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後日談

6ー3 ミリヤムの反省と、選択

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 ヴォルデマーのため息の音を聞いて。ミリヤムが悲壮な顔をした。

「も、申し訳ありませんヴォルデマーさま……」
「!?」

 と、母がしゅんと悲しそうな顔をしたのを見て。ミリヤムの足につかまり涙目だったルドルフの涙腺が決壊した。

「ととたま(※父様の意)おこってる!? おこってる!」

 叫んだルドルフは、そのままギャン泣き。

「へっ!?」
「……!」

 ミリヤムはまるい目でルドルフを見下ろし、ヴォルデマーはおやと瞳を瞬いた。
 勢いよくぴぃいいいいっと泣き出したルドルフは、そのままパニックになった勢いで母の服を器用に登り、自らミリヤムの腕に収まった。まだ幼いが、さすが狼族の血を引くだけあって力は強い。
 だが、彼はどちらかというとビビりな性格なもので。ミリヤムの腕の中で縋るようにまるまって、しっぽを巻いて泣いている。ミリヤムは慌てた。

「ルーちゃん大丈夫大丈夫。かか(母)が悪いことしたから、とと様怒ってるけど、おじちゃま(※ギズルフ)みたいに大きな声出したりしないから!」

 幼児ルドルフ曰く、ギズルフの声は大きすぎて怖いのだそう。
 少し前、散歩中に通りかかった訓練場で、ギズルフが配下にびっしばっし檄を飛ばしていたのを見て、すっかり恐ろしくなってしまったらしい。
 そのこともあって最近ギズルフも必死なのだ。生まれた時から、せっせとオムツを変えたりあやしたりして。せっかく懐いてくれていたはずの双子(主にルドルフ)が、ここのところ全然近寄ってきてくれない。
 しかし、それでなんとか巻き返しを図ろうとした結果が──例の武器の貢物なので──やっぱりギズルフには贈り物センスがないなと思うミリヤムだった。

 まあその贈り物の件はさておき。困ったことに……その声のでかいギズルフと、双子の父ヴォルデマーは本当に外見がそっくりなのである。
 兄であるギズルフのほうがやや上背が大きく毛もモサモサしていて(※手入れ苦手)、ヴォルデマーのほうがシュッとスマートだが、顔はほとんど瓜二つ。
 つまりヴォルデマーは──ギズルフのせいで巻き添えをくい、現在我が子であるルドルフに怖がられてしまっている。
 それでも毎日顔を合わせていれば、流石に幼いルドルフにも、父がそう叔父のように突然大声を出したりしないと分かっただろうが………悲しいかな、ヴォルデマーは現在、城から離れたベアエールデ砦勤め。毎日子供たちに会えるわけではない。

「…………」

 自分を見て泣き出したルドルフに、ヴォルデマーが少しだけしゅんとした。表情は変わらない。だが、黒い立派なしっぽがストンと床に垂れ落ちて。それを見たミリヤムが慌てる。

「! ヴォ、ヴォルデマー様!?」
「とーと、や! いっや!」
「ル、ルーちゃ! ルーちゃ! とと様怒ってない! 怒ってないから! っ!? ランちゃん!?」
「…………」

 必死でルドルフを宥めていると、今度はランドルフがぎゅうぅぅぅうぅ……と、ミリヤムのスカートを握りしめる。※力が強くて服破れそう。
 どうやらこちらも無言ながらヴォルデマーに怒っているらしい。

「あ、あわわ……」
 
 泣き叫ぶルドルフと、怒れるランドルフ。双方を見てミリヤムが慌てる。

 この双子、本当に性格が正反対なのだ。
 ピィピィ泣いているルドルフはどちらかというとミリヤムより。よく泣き、よく喋る。言葉の発達も早いようだが……母の無類の無鉄砲さは受け継がなかったらしく、やや怖がり。
 反対に、ミリヤムにくっついたまま、じっとヴォルデマーを鬼睨んでいるランドルフは普段もほとんど泣かない。言葉も少なで、父と同様、目でものを訴えるタイプである。あまり物おじもしない。

「二人とも……大丈夫だから……! ちょ、ルーちゃん!?」

 ミリヤムは困り果てた。ルドルフは腕の中で、危険度外視の背面のけぞり泣き。今にも腕から落ちそうで。かたやランドルフはヴォルデマーを睨んだままジリジリとミリヤムの服をよじ登ってくる。

