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135 赤い糸ではない、“運命”
しおりを挟む車窓から眺める王都の景色はいつも一緒だ。
道は彼の同行者たちによって整然と整えられて、道のはじに追いやられた民衆たちは、まずは彼という稀な者に出会えた驚き見せ、それから歓喜する。
車窓からそっと微笑んで手を振ると熱狂は高まり、彼を讃える声が往来に溢れる。
この日もそうだった。
王太子の役目の一つとして郊外の視察に向かう途中、彼は、王都の城壁門を出たところでいつもと変わらぬ車窓の光景を眺めていた。
挨拶をしてくれる民衆たちに、彼王太子エリアスはいつも通り笑顔を見せつつも……瞳の奥には憂いがあった。
最近、王室は王太子の婚約問題で非常に荒れている。
両親は早く身を固めなさいというが、大臣たちは候補者を並べて、本人そっちのけでああだこうだと紛糾。
彼らにいわせると、エリアスが王太子妃にと望んでいたラーラ・ハンアバルトは妃には『ふさわしくない』らしい。
理由は彼女が庶子であるからで、そんなことは問題にならないという彼の主張は、色々な周りの思惑のせいでなかなか通らない。
王室は今やエリアスの意思を無視し、国を想うふりをして各々の欲望のために主張を通そうとする者たちの駆け引きで、すっかり空気が濁り切っている。
正直なところ……そんな光景を目の当たりにした彼には迷いが生じている。
本当に、あの純粋なラーラをここに迎えて大丈夫なのだろうか。
彼女は侯爵家の娘だが、両親との関係は微妙で後ろ盾が弱い。
そんな彼女が、あんな欲望深い者たちばかりの王室に放り込まれて、はたして耐えられるのか。
無理をして迎えてしまえば、逆に苦しめることにはならないか。
このエリアスの迷いは、現在彼を彼女のもとから遠ざける原因となっていた。
そこへきて、国民たちの間では、最近メントライン家の令嬢を王太子妃に望む声が日増しに高まってきている。
彼女は公爵家の一人娘。
後ろ盾も強いばかりか、行方知れずとなった彼女をエリアス自身が発見し、その後も何かと面倒を見ているとあって、それはすっかり美談として国に広がってしまった。
こうなってくると、民意だといってメントライン家のグステルを推す大臣も出てきて、エリアスは、いっそう悩ましい状況に陥っている。
ただ、彼としても、“グステル・メントライン”という娘には、なぜか不思議な縁を感じるのだ。
ラーラと同様、何か、彼の人生にはなくてはならない存在である気がして。
だが、ここのところ彼は理由のわからない違和感に苦しめられている。
グステルは楚々としてか弱く、守ってやりたいと思う。
だが、なぜか、何かが違う気がするのだ。
“グステル・メントライン”という存在に運命的な何かを感じてはいるが、頻繁に自分に会いたがる彼女を目の前にすると、なぜか、わけもなく混乱する。
何かを間違えている気がした。
何か……そもそもを、間違えている、そんな気が。
「……」
その違和感の謎を考えながら、エリアスはぼんやりと車窓の外に流れる景色を眺めていた。
城壁門前には大勢の人々がいて、彼の護衛兵たちに道を開けるように命じられている。
この外出は急遽決まったことであったから、国民たちには知らされていなかった。突然のことに人々は大慌て。右往左往しながら道を開けてくれる彼らを見て、エリアスはなんだかとてもしのびない。
せめて彼らに詫びを込めて挨拶しなければと、窓に近寄った、その時のことだった。
彼の瞳に、あるものが飛び込んでくる。
慌ただしく人の行き交う往来の中に、みずみずしい果実のような──赤。
ハッとしてよく見ると、道路脇に移動中の馬車の中から、カーテンを持ち上げた誰かが目をまるくして彼を見ていた。
遠目にも、自分を見た瞬間に彼女が大きく息を呑んだのがはっきりとわかった。
同時に、彼も不思議な思いに囚われる。
見覚えのない娘なのに、以前から彼女のことを知っていたような、奇妙な感覚。
知り合いだろうかと記憶を探るが、やはりその顔は記憶にない。
でも、なぜなのかとても心惹かれる。
──まるで──……
自分の人生には、必ず必要な誰かと出会ったかのように。
「──っ」
途端、エリアスは強いめまいに襲われた。片手で顔面を押さえて身を折ると、馬車に同乗していた侍従が慌てて彼の名を呼ぶ。しかし、その声が遠い。
エリアスは、とても混乱していた。
理由の分からぬ焦燥感に胸が騒ぎ、いいようのない不安に気持ちが次第に追い詰められていく。
なぜなのか、人生の何もかもの順番をすっかり間違ってしまったように感じた。
──そして、彼は確信する。
先ほど見た鮮やかな髪の娘が、その“何もかも”を正してくれる唯一の存在なのだと。
「……な、んだ、これは……」
その唐突で、不可解で──堅い確信には。エリアスはいっそう己に戸惑いを感じる。
何もかもがわけが分からなかった。
見知らぬはずの娘に、自分はなぜこうも感情を揺さぶられているのか。
その娘の容姿に惹かれているわけでも、特別印象深いことがあったわけでもなく、ただ、目と目があった、それだけのことなのに。
この突然の異変にエリアスは、混乱。
ただ、彼はその混乱と疑問とをもってしても抑えられない衝動に駆られている。
──今はとにかく、あの娘を見失ってはならない。
はやる気持ち抑え馬車を降りた彼は、その娘へ思い切ったように声をかける。
努めて冷静を装って。
「……大丈夫ですか? 随分とお加減が悪そうですが……」
疑問に騒ぐ心を隠して娘に尋ねると、その娘は呆然と立ち尽くし、彼を見る。
見開かれたチョコレート色の瞳は、なんともいえない歪な感情を灯していた。
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