ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり

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97 ラーラとグステル・メントライン

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 その集いは、ラーラの友人の誕生日のパーティーだった。
 ラーラははじめ、賑やかな場所に出向くことには気乗りがしなかった。
 友人は女性で、集まるのもほとんどが女性。そういった会に出席すると、必ず出るのが恋愛や自分たちの婚約者の話。
 きっとラーラも王太子との仲がどうなっているのか聞かれるはずで、最近例の公爵令嬢のもとへ頻繁に顔を出している彼の噂は貴族たちの間にはもうきっと広がっているはず。
 となると、ラーラはどうあっても気が重い。
 好奇の眼差しにさらされることは明白。
 しかし、パーティーの主役である友人のカトリナは大切な友。
 彼女は庶子という立場上、貴族社会では色々と言われてしまうラーラとも初めから分け隔てなく付き合ってくれた数少ない令嬢で。嬉しそうにパーティーの話をしていた彼女のことを考えると、ラーラはどうあってもパーティーを欠席するわけにもいかなかった。

 けれどもパーティー当日、ラーラは早々に後悔することになる。

 ──会場に、あの令嬢がいたのだ。

 ほっそりした身体に薄い紫色のドレスを纏って、肩にワインレッドの髪を垂らした美しい娘。
 ラーラはその顔を見てびっくりした。
 驚きのあまり、しばらくその場から身動きができなかったくらいだ。
 
 パーティーは侯爵令嬢の誕生パーティーとあって盛大で、さまざまな客が招かれていたが……。
 その令嬢は、ほとんど外出もせずに邸にこもりがちで、特定の人間としか面会もしないという話だと聞いていた。
 だからこんな賑やかな場所で出会うこと自体が意外で。想定外の出会いはラーラを大いに動揺させた。
 思わず凝視していると不意に目があってどきりとする。
 以前に彼女を見かけた時は、風でも吹けば折れてしまいそうだと思ったが……今では少し肉付きもよくなり、表情もどこか堂々として見えた。
 見つめるラーラに彼女はにこりと微笑んでくる。
 ……まるで、勝ち誇っているみたいだわと思って。
 そんなふうに感じた自分がとても嫌で、ラーラは拳をぎゅっと握りしめた。


 彼女がラーラに話しかけてきたのは、付き添いのゼルマを連れてパーティーを中座して控えの間で休んでいる時だった。
 その頃になってもラーラの動揺はまだ収まっていなくて。
 自分をここに招いたカトリナに、なぜあの令嬢がここにいるのか話を聞きたかったが……会の主役とはなかなか二人きりになれるタイミングがない。
 そんなことでずっとヤキモキしていたせいか、一時間も経つとラーラはどっと疲れてしまった。
 もやもやとしたため息をこぼしながら無人の控えの間に入り……と、そこへ彼女はやってきたのだ。 

「──ご機嫌よう。ラーラ・ハンナバルトさんね?」

 前触れなく現れた令嬢の姿を見て、ラーラは心臓が飛び跳ねる。
 彼女は驚くラーラを見ても何も感じていなように微笑みながら近づいてきて、唖然としたラーラの姿を頭の上から足先までをじろじろと眺めた。
 その不躾な視線はやや不快ではあったが、ラーラはすぐ長椅子から立ち上がって令嬢に膝折礼で挨拶をする。相手は家格が上なのだ。礼を欠くわけにはいかない。
 
「……ご機嫌よう、左様でございます。わたくしはハンナバルト家のラーラでございます」

 頭を下げると令嬢は、何やら含みのある顔で笑う。

「ふふ、思っていた通り可愛らしい方ね……」

 そして彼女は己の胸を手で示す。

「知っているかもしれないけれど、私はグステル・メントライン。あなたの話は……王太子殿下から聞いていたの。あの方、私にはなんでも話してくださるの」
「……そう……なのですね……」

 くすりと笑いながら、どこか自慢げな言葉にラーラは戸惑う。
 この令嬢は、そんなことを言いにわざわざここにきたのだろうか?
 これではまるで、当てつけに来たようではないか。──いや、実際そうなのだろうと感じた。
 ラーラの戸惑いを知ってか知らずか、令嬢は楽しそうに聞いてもいないことをペラペラと続ける。優雅に扇をあおぎながら、さっきまでラーラが座っていた長椅子に腰を下ろす。

「殿下は昨日も私の屋敷に来てくださってね。こちらの御令嬢に紹介してくださったのも殿下なのよ。社交会には友のいない私を心配してくださったのね……カトリナ嬢とはまだひと月くらいのお付き合いだけれど、よくしてくださっていて嬉しいわ」
「え……」

 令嬢の言葉を怪訝に聞いていたラーラではあったが、彼女のその発言には唖然とした。
 カトリナはラーラの親友だが、そんな話は初耳だった。
 先日もパーティーの招待状を直接持ってきてくれたが……そんな話はしていなかった。
 彼女は王太子とラーラの仲を知っている。相談だって──していたのだ。

 驚いて目を丸くするラーラに、背後ではゼルマが心配そうな顔をしているが、そんなラーラの戸惑いを見た令嬢は気を良くしたように笑みを深める。
 ──ラーラはこの時気がついた。
 美しい令嬢の笑みがなぜか不快なのか。
 最近王太子が彼女のところに足繁く通っていると聞いているということもあるが……。
 令嬢の言葉の端々に、どこかラーラを嘲笑うような響きがあるせいだ。
 令嬢は、ラーラが戸惑う様子を見せるたびに嬉しそうな顔をした。

