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56 うきうきスパイ
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ヴィムの言葉にグステルが思い切りギョッとしたのと同じ頃。
シュロスメリッサの最奥に、堂々構えられた屋敷アーべライン家の書斎では、ある手紙を手にした青年が眉間のしわを深くしていた。
明るい小麦色の髪のかかる輪郭は青年らしく精悍だが、すみれ色の瞳はぱっちりと丸く、どことなく人懐っこさを感じる顔立ち。
彼はヘルムートの友人エドガー・アーべライン。
手にした手紙はハンナバルト家のヴィムから受け取ったもので、差出人はラーラ・ハンナバルト。
折り畳まれた薄い桜色の便箋を開くと、そこには丁寧な言葉で、兄に対する心配がみっちり並んでいた。
それを見たエドガーは、思わず苦笑い。
あのシスコン兄ありて、このブラコン妹ありである。
『兄が自分の誕生日にも家に戻らなかった。こんなことは初めてで戸惑っている』
『兄はどうやらそちらで、ある女性に引き留められているらしい』
『私が大変な時なのに……』
『相手は庶民の方らしいと聞きました。兄はそちらで家格のあった女性と見合いするはずだったのにいったいどうなっているのでしょう?』
『でも家族想いの兄がそんなことをするはずない。きっとその女性に無理に引き留められているに違いない』
『兄が心配でたまりませんが、あいにく私は今王都を離れられません。兄に家族を蔑ろにさせるなんて、相手の女がどんな人物なのか調べて欲しい』
まあ……概ねがそんな内容だった。
文調も文字も丁寧だが、どうにも令嬢の穏やかでない心情が伝わってくるようで。手紙を終いまで読んだエドガーは、どうしたものかと顎に指をかける。
手紙から今にも溢れ出てきそうなラーラの悲嘆にはエドガーも同情を感じるが……しかし内容には疑問が湧いた。
「……ヘルムートが女に惑わされている……? これまで麗しのご令嬢たちを散々袖にしてきた妹馬鹿が?」
そんなことがあるだろうかと考えながら、エドガーは傍らに控える壮年の執事に手紙を渡す。
天真爛漫なラーラが嘘をついているとは考え難い、が……友人が、彼女以外の娘に目を向けているということもにわかには信じ難い。
彼が学徒として同じ時間を共有した友ヘルムートは、容貌も家柄もよく、おまけに堅実な性格とあって、女性たちにも将来の夫候補として人気があった。
しかし、その男は極端なまでに弟妹たちを大事にしていて、彼女らの世話をすることに情熱を燃やし、その時間を削ってまで色恋などしたくはないという人物。
それを知っているからこそエドガーは懐疑的であり……そして同時に、大いに興味をかき立てられた。
「もしこれが本当だとしたら、確かに相手が気になるな……」
どこかワクワクと声を弾ませる青年に。しかし彼に手紙を渡された執事は顔をしかめている。どうやら執事は、エドガーとは違うところが気になったらしい。
「ん? どうした?」
「いえ……つまり……ヘルムート様のお相手は、こちらが紹介した御令嬢ではないと……。エドガー様、これは少々問題なのでは?」
執事の口調は厳しかった。
今回の滞在中、ヘルムートはアーべライン家の紹介した女性と見合いをしている。
エドガーたちとしては、ヘルムートの父に頼まれて縁談を用意したのに。当の令息がその令嬢を軽くあしらっておいて、密かに別の女性入れ込んでいるとしたら。アーべライン家は顔を潰されたも同然だ。
……が、エドガーはひょいと肩をすくめる。
「いや、それはいい。そもそもあの縁談は侯爵の頼みで、ヘルムートのやつが乗り気でないことは、はなから分かっていた」
それはわかっていたが。ヘルムートの父が、『あやつに妹離れさせなければ、変な噂もたつし、ハンナバルト家の将来は暗い!』とあまりにも悲痛な顔で泣きついてくるもので。エドガーも、彼の父も。仕方なしに侯爵に手を貸したのだ。
