ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり

文字の大きさ
上 下
133 / 170

132 威圧

しおりを挟む

 

 フリードは、その大きな身体からは想像できないような身軽さで、馬車の入り口に駆け寄ると、車内を勢いよく覗き込む。
 と、そこにいた八の字眉毛の青年が、ホッとした顔で彼を迎える。

「フリード様、よ、よかった……」

 ……よかった……か、どうかはかなり怪しいが。
 ともかくヴィムは、グステルの保護者(?)が戻ってきてくれたことに安堵した。
 しかし帰ってきた男の目には、ヴィムの姿は映っていない。
 フリードは、彼の膝の上でブルブル震えている妹の背を見て仰天した。
 ここまでの道中、散々彼女の演技に騙されてきたフリードではあったが。本能的に、今この妹の怯えが、それらとは根本的に違うとものだとすぐに察した。
 ──が。
 ここで彼が冷静に振る舞えればかっこ良かったのだが……。
 まだ、他者を思いやる気持ちが芽生えたての芽生えたてたるお坊っちゃまは、すっかり気が動転してしまう。

「ど、どうした⁉︎ どうしたぁあああああ⁉︎」

 職務中には、血まみれの賊なども散々見てきたはずの大男は、妹の丸まった背中に盛大にオロオロしはじめる。

「それが……突然こうなられて……」
「ステラ……? ステラ⁉︎」

 ヴィムの膝に顔を埋めた妹は、呼びかけても兄を見てくれない。
 ただ、彼女は苦しげにもらすのだ。

「……やめて、もう私を放っておいて……」
「⁉︎」

 聞いたことのない妹の悲痛な声に。フリードは動揺し、そして──怒った。
 男は、大事な妹を苦しめるものを見逃さぬよう、瞳を限界まで見開いて、ゆ……っくりと背後を振り返る。

「……、……誰だ……誰がこやつをこんなに怖がらせた⁉︎」

 怒りに任せてフリードが腕を振ると、八つ当たられた馬車の車体がバキッと音を立てて割れた。その腹に響くような怒声と剛腕には、ヴィムを含めた周りの者たちが皆慄く。

「お前か⁉︎」
「ひっ」

 そしてまず、その怒りの眼差しで刺された歩兵は、地面の上で跳び上がる。
 フリードは、鼻頭を痙攣させるほどに顔を歪め、眼光鋭く歩兵を見下ろしている。その姿は、まるで鬼神。誰もが彼の後ろにゆらめく怒りの炎を見た。
 視線で射られた歩兵ばかりでなく、先ほどあっけなく馬から引き摺り下ろされた騎兵も、周りにいた民衆すらも。皆、フリードの気迫に怯えて後退っていく。
 王国兵たちは身構え腰の剣に手をかけて、今にもそれを抜きそうだ。そんな緊張感を見たヴィムはギョッとして喉の奥で悲鳴を上げる。

「ヒィ⁉︎ ちょ……フ、フリード様⁉︎」
「許っさん……っ‼︎」

 怒れる兄が咆哮を上げた。


 ……身体がひどく冷たい。
 理由はわかっている。
 あの方と再び出会ってしまった。
 でも、これ以上はダメだ。
 少し目があっただけでこれならば、もし面と向かって出会ってしまったらどうなることか。
 それを思うと、グステルの身体は余計に冷たくなるようだった。
 私たちは再会するべきじゃない。

(──そ、そうだ、逃げなきゃ……)

 グステルは、先ほどの感覚を思い出すと、どうしようもなく怖かった。相反する二つの感情に、身が引きちぎられそうなのだ。
 今すぐあの金の髪の青年のそばから離れたい気持ちと、彼のところへ駆け出したい気持ち。
 これは早くここから立ち去らねば、グステルの中の見知らぬ彼女がより明確に現れて、自分の主導権を奪われてしまいそうだ。
 恋心は、強い。
 特に若い娘の恋の力は、グステルのような老成した魂を圧倒する力を持っていた。彼を間近にして、制御できる自信がなかった。

(これは、まずいわ……今すぐここから離れなきゃ……)

 そうは思うのに。
 あまりにも恐怖したせいか、だんだん意識を保っているのがつらくなってきた。
 耳には周囲の喧騒が遠く、轟々と風が暴れるような音がうるさくて──……。

「──俺様の妹をわずらわせた者は全員そこに直れ!」
「……、……、………………」
「貴様たちが無礼にも怒鳴りつけたのは、この俺様を大好きな妹なのだぞ⁉︎ この俺様をだ!」

