ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり

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90 魂の抜けそうな打ち明け話

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「本当にごめんなさいヴィムさん、私気がつかなくて……」

 グステルは、目の前に座った青年に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 彼女の前には青年ヴィム。食堂の椅子にそわそわした様子で座り、そばにやってきた女性店員が次々とテーブルに運んでくる温かそうな料理に目が釘付けだ。
 二人の間にある木のテーブルの上には、切り分けたミートパイと、まるいきつね色のパンがかごいっぱい。それにスープと温かいお茶が二つずつ。
 それらを見つめるヴィムは背筋を伸ばして行儀良く椅子に座っているが、瞳はキラキラと輝き、時折彼の腹からはキュルキュルとかわいい音がする。その音を聞くたび、グステルは罪悪感に苛まれる。
 店員が店の奥へ戻っていくと、彼はおずおずとグステルを見て。彼女がうんうんと小さく何度も頷くと、青年はすぐに笑顔になって料理に手を伸ばして夢中になった。
 よほどお腹がすいてたのねぇとグステル。
 彼女は、ヴィムの勢いに対する料理の心許なさを感じ、すぐにもう一度店員を呼んで、煮込み料理とパンの追加注文。自分の近くに置いてあったミートパイの皿も彼のほうへ押しやった。

 あのあと。
 ヘルムートの出立を見送ったグステルは、エドガーと別れ、ヴィムを連れて宿屋へ戻ろうとした。──が、その時不意にヴィムのお腹がぐうっと鳴ったのだ。
 途端、しくしく涙していた青年は真っ赤になって。グステルは、あ……! と気がついた。
 そういえば、慌ただしくヘルムートを見送らねばならなかった二人は、この日は昼食を軽くとったあとは何も口にしていなかった。
 今はまだ日が長い季節だから周りはあまり暗くないが、時刻はもう夕食時である。
 これはうっかりしていたとグステル。
 彼女自身は一人暮らしも長く、仕事が立て込んでくると食事を抜くくらいはいつものこと。空腹でもあまり気にならないたちだが……若いヴィムはそうもいかない。
 散々世話になっているヘルムートから、彼の家の子供ヴィムを預かっておいて(※正確にはグステルを守るよう託されたのはヴィムのほう)、彼を飢えさせるなんてもっての外である。
 グステルはすっかり慌て、自分の前で恥ずかしそうにお腹を押さえている青年の手を半ば強引につかみとって。駆け込むように、そばにあった食堂へ入って──今に至る。

 店は酒場も兼ねているのか、さほど広くもない店内は客でごった返していたが、幸い一番隅の席があいていた。
 狭い席ではあったが、小さなテーブルに溢れるように乗せられた食事を前に、ヴィムは幸福そうにパンを口に頬張っている。
 若者の猛然とした食欲が次第に満たされていくのを見たグステルも、ここでやっと少し気持ちがほっとした。

「……よかった……危うくちびっ子を飢えさせるところでした……」
「ステラさん! とってもおいしいです!」

 やれやれと安堵すると、不意にヴィムが子犬のような顔で言って。無邪気に喜ぶ顔を見て、グステルも心がなごむ、が……。
 ふと、脳裏に彼の主人の顔が浮かんだ。彼が領都を去っていくとき、チラリと自分を見た名残惜しげな青紫の瞳が頭にずっとこびりついている。
 グステルの目が、賑やかな客たちの頭越しに見える窓の外に引き寄せられた。
 外はもう薄暗い。

(……ヘルムート様……宿場におつきになったかな……お夕飯は召し上がったかしら……)

 馬上の彼は、きっと宿場にたどり着くまでは食事がとれない。
 そう思うと、目の前に並ぶ香りいい料理たちにも、なんとなく食欲がわかなかった。
 彼にラーラのもとへ一度帰るよう勧めたものの……思いがけないほどに、その不在が寂しかった。 

(でも……仕方ないわよね……この世界は、ラーラを中心にまわっているんだもの……)

 グステルは、エドガーが彼をラーラのもとへ返そうとする行動は、もっともだと思ったのだ。
 物語上、ヘルムートはラーラの絶対的な味方として存在する。
 その彼に、悪役令嬢たるはずの自分が助けてもらっている時点でもうおかしい。
 本来彼に助けられるはずのラーラが兄を必要とし、物語の流れがヘルムートを彼女のところへ引き戻そうとするのなら、逆らってはならない、引き留められないと思った。

「……悪役令嬢が、ヒロインのお兄様を独占するだなんてわがままはだめよね……」
「? なんです?」

 ついぽつりとつぶやくと、目の前でパンを飲み込んだヴィムが、それを拾い聞いてきょとんと瞬く。

「悪役令嬢ってなんですか?」

 おそらく彼は小説や物語といったものとは無縁なのだろう。聞き馴染みのない単語に不思議そうな青年に、グステルは少し微笑んで。彼の空になった皿にパンを置いてやりながら答える。