「ま、しかし当然うまく行かぬだろうとは思っていた、が……あいつに、別の女ねえ……」
エドガーは執事の手から便箋を取り戻すと、それを眺めてくすりと笑う。
「あの“世界一可愛いラーラ”を差し置いて、ヘルムートが恋愛……」
もちろんそう妹を称したのは、かのシスコン兄。
エドガーは、ニンマリ口の端を持ち上げた。その表情を見て、執事は嫌な予感を覚える。
「……エドガー様……おやめください。悪い顔をなさっていますよ……」
「興味あるね、それはいったいどんな美女だろうか! もしくは一途なヘルムートを惑わすような手管を使う小悪魔? どうやらラーラは後者だと思っているようだが……!」
エドガーは、明らかにこのシスコンブラコン兄妹に訪れた事態を面白がっている。
まったくこの男とハンナバルト家の嫡男の友人関係は奇妙で。
妹以外の女には興味はないといいたげに振る舞っていたヘルムートに対し、エドガーは生粋の女好き。
その昔、彼はラーラにも手を出そうとして、ヘルムートにこっぴどく撃退された。が、しかしエドガーはちっともめげず、その自分を容赦なく退けたシスコン兄と友人関係を続けている。
どうにもエドガーは人に対し、あくなき好奇心を持つタイプらしく。ラーラへの女性としての興味より、彼女たちの特殊な兄妹関係のほうに興味をそそられたらしかった。
そんな彼が、あの愉快な兄妹の間に現れた新たな登場人物に興味を持たないわけがない。
エドガーはふっと笑う。
「ラーラの手紙は言葉は丁寧だが、明らかに、その新たな登場人物に敵意があるぞ」
断言した男は見るからにワクワクしていて。どこか意地の悪い色をした瞳はちょっかい出す気が満々。そんな令息に……執事は呆れ顔。
「エドガー様……」
「ラーラにも頼み込まれたことだし、これはちょっとお相手を調査してみるか……!」
そう言って。エドガーは楽しそうに椅子を立ち、軽い足取りで書斎を出ていった。
その後ろ姿に執事は深々とため息をつく。
シュロスメリッサの最奥に、堂々構えられた屋敷アーべライン家の書斎では、ある手紙を手にした青年が眉間のしわを深くしていた。
明るい小麦色の髪のかかる輪郭は青年らしく精悍だが、すみれ色の瞳はぱっちりと丸く、どことなく人懐っこさを感じる顔立ち。
彼はヘルムートの友人エドガー・アーべライン。
手にした手紙はハンナバルト家のヴィムから受け取ったもので、差出人はラーラ・ハンナバルト。
折り畳まれた薄い桜色の便箋を開くと、そこには丁寧な言葉で、兄に対する心配がみっちり並んでいた。
それを見たエドガーは、思わず苦笑い。
あのシスコン兄ありて、このブラコン妹ありである。
『兄が自分の誕生日にも家に戻らなかった。こんなことは初めてで戸惑っている』
『兄はどうやらそちらで、ある女性に引き留められているらしい』
『私が大変な時なのに……』
『相手は庶民の方らしいと聞きました。兄はそちらで家格のあった女性と見合いするはずだったのにいったいどうなっているのでしょう?』
『でも家族想いの兄がそんなことをするはずない。きっとその女性に無理に引き留められているに違いない』
『兄が心配でたまりませんが、あいにく私は今王都を離れられません。兄に家族を蔑ろにさせるなんて、相手の女がどんな人物なのか調べて欲しい』
まあ……概ねがそんな内容だった。
文調も文字も丁寧だが、どうにも令嬢の穏やかでない心情が伝わってくるようで。手紙を終いまで読んだエドガーは、どうしたものかと顎に指をかける。
手紙から今にも溢れ出てきそうなラーラの悲嘆にはエドガーも同情を感じるが……しかし内容には疑問が湧いた。
「……ヘルムートが女に惑わされている……? これまで麗しのご令嬢たちを散々袖にしてきた妹馬鹿が?」
そんなことがあるだろうかと考えながら、エドガーは傍らに控える壮年の執事に手紙を渡す。
