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102 公爵邸の新人メイド…という演目
しおりを挟むエドガーは、感心と呆れとを同時に感じるという、奇怪で愉快な現場に立ち会って。その娘に対する評価を、少々改めねばならなかった。
自分も人に比べると、大概図々しい性質だ。
しかし、この娘には負けるかもしれないと、彼はその光景に恐々と見入る。
彼の困惑にじむ眼差しの先で、その娘はニコニコと高い声。
「……そーうなんですよぅ! まったく急なことでびっくりしちゃいましたぁ。あら! お姉様、ここ! すっごく凝っていらっしゃいますねぇ!」
彼女がテンション高く同情を寄せると、彼女に肩を揉まれているメイドは、気持ちよさそうに恍惚の表情。
「あー……そこそこ……あなたマッサージ上手ねぇ、気持ちいいわぁ~」
「あは☆ 恐縮ですぅ~♡」
「………………」※エドガー
……その声、どこから出てるんだ? ……とは、エドガーの気持ち。
粗末な公爵邸の作業部屋の端で、青年は重い沈黙。
……余談だが、陽気の塊のような女好きの青年が、女性を見てこんなふうに黙り込むことは非常に珍しい。
けれども、そんな彼に唖然と見つめられている娘は、そんなことは知ったこっちゃないと、エドガーにはチラリとも視線をくれない。
彼女はほほほと笑顔で、ついさっき出会ったばかりの公爵邸のメイドの強張りきった肩をほぐしながら、堂々媚を売る。
──もちろんその娘とは、この公爵邸にこっそり忍び込んだはずの、グステルである……。
(……、……、……全然こっそりじゃねぇな……)
エドガーの困惑も当然の居直り戦略である……。
さて、グステルに背を向けて椅子に座っているメイドは三十代半ばといった年頃。彼女は、巧みに肩をほぐすグステルにすっかり身を委ねてしまっている。その表情には、警戒心はまるでない。
「ああ、効くわぁ……。でも悪いわねぇ、肩なんか揉ませちゃって。今日はまだお邸を下見に来ただけなんでしょう? 初出勤はいつ? 明日?」
メイドは気持ちよさそうにしつつ訪ねてくるが、問われたグステルは、笑顔を崩さぬまま返事を濁す。
「うふふ、それはまだ少し先なんですけどぉ」
今回グステルが演じているのは、『公爵家の退職者に突然後任を任された新人メイド』。
グステルの返事に残念そうな顔をしたメイドに、グステルは、それよりも教えて下さいと請う。色々詮索される前に情報を引き出しておきたかった。
「それでそれでお姉様。私、本当に大丈夫でしょうか……? ソフィアさんには急に後任を頼まれてしまったので、私、あんまりこちらのお話を聞けていないんですよぉ」
グステルは、少し声のトーンを落として心配そうに言った。
“ソフィア”というのは、この公爵家で一番最近クビになったメイドの名前である。
グステルが気弱そうな顔で訊ねると、メイドは新人の心配も然もありなんと何度も頷く。
「ソフィアはかなり理不尽な事情でやめたけど、出て行く時、内部の話を外には漏らさないって誓約書にサインさせられていたから、あなたにもあまり詳しくここの話をできなかったのね……。はあ……そうねぇ、あなたには悪いけど、ここはかなり厄介な職場よ、気をつけてかかったほうがいいわ……」
メイドの実感と疲れのこもった言葉に、グステルは怯えたふりで応じる。
「ええ~そうなんですか……? なんだか不安になってきました……私もすぐに辞めることになっちゃったらどうしよう……」
「あら! そんなこと言わないでちょうだい! ここ最近、退職者が多くて本当に困るってるのよ! 絶対にすぐ辞めたりしないでちょうだいね⁉︎ ね⁉︎」
「えぇー? そんなこと聞いちゃうとぉ、余計に心配ですぅ!」
「…………」※エドガー
グステルは愉快なほどにノリノリだが。実はこれはグステルとエドガーが公爵邸に潜入して結構すぐのことだったりする。
二人はグステルの先導で、人気のない通路を選んで進んでいたのだが、途中このメイドに出会ってしまった。
そして案の定、『見かけない顔ね?』と不審そうに話しかけられた、が──。
その直後の展開が、これなのだ。
エドガーが口を出すまでもなかった。グステルは新人メイドを装い、堂々と、ハツラツとメイドに挨拶をして。ぐいぐいと取り入り、現在に至る。
どうやら公爵邸の人手不足に困っているらしいメイドに、両手をがっしり握られたグステルは。表面上は表情を曇らせたまま、猫撫で声で彼女に話を向ける。
「……ねえお姉様、私、ここでどんなことに気をつけて働けば良いですか? 実は私……社会経験も少なくて、性格も臆病だから、何か少しでもこのお邸の事情を知っておかないと心配でぇ」
「…………」※エドガー、どの口がいう……とか思っている。
いかにも甘ったれで無垢、従順な娘といった顔を装ったグステルは、先輩メイドにうるうるした目で懇願。
教えてくれたら少しは安心して働けますとすがるような眼差しで請う姿には、エドガーは言葉もない。その姿は、普段のどこか老成した彼女の姿からは想像のつかぬ初々しさ。もちろんそれは目的のためとわかっているが……人が変わりすぎていて思わず引いた。
だが、そんなこととは知らぬ公爵邸のメイド。
頼られたご婦人は悪い気はしないし、せっかくきた人手にすぐ辞められては困るとも思ったのだろう。
彼女は一度作業場の中を見回して、そこに人気がないことを確認すると、グステルに、外にはなかなか漏らさないような公爵家の内情を語り始めた。
「そうね……まず最初に心得ておいたほうがいいのはね……」
「──ま、やっぱりという感じですよね」
メイドと別れた後、グステルは廊下を歩きながら、すん……とした顔で言った。
そのけろりとした後ろ姿には、彼女の演技を見せられたエドガーが恐々として続く。
だが、結果としてグステルは、あのメイドから公爵邸内部の事情を聞き出すことに成功した。
その中に出てきたある男の名と、その男と叔母グリゼルダの関係を聞いて、グステルは納得の思い。
「あの方……アルマンはどうにも態度が傲慢だと思いました。叔母とはやっぱりただならぬ仲だったんですねぇ」
グステルの口から苦笑いと共に漏らされたアルマンという名は、あの公爵邸から彼女たちを訪ねてきた、神経質そうなメントライン家の使者の名前である。
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