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しおりを挟む「見ての通り、私はあなたよりいくつも年上なのですが」
じっと音が聞こえそうな視線に押され、グステルは、「ええと……」と、もらす。
「……ですから……私は転生者で……」
精神的な年齢が、と、また説明するか迷って、言葉を切る。
つい先ほども、彼には『前世の年齢を実年齢に足すのは無意味』というようなことを言われたばかり。
しかし、今度の問いは、どうやら彼がいいたいのはそのようなことではないらしい。咎めるような、すねたような視線で見つめられたグステルは、戸惑いを深めた。
(でも……確かに……前世云々は私の事情だし……もうとっくに成人した男の子に、『お坊ちゃま』はなかった……かもしれない……)
しかし、これまで自分の中で年下とみなしてきた二十代半ばの青年を、今更年上扱いするとなると……ちょっとした意識改革が必要だった。
おまけに彼からはたった今、謎の求婚を受けたあと。
そこへきて彼を名前を呼ぶなんてことは、自分から距離をつめに行くようで抵抗があった。
だがグステルも、相手に嫌がられてまで彼を子供のように呼びたいわけではない。
と、ここでヘルムートを見上げていたグステルがフッと口の端を持ち上げて笑う。
(──大丈夫、商売人の私にはまだ手がある──……)
そして笑顔を顔に張り付かせ、意気揚々と言った。
「申し訳ありません! 大変失礼いたしました、お客さ──!」
ま、と呼びかけようとして。
しかし、その瞬間のヘルムートの落胆には、呼びかけたほうのグステルがびっくりした。
青紫の瞳は床に落ち、両方の肩もしゅんと下がる。
「⁉︎ そ、そんなに⁉︎ そんなにですかお坊ちゃま⁉︎」
「……そのようにお呼びになるのなら、今日は買い物はしません。ですから私は客ではありません……」
ふいっと斜め下に目を逸らした貴公子の横顔に、グステルは目を丸くする。
『坊ちゃま』と子供のように呼ぶなといっておきながら──まるで子供が駄々をこねているように見えるのは気のせいか──……なんてことを思って彼を見ていると。
思いがけず彼女の胸の奥に、むくむくと笑いたい気持ちが膨らんできた。
(…………ぷっ)
堪えきれず、グステルがつい笑う。
ずっと感じていた警戒心が少しだけ和らいで、心のガードが僅かに下がった瞬間だった。
まるで、暗闇で怯えていた腕の中に、思いがけずぴょんとかわいい小鹿でもとび込んできたかのような……そんな驚きがあった。
しかしグステルは、その笑いをなんとか外には漏らさずに治めた。
目の前で拗ねたようにそっぽを向いた青年は、年下扱いを不服としているらしい。ならば、このにやけ顔は見せないほうが良さそうだ。
と、ここでグステルはハッと我に返る。
(だ、駄目よグステル! この人が誰だかわかっているの⁉︎ あのラーラのお兄様なのよ! 天敵よ!)
警戒を怠ってはならないと自分を叱咤するが、それでも一度和らいでしまった気持ちはなかなか元には戻らなかった。
幸い青年は彼女から目を逸らせていたところで、彼女の笑いには気が付かなかった様子。
グステルは、手のひらで緩む口元を隠しながら、「えーと……」と続ける。
「お客様、が、駄目なのでしたら……なんと……、……旦那様?」
少し考えて、グステルはヘルムートをそう呼んで彼の顔色を窺った。
時に平民は貴族男性をそのように呼んだりもする。
それでどうですか? と、ついあやすような気持ちで尋ねると、どうやらその子供扱いに、青年のほうでも何か感じるものがあったのだろう。やっとこちらを見たヘルムートはピクリと眉を持ち上げて、やや目を細め、薄く笑う。どこか意地の悪そうな顔である。
「──おや。いいですね、私はあなたの“旦那”つまり夫になってもよろしいという、求婚へのお返事でしょうか?」
「……ヘルムート様……」
にっこり微笑まれたグステルは、観念してその名を呼んだ。
正直、(なんだそのこじつけは……)と、大いに呆れていたが……。
彼の名を口にした途端、意地の悪そうな目をしていた彼が、弾けるようにくすぐったそうに笑ったのを見てしまい、グステルはついに諦めた。
(……ま……いいか……名前くらい……)
何がそんなに嬉しいのか知らないが……名前を呼ぶくらいならタダである。
げっそりしてそう思ったグステルは、しかし青年に釘を刺すのは忘れなかった。
「……私、求婚とかは受け入れてませんのであしからず」
できるだけ冷たくそう言ったつもりだが。その答えに青年は肩をすくめ「それは残念です」と笑うだけ。
さっぱりこたえた様子のない表情を見たグステルは、ますます彼がわからない。
(……やっぱり……この子、宇宙人みたいだわ……)
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