「ぅ、」

 その重みにミリヤムが呻く。
 基本的に、獣人族たちは人族よりも筋肉があるせいか体重が重め。半分狼族の双子たちも最近少しずつ重みを増していて、二人掛りでこられると、小柄なミリヤムでは辛いところがあった。
 それでもなんとかミリヤムは、二人の重みに耐えながらルドルフをあやす。
 だってとミリヤム。
 愛する夫ヴォルデマーは、砦に勤めていて、この可愛い息子たちの顔をいつでも見られるわけではないのだ。
 せっかく帰ってきた彼が、こんなふうに双子たちに嫌がられたまま砦に戻ることになったらミリヤムだって悲しい。

「ふ、ふぉおおっ!」

 ミリヤムは奮起した。ルドルフを抱いて、ランドルフを腰にくっつけたまま。
 ゆっくり身体を左右に動かして、調子っぱずれな歌を歌いはじめた。

「ぁ……あー! ルーちゃんとランちゃんは可愛いなぁ~フロリアン坊っちゃまもびっくり、ルカスも目ん玉飛び出した~ア~天使~天使ちゃん~!」

 ──と。間近で小さく噴き出す声がした。

「アァ~……あ?」

 カケラも才能を感じさせない歌を続けようとするミリヤムが、ふと瞬いた。
 不意に腕と腰が軽くなっていた。あれ? と、キョトンとしているうちに、額にそっと何かが当たる。見上げると──ヴォルデマーの鼻先だった。それはよく獣人族たちが親しい者同士で行う愛情表現の一つ。黒い鼻先が優しく触れていって。気がつくと、その夫が微笑みながら、両腕に息子たちを抱き上げていた。

「……どれ、私が引き受けよう」
「あ……」

 当然驚いたルドルフがいっそう激しく泣きはじめたが、ヴォルデマーは苦笑。幼児の渾身の抵抗にも、さすが余裕のあるあしらいで動じない。
 ヴォルデマーは器用に双子を腕に抱き、耳元でギャンギャン喚かれるのを気にしたふうもなく。そのまま二人を連れて部屋を出ていった。

「!? あれ!? ヴォルデマー様!?」

 息子たちから解放されたミリヤムは一瞬ポカンとして。それからハッとして、慌てて三人を追いかけた。
 廊下にはルドルフのギャン泣きする声が響き渡っている。追いかけるのは容易だった。

 鳴き声を追いかけると、ミリヤムの私室からすぐの露台に辿り着いた。
 ミリヤムが覗くと、ヴォルデマーは双子と共に露台へ出て、そこから外の景色を眺めているようだった。
 空はすでに茜色で、その下には夕焼け色に染まった城下町が広がっている。
 気がつくと、ルドルフの鳴き声が消えていた。涙がポロポロこぼれ落ちていた瞳は、艶やかな色に染まる雲をぽかんと見上げ、ランドルフのほうも、山側から吹いてくる風に煽られるのが楽しいのか、くすぐったそうに微笑んでいた。

 ……どうやらヴォルデマーは。双子の気分を変えさせるためにここへ出てきてくれたらしい。
 三人の背後でミリヤムが泣き止んだ息子たちを見てホッと胸を撫で下ろしている。
 遠く城下の道を歩く人々や駆け回る子供たち。飛んでいく鳥、輝きを放ちながら山の稜線の向こうに消えていく太陽。景色の中を動き回る様々なものを見て興味を引かれた双子はすっかり機嫌を直したようだった。
 双子を抱く夫も穏やかな目で二人を見つめている。追いかけてきたミリヤムに気がつくと、彼女にも優しい眼差しが向けられて。ミリヤムはとても幸せな気持ちになった。

「ヴォルデマー様……ありがとうございます」
「いや……いつもはしてやれぬからな。すまない」
 
 砦に詰めている間は領城にいないヴォルデマーが申し訳なさそうな顔をする。大変だろうと言われ、夫の隣に並んだミリヤムは、とんでもないと苦笑した。

「最近は皆様がこぞって二人のお世話を買って出てくださるので……どちらかというとそちらの言い争いを止めるほうに手間取っております」
「……すまん」

 妻の言葉に、家族たちの双子への熱狂ぶりを思い出したヴォルデマーは再びため息。
 そんな夫に。ミリヤムはちょっとだけ気まずそうな顔で俯いて、すみませんと言った。

「ん?」
「ええと……城下で騒ぎを起こした件です。申し訳ありません、もっとヴォルデマー様の妻らしくきちんと配慮するべきでした。みっともなく騒いだりして……」

 鍛冶屋にも迷惑をかけてしまった。ヴォルデマーの妻として、砦長の妻として。この眼下に広がる城下を治める辺境伯領家の嫁としても。もっと冷静に対処すべきだった。

「なんだか、とてもムカっ腹が立ってしまって……申し訳ありません」

 ミリヤムは、少し自分にがっかりしながら頭を下げた。
 子を持った母としてももっと慎重であるべきなのに。いつまで経ってもこの落ち着きのない気性は修まらない。普段は我慢していることも多いのだが──どうにも、子供のこととなると特に。
 どうしたらいいのかとため息をつきつつ城下の街に視線を落としていると──

