ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり

文字の大きさ
上 下
88 / 170

87

しおりを挟む
 
 夕暮れ時。グステルは広場の一角にある花壇の隅に座っていた。
 赤毛を収めたローブのフードを目深にかぶり、その下からじっと眺めているのは、通りの先に立つ壮麗な門の、はるか向こうにそびえる公爵邸。
 白亜の城館は、遠目に見てもやはり優美で立派。その周りを彩る前庭園も、緑が美しく剪定されている。
 やはり、感慨深かった。
 彼女があの場所で暮らしたのは、九年あまり。それなりに思い出もある。
 ただ、そんななかでも一番鮮明なのは、あそこから抜け出すため奔走したあれこれである。
 あんなに苦労したのに、まさか……という思いにため息が出る。
 まさかまた、自分があの邸に戻ろうとすることがあるとは思わなかった。

「……人生ってどうなるか分からないわね……」

 ついそう漏らしたとき、そばに近づいてくる気配があった。

「……ここにいらっしゃいましたか。──ヴィムはどこです? できればあまりお一人で行動なさらないでください」

 心配そうにやってきたのはヘルムートである。
 ──あれ以降、グステルとヴィムがあまりに仲がいいもので。何かを諦めたヘルムートは、ヴィムにグステルに付き添うことを命じた。ヘルムートには、代わりにここまで御者を務めた男が付き添っていた。
 しかし、今はなぜかグステルのそばにヴィムがいない。
 怪訝そうにあたりを見回す青年に、グステルは内心で(心配性だなぁ)と苦笑しつつ、広場の先を指さした。

「ヴィムさんはあそこです」

 グステルが示したのは、広場の向かい側にある大きな商店。店表には、“ロイヒリン商店”と書かれていて、ガラス張りの店の中には雑貨が並んでいる。
 よく見ると、その店内でヴィムが店員らしい男と話していた。
 グステルは、彼に使いを頼んだのだと言った。
 その言葉になるほどと頷いたヘルムートは、少しためらったようにグステルを見てから。控えめな様子で彼女に隣に座ってもいいだろうかと訊ねた。
 グステルがそれを了承すると、ヘルムートは嬉しそうに彼女の隣にそっと腰を下ろした。
 そんな青年にグステルは薄く微笑んでから、再び公爵邸のほうへ目をやる。──なんとなく、今は彼の接近に照れるような気分ではなかった。

 ヘルムートは沈黙しているグステルの横顔を見つめた。彼女の目は、真っ直ぐに公爵邸を見ている。何かを深く考え込んでいるようだった。
 ヘルムートは、そんな彼女の強い眼差しに惚れ惚れとした。
 
 と、グステルの唇が静かに開く。

「……ヘルムート様は、この都をご覧になってどう思われますか」

 予想していた通りの問いだった。
 ヘルムートは、周囲を慎重に見回して。通行人たちからは距離があることを確かめてから、低く答える。

「そうですね……率直に言わせていただけるなら、少々荒れていると思います」
「……ですよね……」

 グステルは、真顔で重く頷いた。

 一見すると、グートルーンは大きな街で、歴史ある街並みは美しい。人々も賑わっているし、商店もたくさんあり、物流も活発なようだ。
 しかし、今日彼女が見てまわった限りでは、街の端には物乞いや、明らかにたちの悪そうな目つきの者たちが潜んでいる。
 こんなに物の溢れた商店街があるのに、市場にもたくさん物が並んでいるのに。
 大通りから一本裏手に回ると、頬のこけた者たちがぐったりと壁際に座り込んでいたりする。
 広場の向こうの教会には救済を求める者たちが群がっていて、修道女たちが必死に奔走していた。あの光景は、いったいどういうことなのか。

(昔の領都はこんなふうではなかったわ……)

 少なくとも彼女がこの領都を出た時は、もっと治安の良い街だったのだ。
 グステルの父は強欲だが、領地の経営に関してはしっかり統治していた記憶がある。
 正直グステルは少し混乱していた。と、ヘルムートが言う。

