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100 懐かしい我が家?
しおりを挟むそうしてヘルムートが妹を放っておけず困り果て、そばに戻れぬグステルのことを胸が潰れるほどに心配していた、その頃。
当のグステルはといえば──……。
ふー……と漏れる、呆れのにじむ息。
据わった目で彼女は言った。
「……趣味が……悪い……」
その口の端に、不意にヤケクソ気味の笑みが乗る。呆れのあまり笑えてきたという空虚な表情だった。
「やれやれ、成金趣味ここに極まれり。これが懐かしい我が家かと思うと泣けてきます。ほほほ」
「……エーファさん……気持ちはわかりますが……今はやめましょうか」
思わず率直に感想を述べてしまった娘に、彼女の背後にいた青年がそれを即座に止める。
『エーファ』というのは、彼女の偽名。
どこで誰が聞いているかもわからない、声を低くと訴えてくる若者を見てグステルはゼスチャーで謝りつつ……それにしたってと、たった今横目に見た広間と廊下の様子にはげっそりした。
ここはメントライン家の邸。つまりはグステルは、現在ロイヒリンの手引きで実家に潜入中……なのだが。
もうそこは、グステルの知っている邸でなかった。
広間の天井には、天使と蝶が舞い、万花が踊る黄金の天井画。その下にはゴテゴテしたクリスタルのシャンデリア。床は当然のようにツルピカの大理石。敷かれた絨毯も高そうだ。
廊下の壁紙はワインレッドで、大輪の薔薇が咲き乱れていた。黄金フレームの掃き出し窓には、色合いの主張が激しい小花柄のカーテンが下げられていて。壁には所狭しと名画とおぼしき風景画や肖像画の類いが並べられている。
彫刻や飾り甲冑や武器類も呆れるくらいにたくさんあって。
たった今通ってきた庭園は、造形はとても美しかったが……所々に設置してある黄金の女神像や天使像のオブジェは、本当に『これ……天罰が当たるんじゃ……』と心配になる程に俗っぽかった。
なんという派手派手しい変貌か……とグステル。
それに色合わせのセンスがとっぴ。華やかすぎて、どぎつくて、金ピカすぎて……。色々見ているだけで、グステルはドッと疲れた。
まるで、財産があるということを、これでもかと見せつけられているようだ。
懐かしさを打ち砕く実家の変わりようにグステルは呆れ、だんだんと腹も立ってきた。
何より許せなかったのは、(センスはともかく)このゴージャスさにも関わらず、人目につくだろう表側以外の場所がひどい有様だったこと。
使用人たちの使う区画の乱雑さはひどかった。
客の入らない裏方の場所、作業部屋や通路は壁や床板も傷んでいて補修もされていない。
掃除も行き届いておらず、不衛生な場所が多かった。
昔の実家は、もっと品のよい内装で、裏方だって快適な環境だった。
父はメントライン家の威厳を示すために邸にも格式を重んじたし、母も美しいものは好んだが、派手なものは周りに置かなかった。
それに母は口うるさかったが、公爵邸の女主人として使用人たちの面倒はよく見ていた。
邸の裏方も働くものたちが気持ちよく過ごせるように整えられていたし、母の手腕で厳しく管理されていた。
それなのに。
今では壊れた家具がそのまま。廊下の隅に蜘蛛の巣や埃がそのままになっている。使用人たちの、余裕のない暮らしぶりがうかがえた。
ロイヒリンによると、最近のメントライン家は使用人の入れ替わりも激しいということだから、皆こんな環境に嫌気がさして出ていくのかもしれなかった。
「……」
女主人が変わるだけでこうも変わってしまうものかと、グステルはため息。
(急がなくては……)
ロイヒリンの一行から離れ、人目をかいくぐりつつ公爵邸の外を進んだグステルたちは、なんとか目当ての場所に辿り着いた。
ここは公爵邸の裏口に近い内庭。
高い植え込みに沿って進み、ある植え込みの奥を探ると……そこには公爵家の使用人用の制服が二着。一つは男性用で、もう一着は女性用のメイド服だった。
もちろんこれは、グステルが潜入用にロイヒリンに手配を頼んだものである。
