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156 糾弾と、残念な兄の溺愛
しおりを挟む居間へ向かうと、案の定。
主の椅子にふてぶてしく座った兄の膝に、令嬢が泣きすがっている。
「お兄様助けてください、メイドが盗みを働きました!」
膝に両手を乗せられた兄は非常に煩わしそうだが、グステルが居間へ入っていくと、心配そうに視線だけで(何事だ?)と、問うてくる。
グステルは、そんな兄に無言で小さく手を持ち上げて大丈夫だと合図。その落ち着き払った様子を見て、フリードも、とりあえず成り行きを見守ることにしたようだった。
しかし、代わりに騒ぎだしたのが叔母である。
「盗みですって⁉ いったいどのメイドなのグステル⁉」
「あの女です……!」
グステルと呼ばれたエルシャは、ビン底眼鏡のグステルをまっすぐに指さした。
真に迫った怯え顔には悲壮感が漂い、あらぁ、なかなか堂に入っている、とはグステルの心の声。
先ほど彼女が見せた気難しそうな顔はどこへやら。表情ひとつでここまで人格が変わって見えるのだから、人間不思議なものである。
だが、そうしてグステルがのんびり受け止めている間にも、外界では彼女に対する糾弾が進む。
「あのメイドが……あのメイドが私の私物を盗んでいたのです!」
「まあ……!」
令嬢に訴えられたグリゼルダは大げさに絶句して、戸口にやってきたグステルを睨んだ。まさかそのメイドが、自分の本当の姪だとは思ってもみないのだろう。汚いものでも見るような目には、グステルもなんだか懐かしさを感じた。叔母グリゼルダは、歳を重ねただけで、昔から少しも変わっていない。
(家に有り余るような金があり、なんの責務も担わず暮らしてきたゆえかしらねぇ……)
まあ、金がある、とはいっても、それはほぼグステルの父の財産だが。
グステルは、この叔母を、どうしたものかと考える、が。
グリゼルダのほうでは、その自分をじっと見つめるメイドが甥フリードが連れてきた人間だと見るや否や、これ幸いとほくそ笑んでいた。
傲慢な甥をこの快適な邸からなんとか追い出したいと思っていたところである。
せっかくアルマンと共謀して、公爵家を思いのままにしてきたのに、自分好みに仕上げた邸を今更フリードに取り上げられるなんて悪夢でしかなかった。
だからこの機を逃さず、甥の責任を問うてやろうと単純に考えたグリゼルダは、今度はフリードに向きなおると、唾を飛ばしそうな勢いでそこに座る男を責め立てた。
「フリード、今すぐその者を王国兵に引き渡しなさい! なんてことしてくれるの! この高貴な邸に盗人を引き入れるなんて!」
お前の責任よ! と、怒鳴られたフリードは。わめき散らす叔母を迎え撃つように睨んでいたが。その一触即発という強面の下で、彼は実は大いに感じ入っていた。
(……さすが、我が妹)
むふー、と、フリードは、心の中では満足げ。
実は事前に、『そういう事態にもなりうるから』とは、グステルに言い含められていた。
『強引に邸を歩き回ろうというのですから、叔母様や例のお嬢ちゃまから抵抗を受けて当然です。きっと、見られたくないものも多いでしょうからね』
と、何やら意味ありげに苦笑した妹は、実に聡明に見えた。そして彼女は続けてこの高慢なる猛獣にこう諭す。
『でも、今回はとにかく相手の出方を見たいので、お兄様は、まずは我慢、です』
『我慢……だと……? いやだ』
すげなく返した兄に、グステルは即座にその男の、今まで敵にも親にすら侵されたことのない聖域──額を、ペンッと叩く。
『む』
『いやだじゃないの。何か騒ぎがあれば、私がなんとかしますから。とにかくお兄様は、腕力封印。黙って私の顔だけ見ておいてください。多分叔母様がわめきまくるはずですから、お兄様まで、わーわー言ってたら埒が明かないんですよ』
そう言って。妹は両手で彼の頬をはさみ、真正面から彼を見据えた。
『いいですね?』と、まるで叱るような顔で重ねて言われたが、青年は正直不満であった。
我慢など。するくらいなら金か武力でどうにかすればいいというのが彼の性格である。
不満を抱えるくらいなら、喧嘩上等で白黒つけたほうが余程すっきりする──……とは、思ったが。
自分の顔を臆せずつかむ妹は……やっぱり……可愛い。
(なんなんだ貴様は……母親のような顔をしおって……背伸びしたいお年頃か⁉ 愚か者め!)
と、一応心の中では罵ってみたものの。やっぱり無駄だった。妹の可愛さは少しも薄れず、叱られることすらもなんだか心地いい。フリードは、そんな自分に思わず唸る。
『おのれぇ……っこの! 魔性の妹め!』
『⁉』※グステル。急に激昂された意味が分からなくてギョッとした。
……どうにもこうにも言葉と感情の不一致が残念な兄ではあるが、それはともかく。
フリードは、やっぱり妹には必要とされていたかった。
もしここで、何やら考えがあるふうの妹をつっぱねては、『お兄様、もういらない』なんてことを言われかねない。そんなことは想像するだけで悲しいし、それにと険しい眉間のしわが深まる。
(……そうなれば、おそらくあの小癪なヘルムートがしゃしゃり出てくるはず……)
それこそ絶対に許せない事態だった。
せっかく妹が、『この計画にはお兄様が絶対に必要です』と言ってくれたのに。そこへ来てあの男に役目を奪われるなど。
ヘルムートの顔を思い出したフリードは非常にムッとした。
別にフリードは、彼を嫌っているわけではない。ヘルムートには世話になった。──が、妹の中での序列が、兄の自分よりも、あの男が高くてはならないと思うわけだ。
先立っても、あの男は自分に無断でグステルを抱きしめていた。
そのことを思い出すと、彼の心に浮かぶ感情はひとつ。
──許せんっっっ‼
……である。
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