偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

文字の大きさ
上 下
32 / 94
二章

21 ありさま ②

しおりを挟む
 アデリナは、険しい顔のまま「まずお前の執務室の惨状を見ます」と言いさっさと中央棟の方へ歩いていった。

「お前の様子を旦那様に報告しなければなりませんからね」
「……」

 「応接室へ」と言う提案を切り捨てられたヴォルデマーは、ウラに先にそちらへ行くよう伝えると、疲れたように母の後を追った。
 アデリナは周囲に厳しい目を光らせながら中央棟内部を進んで行く。出会った隊士達は、その眼光鋭い奥方がヴォルデマーを引き連れて歩いて来る様子を見ると、ギョッとした様に足を止め次々に敬礼していった。

「……」

 ヴォルデマーは無表情だったが、心の中では相当げっそりしていた。
 本当なら今すぐにでも、その元に駆け付けていきたい相手がいるというのに拘束される我が身が呪わしかった。しかし現状で母を放置する事はかなり危険な行為である。
 この厳格な母が、この砦を訪れる度に彼の執務室やその仕事ぶりを視察していくのは毎度の事で。母親ならば息子の暮らしぶりが気になっても当たり前の事かもしれないが、毎回、砦の荒れ具合やヴォルデマーの執務室の様子を見ては、“当家の息子に相応しくない”だの、“邸に戻って身を固めろ”だのなんだのと叱責を残して行く。
 要するに彼女はヴォルデマーをさっさと手元に戻したいのだ。その為の粗探し行為は毎度重箱の隅を突くように細かい。その害が己に留まるのならまだしも、それはいつでも隊士から使用人にまで類が及ぶ。彼はそれがとても苦痛だった。
 しかも今回は彼の婚姻問題が関わってきているだけに厄介だ。おまけにヴォルデマーは昨日から姿を見せないミリヤムが気掛かりで、仕事があまり手についてない。
 今、母が彼の執務室を見れば、彼女は容易くヴォルデマーが仕事を滞らせている事を見抜くだろう。その母が冷たく「女に現を抜かして」と言い出すのは想像だに難くない。そしてその叱責は勿論ミリヤム自身にも及ぶのだ。

「……」

 既に正門で、準備も予備知識もなしに母に出会ってしまった娘のことを思うとヴォルデマーは心中穏やかではいられなかった。
 
「……母上、やはり先に茶でもお召しになられよ」
 
 ヴォルデマーは廊下の途中で母を引き止めた。勿論その間に多少仕事を整理するつもりで。
 しかしアデリナはヴォルデマーに疑わしそうな目線を寄越す。

「それは母に何か隠さねばならないことがあるという事ですか……?」
「……」

 ヴォルデマーは無表情で返したが、それが通用する母ではなかった。何せ彼女はヴォルデマーの母親だ。この世で一番ヴォルデマーの表情を読む事に長けている。
 息子の顔を見た母はなんと嘆かわしい、と眉間に皺を寄せる。

「いつでも正々堂々、毅然としていたお前が……まさか部屋に女をのさばらせているんじゃないでしょうね……」
「その様な事実はありません」

 ヴォルデマーはきっぱりと否定した。しかし、アデリナは疑惑の目を消さなかった。
 
「お前……ルカス・トラウトナーという者を知っていますか」
「トラウトナー……?」

 母が唐突に出してきた名にヴォルデマーが瞬いた。
 フロリアンの傍に控えるその青年騎士は、ここ最近彼を見ると敵意を隠そうともしない。

「……その者が邸に手紙を寄越したのです。砦長が人族の娘をかどわかしていると」
「かどわかす……」

 その言葉にヴォルデマーが表情を崩す。

「ええ。そう書いてありましたよ。親が勧める婚約話がありながら、実現性の低い約束で身分の低い娘を惑わすような行いは長として如何なものかと」

 じろりと睨まれてヴォルデマーは押し黙る。その心の中で、それ故か、とヴォルデマーは母が突然砦を訪れた理由を理解した。この抜き打ちのような訪問はその真偽をはかる為のものなのだ。ミリヤムの名や人族であるという情報もそこからもたらされたに違いない。
 ヴォルデマーは頭痛を感じて僅かに頭を下げる。
 ルカスの立場を考えれば、彼がミリヤムの相手としてヴォルデマーよりもフロリアンを選ぶのはもっともだ。しかし、やってくれる、とヴォルデマーはため息をつく。
 アデリナはそんな息子に冷めた目線を送り続けている。
 
「この様な無礼な手紙は信じたくありませんでしたが、お前も手紙を寄越し、他に相手がいるといってウラとの婚約を拒否しました。これでは私が出向かぬ訳にはいかぬではありませんか」
「……そうですね、母上のお立場を考えればそうでしょう」
「邸はお前とウラの恋仲の報せを聞いて非常に喜び沸き立っていました。其処へこの手紙……旦那様がどんなにお怒りか……」
「……」

 勝手に勘違いをしたのは其方だと言いたかったが、それが通用する母でないことはヴォルデマーも身に染みて分っていた。

「兎も角、私は母として、一族の為お前を正さねばなりません。その為には、まずお前の現状をありのままに知る必要があります」

 アデリナはそう言うと再び強い足取りで廊下を進み始めた。その先にあるのは勿論ヴォルデマーの執務室だ。その隣には彼の寝床である私室もある。
 彼女は辿り着いたその扉に手を掛けて、息子へ尚も厳しい視線を送る。

「私も旦那様へ虚偽の報告をするわけにはいきません。中に女の持ち物のひとつでもあれば許しませんからね……」

 いいですね開けますよ、と、己を睨みつける母に、ヴォルデマーはもう一度ため息をついた。どうやら母は、彼が色狂いしているのかとでも懸念しているらしかった。

「……散らかっているだけですよ……」

 仕方無しにヴォルデマーは不承不承頷いた。そもそも執務室にミリヤムの物などありはしない。あるのは己が積み上げた書類や報告書の類ばかり。
 あるとすればミリヤムに与えた隣の部屋だが、物置だった其処を母が検めたことは過去一度もない。念のため、直ぐにイグナーツに鍵をかけさせるか……とヴォルデマーは頭痛のする頭を押さえた。歴々の砦長夫人達が使っていたその部屋を彼女に与えた事を母が知れば、母が余計目くじらを立てることは目に見えている。知られるのは時間の問題だろうが、出来ればその前に母を説得しておきたい。
 げっそりしているヴォルデマーの前でアデリナは彼の執務室の中へ入って行った。その表情は咎人の罪の証を探そうと躍起になっているかのようにも見える。ヴォルデマーは思った。これをどうやって説得したら良いのだろうか。

「はあ……」
「……まあ……っ」

 己がため息するのと同時に室内からは母の息を呑む声が聞こえて。廊下でそれを聞いたヴォルデマーは遅れて重い足を動かした。

「…………やれやれ……」
 
 彼女の叱責は昔から非常に長く、冷徹だ。せめてどうにかそれからミリヤムを逃がす術はないかと考えながら部屋へ踏み込む。と──

「…………?」

 その異変に気がついて、ヴォルデマーは怪訝に足を止める。
 部屋の奥ではアデリナがしげしげと辺りを見回していて、それから入室してきた息子に顔を向けた。
 
「あらまあ……女にうつつを抜かしてどんな無残な様子かと思ったら……」

 それは満面の笑みだった。

「……これは……」

 ヴォルデマーは思わず呟く。
 机の上では、書類達が端を揃えられ行儀よく積まれている。それでいてやりかけた仕事の書類は分類されて分りやすいように並んでいる。細々した道具達も定位置に綺麗に収まり、そればかりか卓上は磨かれたのか、日の光を浴びて曇りなく輝いていた。
 机から零れ落ちたものが散乱していた筈の床の上も、全てが拾われて整えられて、そこには塵一つ落ちていない。壁際の棚も背表紙が揃えられ整頓されていたし、室内の空気も入れ替えられたのか澄んでいた。
 そこにあったのは──清潔に整頓された己の執務室の姿だった。彼が部屋を出た時の荒れた部屋は影も形もない。

「……」

 立ち尽くしていると、さっさと隣にある彼の私室を検めに行っていたアデリナが戻ってくる。

「なかなか綺麗にしてるではないの。堕落した様子もないし、女の荷物もない様ね……何故隠すのこの子ったら」

 アデリナは肩透かしをくらった様に傍に置かれた長椅子に腰を下ろす。
 彼女が開け放したままにした私室への扉の方へ目をやると、其方も整然と片付けられているのが目に入る。

「……」
「……それにしてもお前の部屋がこんなに整頓されているのを見るのは久々ね。気分がいいわ」

 少し満足そうな表情を浮かべた母を前に、ヴォルデマーはこれはどうした事だろうと考えていた。
 先刻イグナーツからの母到着の報せを受けた時、彼が部屋を出た時は、確かにこの部屋の有様は我ながら乱雑だった。アデリナが今座るその長椅子ですら彼の仕事道具が一杯に乗せられていて、とても誰かが座れる状態ではなかったのだが……
 しかし驚きながらもヴォルデマーは気がついた。其処此処に残る真新しい香りが一体誰のものなのか。
 それは今、彼が一番傍に感じたい香りで、一番恋しい香りだった。

「…………」

 驚異的だと思った。
 彼が部屋を出てから此処に母を連れて戻ってくるまでの時間は幾らもなかったはずだ。その短時間であの荒れ放題の部屋をここまで整頓する能力はヴォルデマーには無いものだ。おまけにアデリナは正門で彼女と会ったと言っていた。それでは彼女は母に出会って真っ先に、自分の事を慮ってくれたのだ。

「……」
「どうかしたのヴォルデマー?」

 無言になったヴォルデマーにアデリナが不思議そうな顔で首を傾けている。
 黒い毛並みの大柄な彼女の次男坊は、それまで彼女が目にした事がない程に柔らかで優しい目をしていた。



しおりを挟む
お読み頂き有難うございます(*^^*)後日談、「偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい。後日談」も現在更新中です。よろしくお願いいたします♪
感想 151

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。