ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり

文字の大きさ
上 下
79 / 170

79

しおりを挟む
 
 そうして。
 若干早とちりで納得した青年従者は、ヘルムートのために彼女を連れ戻すことを一旦断念した。
 そんなことをしては酷だと思った。
 身分違いの恋はドラマチックなようで、現実的には叶わぬことが多くとてもつらい。
 彼自身も、主人の妹ラーラに恋をしているが、現在彼女は王太子に夢中。
 ラーラに優しくされても虚しいばかりなのである。
 どんなに好きでも、貴族と庶民との間には大きな壁がそびえたっている。ましてや、恋敵が王太子なんて。恋敵と思うことすら不敬で憚られる。
 青年は大きなため息を一つ。やるせない気持ちで主人の待つ馬車へと急いだ。

 ただ今回、彼が一つよかったと思ったのは、あのステラと名乗る娘が、彼が心配したほど悪い人間ではなさそうなこと。
 話してみた感触では、彼女からはヘルムートに取り入ろうという気配も、利用しようという意思も感じられなかった。
 それに、彼女は使用人階級のヴィムのことも下に見ているふうもないし、彼が怒りのままに突撃してもきちんと話を聞いてくれた。
 そこまでを思い返して。ヴィムはふとあることに気がつく。

(……そういえば……あの方……僕のこと『ヴィム“さん”』って呼んでくれたな……)

 ヴィムは足を止めて後ろを振り返る。が、もうそこにはチェリーレッドの髪の娘の姿はない。
 青年はなんとなく不思議な気分だ。

 侯爵家では、ヴィムは下っ端だ。
 普通なら、侯爵の嫡男ヘルムートの従者ともなれば、使用人たちの序列で言えば上位にあたる、が。彼の場合は、侯爵家にきた経緯が経緯である。
 本来令息の従者は、しっかりした家柄で、経験も豊富な男が雇われるべきところ。それを、彼はヘルムートに拾われたというだけでそこに据えられている。
 もちろんそのためにはヴィムも教育を受けて努力をしたが。周りからすると、もうその時点でかなり優遇されていると映るらしい。
 ゆえに彼は、侯爵家では他の者らからはあまりよく思われていない。
 おかげで居心地はいいとは言い難いが、それでも幼くして路上で暮らしていたヴィムにとっては、侯爵家は天国のような場所。他の者たちと喧嘩をしようとは思わなかったし、やっかみで雑に扱われようとも不平を言わなかった。
 が、そうして彼が穏便に過ごしているうちに、侯爵家でヴィムはすっかり立場が弱くなった。
『ヴィム“さん”』なんて敬称で呼んでくれる人は、誰もいない。 

 だからこそ、グステルに『ヴィムさん』と呼ばれた青年はなんだか身がこそばゆい。
 彼女は、敬愛する主人ヘルムートが、現在どんな高貴な相手よりも……あのラーラよりも、大切に大切にしている女性。
 そんな人が、自分にああして丁寧に接してくれたことは、若い彼の自尊心をちょっぴり慰めてくれた。
 青年はくすぐったそうに、鼻先を指でかく。

(……しかもあの人、ヘルムート様のことを『好き』だって言った……)

 それを思い出すと、歩くヴィムの足取りは少し軽くなる。
 身分や立場云々、先々結ばれるか否かを別としても。好きな人に好かれるなんて、ヴィムにとっては羨ましすぎる話。これは、主人にとってもかなりの吉報なのではないだろうか。
 兄の恋をあまりよく思っていないらしいラーラのことを考えると少し気は重たいが、それでもヘルムートに報せれば、きっと彼はとても喜ぶはずと思うとヴィムは嬉しくなって。
 急いで馬車の停車場まで戻ってきたヴィムは、勢い込んでキャビンの中を覗き込む。

「ヘルムート様! 聞いてください、あのですね──……、……あれ?」

 すぐに見渡せる程度の狭い車内を見て、青年の瞳がキョトンと瞬く。
 てっきりそこで休んでいるだろうと思った主人の姿が、ない。
 ヴィムはすぐに近くで馬の世話をしていた御者に声をかけた。