「いえ、なんでも。主役ではなくても、自力でなんとか生きねばなぁ……という話です」
「主役でなくても、ですか……」

 グステルの言葉を聞いて、ヴィムは何か思うところがあったのか……少し考えるそぶりを見せた。
 と、そんな青年が、不意に「あ」と言った。

「?」
「わがままな令嬢といえば……聞いてくださいよステラさん!」

 青年は、どうやらもうかなりグステルに気を許しているのか、(※多分餌付けの成果)邪気のない顔でグステルを見る。少し頬を膨らませて、何やら訴えようとする顔がなんとも可愛い。

「はい?」
「シュロスメリッサにいる時のことなんですけどね、ヘルムート様ったら、あのシュロスメリッサの怖い御令嬢をお尋ねになったんですが、」

 その言葉に、グステルはえ? と、目を丸くする。

「……シュロスメリッサの怖い令嬢……って……まさか……イザベル様、ですか……?」

 訊ね返すと、ヴィムはミートパイを頬張りながらそうだと頷く。ポロポロこぼすヴィムの頬についた食べくずを無意識にとってやってしまいながら……グステルは目を丸くした。
 なぜ、ヘルムートがイザベルを訊ねるのだろう。それも、自分抜きで。
 いや、別に嫉妬とかではない。単に、その組み合わせがあまりにも不穏。

「え……怖い……あのお二人、出会って五秒で喧嘩、みたいな相性ではありませんでしたっけ……」

 シュロスメリッサで揉めていた二人の様子を思い出し、グステルは不安な顔。が、ヴィムは何かを思い出したのか……半眼で迷惑そうに言う。

「二秒の間違いです」
「…………」

 青年の呆れ切ったため息が、色々その当時の二人の様子を物語っている、と、グステルは話を聞くのが怖くなった。

「そ……それで……ヘルムート様はいったい何をしにイザベル様のところに……?」

 グステルが訊ねると、眉間にしわを寄せていた青年が思いがけず、ふっと噴き出したのでグステルはちょっと目を瞠る。
 まるで急にくすぐられたかのように笑い出した青年は、愉快そうに言った。

「それがですね……。ヘルムート様は、あの頃ステラさんが贈り物をしても受け取ってくれないことにずっと頭を悩ませていらっしゃって。それで僕も色々と(夜通し)相談されたりして困っていたんですが……」
「え……?」

 なんだか話が思わぬところに飛んで、グステルが戸惑った顔をする。

「それでヘルムート様ったら、何を思ったのか……あの怖い御令嬢の家をお訪ねになり……ほら、あの頃、ステラさんの猫が御令嬢の家に預けられていたでしょう?」
「へ? ユキ……ですか……?」

 これまた思わぬ登場人(猫)物に、グステルは一層困惑を深めるが、ヴィムは「そうですそうです」と頭を縦に振る。

「なんか……ヘルムート様、ステラさんに贈り物ができないのなら、ユキちゃんに贈り物をして気に入られようとしたみたいで……」
「……、……、……え……?」

 ヴィムの言葉に、グステルはぽかんと瞳を瞬かせ、身を強張らせた。
 それなのに、とヴィム。青年は少し気の毒そうな顔になる。

「ほら、ヘルムート様って、動物になぜか好かれないんですよ……。家にいる飼い猫も、飼い犬もそうです。ヘルムート様が拾ってきて、勉強や職務の合間に一生懸命お世話して……でも、どうしてなのか、逃げられちゃうんです」
「…………」

 そういえば、自分の店でもヘルムートはユキに噛まれていたな……なんてことを思い出し、そこでグステルはハッとする。

「……あ⁉︎ そ、そういえば……いつぞや私の店にいらっしゃった時、ヘルムート様が傷だらけでした! あ、あれはまさか……」

 そう、確かあれは、出立の準備をしてユキをイザベルの家に預けたあとのことだった。
 父や母のことを調べて報告に来てくれたヘルムートの顔や手がなぜか傷だらけで、どうしたのかなと思ったことがあったのだ。
 まさかと思って唖然とヴィムを凝視すると、青年は苦笑しながら頷く。グステルは、言葉を失った。

「そうなんです。ステラさんに贈り物できないなら、ステラさんの唯一の家族ユキちゃんを喜ばせてみよう、仲良くなろうなんてお考えになったらしく……色々高級な猫用のご飯やおやつ、おもちゃなんかを買い揃えて貢ぎに行ったんですね、ユキちゃんに」
「…………ぅああ……」

 明らかになっていく真実に、グステルが頭を抱えて呻く。

「あ、あれは……ヘルムート様の怪我は……ユキがやったんですか……⁉︎」
 
 必死な顔で訊ねると、ヴィムはあっさりと頷く。

「そうなんです。でも案の定ユキちゃんには手痛くあしらわれて……さらにあの怖い御令嬢には『は~ぁ? ユキに贈り物ぉ? あんたもステラに好かれたくて必死ねぇ、ばっかじゃないの? ははん、ま、ユキ用グッズはもらってあげてもいいわよ』とか言われて嘲笑われて。挙句ユキちゃんへの貢ぎ物はしっかり回収されていきました」
「……、……、…………」

 ヴィムは、どうやらイザベルのモノマネらしい口調と表情で言って。その見覚えのある高慢な演技を見たグステルは、沈痛の面持ち。店の椅子の背もたれにぐったり寄りかかり、青い顔で天井を仰いだ……。

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