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しおりを挟む柔らかそうな白い毛並みに誘われ、恐る恐ると伸ばされた手のひらを。その聡い生き物はけして見逃しはしなかった。
次の瞬間、ヘルムートは棚の上で丸くなっていたユキにまんまとガブリとやられて。
青年は、白い獣に指を噛まれたまま、固まった。
「…………」
そのおかしな沈黙に、作業机で仕事をしていたグステルが(あれ?)と顔をあげる。
「ん……? あ⁉︎ ちょ! ヘルムート様⁉︎ こ、こらユキ!」
見るとユキに指を噛まれたヘルムートは、無言のまま指を自分のほうに引き戻そうとするでもなく、抵抗するでもなく、そのままの姿で立ち尽くしている。
ぬいぐるみの洋服を縫っていたグステルは、慌てて針と糸を置いて彼らの元へ駆け寄った。
「ちょ、離しなさいユキ!」
ヘルムートの指先に牙を立てたまま据わった目で彼を睨みつけている愛猫の口をなんとか開けさせると。ユキは彼女に叱られる前にさっさと自宅のほうへ逃亡。
指を突き出したまま無言で固まっていたヘルムートは少し残念そうな顔をした。
「な、なんで噛まれるのがわかっているのに何回も手を出すんですか⁉︎ あとちょっとは抵抗してください!」
もう何度目かになるこのやりとりに、グステルは(まったくこの子は……!)という顔でヘルムートの指を見る。
そこには赤く痛々しい歯形。それを見たグステルはげっそりした。
けれども当の本人は、傷を痛がるわけでもなく、小さくすみませんと言う。
「可愛らしいのでつい……彼と仲良くなりたいのですが……どうにも私は昔から動物には嫌われる性質でして……ああ大丈夫です、噛まれるのには慣れています。実は当家にもたくさん動物がいるのです。自分でも世話をしていて……が、猫も犬も満足に撫でられた試しがありません……なぜなんでしょうね?」
不思議そうに問われ、グステルは困ってしまった。
青年の顔には諦めが滲み、口調はとても淡々としている。
だがそれでもやはりどこかに落胆が感じられて。グステルは、なんともいえない微妙な心持ちになる。
見たところ、彼は普段は物静かで、荒々しく動くわけでもない。ユキに対しても、過剰にかまおうとしていたわけではなく、たまにソワソワと触りたそうにしていて……今ならいけるか? というタイミングで手を伸ばしては、案の定噛まれる……という繰り返し。おそらく彼の家でもこんな調子なのだろう。
ユキの飼い主のグステルにも、なぜ愛猫があんなに彼を嫌うのかがよくわからない。
動物を愛していながら、謎に嫌われるというのはなんだかとても気の毒な気がした。
「……とにかく、傷口を洗っておきましょうか……」
不憫さに負けて、グステルは彼を自宅のほうへ招き入れる。
もうあまりそのことに抵抗はなくなってしまっていた。
あれから数日、彼は相変わらずここへ日参している。
しかし彼は彼女に“グステル・メントライン”であることを押し付けるでも、実家に戻れとも言わず、日ながここで過ごしては、たわいのない世間話をしたり、グステルの手伝いをしたがったり、彼女の作業を見学したり。
そのようなゆるゆるとした時間を過ごしている。
この状況に、初めは恐々としていつ逃げ出そうかと考えていたグステルだったが……。彼女の特異な状況を知った彼からの要求はただ一つ。
“グステルが、ここにいること”
そうしてくれるのなら、彼女が自分で家出したことも、彼女が公爵家の娘であることも周りには伏せ、父親にも連絡などしない、他言もしないと約束してくれた。
その申し出にはグステルはとても戸惑った。その要求には、彼にはなんのメリットもない気がした。だが、もし本当に彼がそうしてくれるのならば、彼女はここで手に入れた生活を手放すこともなく、今まで通りに暮らすことができる。
それで不審に思いつつも、グステルは彼の提案を受け入れた。
──あの謎の求婚も、あれ以降は何も触れられてはいない。
この平穏さには……当初は、天敵たる彼の言葉には裏があるのでは? 企みがあるのではと恐ろしかったグステルも次第に状況に慣れてきて、今に至る。
その間に、彼がユキに噛まれた回数はもう七度目。
そのたび彼がどこか哀愁を漂わせるもので……グステルは愛猫の所業に申し訳なく思う気持ちも手伝って、なんだかとても放って置けない気持ちにさせられるのだった。
グステルは疑問に思った。
(……なんだか……私、絆されてない……?)
しかしなんというか……彼は彼女の運命の天敵とは思えぬほどに行動が健気なのである。
開店と同時にやってきてはグステルの顔を見て嬉しそうな顔をする。
土産はやめてといえばやめてくれて、『今日は忙しいから』と断ると、素直に『わかりました』と応じてくれる。……が、彼が去ったあとにグステルが窓からこっそり様子を窺うと、立ち去る彼の背中はガッカリとまるめられている……。
その侘しい様子にはさすがのグステルも罪悪感に苛まれてしまい……。
次の日には仕方なく店に招き入れると、今度は侯爵家の嫡男とは思えぬほどに甲斐甲斐しく彼女の世話を焼こうとするのだ。
『お茶を飲みませんか? 買ってきましょうか? あ、荷物運びなら私が……ついでにこれも片付けましょうか?』
せっせと関わり合いになろうとする様子は、ともすれば鬱陶しくも感じられそうだが。
彼はしっかり空気をよんで、グステルが集中したい時、邪魔になりそうな時はきちんと静かにしてくれる。
なんというか……さすが永年妹を溺愛しているお兄様である。
とても女性の手助けに慣れている感が甚しく、いても不思議と邪魔に感じない。それどころか、頼もしさすら感じることがあって……。
そこに健気さと年下(※グステル体感。実際は年上)であることが加わると。
初めは彼に怯えていたグステルも、この状況に戸惑いつつ、だんだん頑なだった心が和らいでしまってきている自分に気がついた。
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