「──ミリヤム」

 不意に、静かな夫の声。

「は──……!?」

 ──い、と顔を上げて横を見た瞬間。目の前には穏やかな黄金の双眸。驚いている間に、ふっと唇に触れた感触にミリヤムが目を白黒させる。

 そんな妻の顔を笑うように微笑んで、彼は静かに言った。

「……両手が塞がっていてな」
「…………」

 両腕に小さな息子たちを抱いた夫は、彼にしては少し悪戯っぽい目をしていた。
 愉快そうな夫の様子に、途端ミリヤムの顔がカッと赤くなった。
 ヴォルデマーは言う。

「ミリヤム。私はお前が大切なものの為になら、果てしなく、全力を尽くすのだと分かっている」

 優しく見つめられて、ミリヤムが言葉を呑み込んだ。

「危ないことはしてはならぬ。私もこの立場ゆえお前の行いを叱ることもある。誰かに迷惑をかけたなら謝ることは必要。だが……我が妻よ、どうかそのままでいてくれ」

 その懇願には、深い愛情がこめられていた。

「変化して行くのならそれもいい。けれども、それは自然な変化であってほしい。怒っても、悩んでもいい。ただ、領のためにお前を無理に歪めるようなことはするな」

 ヴォルデマーは少しだけ心配そうに笑って続ける。

「お前は十分立派にやっている。いもしない“立派な辺境伯領家の夫人”を想像して自分と比べることはない。それに私は役立ってもらう為にお前を妻にしたのではないからな。こうして暖かく、共に生きていければそれで私は満足だ」

 言いながら、ヴォルデマーは再びミリヤムの額にキスを落として。それを受けたミリヤムは、一瞬ぐっと黙りこんだ。

「………………」
「ミリヤム?」

 唇を硬く結んで、少し視線を落とした妻の顔を、ヴォルデマーが覗き込む。と──
 その次の瞬間、ミリヤムは。サッと夫の頬にキスを返す。その行動に、咄嗟におやと目を見開いた夫に、妻はにへっと恥ずかしそうに微笑んだ。

「……えへ、えへへへへ」

 むず痒そうに、嬉しそうに額や耳までもを赤くして笑う妻に。ヴォルデマーガ破顔する。そんな顔が可愛くて堪らぬのか。ヴォルデマーはもう一度、今度は栗色の髪に唇を落とし。そのまま鼻先を妻の髪に押し当てて深く息を吸いこんだ。そうすると愛しい香りが感じられてとても幸せだった。

 ──この瞬間のために生きているのではないかと思うほどに。

 彼がこんなふうに接すると、相変わらず照れ屋な妻の顔は真っ赤に熟れて初々しく恥じらうが。流石に以前のように脱兎のごとく逃げ出すことはなくなった。照れながらも、モジモジ、モジョモジョしている母を、ヴォルデマーの腕の中の息子たちが不思議そうに見ていた。

 と、赤い顔のミリヤムがにっこりと笑う。

「ヴォルデマー様、ありがとうございます。私……とっても幸せです」

 そういう妻の言葉は照れ臭そうではあったものの、とても晴れやかだった。それが嬉しくて。ヴォルデマーも心の底からという深い声音で、ああと応じる。

「……私もだ」


 そうして見つめ合う二人の顔は再び近づき。ミリヤムの踵が夫に向かって伸び上がる──……

 ……が──。



 その時だった。

「……、……、……ねえ、まだ?」
「!?」

 突然露台に不満そうな声が響き──ミリヤムが驚いて吹っ飛んだ。

「ミリヤム!?」

 まるで海面から飛び出したトビウオのように、勢いよく跳び、床に転がっていった妻に──ヴォルデマーが目をまるくした。ミリヤムはそのままゴロゴロと露台の端まで転がって──愕然と声のしたほうを振り返る。と──……

