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115 慈悲と真心
しおりを挟むまずはそれを言ってやらねば気がすまなかった。
たとえその瞬間激昂されて刺されても、これだけは。この思い上がった男に突きつけてやらねば。
グステルの胸の中は怒りの業火で燃え盛っていた。
顔の筋が痙攣するほど強く見据え、言葉で殴るように怒号を叩きつけると、絶句していた男の顔が見る見る白くなっていった。
「グステル……メントライン……? グステル・メントラインだと⁉︎」
アルマンの血の気の引いた顔は、動揺のためか怒りのためか歪にひきつっていた。
しかし男はグステルの言葉を一蹴する。
「戯言を……小娘が! 貴様はグステル様ではない! 我々のお嬢様は王都にいらっしゃるのだ!」
わめき返してきた男の言葉を聞いて、グステルは苦々しい顔。誰が我々のお嬢様だ、とも思ったが。一番強く感じたのは失望だ。
この男は、今の言葉を聞いて、そこにしか引っかからなかったのか。
もちろんこんな身勝手な男が、指摘されてすぐに我が子に対する考えを改めるなんてことは期待できない。グステルだってそれを望んで言ったのではない。
人それぞれ、価値観が違うものとも分かっている。
──それでも、やはり、まずは人の親として、自らの子供のことを考えてほしかった。
けれどもアルマンは、そんなことはつゆほどにも頭にもないのだろう。
蒼白だった顔を今度は真っ赤にして、配下に向かって怒鳴り散らしている。
「おい! この頭のおかしな娘をさっさと捕らえて牢にぶち込め! お嬢様の名を騙るなど……なんという痴れ者だ!」
指さされたグステルは、咄嗟にアルマンの配下たちを警戒する。アルマンに一矢報いる前に拘束されるわけにはいかない。
だが、命じられた男たちは、アルマンの指示通りには動かなかった。──いや、動けなかったと言ったほうがいい。
「⁉︎ おいどうした⁉︎ さっさとしろ!」
アルマンは、前に出る気配のない男たちを見て少なからず動揺したようだった。
怒鳴りつけるも、配下たちの反応は鈍い。
彼らはアルマンを恐れているが、恐れているからこそ、そのアルマンを猛然と叱りつけた娘への衝撃が強かった。
アルマンを一喝した姿は、怒り狂うアルマンの何倍も毅然としていて、何より──似ているのだ、この娘は公爵に、とても。
それは最初から露わだったものではなく、彼女が真の怒りを見せて初めてそこに現れた。
体格は公爵とはまるで違うし、性差や年齢の違いがあるせいか、一見この娘は公には似ていないように見えていた、が……。
しかし怒った表情は、公爵そのものだった。
厳格で、気迫の満ちる姿は気高く。目を細めて眉をひそめると、いつもいかめしい顔をしていた公爵と、まるで同じに目元に見えた。
彼らにとっては滑稽なことだが……。
その娘のただならぬ人品は、そばでアルマンが怒り狂っているからこそ、自然と比較されてより鮮明になっていた。
この娘が先ほど放った、腹の底に響くような怒号に比べれば。アルマンの叱責はまるで、犬がキャンキャンと鳴きわめいているだけのように軽い。
これには配下たちはうろたえた。
明らかにこの娘は、彼らが長らく軟禁してきた公爵の血筋ではないか。
正当なる者が放つ堂々たる覇気は、不正に公爵家に入り込んだ彼らの不安を痛烈に煽る。
男たちはすっかり及び腰になって。
けれども彼らが長く頭とごまをすってきた男は、その娘を捕らえろと怒鳴り散らすのだ。すっかり頭に血が上り、それがかえって配下たちを困惑させるとは、分かっていないようだった。
本当にアルマンの命令に従って大丈夫なのか? それは取り返しのつかないことではないのか。
そんな配下たちの動揺を見てとったアルマンは愕然。
従順なはずの配下たちが、一向に命令に応じない。
「な、何を怯んでいる! さっさとこいつを捕らえないか!」
「ア、アルマンさん……」
叱りつける男に、配下たちはあからさまに『やめておいたほうがいい』と目で訴えてくる。
これにはアルマンも驚いた。
目の前の娘は、多少は度胸があることは認めるが、若造で、しかも丸腰。
