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128 それぞれの攻防
しおりを挟む「エドガーお兄様♡」と、甘い声で呼ばれた青年は、一瞬ギョッとして後退った。
エドガーの目の前に、ラーラが満面の笑みで立っていた。
「……ラーラ……?」
ヘルムートの部屋を出てすぐに、彼女を探しに行こうとした青年。
しかし、探すまでもなかった。
扉を出て廊下の先の角を曲がると、そこに目当ての令嬢が待ち構えるように立っていた。
むしろ避けられるのではと思っていたエドガーは、足を止めて彼女をまじまじと見た。
ふんわりとした黒髪にピンクのリボン。少しやつれたようだが美貌は健在だ。
だが、その表情は、彼がこの邸に到着した時のつれない様子が嘘のようにニコニコと微笑んでいる。
「ど、どうしたラーラ……さっきと随分様子が……」
エドガーはつい身構えてしまったが、しかしラーラはそんな彼の戸惑いは無視して、すぐに彼の傍らによりそった。
腕に腕を絡められ、ぱっちりと丸く青い瞳で可愛らしく見上げられたエドガーが困惑顔。これは、なんだかあまりいい予感がしない……。
と、ラーラがいう。
「ねぇエドガーお兄様? エドガーお兄様はもちろん、ヘルムートお兄様のお相手のこと、私に教えてくださいますよね?」
小首を傾げて甘えるように訊ねられたエドガーは、内心でなるほどと唸る。
(……つまり、情報が欲しくて俺を落としにかかってるのか……)
よく見れば、彼女は微笑んではいるが瞳の奥の怒りはそのまま。
だがきっと、目的のためには自分のような男を味方につけたほうがいいと判断したのだろう。これは厄介だなぁと、エドガー。
正直なところ、確かにその通りなのだ。
普段は飄々としたエドガーではあるが、実はヘルムート以上にラーラには弱い。
なんといっても、彼はラーラのことが本当に好きだった。
彼女が王太子を好いていると知って身を引いたが、やはり、こうして甘えられると拒むのは難しい。
彼女は本当に人形のように愛らしいし、エドガーの理想そのもの。
まつ毛の長い大きな瞳で上目遣いで微笑まれると、理性が働く前に自分がたやすく頷いてしまいそうでエドガーは困った。
エドガーは普段は多くの女性たちの間をのらりくらりと行き交っているが、本気で好きになった相手にはやはり勝手がちがう。こうして本気で懐柔しようと向かってこられると、劣勢。
とはいえエドガーとしては、彼女の兄貴のほうも応援してやりたい。
ラーラがヘルムートの妹とはいえ、あまりペラペラとデリケートな情報もらすのは憚られる。
特に、その『お兄様のお相手』のことは、絶対に、ヘルムートが嫌がるはず。
グステルのことでヘルムートをからかうのは楽しいが、友が本気で嫌がることはやりたくないエドガーである。
しかし。
エドガーがためらう素振りを見せると、ラーラは「まさか」と、少し拗ねたような顔をした。
ちょっと瞳が冷たくなって、エドガーはドキッとした。
「まさか……エドガーお兄様まで私のお願いを無視するなんてこと、ありませんよね……?」
「う……」
その言葉には、彼女の兄への不満がひしひしと感じられた。
いいながらラーラの上目遣いの瞳が徐々に潤んでいくと、エドガーも非常に悩ましい。
と、ダメ押しとばかりに、ラーラが細くため息。
「ヘルムートお兄様に冷たくされて……私、本当に傷ついているんですよ? それなのに、エドガーお兄様まで私の気持ちを分かってくださらないの……?」
「いや……そういうわけでは……」
悲しげにいいながら、くすんくすんと鼻をすする姿すら愛らしかった。
しかし、ラーラが愛らしければ愛らしいだけ、エドガーは次第に崖の淵に追い詰められていくような気がしてならない。
(……これは……どう切り抜ければ……)
エドガーはどうしたものか本気で困ったが、その時、彼の袖口を指でつまんだラーラが、そこをツン……と、引いた。
視線をやると、ラーラの潤んだ瞳が彼を悲しげに見つめている。
