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142 二度目の人生でも無理なこと
しおりを挟む……もしや、何もかもが夢だったのではないだろうか。
だって、なんだか身体がふわふわしているし、そもそも……自分の中にもうひとり“グステル”がいるなんて荒唐無稽。
いくら王都にきたからって、いきなり王太子に出会うなんてことも話が出来すぎている。
遠く離れたシュロスメリッサにいるはずの、ユキやイザベルだって、こんなところにいるのはおかしいし……。
おそらく、グステルがふたりに会いたくなりすぎて、こんな夢を見てしまったのではないだろうか……。
もしかしたら……今はまだ王都につく前で、ヘルムートとも再会する前で。
自分はまだ馬車の中で、長旅と兄の世話に疲れ果て、うたた寝でもしてしまっているのではないか──……。
「……夢落ちって、ありがちよねぇ……」
……と、つぶやいたところでグステルの意識が浮上する。
「──ん……?」
ぼんやりしていた視界の先にあったのは、深い色の木の天井。背中には柔らかな感触があった。
どうやら、彼女はどこかに横たわっているようだった。
おや、ではやはり夢だったのか、と、納得しかけた時。グステルの目に、自分に向かって伸ばされる何者かの腕が映る。
もう一度、おや? と、思った瞬間。着ていたブラウスの合わせ部分がガバッと開かれる。とたん肌がひんやりと外気に触れて、グステルは、唖然とした。
──どうやら、誰かに服を脱がされている。
そのことに気が付いて、ぎょっとした彼女は相手を探したが──……。
「あ、ら……ぁ……?」
間近にあったのは、ふたつのまるい顔。
思いがけず柔和な顔がそばにあって。グステルは、パチパチと瞬いて目の焦点を合わせる。するとそこにはエプロン姿の見知らぬ婦人が二人。
彼女たちは、グステルがぽかんとしているその間にも、彼女の服をテキパキとはぎ取っていく。状況をのみこめないグステルは、しばしその手際に見入っていたが……。
「まぁ……これも血だらけよ、このお嬢様、いったいどれだけ鼻血を出したの?」
「本当にねぇ……」
感心したようにいわれ、いわゆるブラジャーを取られたところで、グステルは、やっとハッとして大きな声を上げた。
「⁉ あれ⁉ こ、ここはどこですか⁉ ヘルムート様⁉ ユキ⁉ イ、イザベル様は⁉」
……さすがグステル。見知らぬ人間に半裸にされつつあることは、大して気にならなかったらしい……。
と、二人の婦人が、あらと手を止める。おそろいのつぶらな瞳がさっとグステルを見た。
人がよさそうな容貌はまったく同じで、どうみても一卵性の双子であった。
「あらあらあら。このお嬢様ったらやっと正気にお戻りになったわ」
片方がほっとしたようにいうと、もう片方は「大丈夫ですよー」と、子供をあやすような口ぶり。
「ずいぶんお疲れだったみたいですね。でも、お医者様は貧血と疲労以外は、異常はないっておっしゃっていましたからね」
「それと、先ほどもご説明しましたが、私たちはヘルムート坊ちゃんの家のものですからね。お嬢様は、先ほど貧血でお倒れになられたんですよ」
「へ……? ひん、けつ……?」
代わる代わる、なだめるように説明されて、グステルはハッとした。
そういえば、イザベルに驚いたあとから記憶があやふや。
よくよく思い出すと、あの時、ギョッとした瞬間にクラッとめまいに襲われて——。
「あ……私、倒れてしまったんですか……」
得心がいった。
考えてみれば、最近流血三昧(※鼻血)で、おまけに馬車酔いもあって食事もあまり食べられていなかった。そもそも月の物が終わりかけのころで自分が貧血になりやすい時期だとは心得ていた。グステルは決まりの悪い顔。
「す、すみませんお手数をおかけして……」
グステルが(半裸で)頭を下げると、双子の婦人たちは顔を見合わせる。
「いいえぇ、わたくしどもは仕事ですから。お嬢様を運んだのはヘルムート坊ちゃんですし」