こちらは男が数人で、武器も所持している。さらには、ここは公爵家の邸の奥深くで、外部の人間は誰も足を踏み入れることができない。これまでだって、幾度もこの場所で人知れず多くの者に罰を与えてきた。
配下たちだって、すでに慣れているはずだった。
それなのに。
いい歳をした配下たちが、皆怖気付いて目の前の娘に近寄ろうともしないばかりか、後退る始末。
この状況には、アルマンの高まり切っていた高慢さが逆なでされた。
何より我慢ならなかったのは、味方が小娘を恐れて、自分の命令を無視していることだ。
これではまるで自分がこの小娘に敗北しているようではないか。
アルマンは苛立って怒鳴った。
「ったとえこの女が本物のグステル・メントラインであろうとも、取り押さえてしまえばいいだけのことだろう!」
アルマンにとって、貴族とはその程度の存在。
もともと街の最下層に近い場所で生まれ、貴族が存在する意味やその役割についてなど考えもしない。
奴らはただの金持ちで、根っこは自分となんら変わらない、辿り着きさえすれば暴力で容易く下せる存在だと思っている。
だからこそ、この男は、現れた本物を名乗る令嬢のこともその程度に考えた。
おそらく実家の異変をどこからか聞きつけてやってきたのだろうが、もはやその座は彼が奪ったあと。
グリゼルダを惑わして公爵家に入り込み、似た容姿の娘を探し出して、地方にある女神教会の一つを買収し偽物の令嬢と王太子運命の出会いを演出した。
もし、今目の前にいる女が本当の“グステル・メントライン”であったとしても、もはや、この娘は無力。
彼らに身分を奪われ、なんの力も持たない、ちっぽけな存在。
アルマンは、鼻白んでグステルを睨む。
彼の考えでは、身分とは、周りにそうと認識されてはじめて効力を発揮する。
そうでなければ小娘など。いったい何が恐ろしいというのだ。
(……仲間もろとも、人知れず始末してしまえばいいだけのことだ。今更何が“唯一の娘”だ……! 認めない、絶対に……この家の金を渡すものか!)
アルマンはグステルを指さして、配下たちに言い渡す。
「いいかよく聞け! こいつはただのペテン師だ! 公爵閣下がご病気でもうろうとしておいでなのをいいことに、娘と偽り、閣下を連れ去った! 我々は、この女に惑わされた閣下をお救いして、一味をすべて始末しなければならない!」
あくまでもそれで押し通そうとするアルマンに、しかし配下の男たちは困った顔を見合わせる。一度持った不安はそう簡単には払拭されない。
本当にそれでいいのかと戸惑う様子の男たちに、アルマンはカッとなった。
「愚図が!」
アルマンは一番傍にいた配下を乱暴に押し、押された男はよろめいて、壁際にある棚に肩を激しくぶつけた。その拍子に棚に収めてあった雑多なものが、音を立てて床に散らばった。
だが、アルマンはそんなものには目もくれない。
この男にも、もちろん目の前の娘が、公の本当の娘である可能性が高いとは、薄々分かっているのだ。
だからこそ打算的なアルマンは、自らはなるべくグステルに手を下したくなかった。
もしもの時は、配下に罪をなすりつけて自分は言い逃れられるように。
……が、どうやらその考えは、配下たちにも透けていたようだった。
「⁉︎ おいどうした! なぜ動かない⁉︎」
自分と目を合わせず、動こうともしない男たちにアルマンが顔を引き攣らせる。
「お前たち……まさかこの俺の命令に逆らうのか⁉︎」
その言葉にも、気まずそうな顔をするばかりの男たちに、アルマンは頭に血が上った。苛立った感情のまま、先ほど突き飛ばした男の胸ぐらをつかんで──……と。
そんな男の後ろで、ぽつりと誰かが言う。
「……慈悲ない者に、誰が真心を尽くすの」
そのつぶやきに、拳を振り上げていたアルマンが勢いよく振り返った。
彼が小娘と侮る娘が、虚しげな表情で彼を見ていた。
瞳の奥にある怒りはそのままだが、表情は凪いでいて、憐れむように彼を見ている。──その瞳を、アルマンは蔑みと受け取った。
「っ小娘が……分かったような口を……!」
あっと思った時には、グステルは、逆上したアルマンの手に突き飛ばされていた。
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