彼女がまぶたを伏せると、長いまつ毛が涙をまとい、キラキラと輝く。
「……エドガーお兄様、教えて、くださいますよね……?」
「…………」
エドガー、友情の危機である。
さて、こちらは王都へ向かうメントライン家の一行。
その戦いははじめ、圧倒的に兄が有利かに見えた。
グステルの前に並べられた、攻撃力の高そうな菓子類は、馬車内に甘ったるい匂いを充満させている。
しかも、量が尋常じゃない。
「………………」
思わず、ハンカチで鼻を覆ってげっそりするグステル。
彼女は前世で、四十代に命を落とした。
つまりはそろそろ落ちにくくなった脂肪が気になるお年頃であったわけだ。その頃の感覚の抜けない彼女にとっては、それらを『食え!』と、強要してくる兄は、悪そのものであった……。
……なんなんだ、兄は私の健康を害しようというのか。
「……お兄様、これは、人間の胃の容量を超えていると思います」
「何……?」
「(何じゃないよ……)え? お兄様……もしかして甘党なんですか?」
あれだけ干し肉干し肉いっといて、まさか……と思って尋ねてみると、兄フリードはすんとした顔でいった。
「俺様は甘味など食わない。これは貴様が食らうべきものだ」
「………………」
いい放ち、そしてフリードは相変わらずのいかめしい真顔で「どうした、さっさと食え」と、こうくる……。
その顔は、まるで牢獄にいる囚人に、毒酒でもって自害しろと命じているかのような物々しさ。
これではグステルに、彼の意図はかけらも伝わらない。通訳が必要であった。
『兄は、お前の喜んだ顔が見たい。ゆえに菓子を買ってきた。どうか食べてくれ』と。
しかしフリードは、典型的に『言わずとも察しろ』の、お坊っちゃま。
わざわざ気持ちを口には出さないし、そしてもちろん、ここまで散々彼に頭を鳥の巣にされたグステルに、それは読み取り不可能。
『愛している』なんてことを兄にいわれても、(実は口だけで、本当は嫌がらせをしているのでは?)と、疑ってすらいた。
というわけで、ちっとも兄の奇行の意味がわからないグステルは、(……ではこれらすべて自分に食べろということか……)と、グステルは想像しただけで胃が気持ち悪い。
馬車の中に持ち込まれたのは、蔓で編まれたかごが六つ。
その犠牲になっているのは、主に同乗しているヴィムで。彼は両手にそれぞれカゴを持ち、膝には持ち手のない平たいかごを重ねて三つ重ねて乗せられて、身動きもできずにプルプルしている。
かごには布や紙が敷いてあり、そこにたくさんの菓子類が収められていた。
木の実の飴がけ、クッキー、マフィン、ヌガーのようなものなどなど……。
呆れて見ていると、兄はさらに彼女が呆れてしまうようなことをいってくる。
「おいなぜ食わない? 菓子はまだまだあるんだぞ」
「は……?」
「先はまだ長いからな。菓子はこの倍は手に入れたゆえ、安心して道中で楽しむといい」(※訳「ずっと喜んでろ」)
「…………」
「⁉︎」
どこか誇らしげにいった兄に、グステルは目を細め、菓子かごを持たされているヴィムはギョッとした。
「茶もある」
「………………」
フリードはいって、ぐいっとグステルの顔の前に椀を一つ突き出した。
その陶器の美しい椀のなかに揺れる琥珀色の液体を見て、グステルは、片眉を上げた。
──ふと、あることを思いついていた。
そして……その日から二日後。
メントライン家の馬車は、もうあと数刻も走れば王都にたどり着くというところまでやってきていた。
一行は晴れやかな空の下を進んでいた──が。
グステルたちの馬車の中は実にジメジメしていた。
「……お兄様……」と、弱々しい声が聞こえる。──と、それに応えるように鼻をすする音がした。
「頭の方が……下がっているわ……もうちょっと、ちゃんと支えてちょうだい」
「す、すまん」
げっそりした声に、従順な兄の声。
……グステルは、兄を下した。
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