偏愛侍女は黒の人狼隊長を洗いたい

あきのみどり

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三章

33 夕暮れの城門

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 傾いた陽が徐々に茜色に変わり行く城門で、ヴォルデマーはミリヤムを見送った時と同じ様にその内に立っていた。

 出来れば町まで彼女を迎えに行きたかったのだが、父との約束で彼女が戻るまでは城門を出てはならぬということになっていた。

 今回彼は勿論ミリヤムを手元から離したくはなかった。
 だが、ミリヤムが何かを得ようとしているその意思を、ヴォルデマーは阻むことが出来なかった。だからこそ彼女の為にその手を解いて、父の条件を呑んだのだ。

 ヴォルデマーはその約束の境界線たる城門塔の石壁に背を預け、城下に続く道の傾斜の先を見つめた。
 兄と護衛がついているとはいっても、やはり彼の胸のうちから不安は減らなかった。
 彼はふと、これ程までに待ち人に焦がれた事がこれまでかつて有っただろうかと考えた。
 

 昔からずっと、彼が心惹かれる者は意欲のある者だった。
 物事の上手い下手に関わらず、打ち込む情熱を持ったものや、思い悩んでも進もうとするものが好きだった。
 彼が出会った女性達の中には、そうした素晴らしい熱意を持ったひとや、献身的に彼に尽くそうとする者も沢山いた。
 だが、それはいつでも敬意と感謝に変わり愛情に変わったことは一度たりともなかった。好意を向けられ尽くされても、健気だなとは思っても、恋しいとは思わなかった。
 彼が“辺境伯の息子”という肩書きを持っていたせいもあるのかもしれない。事実そのせいでウンザリする事も多く、彼の、彼に近寄ってくる人々に対する警戒心はけして弱くはなかった。
 彼とていずれは妻を娶らねばならない立場だとは分かっていた。しかし、今ある職務の手を止めてまでそれを求めようという気にはとてもならなかったのだ。


 それなのに──

 何故だろう、と、ヴォルデマーは不思議に思う。
 ミリヤムだけはそれに当てはまらなかったのだ。
 出会ったあの日、あの雪の中で、唐突に己にぶつかって来た荷……の前にちょこんと、まるでそちらの方がおまけのような風体でくっついていた人族の娘は、ヴォルデマーの心の中にすっと自然に入ってきた。
 別に人を虜にするような笑みを浮かべるでもない、愛想のよい言葉を囁くでもないその娘が。
 ずっと長い間誰のことをも選ばなかった男の視界に、ぽん……っ、と転がり込んできたのだった。

 そこからはヴォルデマーは殆ど何も考えてはいなかった。
 ただ、愛らしいと思い、面白いと思い、何かを食べさせてみたいと思った。気がつくと、毎日彼は警戒するその娘の前に座っていて、自然と娘に好かれたいと思っていた。
 それが恋だと気がついたのはそのもっと後の事だった。


「……」

 ヴォルデマーはため息をついた。その姿を想うだけで甘ったるくなっていく己の思考に呆れつつ、敵わないな、と思う。そうして再び城下への坂の下へ視線を戻すと、その角を曲がってくるだろう栗色の髪の娘を待った。

「……あまり遅くなるなミリヤム……」

 早くその姿が見たかった。









 しかし────そんなヴォルデマーの元へ先に現れたのは、


 彼女では、なかった。

 
 領民達のざわめきの中、その角からまず現れたのは漆黒のローブの一団。
 掲げる旗を目にする前に、ヴォルデマーは一目でそれが何者なのかを悟る。彼は無言で壁から背を離した。眉間にはくっきりと皺が浮かぶ。
 その集団の先頭には彼等の主人が悠然と馬に跨っていて、馬はゆっくりと坂道を登り此方へやって来る。彼女は纏う白いローブを夕陽色に染め、城門へ視線を上げた。その瞳は既に息子を捉えていた。

 その口が母上、と呟く前に、ヴォルデマーは黒い集団の後ろに、彼等とは毛色の違う集団が続いている事に気がついた。彼らが掲げているのは──雄雄しき牡鹿の旗だった。
 
「あれは……」

 その中に金糸の髪の青年を見つけ、ヴォルデマーに動揺が走る。
 何故母と──と、ヴォルデマーが声をあげる前に、傍の城門塔の扉が重い音をたてて開かれ始めた。

「!?」

 ヴォルデマーは周囲の兵達が平然としているのに気がついた。兵達は既にアデリナの帰還を承知していたようだった。

(……とうに、報せが来ていたのだな……)

