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101 この世は黒で溢れている
しおりを挟む──グステルがエドガーの前で着替をしてしまったのは、ただのうっかりである。
単に子供と一緒に着替えているくらいの感覚だったから、ということもあるが……少し考え事をしていた。
ロイヒリンは公爵家と長年取引をしているとあって、公爵家の人間たちとは親しく、彼の一行に混じったグステルたちは、ここまでは危なげなくくることができた。
とはいえ、さすがのグステルも緊張はする。
最近のメントライン家は、使用人の入れ替わりが激しいということだったが、それでも全員が入れ替わったわけではないだろう。
きっと、昔からいて、グステルの顔を知るものもいるはず。
そんな者たちへの対策として、グステルも変装はしてきた。
母から借りた黒いウィッグ、吊り目を垂れ目に見せる化粧、そして眼鏡をかけて、帽子を深々とかぶった。
けれどもやはり、顔は見られないほうが無難。
ロイヒリンに持たされた商品の箱で顔を隠し、できるだけ人の視線を掻い潜るように歩いたが。そのせいでずっと気持ちは張り詰めていた。
そうしてやっと人目のないところにたどり着いたとき、それがほんの少し緩んでしまう出来事があった。
茂みの中から引っ張り出した黒いメイド用のワンピース。
それを手にしたとき、しっとりしたその色を見て──ふっと思い出してしまった。
今はそばにいない、同じ色の、綺麗な黒髪の青年を。
(…………どうなさっているのかしら……)
その顔を思い出すとき、最近グステルの胸はいつも締め付けられるように痛んだ。
正直、会いたかった。
今すぐにでも。
しかし、そんな自分にグステルは痛恨。
(……っあああぁ……もうダメだわ私……っ)
離れたことで、自分の気持ちがより鮮明になってしまったようだ。
ヘルムートが心配だ。彼が家族とちゃんと再会できたのかとても気になるし、それどころか、道中トラブルはなかったか、ご飯を食べていたか、ちゃんと寝ているかといった彼の仔細までが気になって胸がざわめく。
おまけに彼女は彼と別れるとき、『戻るのを待つ』と約束した。それなのに、こうして約束を反故にして、さっさと行動を起こしてしまった自分。きっと怒られるだろうなぁ……と思うと──。
グステルは、頭を抱えて叫びたい衝動に駆られてしまうのだ。
(う……きっと悲しませてしまうだろうなぁ……)
こうしてグステルがことを急いだのには理由がある。……が、きっとあの見た目に反して情に脆く、しょっちゅうひっそり泣いているらしい彼は、また心を痛めるだろう。……そう思うと、居た堪れず胸がズキズキと痛んだ。
そのせいで嫌われてしまうだろうかと考えると、自業自得だとは思いつつ、悲しくも、辛い。
……ただ……実際には。
彼女はもっとヘルムートを悲しませ、激怒されそうなこと──エドガーの前で生着替え──を、この直後にしてしまうのだが……。そこは悶々としすぎて気がつかなかった。
グステルはそんな自分に呆れて、エドガーに気づかれないようにため息をついた。
(……本当にもう……どうかしてる……)
彼女には、これまで通り、なんでもしたたかにやっていけると自信があったはずだった。
それなのに、そばに彼がいないのだと思うと、ついこうしてやるせなくため息をついている有様。
こんなときに……と、あまり考えないようにしようとは思っているのに。明らかに、グステルの心の一部のどこかがあの青年に占拠されてしまっている。恥ずかしくて堪らなかった。
(いや、)と、グステルは、鋭い眼差しで手元のメイド服を見据える。
(うだうだするな! さっさと目的を果たしてヘルムート様に会いに行けばいいだけのことよ!)
自分を一喝。口を真一文字に結び、気持ちを引き締め直すように、気合一発、潔く服を脱いだ。
彼の髪の色──この世のどこにでも存在する黒を目にするたびに恋しがっていては、キリがなさ過ぎる。
──会いに行こう。
とにかく今はそれしかこの堪らない気持ちをなだめる方法はないと思った。
グステルは心を決し、メイド服を戦闘服のような気持ちで身に纏い、これから乗り込む実家を睨み上げた。
その巨大な居城はまるで、ヘルムートと自分との間を分かつ障害のように思える。グステルの心に炎が灯る。
(……覚悟なさいませ。お父様……娘が今からお迎えにあがりますからね……!)
……なぁんてことをグステルは、一人、心中で気合十分に盛り上がっていたものだから。
まさかこの背後で……羞恥心のかけらもない自分の脱衣に、エドガー青年が呆れ、感心し、今にも笑い転げそうになっているなど……思いもしなかったわけである……。
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