彼女が引っ張り出したものを見て、青年が感嘆の声。
「よくこんなものを用意できましたね……」
「え? ああ、それは……公爵家お抱えの仕立て屋だって、街に店を構えてますからね」
当然のように言って、グステルは着てきた町民風の服を脱ぎ、公爵家の女性使用人用のメイド服に袖を通し始める。
グステルは、街の商店会に顔のきくロイヒリンを介し商店会内部のことも調べた。
叔母グリゼルダに取引を横暴に切られ、ロイヒリンのように悔しい思いをしているものが他にもいるのではないかと思ったのだ。グステルは小さな声で言う。
「公爵邸の使用人用の制服を作っている仕立て屋も、以前の業者は叔母に仕立てが気に入らぬと難癖つけられて切られているんですよ。まあ要するに……叔母は公爵夫人母と付き合いのあった者たちが気に入らぬのでしょうね」
家から夫人の匂いを消して、自分こそが公爵家の女主人と主張したのだろうとグステルは言って、それからニヤリと口の端を持ち上げる。
「当たり前ですが、公爵家の人々も商店会と取引をしなければ生きていけません。その中で、誰が公爵家に敵意があり、そして反対に好意があるかを調べると……結構色々なことがわかるものです」
ふ、ふ、ふ……と、悪そうな顔で言うグステルに、青年は感心した様子で頷いた。
「なるほど、確かに。……時にエーファさん……」と、青年、ことエドガーは苦笑する。
「あなた、私の前で堂々と着替えるの、それはいいんですか?」
グステルは目当ての制服を見つけるや否や服を脱ぎはじめた。彼のほうに背中を向けているとはいえ……。
こんなことがあったともしヘルムートに知られたら、俺ぶっ殺されるんじゃ……と思ったエドガーは──多分正しい。
しかし、青年の指摘にも。下着のみの綺麗な背中をエドガーに晒したグステルは、
「え? あ、お目汚しすみません」
と、たった一言でことを流し、平然と着替えを終えて、脱いだ服をせっせと茂みの奥に隠そうとしている……。
その目がエドガーに向いた。
「……というかエドガー坊ちゃんもお早くお召し替えを。見られては恥ずかしいですか? では! わたくしめは後ろを向いていますから、さ、お早く!」
「……ぐ……いえ、お、お気遣いなく」
キパッと言われたことがエドガーのツボに入った。
普通……恥ずかしがるならそっちでは? なんでこっちが見られて恥ずかしいと思うのだろうか……と。
笑いを堪える青年は、なんだかこの状況が面白くなってしまって。そして、つい悪い癖が出る。
彼に『気遣うな』と言われた娘は、彼が着替え終わるのをじっと待っている。その前で、悪戯心の働いたエドガーは、これ見よがしに服を脱いで、自慢の胸筋と腹筋をグステルに見せびらかしてみた。
王都の娘たちには、彼の優れた容姿も手伝って、ちらりと覗かせるだけでうっとりされる、鍛え上げられた肉体だ、が──……。
「……」
娘はいい感じに無表情。
そればかりか、さっさと着替えてくれないかなぁ……なんてことを思っていそうな双眸には、一切の動揺がない。エドガーはついに噴き出した。
「ぐふっ……」
「え……ちょ……エドガー坊ちゃん真面目にやってください……なんですか急に笑い出して……怖い……」
急にくぐもった音を口から出し、身を折った青年に。途端グステルは怖々と周囲に視線を走らせる。
誰かに見つからないかと心配しているのだろう。その目は『あなたさっき、私に静かにしろって言いませんでしたっけ……』と、あからさまに責めている。
「いや、すみませんつい……。ええわかっています、もう大丈夫。約束はきちんと守りますから……」
そう言いつつ背中をプルプルさせているエドガーに、グステルはとても胡散臭いものを感じた。
(……この坊ちゃん……本当に大丈夫かな……)
力のある協力者が必要だが、危険な橋を渡るのにヴィムを巻き込むのは気が引けたゆえ彼に話を持ちかけたのだが……。
やっぱり一人でくればよかったかな……と、グステルは、この同行者エドガーに一抹の不安を覚えた……。
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