61 / 170
61 ヴィムの諦観
しおりを挟む「…………」
夜明けごろ、ハンナバルト家の従者ヴィムは、主人を見ながら困惑していた。
ここはエドガーの屋敷の客間。彼らの背後の大きな机には、ヘルムートが調査中の人物に対する書類が山となっているのだが……。
その前で、マホガニー製の立派な椅子に座らされたヴィムは、向かい合う主人の長々とした語りに困っている。
現在、主人はある女性に夢中。
これまで、あれだけ情熱を傾けて世話してきていた妹をほったらかしにし、その女性のために奔走している。
調査員を雇い、ある貴族の身辺を調べているらしいが……正直、ヴィムにはこの事態が分からなかった。
とはいえと青年は複雑そうな顔。
この状況をヘルムートの父、侯爵が知れば、彼はある意味とても喜ぶかもしれない。
腹違いの妹にベッタリで、世間から『あそこの兄妹はおかしい』などと、やっかみも込みで影口を叩かれていた頃からすると、これは大いなる進歩。
ようやく見えた長男の妹離れの兆しと、侯爵はきっとほっとするに違いない。
ただ……。
間近で主人を観察しているヴィムからすると、ヘルムートのお相手はかなり不審。
その娘は、自分のことを王都で噂の悲劇の令嬢グステル・メントラインだという。……いや、彼女自身が、『その令嬢は自分だ!』と声高に主張しているのとは違う気もするが……不可解なことに、彼女は自身がグステル・メントラインという前提でヘルムートと話をしているのだ。
そしてその怪しい話を、ヘルムートも疑いもせず信じているようで……ヴィムとしては、そこがとても不安。
主人らの会話は、第三者の耳にはかなり不可解に聞こえる。
『前世』
『転生』
『物語上では……』
『ヒロイン』
『悪役令嬢予定者が……』
それらの会話を、従者としてひたすら黙って聞いていて、ヴィムは思った。
──悪役令嬢予定者ってなんだ……? 物語って……?
こんな変なことをいう娘を、本当に主人のそばに置いておいて大丈夫なのだろうかと、彼は心底心配した。
おまけに主人は、そんな不審な娘のために大変な金を使っている。
主人が、妹ラーラや弟たちのため以外でこんなに大金を使ったことはなく、ヴィムはハラハラしどおし。
ラーラがいった通り、主人は悪い女に騙されているんじゃないだろうかと思った。
けれども、それをヴィムがいうと、ヘルムートは恐ろしい顔で彼を睨む。そして過去に王宮で出会った小さな令嬢との思い出話を懇々と夜通し語られて、現在に至る。
ヴィムはもう……心底疲弊してしまった。
それなのに、そのヘルムートの令嬢語りはまだ続いているのだ……。
主人は、徹夜で語ったのになんでそんな話始めと同じテンションで続けられるんだとヴィムが呆れるくらい淡々と続ける。
「──ところでヴィム……そんなわけで俺は彼女に尽くしたくてたまらんわけだが……彼女はいまだに俺が持って行った贈り物を受け取ってくれない。あまり重荷にならぬようささやかなものを選ぶようにしてもみたが……瞳の輝きを見る限り、絶対に好みのものには間違いないが……それでも手をつけてくださらない……。……何か妙案はないか?」
「……、……ええと……」
いつの間にか、主人の語りは思い出話からお悩み相談に変わっている。
真剣に問われたヴィムは困ってしまった。ヘルムートは深々とため息をつく。
「はあ……これがラーラであったらなんでも受け取ってくれていたんだが……いや、比べるのは失礼かもしれないが……」
悩ましげな主人に、ヴィムは、ああ、と、眠気を堪えてうなずいた。今日は絶対休みをもらおうと思いながら。
「ラーラ様はちょっと……ヘルムート様からは贈り物されて当然というところがおありですからね……」
ラーラは見た目も愛らしく、人の懐にも入るのが上手いもので、よく男性から贈り物をされる。特に兄からは、昔から浴びるように物を贈られるのが当たり前すぎて、断った試しなどない。それどころか、次の贈り物をねだりすらする。つまり、贈り物をしたいほうからすると、ある意味楽な相手ではある。
欲しいものが明確で、不意の贈り物も必ず喜んで受け取ってくれる。
そういう従者の言葉に、ヘルムートの顔が苦渋に満ちる。
「俺は……甘やかされていたのか……⁉︎ 贈り物は受け取ってもらえて当たり前、喜んでもらえて当たり前だと思いすぎていたのか⁉︎」
「いや、あの……ヘルムート様……」
それもなんだか変な苦悩である。
しかしヘルムートは真剣に苦悩している。身を折って顔を歪め、心臓に片方の拳を当てて呻く。
「おごっていた……ああしかしっ、グステル嬢に喜んでもらいたい! 俺が贈ったものを使って欲しい! 身につけて欲しいし食べて欲しい!」
「………………」
願望に悶え、両手で顔を覆って嘆きはじめた青年には──それが真剣な嘆きであるとわかるだけに。ヴィムはひたすら呆れるばかりである……。
(ヘルムート様って……こんなだったっけ……)
巷では、シスコンでも麗しき貴公子として名高いヘルムートである。
妹を大事にしすぎて変な目で見られることもあるが、特に若い娘たちからは、『あんなに大事にしてくれる兄がいるなんて羨ましい』『私も妹になりたい』などと羨望の眼差しを集めている。
しかしこうなってみると、それはヘルムートがラーラを相手にしている場合はいつもどこかに余裕を見せていたからなのだとヴィムは察した。
ラーラに近寄る男がいかに憎くても、彼はいつも冷静で……まあ、それは冷酷といってもいいのだが……。つまり、こんなふうに相手の反応を気にして取り乱したりしない。
「どうしたらいい……贈り物を断られるたびに、日増したまらなくなっていく……彼女のために調査もしているが、そちらを放り出してでもなんとか彼女に受け取ってもらえる……彼女の関心を買える品物を探したいという愚かな気持ちに追い詰められていく……!」
「……(なるほどなぁ……これが家族愛と恋愛の違いか……)」
ヴィム、諦観のまなざし。
──ただ、従者はとりあえず、あのぬいぐるみ屋の店主は意外にガードが硬いんだな……と思った。
それはつまり、彼女は金品目当てでヘルムートに近づいたのではないということ。これにはヴィムも少し安心した。が。
そんな従者の心配も知らず、顔を上げたヘルムートは虚空を睨む。もはや、主人はヴィムがそばで聞いていることなど忘れているのだろう……。
「このような有様では、彼女への助力にも支障をきたす……かくなる上は……」
いって主人は、思い詰めたような顔つきで、瞳に怪しい光を灯す。
ヴィムは、色々諦めつつため息。
この、人より遅れて恋愛期の来た青年が、今後どうなることやらとても心配ではあるが……。どうやらこれはヴィムも色々諦めて見守るしか……。ラーラからくる嵐のような催促──『お兄様はいったいどうなっているの⁉︎』『早く屋敷にお帰りいただいて!』というお手紙攻撃を、なんとかかわす他なさそうである……。
とてもではないが……今、そんな妹からの帰宅を哀願する手紙すら放置している主人を、彼が動かせようはずがなかった。
70
お気に入りに追加
1,100
あなたにおすすめの小説

