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二章

29 風と洗濯物

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 ヴォルデマーはふと気がついた。馬場で訓練に励む見習い達の動きが、何処かおかしいということに。
 
「……」

 特に目立った動きがあるという程でもないが、普段に比べるといやに大人しい気がするのだ。
 それでいて、彼らの表情には時折何かを期待するように浮わついた表情が見え隠れしている。
 ヴォルデマーは集団の中に白豹のローラントを探した。
 こういう時、大抵指揮をとっているのはローラントである。
 また何か思い付いたか。ヴォルデマーはそう思ったが、一先ずは見守ることを決め込んだ。色々やらかしてくれる彼らだが、知恵を回して活動することは少年達の糧になるとヴォルデマーは考えていた。

「いい風ですねえ……」

 ローラントの猫なで声が聞こえる。
 イグナーツのキリキリ怒る顔が目に浮かぶな、と思うヴォルデマーだった……


 しかしそれから暫くは、馬場は何事も起こらず平和そのものだった。あえて言えば風が強く寒い。だがそれもここでは珍しくも無い。

 けれどもその平穏さにやきもきしているものが一人──少年隊士の隊服を着こんだミリヤムである。
 彼女はもうずっと広い馬場の端で、ヴォルデマーやウラから距離を取り続け、見習い隊士のふりをしていた。
 こんなに近くに居るというのに、沢山の少年隊士達の影に隠れながら想い人を盗み見るばかりでは、ミリヤムも切なくてたまらなかった。

「う、ヴォルデマー、様……」
「うーんまだかなあ……」
「あの、ローラント坊っちゃん、それで、坊っちゃんは、何か、作戦でも?」

 馬に揺られるせいで、途切れ途切れに問うミリヤム。もうこの際、自力で何とかしようかと思い詰めていた。けれどもローラントは首を振る。

「駄目駄目。ちゃんと機を読まなくちゃ。いいからこっそり訓練するふりしててよ」
「あの、しかしですね、この方、止まって、くれないん、ですが……!」

 この方と言うのは、どうやらミリヤムが乗る馬の事のようだ。黒いたてがみのその馬は、隊服のミリヤムをのせたまま、ずっとぐるぐる円を書くように回り続けている。下で綱を握ってくれているエメリヒに教わって、ミリヤムも手綱を操ってみるのだが馬は一向にいうことを聞かない。
 その様をローラントが笑う。

「舐められてるね。遊ばれてるんじゃない? その子とっても賢いんだよ。駄目だなミリー……あんまり下手だと目立つじゃない」
「……」

 と、危機感の欠片もない顔の白豹は、何故だか馬に乗るのがとても上手い。ミリヤムは、何故だあんなに足が短いのに、と、納得がいかなかった。

 その時──気持ち良さそうに馬を走らせていたローラントを誰かが呼んだ。ローラントは仲間の呼び声に「ああ」と、風上を見る。

「ぐふふ、来た来た」
「え?」

 怪訝に思ったミリヤムが彼が見上げている方向を目で追うと、そこには何かひらひらと舞うものが。

「あ、れは……」

 途端ミリヤムが眉間に皺を寄せた。けれども、ローラントはにんまり笑ってミリヤムを制する。(と言ってもミリヤムは馬の上で。相変わらずぐるぐる回らされている)
 ローラントは、「しー」と、口の前で指を立てる。

「駄目だよミリー。じっとしてて」
「え? じっと……?」(ぐるぐる)

 ローラントはそう言い残すと、馬を駆って、ヴォルデマーへ監視の視線を送り続けているウラの元へ近寄っていった。ミリヤムはそれを遠目に見て、緊張した面持ちで、とりあえず馬上でじっとした。馬は相変わらず回り続けている。