「どうやら、あの者たちは被災民のようです」
「被災民……?」

 ヘルムートの話によると、一昨年の夏、領都付近の河が氾濫し、まわりの集落がいくつか被害にあった。
 その説明にグステルが眉間にしわを寄せた。

「一昨年の夏……? そんなに前に災害に遭われた方々なんですか?」

 グステルは驚愕して青年に問い返す。
 しかしそういえばと思い出すことがあった。

 数日前母と話したときに、数年前の出来事として聞いた話だ。
 以前、領地の民が災害に見舞われた際、母は一度領都へ駆けつけたが、叔母のグリゼルダに『あなたを駆り出しては公爵に叱られる』などと言われ、ていよく追い払われたという。
 それでも当時は、母の別邸にも助けを求める領民が集まり、母も救済に追われて大変だったらしいが……。

 つまり、その時の話なのかとグステルは言葉を失った。
 そんなに前に起こった災害の被災民が、今でもまだ街に溢れているとは。

「お父様は……いったい何をなさっているの……?」

 グステルの唖然とした気持ちが分かったのだろう。ヘルムートも神妙な顔で彼女を見る。

 だが、ひとまず詳しい話は他人の耳目がないところでということで。二人はヴィムが戻るのを待ち、宿屋に帰る事にした。
 するとそこにちょうど知人宅に出向いていたエドガーも合流し、四人はヘルムートの客室に集まった。

 一人掛けのソファに疲れたように身を沈めたエドガーは、呆れを滲ませてグステルを横目に見る。棘のある視線だった。

「この領地の主はいったいどうなっているんです? 領民を守る気があるとは到底思えないが」
「おいエドガー!」

 ヘルムートがグステルを気遣って友人を睨むが、エドガーは肩をすくめて続ける。
 どうやら訪問した知人に、よほど不愉快な話を聞かされてきたらしい。エドガーの口調は、出かける前に軽口を叩きまくっていたものとはガラリと変わっている。

「なんだよ、本当のことだろう? お前たちだって見たはずだ、街には家を流され居場所を失った者たちが溢れている。それなのに、公爵は満足な救済措置を取らず、支援は微々たるもの。被災地に視察にも来ず、はっきりした指針も出さない。おかげで生活に困った者たちが盗みや悪事に手を染めて、領都の治安は悪化するばかりだと」
「……」

 エドガーはそう言って、一度友に移していた視線を再びグステルに戻す。その目は、まるで彼女を公爵本人と同一視しているかのように冷たい。
 ヴィムがそれに気がついて文句を言いかけたが、グステルが手で制して止めた。
 ──この話は、聞かねばならない。

 グステルのその気持ちがわかったのか。ヘルムートはエドガーを険しい瞳で見たが話は止めず、代わりにグステルの隣に座り、エドガーを圧っするように睨んだ。
 そんな友にエドガーは肩をすくめ、話を続けた。

「知人の奥方は公の妹君グリゼルダ殿とも親しくしているらしく、そちらからも話を聞いたのだが、グリゼルダ殿も相当お困りのようだ。『兄は気難しくて貧しい者たちのことなど何も考えていない、貧乏人には金など出さんと言い張っていてどうにもならない』と」

 エドガーはここで苦々しい顔で鼻白む。

「だが……そのグリゼルダ殿と例のグステル・メントライン嬢のお恵みで教会への支援だけはなんとかなっているんだとさ!」

 エドガーが忌々しそうに出した名に、グステルの顔がピクリと反応し、ヘルムートの眉間が険しく歪む。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