「……もうわたくし待ちくたびれたんだけど」
「!?」

 露台のガラス扉が薄く開き、その隙間から二人を見ていたのは──

 じっとりした白銀の毛並みの狼顔。
 ミリヤムの義母──ヴォルデマーの母、アデリナであった……。

「ア、アデリナ様!? ヒィ!? 閣下まで!?」

 遅れて夫人の下の方に……モッフリした黒い塊──辺境伯の顔を見つけてミリヤムが叫ぶ。

「お、義母様、お義父様!? いいいいいつからそこに!?」

 ミリヤムがどもって問うと……

 アデリナは澄ました顔で、「ずっとよ」と言った。
 その言葉に、辺境伯が容姿に見合わぬ渋い声で、「ミリヤムが私室で歌っていた時から」と付け加える。

 それを聞いたミリヤムはちょっと血の気が引いてしまった……。

 ……どうやら……
 ミリヤムたちが露台に移動してくる前から、彼ら辺境伯領主夫妻は、すでに部屋の外でスタンバッていたらしい。ミリヤムは激しい羞恥心に苛まれる。なんだか──義理の父と母の前でいろいろイチャこいてしまったような気がして──悶え苦しまずにはいられなかった。

「ぁ! ああああああ!?」
「……父上、母上……いるのならいると言ってください」

 そんなミリヤムの傍に立ち、ヴォルデマーが呆れたように夫妻に苦言を呈した。が、夫妻はだってと不満気だ。

「あなたたち長いのよ。さっきからずっと待っているのよ、私たち。ねえまだなの?」
「邪魔する気はなかったんだが……我々は今日、孫たちのお風呂当番なんだが……そろそろ……ルドルフとランドルフをこちらによこしてはくれぬか……早くせねば夕食どきに間に合わぬであろう?」
「そうよ。つまりね……早く双子をこちらによこしなさい? その後で接吻でもなんでもすればいいでしょ」
「ぎゃー!!!!!」

 真顔のアデリナにそう急かされて。やはりすべて見られていたのだと察したミリヤムの顔が破裂しそうに上気する。

「!? だ、大丈夫かミリヤム!」

 ヴォルデマーは両腕に抱えていた双子を下に降ろしぶるぶるしはじめた妻の傍にひざまず──……い、ているうちに。アデリナと辺境伯はサッと双子たちを回収していった。

「さ、ロロ、ランド。おじい様とおばあ様のところへおいで♪ お風呂の時間ですよ♪」
「今日は新しいおもちゃを作らせたぞ」

 辺境伯がほれほれと取り出したのは、ものすごく精緻な作りの高級品おもちゃ。渡されたおもちゃにランドルフはすっかり魅了されたらしく、言葉はないが目をキラキラさせている。と、ずっとポカンとしていたルドルフがアデリナに幼い声で問う。

「? ととたまと、かかたまは?」
「ああいいのよいいの。とと様とかか様は二人で仲良ーくイチャイチャしたいんですって。ばーばはロロとランドと仲良ししたいから一緒にいらっしゃい。今日も泡をいぃっぱいぶくぶくして遊びましょうね♪」

 アデリナが言うとルドルフはキャッキャと嬉しそうな歓声をあげている。

「ル、ルーちゃん!? ランちゃん!? お、おか……お義母さ……ま……!?」

 ヴォルデマーに付き添われたミリヤムは、息も絶え絶えという顔で息子たちに向かって手を上げたが……アデリナは、ほほほと笑う。やっと確保した孫たちを返す気はさらさらなさそうだ。

「あら邪魔したわね。ほほほ、もうあなたたちに用はないから、ゆっくりイチャついてなさい」

 じゃあね、ほほほほほ──と。アデリナは高笑いしながらルドルフ抱いて露台を出ていった。辺境伯も背中にランドルフを乗せて、モッフモッフとその後に続く。

「邪魔したな」
「ぅ、あ……」

 残されたミリヤムは、赤い顔で愕然と義理の両親と息子たちを見送った。何やら……公認でイチャつくことになってしまって。
 嵐のように去っていった義母たちに呆然としていると──

「──さて」
「!」

 不意にヴォルデマーが、ミリヤムを横抱きに床から持ち上げた。
 そのまま彼は、露台の隅にある花壇のヘリに腰を下ろした。ミリヤムは逞しい膝の上で狼狽えたままである。

「ぇ、あ、あの……」
「せっかちな両親ですまぬな。──では母上たちの言葉に甘えて、しばしゆっくりしていくか」
「ぅ……!? は、はい……」

 夫の言葉に、ミリヤムは消え入りそうな声で返事をしながらおびただしい汗を額に滲ませる。
 いや、こうして夫と水入らずでのんびりできるのは久々で非常に嬉しいし、ありがたくもあるのだが……
 義理の母たちにいろいろ目撃された後に、こうお膳立てされてしまうと──どうにもこうにも恥ずかしくて仕方がない……。羞恥心の発動に、真っ赤な顔でガタガタしている妻に、「ん?」と、ヴォルデマー。