「ねえねえ人狼のお姉さん」
「え?」

 ローラントの呼びかけにウラが振り返った。そして人懐っこい笑みで近づいてくる彼を不思議そうに見る。

「……何か用かしら?」

 ローラントは馬から降りると、馬場の柵に寄りかかってその外側にいるウラに話しかける。

「あのね、辺境伯様の旗はどうして紫なの?」
「え? ああ……あれは紫紺よ。紫紺が辺境伯様の家紋の色だから……ヴォルデマー様のご先祖様が、国王陛下にこの領地を授けられた時に紫紺の紋も一緒に賜ったという話よ。当時の辺境伯様もヴォルデマー様と同じ、夜闇のように美しい毛並みのお方だったという事で、国王陛下がそうなさったの」
「へーだからアデリナ様もよく紫紺のドレスを着てるの?」
「ええ、そうね。辺境伯家の方々はよくそうなさるみたい。特に決まりはないんだけど、領地内ではご領主の家門以外の者は紫紺を着ないのが慣わしね。畏れ多いから」

 ふーんと、ローラント。

「アデリナ様の紫紺のお召し物って、高そうだよね」
「え? まあ、そりゃあ勿論……奥方様だもの。良い布地で、しつらえのいいものをお召しよ。王家から直々に布地を賜って仕立てることもあるそうだから……」

 おかしな事を聞く子だとウラが首を傾げる前で、ローラントはにんまりする。

「だよねえ、じゃあ……あれ、いいのかなあ?」
「え……?」

 きゅろん、と可愛らしい顔でローラントが指差す方向を見て──砦の敷地に何かを見つけたウラは一瞬キョトンとした。

「あ、れは……レース……? と……紫紺の……」

 そこでウラが息をのんだ。その視線の先で風に運ばれていくものは、紫紺の──衣服のように見えた。しかも裾がひらりひらりとしているところを見ると女性物のようだった。

「……嘘、でしょう!!?」

 青ざめたウラが慌てて走っていく。

「ウラ様?」
「おい見ろ! 紫紺だ!」

 その様子に気がついた人狼兵達も、ウラの視線の先で風に拐われていく紫紺や純白の衣服を見てぎょっとしている。四人いた内の三人の兵が、彼女の後を追って走った。

「……」
「何事だ?」

 ヴォルデマーとイグナーツも指導の手を止めて顔をあげる。
 周りの見習い達も騒ぎだして、馬場の中は一時騒然となった。


「あれ、全員は行かなかったか……」

 残ったアデリナの兵を見て、期待はずれだと言いたげな様子のローラントがミリヤムの所まで戻って来た。
 ミリヤムはその彼に馬上であわあわしながら問う。

「坊っちゃん……、あなたまさか奥方様の洗濯物に手を出したんですか!? 私どもが精魂込めて洗っている洗濯物に!? あ! さては数会わせでおサボり中の坊っちゃん隊士にやらせましたね!?」
「あははは、何の事? 風が強くて飛んじゃったんじゃないのー?」
「坊っちゃん!?」
「そんなことより今がチャンスだよ? 頭数減ったし、皆飛んで行ったドレスを見てる」

 早くヴォルデマーのもとへ行けとせかす白豹に、ミリヤムは──

 ずかんと、雷を落とした。

「お黙りあそばせ坊っちゃんめ!!」
「……へ?」

 ローラントがぽかんとしている。ドレスを見ていた周囲の者達も、一斉に二人の方へ注目する。
 ミリヤムは鬼の形相で怒っていた。

「私めを誰だと思っているのですか! 私めはベアエールデの洗濯番、洗濯物の守り人ミリヤムにございますよ!」
「せんたくもののもりびと……」
「私めの目の前で、我らが懇切丁寧に洗い上げた洗濯物を粗末に扱うなどとは……例えそれが布巾一枚であったとしても許してはおけません! あれは私どもがあかぎれを作りながら苦労して洗い上げたものなんですよ!!」

 ミリヤムは馬上で高らかにぶちキレていた。ミリヤムはキッと、自らが騎乗している黒馬に目をやる。

「馬の君、お頼み申します! 洗濯物を追跡させて下さい!!」
 
 ミリヤムがそうキレ気味に言った途端──その熱意が伝わったか、今の今までちっともミリヤムの言うことを聞かなかった黒毛の馬がびしりとミリヤムの指示に従った。延々、蹄で描き続けていた円を外れ、黒馬はミリヤムを乗せて、柵すらもあっさりと飛び越えて──あっという間に洗濯物を追って駆けて行った。

