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しおりを挟むとはいえ彼はお客様。
変な詮索や干渉はせずにおこうと心の中で思って。
グステルは、そっとお客の様子をうかがった。
彼が商品を見たいだけなのか、それとも店主であるグステルに用でもあるのか。それを知りたいと思ってのことだったが……。
そんなグステルの前に、青年は背筋を伸ばして進み出てきた。
彼は自分の胸に手を当て、グステルに向けてゆったりとお辞儀をする。
洗練された一礼。いかにもしっかりと教育された人という感じがして、グステルの胸の中には一瞬苦い記憶が蘇る。
「あの、私はヘルムート・ハンナバルトと申します」
「……ハンナ……バルト……様?」
“ヘルムート”という名前には聞き覚えがなかった。だが、その家名には何かひっかかりを覚えた。
(どこかで……)
心の中で首を捻っていると、それを見透かしたように男は続ける。
「お聞き覚えはありますか? それはそうでしょう──グステル・メントライン嬢」
微笑みながら言われて、グステルがえっと息を呑んだ。
一瞬にして、全身がこわばっていた。
それは、まごうことなき彼女の名。
しかし、彼女はもう九年もその名で呼ばれたことはなかった。
一気に心の中に警戒心が湧いてきて、瞳を見開き青年を見た。
「今──なんと……、いったいなぜ……」
彼女はこの界隈で“ステラ”と名乗っている。
誰にも本名を打ち明けたりしていないし、ましてや家名など、絶対に誰にも漏らしてはいない自信があった。
──それなのに……と、思ってから、ハッとして口をつぐむ。
認めるような反応を見せてはいけない。
ここでそれを認めては、ここまでのすべての苦労が水の泡になってしまう。
グステルは、表情を整え直して、素知らぬふりで対峙する青年に微笑みかけた。
「お客様、いったいなぜそのような聞き覚えのない名前で私をお呼びになるのでしょう。どなたかとお間違えかと」
余裕を見せるようにあえてにっこり微笑むと、青年が怪訝そうな顔をした。
明らかに、疑われている。
グステルは、先ほど一瞬彼に見せてしまった己の戸惑いを悔いた。
(やってしまった……だってまさか……。もうずっと平穏だったから、油断してた……)
実家を出て、もう九年。
さすがに強欲な父も、とっくに諦めてくれているかと思っていた。
しかし、今は後悔している場合ではない。
ここは、なんとしてでも誤魔化さなければならない。
グステルにとって、“メントライン”は、自分が生きるために捨てた家名。
今更そこに戻されるわけにはいかないのである。
そもそも、この男性客は誰なのだろうとグステル。
端正な顔にはまったく見覚えがない。
それなのになぜ、この見知らぬ青年は、ここに、そのグステルが呼ばれたくない名前を聞かせに現れたのか。
そう考え込んで、“物語”のことを思い出そうとして──そこでグステルはハッとした。
──ハンナバルト。
聞き覚えのあるその家名を、どこで知ったのかを思い出した。
途端、グステルの顔から血の気が引いた。いきなり顔面に冷や水を浴びせられたようなショックだった。
(ハンナバルト……そうだわ……ラーラ・ハンナバルト……! 彼、ヒロインラーラと同じ家名なんだわ……)
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