「露台は嫌か? ……では寝室に戻るか?」
「っ!? それはそれでなんだか!」

 囁かれた言葉を耳にして、激しい恥ずかしさに襲われたミリヤムが両手で顔を覆う。
 それを見たヴォルデマーは、愉快そうに微笑んでいる。……どうやら、わざと『寝室』と言ってみたらしい。薄く笑った男は問う。

「どうする?」
「ヒィ、どうするって!? そういう色香の滲む目はおやめくださ──……」

 と、ミリヤムが叫ぼうとした時。露台にヒョイっとアデリナが戻ってきた。

「──ああそれとね」

 真っ赤な顔であわあわしているところに──急に先ほど出ていったはずの義理の母が戻り──露台には、ヒィいぃいいいいっ!! ──というミリヤムの悲鳴が響き渡った。

 咄嗟に夫に抱きついたミリヤムに、扉から平然と現れた義理の母が何かを差し出している。

「え……? え……?」
「…………」※ヴォルデマー。
「さっきね、フロリアン殿から最近隣領で流行りの子供用のヘアカタログが届いたの」
「へ……? ぼ、坊っちゃまから……? カ、カタログ……?」

 戸惑うミリヤムに、アデリナは持っていた冊子を押し付け、ヴォルデマーは『フロリアン』と聞いて、やや複雑そうな顔で妻をチラリと見た。

「そうよ。あなたたちも見ておいてね。ほら、あの子たち結構髪が伸びてきたでしょう? 先日いらした時に、フロリアン殿も気にしておいでだったのよ。それで……わたくしも、もう城下で腕利きの美容師を城に待機させています。……私はロロとランドには見開きベージの気品のあるカットがいいと思うわ」

 え、で、でも……とミリヤム。差し出された冊子を困ったように見てから、アデリナを見上げる。

「あの、若様が……狼族らしくないから二人の髪は切らせないと……」
「はぁ?」

 言うと、アデリナが牙を剥く。怖い。

「ギズルフ? あの子に何の権利があるというの?(ごもっとも)まったく父親でもないくせに、なんでも思い通りにしようとするのだから……ちょっと引っ叩いて黙らせておきなさい」
「え、む、無理です……」

 あのミリヤムが渾身の力で頭突きしてもびくともしない巨体を、引っ叩いて黙らせるなど。ミリヤムがギョッとすると、アデリナがあらそうと肩をすくめる。

「じゃあわたくしがやっておきます(※アデリナの爪がぎらりと輝くのをミリヤム目撃)。わたくしは孫を愛らしく、品よく着飾らせたいの。あんな、ギズルフみたいにボサボサのたてがみなんて冗談じゃないわ」

 義母はそう言って。二人にカタログをちゃんと見ておくようにと念を押してから。ぶつぶつ言いながら露台を出ていった。

「ぇ…………え……っと……」

 その後ろ姿を見送りながら……。ミリヤムは、某ミリヤム愛しの養父坊っちゃまが送って来たというカタログを握りしめ、どうしたらいいのかと唖然としていた。が──……
 
 その間近で、不意に、くつくつと笑う声。

「ヴォ、ヴォルデマー様……」

 やれやれまったくと苦笑を漏らす夫の顔を、ミリヤムはじんわり赤い顔で見る。色々と驚かされたりしたもので……せっかく夫とはいい雰囲気だったが、すっかりどうしていいのか分からなくなったようだ。
 そんな妻の額に滲む玉のような汗を見て。愉快そうに笑っていたヴォルデマーは、にっこりと微笑んで言った。
 

「──やはり……ここではゆっくりできぬな」
「!」

 夫はそう言って、妻を抱えたままヒョイっと立ち上がった。
 ──それがどういうことかを悟ったミリヤムは──赤い顔でギョッとする。

「これはまた後ほど……だな」

 ヴォルデマーは、妻の手から彼女が敬愛する青年が送ってよこしたというカタログを取り上げて。
 微笑み、悠然と露台を出ていった。

 ──二人が向かった先はもちろん──……ご想像にお任せする。


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