偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

文字の大きさ
上 下
27 / 94
二章

17 サラとカーヤは地獄耳

しおりを挟む
「……いいのかなあ……」

 少年隊士達の隊舎の廊下の奥の方。ひやりと冷たい窓硝子を磨いていたミリヤムは、ふと灰色の空に目を留めて呟いた。
 ヴォルデマーに結婚の申し込みを受けたのは一昨日の事。それからミリヤムはこうして一日に何度もそれを思い出しては、物思いにふけったり、照れ照れとにやけたり、呻いたりを繰り返していた。
 実は、ヴォルデマーへの求婚の返事はまだ出来ていなかった。
 あの求婚の直後──ヴォルデマーの言葉に驚いたミリヤムはしばし呼吸を忘れたような顔をしていた。
 ミリヤムは思った。これは夢か、だとしたらなんといい夢なんだろう、と。一瞬にして頭の中には、何処か明るい部屋で二人仲睦まじく食卓を囲む様子が思い浮かべられた。白いテーブルクロス、白い皿の上には温かな料理、湯気の立つ二つの茶器、柔らかに見つめてくれる金色の瞳。想像だけでもため息が落ちた。
 ミリヤムは幸せな気持ちになって、二つ返事でそれを了承しようとしたのだが──……その瞬間、隣で同じくぽかんとしていたルカスがハッと我に帰った。ルカスは慌ててミリヤムの口を塞ぐと「駄目だ!」と短く叫んだ。

「馬鹿! 無謀に突き進むな! 問題は何も解決していないだろう! それに坊ちゃまはどうするんだ!」
「も、もが……」
「……」
「申し訳ありませんが長様、実現可能な展望を示して下さい。それなくしてこいつをむざむざ送り出せません。現時点で貴方はフロリアン様の足元にも及ばない」
「もがー!!!」

 ルカスが棘のある口調でヴォルデマーを睨むと、ミリヤムが口を封じられたまま憤慨する。だがヴォルデマーは勿論だと頷いて見せた。

「貴殿らの懸念もよく分る。……必ず活路を見つけるゆえ待っていて欲しい」

 ヴォルデマーは優しい顔でミリヤムを見ていた。ミリヤムは口を塞がれ窒息しそうになりながらもヴォルデマーに向かって何度も首を縦に振って見せたのだった。



「……はあ」
 
 その光景を思い出したミリヤムの口からはまたため息が落ちる。

「……ミリーちゃんさっきからため息ばかりねえ、どうしたの?」
「あ、サラさん……」

 気がつくと傍にサラがやって来ていた。彼女の抱えた篭には沢山の洗い上がった洗濯物が詰まっている。ミリヤムは乗っていた木製の踏み台から飛び降りて、サラの腕からその篭を受け取り足元へ置く。

「洗濯物有難うございます。今日は膝の調子如何ですか?」
「少し痛むけど温かくなってきたから今日はましね。それで、ため息の原因はなあに?」
「あー……えっと……」

 相談してもいいのだろうか、とミリヤムが考えていると、にゅっと大柄な身体が二人に影をつくる。

「あれじゃないの? ヴォルデマー様の求婚」
「!!!???」
「ああ、それ?」

 サラは現れたカーヤの言葉に事も無げに頷いた。ミリヤムは二人の様子に仰天している。

「な、なんで……」
「知ってるかって? うふふ。おばちゃん達の地獄耳を侮ったら駄目よ」
「耳は遠いけどね」

 二人はほのぼの笑んでいる。ミリヤムは恐るべし、と思わず一歩後ずさる。

「それで? 悩んでるの? どうして? お似合いだと思うけど」

 首を捻るカーヤにミリヤムは異を唱える。

「お、お似合い!? 何処がですか!? 天秤の片方が重すぎて釣り合いが取れないにも程があるではありませんか……! ヴォルデマー様は凛々しくて、ご立派で、紳士で、大人で、ご身分もあって、おまけに物凄く武芸に秀でていらっしゃるとイグナーツ様が……!」

 わなわなと並べ立てるミリヤムをサラ達は「あらあら」と見守っている。

「それにフロリアン坊ちゃまのことも一体どうしたらいいのか……主に膝をつかせておきながら……あの麗しい膝を汚しておいてそれを断るなんて……坊ちゃまの悲しそうなお顔を想像すると……気が、気が遠のきます!」

 ミリヤムはあれからフロリアンとまともに話が出来ていない。新しい職場についた主は己の職務や配下の指導監督でとても忙しそうで、すれ違うように少し話を交わす時間はあっても、それでは込み入った話はとても出来ない。
 ミリヤムは忙しそうな主を手伝えないかとも思ったが、彼からも求婚された事を思うとヴォルデマーにフロリアンの手伝いにいかせてくれと願い出るのは流石のミリヤムも言い出しづらかった。
 
「くっ、しかしお話をしなければ何も……でも一体どう言ったら!?」

 今度は青い顔で頭を抱えたミリヤムにサラはのんびりと応えた。

「それはまあ素直に心の内を話すしかないわよねぇ……」
「ミリーちゃん、どんなに高貴でも膝は膝よ。膝も汚さない男性なんてろくでもないわ」

 カーヤはすんとした顔で鼻息荒くきっぱり持論を言い放つ。

「そうねえ、でもあのフロリアン様という方は結構良いと思うわ。良い匂いよね。凛として部下の方達にも慕われておられるし、お働きもそつがないわ。私達にも丁寧よ」
「あら、でも私はヴォルデマー様推しよ。ヴォルデマー様は絶対いい旦那様になるわ。ミリーちゃんヴォルデマー様にしときなさいな! サラはどう?」
「そりゃあ私だってそうよお!」