 ヴォルデマーは苦々しくそう悟り、その次の瞬間彼は城門を飛び出して駆け出した。
 父との約束を守っている場合ではないと思った。兵がこの様子だということは、既に父もアデリナの帰還を知っていたと見て間違いがない。
 ヴォルデマーの胸には町に降りたミリヤムと早々に合流しなければという焦りが広がった。アデリナが帰った以上、ミリヤムに呑気な対応を見せていたギズルフも、最早彼女を任せて安心な存在とは言えなかった。

 しかし──そのヴォルデマーの行く手をアデリナの兵達が阻む。

「……退け」

 ヴォルデマーが唸るように言うも人垣は割れなかった。それどころか帰還した全ての兵が彼の周囲を取り囲み、その後ろを更に牡鹿紋の集団が囲む。背後の城内からも、幾らかの兵が出てきて、ヴォルデマーはあっという間に四方を厚く包囲されてしまった。その分の悪さにヴォルデマーが殺気立つ。

 そこへアデリナがやってきた。容易くその人垣を割って進んできた彼女は、馬から下りると己に厳しい視線を放つ息子の前に悠々と立つ。

「……ヴォルデマー何処へ行こうと言うのですか? お客様がいらしたのよ、ご挨拶もせずに失礼でしょう」
「いえいえ私はかまいませんよ」

 そのアデリナの後ろからをゆっくりと歩いてきた青年は、紛れもなく──フロリアン・リヒターその人だった。この状況下で、その、如何にも普段と変わらない彼の様子にヴォルデマーは一瞬目を見張る。

「こんにちは。ヴォルデマー様」
「フロリアン殿……なぜ貴方が母と共に……」

 その問いに、フロリアンはにっこりと微笑んで見せる。その夕陽色に染まった笑みにはなんら曇りがない様に見えた。柔らかな微笑みは、ヴォルデマーが最後に彼を見た時となんら変わらない。しかし、今はその笑みに、ヴォルデマーは嫌な予感しかしなかった。
 
「それは勿論、ミリヤムを迎えに」
「っ……」

 ヴォルデマーは息を呑んだ。それが彼の言葉だとは俄かには信じがたかった。
 この状況ではそれは予想が出来るものではあったが、まさかと思っていた。
 これまでの彼との付き合いはとても清々しいものだった。彼はとても義理堅く、充分過ぎるほどの分別を備えていた。ミリヤムのことがあったとはいえ、その後もヴォルデマーに向ける態度も敬意も変わらなかったし、己もまた彼との友情を疑わなかった。
 その彼がまさか──ここでアデリナの手を取るとは思いもよらなかった。
 ヴォルデマーは声を低くして問う。

「母に、依頼されたのですか……」

 フロリアンはその問いに微笑んだまま頷いた。

「そうです。予想通り、此方はかなり拗れていらっしゃるようなので、早々にミリヤムをその喧騒から離したくて参りました。申し上げましたよね? 国の法が定めし通り、誠実な行いで彼女を唯一無二の存在として正式に迎え入れる用意が無いのなら、話になりません、と。私は以前申し上げたとおり、あの子をそうするつもりです」
「……確かにそれは以前お聞きしました。ですが……それはミリヤムの了承を得ましたか? そうでなければそれはただの無理強いです。貴方がそんなことをなさるとは、思いたくありませんが……」

 苦い顔のままフロリアンにそう言うも彼は表情を変えない。

「ええ勿論。おそらく、ミリヤムは私の話を聞けば首を縦に振ると思いますよ」
「……」

 フロリアンの余裕のある言葉にヴォルデマーが視線を険しくする。
 だが、ヴォルデマーの心の中には一抹の不安が過ぎった。相手が相手である。今、ヴォルデマーの前に立つ青年は、ミリヤムが生まれた時から傍におり、それからの長い時間を天主のように崇め愛して生きてきた青年だ。ヴォルデマーには、ミリヤムと自分の間に固い絆が生まれつつあるという自信はあった。
 しかし、それを、もし覆す事が出来る人間が居るとすれば、彼以外にない。

「…………」

 ヴォルデマーは固い表情で奥歯を噛んだ。彼の言う事にも一理がある。ヴォルデマーはまだ、そこに立つ母を説得できては居なかった。

 そして青年二人のやり取りを見つめていたその母が静かに口を開いた。

「彼の父君に私からご連絡差し上げたのです。侯爵閣下はあの娘を受け入れる準備を既に進めておられたそうですよ。もう、ずっと前からね」
「……」

 感情の無い母の声がヴォルデマーの耳を通り過ぎて行く。そしてアデリナはその息子の横を通り城に足を進めながら、危ない所でした、と冷笑を浮かべる。

「お前がここ領都に来る前に全てを終わらせる予定でしたが……間に合って幸いでした」
「……それは、どういう……」

 母の言葉にヴォルデマーが強張った顔で振り返る。
 アデリナは冷たい視線でその息子の金の目を刺した。


「諦めなさい。あの娘はもう、とっくに領都を出ましたよ」





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