー様あの──」──と。
そんな彼女の危ぶむ声と同時に──スタンレーは、広い部屋の奥手にある長椅子の上にコニーを下ろした。
「あ……」
ヒョイッと。まるで猫でも持ち上げるかの如く軽々と扱われた娘は、その怪力に目をまるくしている。と、スタンレーの瞳がコニーの顔を見た。
「ワン」
「あ──」
呼びかけるような声にハッとしたコニーは、そう言えば、彼に人混みの中から救い上げてもらったのだということを思い出した。突然首根っこを引っ張り上げられた時は驚いたが、あれはおそらくそういう意味だったのだろう。
「そうでした。スタンレー様、先ほどはありがとうございました」
頭を下げると、スタンレーが一瞬「ん?」という顔をして。それから気がついたのか、「ああ」というように耳をパタパタと動かした。男は「いいや」という意味で「ワン」と鳴き──だが、途端スタンレーの三角の耳がピンッと立つ。
どうやら……通訳係が不在であると気がついたらしい。男は執務机の方へ歩いて行くと、木製机の引き出しを開けて何やらゴソゴソとやっている。
「…………」
そんなスタンレーを目で追いながら……コニーがほうっとため息をつく。
(やっぱりお優しいんだな……スタンレー様……)
そんなことを思いながら──なんとなしに団長室の中を見回した。
前回ここに入った時は、驚きすぎと萌えすぎであまり周りをよく見ていなかった。しかし意外なことに、ガサツガサツとマリウスに言われる割に、スタンレーの団長室内はとてもよく整頓されている。
副官であるマリウスが片付けているのか……それとももしかしたら案外きれい好きでいらっしゃるのかしらとコニー。
……と、そんなふうに考えていたタイミングでスタンレーが何かを手に戻ってくる。
ああなるほどとコニーの顔がほころんだ。紙と羽ペン。それにインク。それらをコニーの前のローテーブルの上に置いた男は、その紙にカリカリと文字を書きはじめる。
スタンレーの身体のサイズに合わせているのか……若干広めのテーブルの上を覗き込むと、紙には走り書きで、
『大丈夫だったか?』と、一言。
気遣われたことを嬉しく思いながらコニーは頷く。
「はい。私なら全然大丈夫です」
でもと、コニー。
「その……ご令嬢のお相手を優先なさったほうがよかったのでは……お嬢様はずいぶん落胆なさっていたようですが……」
怒り狂っていた、とは令嬢の名誉のためにも言ってはいけない気がして。
コニーは少しだけ心のつかえを感じながらそう言った。もちろんあの令嬢の隣にいるスタンレーを見たい訳ではない。だが、スタンレーにも立場というものがあるだろう。
「私ならもう平気ですし……特にご用がなければ下がらせていただきます」
ああでもと、コニーはここに来た当初の目的を告げる。スタンレーの様子を見に来たのは、注意を促すためだ。
コニーは真剣な顔でスタンレーを見上げる。
「できればご令嬢がお連れの魔法使いには注意なさってください。腕が確かなら解呪をお受けになられたら良いと思いますが、必ずどのような術を使うのか、あと免状もきちんと確認なさってくださいね。もちろんあちらが解呪なさったのなら私の報酬は不要です」
彼の依頼の目的は、『スタンレーの獣鳴病を解く』ことなのだから、誰がそれを達成するかということを問題にしてはいけないと思った。
誰でもいい。とにかく、彼の苦痛が少しでも早く癒されるのなら。
(……本当は私が癒して差し上げたかったけれど……そういうことじゃないよね……)
一抹の寂しさを感じながら、コニーは微笑んで長椅子を立った。そして目礼し──
そんなコニーをスタンレーは無言で見ていたが……
「え……」
コニーがキョトンと目をまるくした。
スタンレーがコニーの腕を取り、長椅子に引き戻していた。
「あの……?」
と──スタンレーはコニーの腕を捕まえたまま、苦笑するようにフルフルとかぶりを振り、もう一度ペンを紙に走らせる。
『あの者の解呪を受けるつもりはない』
「……でも……」
『俺はお前と契約を交わした。その履行中にそれを反故にすることはない。……お前は俺を治してくれるのだろう?』
「……はい」
ならばいいとスタンレーは紙に書いて。それからそれにと続けて書く。
『気にするな。あのセシリア嬢はいつでもああだ』
新たに書きたされた文字に、あらとコニー。
スタンレーはやれやれとため息。
『あの者は弱々しそうに見えて、毛皮の中身はなかなかの剛の者。名家の娘ゆえ権力もあり、それを己でも承知している。そもそも……男世帯の騎士団にああして堂々と何度も乗り込んでくる女人が、そうそう気弱なはずもない』
「……なるほど……」
どうやら……スタンレーは、ある程度令嬢の裏表を見抜いているということらしかった。
しかし、とはいえあのような美少女である。好かれれば当然スタンレーも嬉しいのではないかと、娘はちょっぴり気にしている。
──だが。
コニーの予想に反し、スタンレーは、セシリア・ティーグを少々厄介な存在だと思っていた。
まあ、感覚は幾分違うとはいえ、彼にも人族の整った顔は分かる。あの令嬢が、人族の中でもずいぶんと見目が良い部類に入るのだろうこともわかるし、愛らしい仕草なども理解できる。