 その甚だしく主張の強い怒号に、グステルの恐怖がつんのめって止まった。
 なにやら……ものすごく恥ずかしい身内の喚き声が聞こえる気がして、別の意味で気が遠くなった。
 そこへさらに聞こえてくる怒号。

「貴様らの武人の精神はどうなっている⁉︎ 俺様を大好きな妹を怖がらせ、血まみれにするとは……それでも武人か⁉︎ か弱き者をいたわる精神が皆無か⁉︎ 根性を叩き直されたい奴はどいつだ⁉︎ さっさと並べ! 俺様が順にぶん殴って──……」

 と、兄がいいかけた時。グステルは、カッと目を見開き恐怖をねじ伏せた。
 この時、気を失いそうなほどの恐怖をなぜ彼女が堪えられたかというと。それはひとえに、年長者(?)として、あの幼な子が如き兄をどうにかせねばならぬという責任感に他ならなかった。
 子供(?)が絡むと、どうにも強い、グステルである。

「っ!」

 氷りかけていた腕を動かし、その手で、馬車の戸口をガシッとわしづかんで。なんとか腕の力で身体を扉のほうへ引っ張った。そうして外に向かって思いきり怒鳴る。

「っこぉら若様っっっ‼︎」

 戸口に這い寄り、ゾンビのような顔で兄を叱りつけると。
 今にもそこに正座させた兵士たちの胸ぐらをつかみ、吊し上げそうだった兄がハッと振り返る。
 フリードはメントライン家の馬車の戸口に、すがるようにして出てきた妹を見つけ。その、血の気の引いた、血まみれの悲壮な顔を見て胸を突かれ、顔を歪める。

「! 大丈夫かグス──」

 と、フリードが口走った瞬間。その悲壮なはずの妹が、暗黒の眼差しで兄を威圧。
 顎を上げ、在らん限りに両目を見開いた。
 その両目から放たれる眼光は射るようで、煽るような圧は、兄にはっきり(黙れ!)といっている……。

「⁉︎」

 その妹の顔にフリードはフリーズ。グステルの怒った顔は、母が怒った時の顔ととても似ていた……。
 どうやら自分は妹の機嫌を損ねてしまったらしい。そう察したフリードは──つかんでいた王国兵の胸ぐらから、そ……と、無言で手を離した。
 しかし、叱られ慣れていない彼は、妹に怒鳴られた理由がわからない。

(グ、グステルは……どうして怒っている……?)

 フリードは困惑しながら、妹の奇異なほどに見開かれた瞳を見て、そこでやっとハッと思い出す。

 そういえば──。
 グステルは、今はまだ令嬢暮らしには戻らないと決めたらしく、身分も伏せておきたいといっていたのである。
 彼は彼女に、『人前では絶対妹扱いしないでください。名前もステラと呼び捨てて。私もお兄様のことは“若様”と呼びますからね?』と、重々言い含められていた。
 対外的に、現在メントライン家の一人娘は王都の町屋敷にいることになっている。
 もちろんそれは偽物だが、メントライン家の嫡男が、ここで他の娘を『妹』と呼ぶのはまずい。
 それなのに、彼は先ほど怒りのあまり、うっかり妹の言葉を忘れて。大勢の前で、彼女のことを『妹』といってしまったのである……。
 これにはフリードは、ちょっと慌てる。

「む……むむ……」

 フリードは身を固め、ぎこちなく視線を泳がせている。どうしていいのかわからぬらしく、腕をひいたり戻したり。表情は困ったようにチラチラと馬車の娘を見ていて……。
 この様子には、彼が怒りまくって剛腕を振るったのを目撃し、怯えて成り行きを見守っていた民衆たちも、彼に怒鳴られた王国兵たちも皆、ぽかんとしている。
 ついでにいうと、その男を叱咤した娘は顔が幽鬼のように白く、そして、顔が塗りたくられたように血まみれ。
 その顔で、何やらひどく怒っているらしいのだから、これは──正直何も事情のわからぬ者たちにとっても非常に怖い光景であった。
 聴衆たちがシーンと静まり返った中で。
 蒼白の顔の娘は、今にも倒れそうにふらつきながら、にっこりげっそり笑う。