【完結】「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」――冷徹公爵の執着愛から逃げられません」
21時完結
恋愛
「君との婚約はなかったことにしよう」
そう言い放ったのは、幼い頃から婚約者だった第一王子アレクシス。
理由は簡単――新たな愛を見つけたから。
(まあ、よくある話よね)
私は王子の愛を信じていたわけでもないし、泣き喚くつもりもない。
むしろ、自由になれてラッキー! これで平穏な人生を――
そう思っていたのに。
「お前が王子との婚約を解消したと聞いた時、心が震えたよ」
「これで、ようやく君を手に入れられる」
王都一の冷徹貴族と恐れられる公爵・レオンハルトが、なぜか私に異常な執着を見せ始めた。
それどころか、王子が私に未練がましく接しようとすると――
「君を奪う者は、例外なく排除する」
と、不穏な笑みを浮かべながら告げてきて――!?
(ちょっと待って、これって普通の求愛じゃない!)
冷酷無慈悲と噂される公爵様は、どうやら私のためなら何でもするらしい。
……って、私の周りから次々と邪魔者が消えていくのは気のせいですか!?
自由を手に入れるはずが、今度は公爵様の異常な愛から逃げられなくなってしまいました――。
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中

白い結婚のはずでしたが、王太子の愛人に嘲笑されたので隣国へ逃げたら、そちらの王子に大切にされました
ゆる
恋愛
「王太子妃として、私はただの飾り――それなら、いっそ逃げるわ」
オデット・ド・ブランシュフォール侯爵令嬢は、王太子アルベールの婚約者として育てられた。誰もが羨む立場のはずだったが、彼の心は愛人ミレイユに奪われ、オデットはただの“形式だけの妻”として冷遇される。
「君との結婚はただの義務だ。愛するのはミレイユだけ」
そう嘲笑う王太子と、勝ち誇る愛人。耐え忍ぶことを強いられた日々に、オデットの心は次第に冷え切っていった。だが、ある日――隣国アルヴェールの王子・レオポルドから届いた一通の書簡が、彼女の運命を大きく変える。
「もし君が望むなら、私は君を迎え入れよう」
このまま王太子妃として屈辱に耐え続けるのか。それとも、自らの人生を取り戻すのか。
オデットは決断する。――もう、アルベールの傀儡にはならない。
愛人に嘲笑われた王妃の座などまっぴらごめん!
王宮を飛び出し、隣国で新たな人生を掴み取ったオデットを待っていたのは、誠実な王子の深い愛。
冷遇された令嬢が、理不尽な白い結婚を捨てて“本当の幸せ”を手にする