だが……彼からすると、どうにも彼女は不穏。
怒っている時、人は体温が上がり匂いもうっすら変わる。人族には感知できぬ微々たる匂いの変化。
しかしそれでも、嗅覚の鋭いスタンレーたちにとってその変化は分かりやすい。
ゆえに彼は、楚々としたあの令嬢が実はとても感情が激しやすい……苛烈な性格だとはとっくに気がついていた。
以前から彼女はここへよく押しかけて来るのだが、彼女は物事が自分の思い通りにならないとすぐに怒る。
しかしそんな時でも彼女はなぜだか表情は弱々しく微笑み、ほろほろと気弱に涙する。……その表情と感情の差がなんとも不可解だった。
まあ、すぐに怒るのはどうかと思うが──怒りを表面に表さないのは我慢強いと取ることもできる。
だが……スタンレーにはもう一つ見抜いていることがあった。
──令嬢に付き従っている侍女だ。
あの侍女は、いつでも何かあると威勢よく彼らに食ってかかり、令嬢を身を挺して守っている──ように見える。
だがその実……彼女はいつでも瞳のどこかに怯えをにじませていた。
──それはいつでも彼女自身の主人に向けられていて。それを承知しているスタンレーの目には、令嬢の微笑みはとても魅力的だとは思えなかった。
──やれやれとスタンレー。
(…………まあいい)
令嬢の真の望みは大体分かっている。
騎士団長などという地位にいると、そういった思惑を持った連中は周りにいくらでも集まってくる。
面倒ではあるが、残念ながらスタンレーは、地位、生まれともに、そうであっても仕方がないような場所に立っている。
(足をすくわれぬようにするだけだ……)
周囲にどんな思惑があろうと、団の長という立場にある以上、騎士団を守るため、王国を守るためにしっかりと責任を果たし強くあるだけと──スタンレーは一人黙し、気を引き締める。
……のだが…………
「あ……あのぅ……すみません……」
その時、スタンレーの耳に戸惑ったような声が聞こえた。
思考にふけっていたスタンレーは、ハッとして。ああそうだったと目の前の娘の存在を思い出す。
しかし聞こえた声はいやに強張っていた。
「?」
スタンレーは不思議に思って声の主を見下ろす。と、視線の先で、娘はなぜか真っ赤な顔。
それを見たスタンレーは、ふと、相変わらず人族の顔色というものは愉快だなと呑気に感心する。が……
「ワン? (どうかしたか)」
「いえ、その、ス、スタンレー様……あの、これは……」
「?」
これと言われてキョトンとした狼族の青年。は──なぜだかコニーの金の髪を、モサモサと手で弄っていた。
コニーが引きつった顔で赤面している理由はそれだ。が、スタンレーは頭の上に疑問符を浮かべている。まるきり何か問題でも? と言いたげな男は……どうやら──先ほどの騒ぎでボサボサになった彼女の髪がどうにも気になっていたらしい。
だがしかし、一つ問題があった。
スタンレーは……とても不器用なのだ……
「? ワン? (どうなっているんだこれは?)」
整えようとしているはずが……彼はあまりにも不器用すぎて。どうにもこうにも余計にコニーの頭をかき回しているようにしか見えない。
赤銅色の毛に覆われた指先を使い、爪でコニーの頭を傷付けぬよう気をつけてはいる(彼なりに)……が、人族の髪になど触れたことのなかったスタンレーには、コニーの長い髪はやや難易度が高かった。
「? ? ?」
スタンレーは、まるで難解な問題に挑むかのような顔つきでコニーの髪と格闘している。が……
コニーからしてみれば、この状況は全くもってたまったものではなかった……
(どうしよう、髪グシャグシャなのに……私……汚かったり臭かったりしないよね……!? っああ……っ、スタンレー様のお顔近いっ)
慌てるコニーの顔にはおびただしい汗。それがまた匂いそうだと恥ずかしくて焦りがひどくなる。
こうして再び羞恥に耐えることとなった娘は、ブルブルと震えながら膝の上で固く拳を握っている。
もしここでマリウスが見ていたとしたら。きっと彼は「コニーちゃん息してる?」と案じたことであろう……
だが……その震えにはスタンレーが困ったような顔をした。
小刻みな震えで頭が動くと、余計に髪がもつれるのだ。スタンレーはテーブルの紙に素早く文字を書く。
『じっとしていろ』
「うっ……!」
不満げに──叱るような顔でじっと見つめられたコニーは──その瞬間に、ズキュンとスタンレーに心臓を射抜かれた。
厳しい顔がたまらなく可愛く思えて。私の髪を触りたいから動くななんて、いや何それ愛おしすぎるっ……と……
どうやらそれは、コニーにとって特大の矢となったらしい……
「……、……、……(……からまる……)」
「ぅ……うう……」
黙々とコニーの髪を整えるスタンレー。
そして耐えるコニー……
恥ずかしさと、ときめきとに呻く娘には……
とてもではないが……いつの間にか己の襟巻きがないだとか、令嬢がどうだとか……
そんなことを思い出している余裕などありはしなかった……
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