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13 好き嫌い②
しおりを挟むその急な圧に、スタンレーが吠え声を吞み込んだ。
大人しそうだった娘の顔にはどこか有無を言わせぬものが浮かんでいる。
スタンレーが黙り込んだのと同時に──食堂に集まり、敬愛する団長が薬草食を断固拒否している様をハラハラと窺っていた観衆たち(※「団長がまたマリウス様を困らせてる……」「団長野菜嫌いだからな……」)が目を瞠る。
娘は笑顔でスタンレーににじりよっている。じりじりと距離を詰めて来る薬草スープ入りのスプーンにスタンレーがぎょっとした。
「ワ……」
「スタンレー様……? ワンワン言ってもダメですよ……これはお薬なんです。小さな従騎士様たちだってみなさんお召し上がりになりました。まさか彼らの上にお立ちになるスタンレー様が、苦いから、草だからと言ってお召し上がりになれないなんて……そんな大人気ないことおっしゃったりしませんよね?」
言うとスタンレーが、うっと怯むようなそぶりを見せ、耳も後ろへジリジリッと倒れて行った。
食堂内に並べられた他の長テーブルでは、食事中のフランソワたち子供の従騎士が、純真な目を見開きポカンとスタンレーを見上げている。
それに気がついたスタンレーが苦々しそうにグルルと唸ったが、コニーはスプーンを手に微笑みを深め、ずいっとそれを彼の鼻先に持って行った。薬効の高そうな香りに、スタンレーの鼻面にシワがよる。とても青臭くて、苦そうで……とにかくスタンレーの苦手な匂いだった。
(ぐ……本当にこんな臭いもので俺様の声は治るのか……?)
これまでの彼の食事はほとんどが肉ばかりであった。
たまには野菜も食べはするが、本当にほんの少し。しかし体質的にもそれでよかったのだ。
スタンレーが鼻にシワを寄せて渋っていると、その顔に目の前の娘がふっと目尻を下げた。
柔らかく、まるで母親のような顔だ。
「ね? どうしてもお嫌いでしたら今日はひと匙だけでも結構です。一緒に頑張りましょう?」
「…………」
優しい声をかけつつ到底逃げられそうにない圧をかけてくるところがまさに。
思わず己の母を思い出し、黙り込んだスタンレー。と、そのしっぽが嫌そうに揺れる。
その不満そうな素振りすら、ついついかわいいと思ってしまって。コニーは笑みをこぼす。そしてうっかり──本音が漏れた。
「スタンレー様……私、早くスタンレー様のおしゃべりしている声も聞いてみたいです」
猛々しい鳴き声も勇ましくていいが……普通にしゃべっているスタンレーも、きっとかわい……いや素敵に違いないと、コニー。そのまま言うと、スタンレーが変な顔をした。が、コニーはうっとりしていて気がつかなかった。
今まで彼女は遠目にしか騎士団長スタンレーを見たことがなかった。彼がどんなふうに喋るのかがとても知りたいなと思うと、心に羽が生えたようにウキウキした。
……が、それを聞いていたスタンレーは変な顔のまま、ポカンとしている。
ほのぼの平和そうに微笑んで自分を見ている娘を、目を瞠って怪訝そうに見下ろすスタンレー。
彼は思った。この娘は、なぜこんなに微笑ましそうな顔なんだ?
獣人族の中でも特に大柄で屈強な彼は、尊敬や思慕、または畏怖や敵視などの視線は浴び慣れているが……こんな、まるで日向で小動物でも眺めるような目で見つめられたことはない。
もしかして……この娘は目でもおかしいのだろうか。
「…………」※困惑の表情。気味が悪そう。
すると、そんな胡乱げなスタンレーに、いつの間にか横に立っていたマリウスが耳打ち。騎士は細めた横目で、どうするんですかと訴えている。
「……団長……? 女の子にこんなふうに言われておいて、それでも好き嫌いを押し通すのは……ちょっと男として……格好悪いですよ……?」
「!?」
その指摘にスタンレーがムッとした顔をする。
マリウスの耳打ちが聞こえなかったコニーはどうしたんだろうと不思議そうな顔をしているが……
その顔とスープとを苦々しく見比べていたスタンレーは……
舌打ちを一つ。
「ワンッ!」
「え……っ?」
おもむろにコニーの手から薬草入りのスープを引ったくって。驚くコニーの目の前で、すっかり冷え切ってしまった器の中身を一気に口に流し込んだ。
そんなスタンレーに目をまるくするコニー。
薬草スープを飲み干した途端、スタンレーは一瞬「うぇ」と言いたげな顔をして、耳は後ろにビッターンッと倒れきった。よほど口に合わなかったらしい。
「ス、スタンレー様大丈夫ですか?」
ひと匙でいいと思ったのに、一気に飲みきるなんてと慌てて水を差し出す。だが、そんな彼女に、スタンレーはどうだと言いたげな顔をして。フンッと鼻先を天井に向け、大きく胸を張る。
「ワン! (俺様の勝ちだ!)」
「誰にも勝ってません」※マリウス
「……」
勝ち誇るスタンレーにマリウスがピシャリと秒速で突っ込んでいる。コニーは、そんな誇らしげにふんぞり返った狼獣人に唖然とした。
が、スタンレーはその間に空の器をマリウスに押し付けて。そのままのしのしと食堂を出て行った。
得意満面の顔がスタンレー様らしいな……と周囲の騎士たちの心が一つになる。悠々とした後ろ姿にマリウスは呆れ果てていた。
「まったく……ごめんねコニーちゃん。……コニーちゃん?」
渋い顔でスタンレーを見ていたマリウスがコニーを気遣うように話しかけてくる。が、コニーはまるで時間が止まってしまったかのように呆然とスタンレーの後ろ姿を見ていた。マリウスは大丈夫かなと心配そうな顔をしている。と……そんなコニーの口から不意に声が漏れた。
「……と……得意げスタンレー様……か、かわいい……っ」
それは心の中から絞り出すような声だった。
黒い襟巻きの上のコニーの目は、目尻が下がりきって顔も耳まで赤い。
マリウスが、えっ!? と目を剥く。
「え……? コニーちゃん……? ちょっ、目……大丈夫?」
「のしのし歩いて行っちゃった……ふふふ」
彼女の見つめている先にいるのが、確かにあの巨躯の団長だと確認したマリウスは、かわいい? あのいかついスタンレー様が? と、耳を疑って──しまいには本気かと噴き出した。
しかしそれは、うっとりほのぼの惚けていたコニーの耳には入る余地はなかった。彼女の心の中は、苦手なものが食べれて偉かったですね……! ……というスタンレー(※いい歳した騎士団長)への賛辞(?)でいっぱいだったのだ……
ちなみに……本件の後、コニーはあの頑固者団長に苦手な野菜(薬草)を食べさせた猛者として、小さな従騎士たちから尊敬の眼差しを集めることとなった。
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