「ん? ヘルムート様? ヘルムート様ならもうとっくに馬車を降りられたぞ。きっとエドガー様のところだろ」

 年配の御者にそっけなくそう言われたヴィムは慌てた。
 この宿場に着いた時、ヴィムはヘルムートを悲しませているグステルにとても怒っていた。
 それで、ちょっとだけグステルに文句でも言って戻ってこようと思っていたのだが……どうやら手間取りすぎたらしい。
 馬車を飛び出した時は腹立たしさのあまり失念していたが……。
 あれだけエドガーの馬車に乗った娘を案じていた主人が、停車中に彼女の様子を見に降りないわけがなかった。
 ヴィムはしまったと己の短慮を後悔しつつ、エドガーのもとへ走った。
 まさか喧嘩になどなっていないだろうなとハラハラしながら主人の友のところへ行くと……。
 その青年はあっさりと首を横に振る。……陽気な青年の隣に見知らぬ町娘がはべっているのはいつものことなのでスルーした。

「ヘルムート? いや、こっちには来てないぞ?」
「え? え? で、ではヘルムート様はどこに……」

 ヘルムートが来ていないと聞いたヴィムは、戸惑って周囲を見回している。と、そんな彼にエドガーは「ああそういえば」と思い出したようにどこかを指さした。

「ははは、こちらのお嬢さんに夢中ですっかり忘れていた。さっき、あいつがステラ殿の手を引いて、向こうへ行ったのを見たぞ」
「へ?」

 言われて示された方向に視線を向けると──緑の木立の向こうには一軒の宿屋。
 ひっそりとした木造の建物を見てヴィムがポカンとする。と。エドガーの隣にいた町の娘がくすりと笑う。

「……ああ、あそこはいい宿ですよ。静かで雰囲気もよくて若い男女に人気があります。女将もいろいろ詮索しませんし」

 そう言って娘は意味ありげにエドガーを見る。そのあだっぽい視線に、若いヴィムは怪訝そうだが……エドガーはなぜかぷっと噴き出した。

「おやおや……ははは、さてはヘルムートのやつ……嫉妬にでも駆られたのかな?」
「え……?」

 ニヤつくエドガーに、ヴィムが怪訝な顔。そんな青年に、エドガーは「いいのか?」とわざとらしく問う。
 その、明らかにからかってやろうという意図の透けて見える表情には、ヴィムが「な、なんですか?」と、警戒感をあらわにするが……。エドガーはそんな青年の表情すら愉快そうだった。

「おチビちゃん、俺を睨んでる場合かな? 甘え上手なラーラが、この件で俺だけに頼み事をしてるとは思い難いが……お前も彼女に何か言いつけられているのでは? 宿屋に二人きりで向かったヘルムートたちを……放っておいていいのかな?」
「……え……?」

 と、エドガーの隣に寄り添っている女が、瞳を瞬くヴィムを見てくすくすと笑う。

「あら、旦那様ったら。こんな若い子に逢瀬の邪魔なんて、そんなお役目はちょっと可哀想じゃありませんこと?」

 その言葉に、ヴィムは一瞬ぽかんとして──……。

「⁉︎」

 ここでやっと、若者はエドガーたちが匂わせている言葉の意味を理解し、真っ赤になった。
 ──と同時に。彼は脳裏にむくれたラーラの顔を思い出し愕然とした。
 できればヘルムートの恋路を応援したいヴィムだが、そこはきちんとラーラにも納得してもらえるよう段階を踏んでもらわねば困る。
 ヴィムは、泡をくって猛然と駆け出し、エドガーが指し示した宿に向かって転がるように飛んで行く。

「へ、ヘルムート様‼︎ ちょ、ちょっと、ま、待って!」

 その後ろ姿を、エドガーたちが笑って眺めている。

 ──その同時刻。
 ヴィムと同じ人物を、同じく止めようとする者が、もう一人。

「ちょ、ちょっと待って──ヘルムート様⁉︎」

 グステルは、訳もわからず唖然としてその名を呼んだ。
 けれども彼女の前をいく青年は、彼女の手を取ったままずんずん先へ進み、こちらを振り返ろうともしなかった。
 この急な展開に、グステルは目を白黒させている。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

白い結婚のはずでしたが、王太子の愛人に嘲笑されたので隣国へ逃げたら、そちらの王子に大切にされました

ゆる
恋愛
「王太子妃として、私はただの飾り――それなら、いっそ逃げるわ」 オデット・ド・ブランシュフォール侯爵令嬢は、王太子アルベールの婚約者として育てられた。誰もが羨む立場のはずだったが、彼の心は愛人ミレイユに奪われ、オデットはただの“形式だけの妻”として冷遇される。 「君との結婚はただの義務だ。愛するのはミレイユだけ」 そう嘲笑う王太子と、勝ち誇る愛人。耐え忍ぶことを強いられた日々に、オデットの心は次第に冷え切っていった。だが、ある日――隣国アルヴェールの王子・レオポルドから届いた一通の書簡が、彼女の運命を大きく変える。 「もし君が望むなら、私は君を迎え入れよう」 このまま王太子妃として屈辱に耐え続けるのか。それとも、自らの人生を取り戻すのか。 オデットは決断する。――もう、アルベールの傀儡にはならない。 愛人に嘲笑われた王妃の座などまっぴらごめん! 王宮を飛び出し、隣国で新たな人生を掴み取ったオデットを待っていたのは、誠実な王子の深い愛。 冷遇された令嬢が、理不尽な白い結婚を捨てて“本当の幸せ”を手にする

悪役令嬢になりたくない(そもそも違う)勘違い令嬢は王太子から逃げる事にしました~なぜか逆に囲い込まれました~

咲桜りおな
恋愛
 四大公爵家の一つレナード公爵家の令嬢エミリア・レナードは日本人だった前世の記憶持ち。 記憶が戻ったのは五歳の時で、 翌日には王太子の誕生日祝いのお茶会開催が控えており その場は王太子の婚約者や側近を見定める事が目的な集まりである事(暗黙の了解であり周知の事実)、 自分が公爵家の令嬢である事、 王子やその周りの未来の重要人物らしき人達が皆イケメン揃いである事、 何故か縦ロールの髪型を好んでいる自分の姿、 そして転生モノではよくあるなんちゃってヨーロッパ風な世界である事などを考えると…… どうやら自分は悪役令嬢として転生してしまった様な気がする。  これはマズイ!と慌てて今まで読んで来た転生モノよろしく 悪役令嬢にならない様にまずは王太子との婚約を逃れる為に対策を取って 翌日のお茶会へと挑むけれど、よりにもよってとある失態をやらかした上に 避けなければいけなかった王太子の婚約者にも決定してしまった。  そうなれば今度は婚約破棄を目指す為に悪戦苦闘を繰り広げるエミリアだが 腹黒王太子がそれを許す訳がなかった。 そしてそんな勘違い妹を心配性のお兄ちゃんも見守っていて……。  悪役令嬢になりたくないと奮闘するエミリアと 最初から逃す気のない腹黒王太子の恋のラブコメです☆ 世界設定は少し緩めなので気にしない人推奨。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

21時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します

みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが…… 余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。 皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。 作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨ あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。 やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。 この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

十三月の離宮に皇帝はお出ましにならない~自給自足したいだけの幻獣姫、その寵愛は予定外です~

氷雨そら
恋愛
幻獣を召喚する力を持つソリアは三国に囲まれた小国の王女。母が遠い異国の踊り子だったために、虐げられて王女でありながら自給自足、草を食んで暮らす生活をしていた。 しかし、帝国の侵略により国が滅びた日、目の前に現れた白い豹とソリアが呼び出した幻獣である白い猫に導かれ、意図せず帝国の皇帝を助けることに。 死罪を免れたソリアは、自由に生きることを許されたはずだった。 しかし、後見人として皇帝をその地位に就けた重臣がソリアを荒れ果てた十三月の離宮に入れてしまう。 「ここで、皇帝の寵愛を受けるのだ。そうすれば、誰もがうらやむ地位と幸せを手に入れられるだろう」 「わー! お庭が広くて最高の環境です! 野菜植え放題!」 「ん……? 連れてくる姫を間違えたか?」 元来の呑気でたくましい性格により、ソリアは荒れ果てた十三月の離宮で健気に生きていく。 そんなある日、閉鎖されたはずの離宮で暮らす姫に興味を引かれた皇帝が訪ねてくる。 「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」 「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」 これは、天然、お人好し、そしてたくましい、自己肯定感低めの姫が、皇帝の寵愛を得て帝国で予定外に成り上がってしまう物語。 小説家になろうにも投稿しています。 3月3日HOTランキング女性向け1位。 ご覧いただきありがとうございました。

処理中です...