 二人はきゃあきゃあと楽しげに話し出したが、ミリヤムは眉を八の字にする。

「でも……私、人族だし……」

 ヴォルデマーは気にしなくてもいいと言うが、やはりそれは気になっていた。ミリヤムは胸のつかえを吐き出すように言い募る。

「……辺境伯様は異種族結婚をお許しになっていないと聞きました。もしそれでヴォルデマー様が、物凄く恐ろしいと噂の辺境伯のお怒りに触れて勘当でもされたら? ヴォルデマー様はどうなります? 砦長を辞職しなくてはならなくなるかもしれないし、ご家族も失うことに……」

 それを思うとミリヤムの心は重くなった。ミリヤムにはもう肉親は無い。だからこそ折角家族が生きているというのに仲違いするなんて悲しいことだと深く思う。でもその為にヴォルデマーを諦めるのかと考えると、その何倍も悲しくなるのだった。
 しゅんと雑巾を握り締めた娘に、老婆二人が顔を見合わせている。カーヤが慰めるように、のしっとミリヤムの頭の上に前足を乗せる。

「う」
「大丈夫よミリーちゃん、そんな事にはならないわ。もし辞職されたとしてもヴォルデマー様なのよ? どこでもご立派に生きていけるに違いないわ。だってヴォルデマー様なのよ? 辺境伯様に負けるはずないわよお」
「そうねえ、ミリーちゃんが玉の輿を狙ってなければ特に問題は無いんじゃない?」

 サラは「狙ってた?」と軽い調子で笑う。

「いえ、それはどうでもいいんですけど……」
「大丈夫、ね、元気出してミリーちゃん! 悩まない悩まない」
「そうそう、うふふ」
「……もー……サラさんもカーヤさんも適当なんだから……」

 二人のあまりに軽い口ぶりにミリヤムは思わず苦笑いする。ふたりのあっけらかんとした表情にはうっかり肩から力が抜ける思いだった。
 カーヤにぐりぐりと撫でられながら、ミリヤムは呟く。

「……ヴォルデマー様が築き上げてこられた尊い財産を私などのせいで失わせるのは嫌だと思ったんです……でも、はあ、まあ……そうですね、悩みすぎても仕方ないかもしれませんね……」
「うふふ」

 サラは飴色の目を優しく和らげてミリヤムの頭を撫でる。

「そうそう。微笑んでいなさい。その財産にも負けない価値がそこにはあると思うわよ」
「そーよぉ、幾ら身分や見目の良さなんかがつりあっていても、当人同士が幸福そうじゃないとお似合いとは言えないし、幸せなのが一番だわ」
「サラさん……カーヤさん……」

 ミリヤムは二人の言葉に感じ入ったようにうるうると涙ぐむ。が

「そこいくと一昨日のヴォルデマー様とミリーちゃんはほのぼの幸せそうで可愛らしかったわねえ」
「……へ? お、と、とい……?」

 カーヤの言葉をミリヤムがゆっくり繰り返すと、サラがうっとりと頬に手を当てる。

「そうねぇ、ミリーちゃんの照れくさそうな恥じらいがひしひし伝わって来て……こそばゆかったわ。じれったくて堪らなかった。あそこでルカスちゃんが邪魔しなければね……」
「!?」

 惜しかったわーと首を振り合う老婆達に、ミリヤムの身体にはじわりじわりと汗が滲んだ。まさか、とぷるぷる震える。

「み……み、み……みみみ?」
「え? 見てたかって? ええ見てた」
「だってロルフが大浴場の前で隊士さん達とはしゃいでるって聞いたから。ねえ。何事かと思って」
「…………ど、どどこ、どこから!?」
「えーと……」
「ミリーちゃんが脱衣所に駆け込んで来て引っくり返ったくらいかしらねぇ。有難き幸せって叫んでいた時? 何が有難き幸せなのか気になって気になって妄想が止まらなかったわ」
「ほぁあああああ!!!」

 カーヤの言葉にミリヤムは真っ赤になって悲鳴を上げた。という事は、二人は地獄耳などと言っておいて、その実じかに聞いていたのだ。ヴォルデマーの求婚やその他諸々を。

「ひぃいいい!!!」

 廊下の床に沈んだミリヤムに老婆達は吃驚している。

「どうしたのミリーちゃん?」
「行き成り叫びだして……あっ……」

 ミリヤムは床に転がったまま、どうしたのじゃない……と思ったが、その時不意に彼女に駆け寄ろうとしたサラが敷物の端に足を取られてびたんとこける。

「あ、らあ、サラったら大丈夫!?」
「さ、さ、さらさん……」

 ミリヤムも汗だくの顔をよろよろと上げサラの方を見る。サラは尻餅をついたまま足首を押さえていた。

「いたたた……いやあねぇ歳をとると足元が不安定で……あ、ら? ミリーちゃん……おばちゃん……足をくじいちゃったみたい……」

 そう悲しげに老婆に視線を寄せられたミリヤムは──


「わあああああああああああああ!!!!!」

 真っ赤な顔で羞恥に悶えながら、サラをおぶって医務室まで駆けていくのだった……



しおりを挟む
お読み頂き有難うございます(*^^*)後日談、「偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい。後日談」も現在更新中です。よろしくお願いいたします♪
感想 151

あなたにおすすめの小説

巻き戻ったから切れてみた

こもろう
恋愛
昔からの恋人を隠していた婚約者に断罪された私。気がついたら巻き戻っていたからブチ切れた! 軽~く読み飛ばし推奨です。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。