白い結婚のはずでしたが、王太子の愛人に嘲笑されたので隣国へ逃げたら、そちらの王子に大切にされました

ゆる
恋愛
「王太子妃として、私はただの飾り――それなら、いっそ逃げるわ」 オデット・ド・ブランシュフォール侯爵令嬢は、王太子アルベールの婚約者として育てられた。誰もが羨む立場のはずだったが、彼の心は愛人ミレイユに奪われ、オデットはただの“形式だけの妻”として冷遇される。 「君との結婚はただの義務だ。愛するのはミレイユだけ」 そう嘲笑う王太子と、勝ち誇る愛人。耐え忍ぶことを強いられた日々に、オデットの心は次第に冷え切っていった。だが、ある日――隣国アルヴェールの王子・レオポルドから届いた一通の書簡が、彼女の運命を大きく変える。 「もし君が望むなら、私は君を迎え入れよう」 このまま王太子妃として屈辱に耐え続けるのか。それとも、自らの人生を取り戻すのか。 オデットは決断する。――もう、アルベールの傀儡にはならない。 愛人に嘲笑われた王妃の座などまっぴらごめん! 王宮を飛び出し、隣国で新たな人生を掴み取ったオデットを待っていたのは、誠実な王子の深い愛。 冷遇された令嬢が、理不尽な白い結婚を捨てて“本当の幸せ”を手にする

悪役令嬢になりたくない(そもそも違う)勘違い令嬢は王太子から逃げる事にしました~なぜか逆に囲い込まれました~

咲桜りおな
恋愛
 四大公爵家の一つレナード公爵家の令嬢エミリア・レナードは日本人だった前世の記憶持ち。 記憶が戻ったのは五歳の時で、 翌日には王太子の誕生日祝いのお茶会開催が控えており その場は王太子の婚約者や側近を見定める事が目的な集まりである事(暗黙の了解であり周知の事実)、 自分が公爵家の令嬢である事、 王子やその周りの未来の重要人物らしき人達が皆イケメン揃いである事、 何故か縦ロールの髪型を好んでいる自分の姿、 そして転生モノではよくあるなんちゃってヨーロッパ風な世界である事などを考えると…… どうやら自分は悪役令嬢として転生してしまった様な気がする。  これはマズイ!と慌てて今まで読んで来た転生モノよろしく 悪役令嬢にならない様にまずは王太子との婚約を逃れる為に対策を取って 翌日のお茶会へと挑むけれど、よりにもよってとある失態をやらかした上に 避けなければいけなかった王太子の婚約者にも決定してしまった。  そうなれば今度は婚約破棄を目指す為に悪戦苦闘を繰り広げるエミリアだが 腹黒王太子がそれを許す訳がなかった。 そしてそんな勘違い妹を心配性のお兄ちゃんも見守っていて……。  悪役令嬢になりたくないと奮闘するエミリアと 最初から逃す気のない腹黒王太子の恋のラブコメです☆ 世界設定は少し緩めなので気にしない人推奨。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

21時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します

みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが…… 余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。 皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。 作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨ あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。 やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。 この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

十三月の離宮に皇帝はお出ましにならない~自給自足したいだけの幻獣姫、その寵愛は予定外です~

氷雨そら
恋愛
幻獣を召喚する力を持つソリアは三国に囲まれた小国の王女。母が遠い異国の踊り子だったために、虐げられて王女でありながら自給自足、草を食んで暮らす生活をしていた。 しかし、帝国の侵略により国が滅びた日、目の前に現れた白い豹とソリアが呼び出した幻獣である白い猫に導かれ、意図せず帝国の皇帝を助けることに。 死罪を免れたソリアは、自由に生きることを許されたはずだった。 しかし、後見人として皇帝をその地位に就けた重臣がソリアを荒れ果てた十三月の離宮に入れてしまう。 「ここで、皇帝の寵愛を受けるのだ。そうすれば、誰もがうらやむ地位と幸せを手に入れられるだろう」 「わー! お庭が広くて最高の環境です! 野菜植え放題!」 「ん……? 連れてくる姫を間違えたか?」 元来の呑気でたくましい性格により、ソリアは荒れ果てた十三月の離宮で健気に生きていく。 そんなある日、閉鎖されたはずの離宮で暮らす姫に興味を引かれた皇帝が訪ねてくる。 「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」 「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」 これは、天然、お人好し、そしてたくましい、自己肯定感低めの姫が、皇帝の寵愛を得て帝国で予定外に成り上がってしまう物語。 小説家になろうにも投稿しています。 3月3日HOTランキング女性向け1位。 ご覧いただきありがとうございました。

処理中です...