「若様……? 何をいきなりこんなところで暴れようとなさっているの? ん?」

 その目は冷え冷えとして、かけらも笑っていなかった。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

白い結婚のはずでしたが、王太子の愛人に嘲笑されたので隣国へ逃げたら、そちらの王子に大切にされました

ゆる
恋愛
「王太子妃として、私はただの飾り――それなら、いっそ逃げるわ」 オデット・ド・ブランシュフォール侯爵令嬢は、王太子アルベールの婚約者として育てられた。誰もが羨む立場のはずだったが、彼の心は愛人ミレイユに奪われ、オデットはただの“形式だけの妻”として冷遇される。 「君との結婚はただの義務だ。愛するのはミレイユだけ」 そう嘲笑う王太子と、勝ち誇る愛人。耐え忍ぶことを強いられた日々に、オデットの心は次第に冷え切っていった。だが、ある日――隣国アルヴェールの王子・レオポルドから届いた一通の書簡が、彼女の運命を大きく変える。 「もし君が望むなら、私は君を迎え入れよう」 このまま王太子妃として屈辱に耐え続けるのか。それとも、自らの人生を取り戻すのか。 オデットは決断する。――もう、アルベールの傀儡にはならない。 愛人に嘲笑われた王妃の座などまっぴらごめん! 王宮を飛び出し、隣国で新たな人生を掴み取ったオデットを待っていたのは、誠実な王子の深い愛。 冷遇された令嬢が、理不尽な白い結婚を捨てて“本当の幸せ”を手にする

悪役令嬢になりたくない(そもそも違う)勘違い令嬢は王太子から逃げる事にしました~なぜか逆に囲い込まれました~

咲桜りおな
恋愛
 四大公爵家の一つレナード公爵家の令嬢エミリア・レナードは日本人だった前世の記憶持ち。 記憶が戻ったのは五歳の時で、 翌日には王太子の誕生日祝いのお茶会開催が控えており その場は王太子の婚約者や側近を見定める事が目的な集まりである事(暗黙の了解であり周知の事実)、 自分が公爵家の令嬢である事、 王子やその周りの未来の重要人物らしき人達が皆イケメン揃いである事、 何故か縦ロールの髪型を好んでいる自分の姿、 そして転生モノではよくあるなんちゃってヨーロッパ風な世界である事などを考えると…… どうやら自分は悪役令嬢として転生してしまった様な気がする。  これはマズイ!と慌てて今まで読んで来た転生モノよろしく 悪役令嬢にならない様にまずは王太子との婚約を逃れる為に対策を取って 翌日のお茶会へと挑むけれど、よりにもよってとある失態をやらかした上に 避けなければいけなかった王太子の婚約者にも決定してしまった。  そうなれば今度は婚約破棄を目指す為に悪戦苦闘を繰り広げるエミリアだが 腹黒王太子がそれを許す訳がなかった。 そしてそんな勘違い妹を心配性のお兄ちゃんも見守っていて……。  悪役令嬢になりたくないと奮闘するエミリアと 最初から逃す気のない腹黒王太子の恋のラブコメです☆ 世界設定は少し緩めなので気にしない人推奨。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

21時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します

みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが…… 余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。 皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。 作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨ あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。 やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。 この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

十三月の離宮に皇帝はお出ましにならない~自給自足したいだけの幻獣姫、その寵愛は予定外です~

氷雨そら
恋愛
幻獣を召喚する力を持つソリアは三国に囲まれた小国の王女。母が遠い異国の踊り子だったために、虐げられて王女でありながら自給自足、草を食んで暮らす生活をしていた。 しかし、帝国の侵略により国が滅びた日、目の前に現れた白い豹とソリアが呼び出した幻獣である白い猫に導かれ、意図せず帝国の皇帝を助けることに。 死罪を免れたソリアは、自由に生きることを許されたはずだった。 しかし、後見人として皇帝をその地位に就けた重臣がソリアを荒れ果てた十三月の離宮に入れてしまう。 「ここで、皇帝の寵愛を受けるのだ。そうすれば、誰もがうらやむ地位と幸せを手に入れられるだろう」 「わー! お庭が広くて最高の環境です! 野菜植え放題!」 「ん……? 連れてくる姫を間違えたか?」 元来の呑気でたくましい性格により、ソリアは荒れ果てた十三月の離宮で健気に生きていく。 そんなある日、閉鎖されたはずの離宮で暮らす姫に興味を引かれた皇帝が訪ねてくる。 「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」 「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」 これは、天然、お人好し、そしてたくましい、自己肯定感低めの姫が、皇帝の寵愛を得て帝国で予定外に成り上がってしまう物語。 小説家になろうにも投稿しています。 3月3日HOTランキング女性向け1位。 ご覧いただきありがとうございました。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

処理中です...