「まあ、しいていえば……お嬢様が意識が戻ってからも、ずーっと廃人のような様子でぼんやりなさっておられたものですから、心配なさった坊ちゃんをなだめるのが大変でしたけどねぇ」
「あ……あー……」
「あと、イザベル様も驚いて癇癪を起していらっしゃってます。あとであのお二人を何とかしていただけると助かります」
「…………す、すみません……」
二人の話を聞いて。グステルは身を縮める。
どうやら……イザベルやユキたちとの再会は夢などではなかったらしい。
そして大変申し訳ないことに、ヘルムートたちには相当心配をかけてしまったようだ。
しかしそういえばと、グステル。
うっすらとではあるが、記憶があることに気が付いた。
ずっと身が重すぎて、どうしても目が開けられなかったのだが、遠くから自分を呼ぶ声や、初老の男性——おそらく医師——に、いろいろ聞かれたり、口をこじ開けられたりした記憶があって……。
聞こえていたヘルムートの声は、ずっとずっと心配そうだった。
そのことを思い出したグステルは、胸がしめつけられるように痛くなった。
焦燥感に駆られた彼女は、婦人たちがグステルから脱がせた服をもって自分のそばを離れたすきに、慌てて長椅子を降りた。
早くヘルムートたちのもとへ戻ろうと、よろめきながら戸口に向かい、ドアノブを握ってひねる。と、それに気がついた婦人らが慌てて高い声で叫んだ。
「あら! だめだめ!」
「いけませんお嬢様、素っ裸ですよ!」
「──え?」
いわれてハタと自分を見下ろすと、婦人たちの言葉通りグステルは上半身に何も身に着けていない。そういえば、彼女たちに先ほど脱がされたのだった。
おまけに昼間にさんざん流した鼻血が服を貫通していたらしく、胸元には乾いた血痕。
想像よりもずっとスプラッタな己のありさまに、グステルがひるんでいると。それにと、慌てた婦人たち。
「その扉の向こうにはヘルムート坊ちゃんが──!」
その言葉にグステルが「え……」と、婦人の顔を見た、その時だった。
わずかに開いた扉の向こうが突然騒がしくなった。
「ど、どうした⁉ ステラになにかあったのか⁉」
「⁉」
どうやら婦人たちの声を聞きつけたらしい。
部屋の外から問いかけてきた男の声は、大きな不安に駆られているようだった。
それが、ヘルムートの声だと察したグステルは、とっさに彼に駆け寄りたい衝動に駆られる、が……。
「……あ、れ?」
スカスカする我が身に気が付き、瞬間彼女は「ひえっ」と声を漏らす。
そう、現在彼女は半裸。
おそらく婦人たちは、グステルの血まみれ状態をきれいにしようとしていたのだろう。かろうじて下は着衣のままだが、上は、一糸まとわぬというやつである。
そして、開きかけた扉の向こうには、ヘルムート……。
それを考えると、強い羞恥が襲ってきた。
どっと出てきた冷や汗を感じながら、つかんでいたドアノブを引き戻そうとしたが、同時に、扉が外側から引っ張られる。
これにはさすがのグステルも慌てた。
このままでは、このあられもない姿を彼に見られてしまう。
「ちょ……っ、ま、待──」
グステルは、開かれゆく扉を見て焦り、もちろん扉をひきとめようとしたが、どうしてもあちらのほうが力が強い。
扉と戸口の間隔はしだいに広がっていき、その先に暗い廊下の景色が見えた。戸板の向こうに青年のたくましい肩の一部が覗き、グステルが息を呑む。
──いや、すでに人生を一周終えた身としては、裸くらい……なんてこと……。
(……っいや! ちょ、ちょっと無理かも!)
こんな姿の自分が、ヘルムートの視線にさらされるところを想像すると、思いがけないほどにカッと頭に血がのぼる。ほかの誰かならば男であろうと女であろうとかまわないが、彼だけは。
(み、見られたら、心臓が身を突き破って破裂するかも──……)
しかし扉は容赦なく彼女から遠ざかっていく。グステルは、思い切りうろたえた。
(──ひぃ! ど、どうし──……⁉)
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