天真爛漫なラーラが嘘をついているとは考え難い、が……友人が、彼女以外の娘に目を向けているということもにわかには信じ難い。
彼が学徒として同じ時間を共有した友ヘルムートは、容貌も家柄もよく、おまけに堅実な性格とあって、女性たちにも将来の夫候補として人気があった。
しかし、その男は極端なまでに弟妹たちを大事にしていて、彼女らの世話をすることに情熱を燃やし、その時間を削ってまで色恋などしたくはないという人物。
それを知っているからこそエドガーは懐疑的であり……そして同時に、大いに興味をかき立てられた。
「もしこれが本当だとしたら、確かに相手が気になるな……」
どこかワクワクと声を弾ませる青年に。しかし彼に手紙を渡された執事は顔をしかめている。どうやら執事は、エドガーとは違うところが気になったらしい。
「ん? どうした?」
「いえ……つまり……ヘルムート様のお相手は、こちらが紹介した御令嬢ではないと……。エドガー様、これは少々問題なのでは?」
執事の口調は厳しかった。
今回の滞在中、ヘルムートはアーべライン家の紹介した女性と見合いをしている。
エドガーたちとしては、ヘルムートの父に頼まれて縁談を用意したのに。当の令息がその令嬢を軽くあしらっておいて、密かに別の女性入れ込んでいるとしたら。アーべライン家は顔を潰されたも同然だ。
……が、エドガーはひょいと肩をすくめる。
「いや、それはいい。そもそもあの縁談は侯爵の頼みで、ヘルムートのやつが乗り気でないことは、はなから分かっていた」
それはわかっていたが。ヘルムートの父が、『あやつに妹離れさせなければ、変な噂もたつし、ハンナバルト家の将来は暗い!』とあまりにも悲痛な顔で泣きついてくるもので。エドガーも、彼の父も。仕方なしに侯爵に手を貸したのだ。
「ま、しかし当然うまく行かぬだろうとは思っていた、が……あいつに、別の女ねえ……」
エドガーは執事の手から便箋を取り戻すと、それを眺めてくすりと笑う。
「あの“世界一可愛いラーラ”を差し置いて、ヘルムートが恋愛……」
もちろんそう妹を称したのは、かのシスコン兄。
エドガーは、ニンマリ口の端を持ち上げた。その表情を見て、執事は嫌な予感を覚える。
「……エドガー様……おやめください。悪い顔をなさっていますよ……」
「興味あるね、それはいったいどんな美女だろうか! もしくは一途なヘルムートを惑わすような手管を使う小悪魔? どうやらラーラは後者だと思っているようだが……!」
エドガーは、明らかにこのシスコンブラコン兄妹に訪れた事態を面白がっている。
まったくこの男とハンナバルト家の嫡男の友人関係は奇妙で。
妹以外の女には興味はないといいたげに振る舞っていたヘルムートに対し、エドガーは生粋の女好き。
その昔、彼はラーラにも手を出そうとして、ヘルムートにこっぴどく撃退された。が、しかしエドガーはちっともめげず、その自分を容赦なく退けたシスコン兄と友人関係を続けている。
どうにもエドガーは人に対し、あくなき好奇心を持つタイプらしく。ラーラへの女性としての興味より、彼女たちの特殊な兄妹関係のほうに興味をそそられたらしかった。
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エドガーはふっと笑う。
「ラーラの手紙は言葉は丁寧だが、明らかに、その新たな登場人物に敵意があるぞ」
断言した男は見るからにワクワクしていて。どこか意地の悪い色をした瞳はちょっかい出す気が満々。そんな令息に……執事は呆れ顔。
「エドガー様……」
「ラーラにも頼み込まれたことだし、これはちょっとお相手を調査してみるか……!」
そう言って。エドガーは楽しそうに椅子を立ち、軽い足取りで書斎を出ていった。
その後ろ姿に執事は深々とため息をつく。
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