悪役令嬢になりたくない(そもそも違う)勘違い令嬢は王太子から逃げる事にしました~なぜか逆に囲い込まれました~
咲桜りおな
恋愛
四大公爵家の一つレナード公爵家の令嬢エミリア・レナードは日本人だった前世の記憶持ち。
記憶が戻ったのは五歳の時で、
翌日には王太子の誕生日祝いのお茶会開催が控えており
その場は王太子の婚約者や側近を見定める事が目的な集まりである事(暗黙の了解であり周知の事実)、
自分が公爵家の令嬢である事、
王子やその周りの未来の重要人物らしき人達が皆イケメン揃いである事、
何故か縦ロールの髪型を好んでいる自分の姿、
そして転生モノではよくあるなんちゃってヨーロッパ風な世界である事などを考えると……
どうやら自分は悪役令嬢として転生してしまった様な気がする。
これはマズイ!と慌てて今まで読んで来た転生モノよろしく
悪役令嬢にならない様にまずは王太子との婚約を逃れる為に対策を取って
翌日のお茶会へと挑むけれど、よりにもよってとある失態をやらかした上に
避けなければいけなかった王太子の婚約者にも決定してしまった。
そうなれば今度は婚約破棄を目指す為に悪戦苦闘を繰り広げるエミリアだが
腹黒王太子がそれを許す訳がなかった。
そしてそんな勘違い妹を心配性のお兄ちゃんも見守っていて……。
悪役令嬢になりたくないと奮闘するエミリアと
最初から逃す気のない腹黒王太子の恋のラブコメです☆
世界設定は少し緩めなので気にしない人推奨。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています
21時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」
そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。
理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。
(まあ、そんな気はしてました)
社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。
未練もないし、王宮に居続ける理由もない。
だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。
これからは自由に静かに暮らそう!
そう思っていたのに――
「……なぜ、殿下がここに?」
「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!?
さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。
「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」
「いいや、俺の妻になるべきだろう?」
「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します
みゅー
恋愛
乙女ゲームに、転生してしまった瑛子は自分の前世を思い出し、前世で培った処世術をフル活用しながら過ごしているうちに何故か、全く興味のない攻略対象に好かれてしまい、全力で逃げようとするが……
余談ですが、小説家になろうの方で題名が既に国語力無さすぎて読むきにもなれない、教師相手だと淫行と言う意見あり。
皆さんも、作者の国語力のなさや教師と生徒カップル無理な人はプラウザバック宜しくです。
作者に国語力ないのは周知の事実ですので、指摘なくても大丈夫です✨
あと『追われてしまった』と言う言葉がおかしいとの指摘も既にいただいております。
やらかしちゃったと言うニュアンスで使用していますので、ご了承下さいませ。
この説明書いていて、海外の商品は訴えられるから、説明書が長くなるって話を思いだしました。

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です
hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。
夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。
自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。
すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。
訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。
円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・
しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・
はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

十三月の離宮に皇帝はお出ましにならない~自給自足したいだけの幻獣姫、その寵愛は予定外です~
氷雨そら
恋愛
幻獣を召喚する力を持つソリアは三国に囲まれた小国の王女。母が遠い異国の踊り子だったために、虐げられて王女でありながら自給自足、草を食んで暮らす生活をしていた。
しかし、帝国の侵略により国が滅びた日、目の前に現れた白い豹とソリアが呼び出した幻獣である白い猫に導かれ、意図せず帝国の皇帝を助けることに。
死罪を免れたソリアは、自由に生きることを許されたはずだった。
しかし、後見人として皇帝をその地位に就けた重臣がソリアを荒れ果てた十三月の離宮に入れてしまう。
「ここで、皇帝の寵愛を受けるのだ。そうすれば、誰もがうらやむ地位と幸せを手に入れられるだろう」
「わー! お庭が広くて最高の環境です! 野菜植え放題!」
「ん……? 連れてくる姫を間違えたか?」
元来の呑気でたくましい性格により、ソリアは荒れ果てた十三月の離宮で健気に生きていく。
そんなある日、閉鎖されたはずの離宮で暮らす姫に興味を引かれた皇帝が訪ねてくる。
「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」
「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」
これは、天然、お人好し、そしてたくましい、自己肯定感低めの姫が、皇帝の寵愛を得て帝国で予定外に成り上がってしまう物語。
小説家になろうにも投稿しています。
3月3日HOTランキング女性向け1位。
ご覧いただきありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる