偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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二章

21 ありさま ①

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「ヴォルデマー様の……?」

 目を見開いたミリヤムは身体を後ろに引いて固まった。狼の顔の貴婦人は厳格に背筋を正したまま、ミリヤムを静かに見下ろしている。
 ミリヤムは困惑の下で色んな事を考えて──
 ハッとした。

「……まずい……!」

 焦りだしたミリヤムにウラが顔を顰める。

「そんなの今更……」

 なんでよりによって、今このタイミングで此処をこんなに荒らしたのだと、敵ながらなんて間の悪い子だろうとウラが思った時──ミリヤムは数歩後ずさって、そして唐突に駆け出した。

「ちょ、何処へ行くのよ!!」
「……」

 逃げ去ろうとするミリヤムに、ウラが驚いたように声を上げる。するとそれを耳にした娘はあわあわと身を返し、貴婦人らに向かって深々と頭を下げ──そして再び一目散に走って行った。
 ウラは唖然としている。
 
「なんて子なの……アデリナ様へのご挨拶の途中で逃げ出すなんて……」

 ウラとしては逃げるなら見つかる前にして欲しかった。この毅然とした貴婦人は、ヴォルデマーの母という以前に、また、彼女の夫が国から預かる辺境伯という身分以上に、自分達人狼にとっては大きな力のある権力者なのだ。見つかってしまったのならば、せめてヴォルデマーの下で働く者として礼を尽くさねば話にならない。
 ウラはヴォルデマーに恥をかかせる様な事を、と牙を剥く。
 そんなウラにアデリナが冷静な声をかけた。

「……よい、つまりそういう娘という事でしょう」
「アデリナ様……」

 アデリナは冷たい視線でミリヤムが残していった散乱した荷物の有様を眺める。
 行き交う門番達も彼女らの出迎えにかかりきりで、とてもそれらを片付ける余裕はないようだった。せめてもの救いはそれらの大半が端の方に寄せられていることだが、それでもそこに有るべきでないもの達が、そこに放置されているのにはかわりがない。

「……情けない。我が息子は女を見る目がまったく養われておらぬ」

 やはり私がどうにかしてやらねば、とアデリナはため息混じりに首を振った。その横でウラが何かに気がついた。

「あ……アデリナ様、いらっしゃいました」
「おや……」

 ウラの声にアデリナが顔を上げると、建物の方から幾名かの隊士を連れた黒い毛並みの人狼がこちらへ向かってくるのが目に入った。表情の乏しいその男の眉間には、くっきりと縦皺が走っている。それを見たアデリナは小さく笑う。

「……母上」
「久しいですね、ヴォルデマー。息災でしたか」
「……ええ。母上もお元気そうで何よりです。しかし、先触れもなく御出でになるとは……どの様なご用件でしょうか」

 探るような低い声音にアデリナが鼻で笑う。
 
「その様な意味の無い問いはおやめなさい。ウラを連れた私を見て分らぬはずがないでしょう」

 アデリナの言葉にヴォルデマーが僅かに片眉を上げる。
 彼女はそんな息子に微笑みかけた。

「お前……母の手紙を無視しましたね……? 婚約式を行なうから戻れと報せたのに、何故戻らなかったの?」
「それにつきましては、きちんと戻らぬと返事を送らせて頂きましたが」
「そんな事を言い続けてお前は一体いつまで独り身でいるつもりなのですか? もう母はお前の為に気を揉むのに飽き飽きです。さっさと“相応”な娘を娶りなさい。それが我が家に生まれたお前の宿命です」

 そう言いながらさりげなくウラに視線をやるアデリナに、ヴォルデマーは小さく頷く。

「独り身でいる気はありません。婚約せよというのならそう致しましょう」
「まあ、ヴォルデマー……」

 一瞬喜色を浮かべた母親に、ヴォルデマーは「ただし、」と続ける。

「ミリヤム・ミュラー」
「!?」

 その台詞にアデリナは緩めかけた頬を、さっと強張らせる。ヴォルデマーは平然とその顔を見下ろした。

「その者とでなければ致しません」
「……」

 きっぱりと言い切る息子にアデリナは、彼の頑固さが健在である事を思い知る。昔から、然程こだわりがないくせに、一度こうと決めてしまうと梃子でも動かぬ性質だった。
 ただし、母たるアデリナもまた、頑固さでは群を抜く存在だ。要するに似た者親子である事は間違いない。
 品のある顔を少々歪めたアデリナは、苛立たしさを滲ませた声音で周囲を指差した。

「……馬鹿なことを……見て御覧なさい、この有様を」
「? 有様……?」

 雪の減った大地には其処此処で黒土が見え隠れしていて。その上には椅子やら隊士達の装備やら箒やら……様々な物が広げられている。見栄えがいいかと問われれば否と言わざるを得ないが、その雑然とした様子は男所帯のこのベアエールデにおいては珍しくもない。たとえば訪問したのが他の客ならば彼も気にしたかもしれないが、相手は身内である。
 ヴォルデマーは母の言いたいことが分からなかった。

「これが何か? 我が執務室よりは片付いておりますが」

 そう言ってやるとアデリナの米神が嫌そうにぴくりと動く。似た者親子だが、何年もこのベアエールデで過ごすヴォルデマーと、ずっと美しい辺境伯邸で暮すアデリナとでは衛生観念にかなりの差があると言わざるを得ない。

「……これだから……砦勤めなどやめなさいと言ったのに……いいですか? これを放り出していったのは、お前が今、名を上げたその娘です!」

 アデリナの厳しい言葉にヴォルデマーが目を瞬く。

「……ミリヤム……、に、お会いになったのですか……?」

 ヴォルデマーが問い返すとアデリナはすっと目を細め頷いた。

「ええ。会いました。この砦に人族は珍しいですからね、すぐに分かりました」

 その言葉にヴォルデマーは、おや、と思う。何故母がミリヤムの事を知っているのだろうと。彼は邸に宛てた手紙に彼女のことを、ただ“他に想う人がいる”としか記していなかった。ヴォルデマーの婚姻問題は血統が絡むだけにそう簡単な問題ではない。家族には順を追って丁寧に説明していくつもりで、母はミリヤムが人族であるとも知らないはずだった。しかし先程ヴォルデマーの口からその名を聞いた時、母は明らかにその名を承知していたふうな様子を見せた。

「……?」

 怪訝に思うヴォルデマーの前で、夫人は話にならぬという様子で言葉を続ける。

「不潔な恰好をした人族の娘は私がお前の母だと聞くと、これを放り出してさっさと逃げ出しました。人狼でない以前に、礼儀も度胸もない。好いた者の母親にきちんと礼も尽くさぬとは……本当にお前を好いているのかも怪しい。私はあの者を好ましいとは思えません。お前の伴侶になんて到底認められるわけがないでしょう」
「……」

 母親の吐き捨てるような言葉に、ヴォルデマーは目を細める。
 注意深く探ると、成程確かに周囲には彼女の香りが残されている。辺りの様子からしてミリヤムが掃除中であったのだろうということは何となく分った。それで母とかち合うとは運の悪いことこの上ないが、しかし、彼女が掃除を放り出したままこの場を去っていったというのはらしくないと思った。
 昨日から彼女に会えていないだけに、不安が募ったヴォルデマーは遣る瀬無い気持ちで奥歯を噛み締める。ため息をついているとアデリナが彼を睨んでいた。

「聞いているのですかヴォルデマー……!」
「……母上が彼女を威嚇でもなさったのでは?」
「そんな事するわけないでしょう!」

 目をつり上げた母の姿にヴォルデマーは、よりにもよってどうしてこんな時に来るのだと更にため息を重ねる。
 しかし来てしまったものは仕方がない。ヴォルデマーは丁重に母を砦の方へ促した。兎に角中へお越し下さいと言いながら、その言葉の後ろに淡々と言葉を繋げる。

「まあ……彼女が私を本当に好いているのでないとしても、好かれるまでですから」
「……!?」

 端的に述べられた発言にアデリナが唖然と目を見開いている。しかしヴォルデマーはそんな母を放っておいて、彼女の背後でずっと黙っていた同族の娘に目をやった。

「ウラ殿もどうぞ中へ」
「……はい」
「母が振り回してしまって申し訳ない」

 ヴォルデマーが頭を下げると、ウラは勝気そうな口元を引き結んだ。

「……私は誇り高い人狼族として、今でも私の方がヴォルデマー様に相応しいと思っております。ですから参りました。私の意思で」

 ウラは毅然と言い切って。それから身を翻し、厳しい顔で砦の方へ向かったアデリナの後ろに続き、歩いて行った。

「……」

 ヴォルデマーは二人の背を眺めながら、思わず指先で額を押さえる。どう考えても一筋縄ではいかなそうな二人組みであった。



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