「……」

 そんな敵意に戸惑って、何も言ってくれなかった友人の話にも動揺して。ラーラがなんと返していいものか困っていると、令嬢は言い返してこない娘を見て、自分の優位を感じたらしかった。
 
 グステル・メントラインこと、エルシャは思った。

(──なぁんだ。侯爵令嬢ってこの程度なのね。拍子抜けしちゃうわ)

 エルシャは、困った様子のラーラを見て心の中で笑う。
 彼女がわざわざラーラを追いかけてきたのは、もちろん王太子が夢中だったという娘がどんな女なのかを見るためだ。
 王太子は彼女の話をよくエルシャにもしていて、その言葉には明らかに好意があるのでずっと面白くなかった。
 正直、自分のもとに通う王太子の行動は同情だとエルシャは知っていた。

『ラーラは本当に素敵な人なんだ、いつか君も会うといい。きっと親切にしてくれるよ』

 そう言いながら王太子の目は限りなく優しい色を見せる。
 それが、気に入らない。
 確かに、実際会ってみたラーラ・ハンナバルトは愛らしい。
 可憐で天真爛漫な乙女という印象で、甘い容姿も男を引き寄せるだろう。
 でもだからなんだというんだと、エルシャ。
 内心で鼻白みながら、しかし、現在その彼女を自分が困らせていることが愉快でならない。
 結局、身分が上ならば、なんでも許されるということだと。公爵令嬢という肩書きを得た自分に万能感を感じて嬉しかった。

(どうせこいつらは、庶民に対してはツンと気取った顔で偉そうにできても、相手の方が立場が上ならこうして手も足も出ないのよね)

 エルシャはそれがこいつら貴族というものなのだと。そんな見下した考えが、彼女を助長させる。
 ……ただ。
 彼女は、今自分が心の中で嘲笑っている、その“偉そうな貴族”の顔を、今まさに自身がしているということには、気が付かない。

「ね? ラーラさん? 王太子殿下と親しくしていたんでしょう? でも、よくあなたのような身分で王太子殿下は仲良くしてくださったわね? だって、あなた侯爵の庶子なのでしょう? あなたってすごいのね」
「……ぇ……」

 その物言いに、ラーラは驚いて言葉もない。
 息を呑んだ彼女にグステル・メントラインは得意げに続ける。

「ああ、庶子だってことはカトリナから聞いたの。そんなに卑しい身なのに殿下に近づけるなんてある意味すごい度胸よね? よほど上昇志向が強いのかしら? ああでも、お母様もきっとそうだったんですもの、娘のあなたがそうだったとしても仕方ないのよね。お母様はいい暮らしのために、侯爵を誘惑して、挙句、失敗して亡くなった、ね、そうでしょ?」

 ラーラは絶句した。
 なんという言いようだろうか。
 ラーラはこんなふうに笑顔のまま、平然と面と向かって相手を傷つけるようなことを言う者に初めて出会った。
 あまりにも衝撃的で言葉を失っていると、ラーラの背後で会話を聞いていたゼルマがついに怒声を上げる。

「っお嬢様になんてことを! 失礼にも程がございます!」
「! ゼルマ、落ち着いて──」

 憤慨したメイドに、ラーラが慌てて彼女を宥めようと肩を抱く。と、その瞬間のことだった。

 突然グステル・メントラインが大きな悲鳴をあげて長椅子から転がり落ちた。
 床に崩れ落ちた令嬢に、ラーラはギョッとする。

「⁉︎ グステル様⁉︎」

 ラーラが驚いて傍らに跪き手を差し伸べると、令嬢は余計に怯えたように「誰か!」と金切り声をあげる。
 ──と、背後から誰かの声が矢のように飛んでくる。

「何をしてるの⁉︎ ──誰か! 誰か来て! グステル嬢が乱暴されたわ!」
「⁉︎」

 そんなことをした覚えはないと。慌てて否定しようとして──振り返ったラーラは途端ギクリと身を強張らせる。
 そこにいたのは、薔薇色のドレスを着た令嬢。
 ──つい先週、そのドレスを披露してくれて『誕生日パーティーで着るの』と言って嬉しそうに微笑んでくれた──友、カトリナが──廊下に向かって大声をあげている。

「誰か! 早く!」
「……、……、……カトリナ……?」

 呆然としているうちに、騒ぎを聞きつけてきた者たちがわらわらと集まってきて。その間にカトリナがグステル・メントラインに駆け寄り、彼女を助け起こす。
 友とは──目が合わない。
 代わりに彼女は、ラーラを指さし人々に声高に訴えるのだ。

「ラーラ・ハンナバルト嬢が突然グステル様を突き飛ばしたんです!」

 途端ざっと音がするように人々の視線がラーラに突き刺さり、ラーラは驚愕する。
 ゼルマが「馬鹿な!」と、絶叫した声を最後に、頭が真っ白になった彼女の耳には何も聞こえなくなった。
 ──何より、友の冷たい目と攻撃的な言葉が彼女の胸を深くえぐっていた。
 
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