「……え、何あれ、ミリーさん……すごい……」
「馬が……」

 呆然とするローラントとエメリヒ、以下少年隊士達の後ろで──
 
 ヴォルデマーが、肩を震わせて笑いを堪えていた。




 その時ウラは、あっという間に自分を馬で追い抜いて行った少年に驚いていた。
 その見知らぬ少年隊士は飛んでいく紫紺のドレスに向かって必死の形相で馬を駆る。彼と馬がウラの傍を通る時、変な薬草の匂いがした。何処かで見たような横顔だと思ったが、アデリナのドレスが気になってそれどころではない。
 
「あ、あなた有難う……!」

 飛んでいるアデリナの洗濯物らしきものは幾枚もあって人手はあるに越したことは無い。少年隊士が自分と同じ様に洗濯物を追っていると分ったウラは、後方から礼を叫ぶ。すると馬上でその少年隊士が一瞬振り返り、別方向を指差した。

「ドレスは私が必ず捕まえます! ウラ様はあっちのレースのシャツを!」
「わ……」

 かった、と言いかけたウラが、ミリヤムの顔をきちんと認識して目を剥いた。
 
「あ、なた……! その恰好……」
「ぎゃ! ドレスが木に引っかかった!!」
「え!? あ、ああもう!! 兎に角そっちは任せたわよ!」
「は!! 木登り得意です!!」

 ウラは戸惑いながらもシャツを追うことを選んだ。風はびゅーびゅー吹いていく。高価だとかいう以前に、夫人の衣服が無くなる、もしくは傷が付くということ事態大問題であった。女二人とアデリナの兵達は、四方に飛んだ洗濯物を追い奔走するのだった……


 そうして──十数分の後──ミリヤムはげっそりしてウラ嬢と並び馬場へ戻って来た。アデリナのドレス達は強風に煽られたが、幸い人数があったせいで回収に殆ど時間は掛からなかった。
 馬場ではローラント達が正座でイグナーツと教官に怒られていた。
 ミリヤムは物凄く疲れていた。洗濯物の危機に相当焦ったし、火事場の馬鹿力的に操った馬にも散々揺られて吐き気をもよおしている。尻も痛かった。
 もうとても乗っていられなくて、馬を引きながらとぼとぼと馬場へ近づいていくと──馬場に踏み入る前に誰かに抱き上げられた。

「お!? う!?」
「ミリヤム……」
「あ…………ヴォルデマー様……」

 一瞬身構えたミリヤムも、その金の瞳を見てほっと力を緩めた。ヴォルデマーは愛しくて堪らないという様子でミリヤムを見下ろしている。

「……お帰り。我が母の為に有難う」

 ヴォルデマーは抱き上げたミリヤムの首元に顔を埋める。ぎゅっと抱き締められて、己の匂いを深く吸い込むヴォルデマーにミリヤムは一瞬惚けかけて──はっと気がつき慌ててもがく。

「!? ヴォルデマー様っ、ヴォルデマー様! 私め今とっても臭いんですが……!?」
「知らぬ。どうでもよい」
「し、しかし、あの、皆様、絶賛凝視中……」

 もちろんその突然の抱擁を、周囲の者達は目を見開いて注視していた。其処は開けた馬場の前である。
 砦の長が、戻って来た少年隊士を躊躇無く抱きすくめる様を、皆驚いて見ている。(少年隊士達は、わっと盛り上がり、イグナーツには収拾不可能な状態になっている)
 そして──その中には勿論ウラやアデリナの兵達の姿もあるのだった。散々彼女等に見つからぬように気を揉んで、隊士の変装までしていたミリヤムは慌てたが、ヴォルデマーはミリヤムを離さなかった。
 
「それも、どうでもよい……」

 切なげにより強く抱きすくめられると、ミリヤムの胸の中は喜びで一杯になった。
 自分も抱き返したい、とも思ったが……けれどやはり周囲は騒がしくて。特に少年達を押しとどめながらも何故だか歓喜に咽び泣いているイグナーツと、壮絶にニヤニヤしているその弟、それから少し傍で氷のような目線で自分を射ているウラが気になった。

「う、うぅ……」

 ミリヤムは、嬉しさと羞恥と焦りの狭間で目を回しそうになっている。

「……ふ」

 その様子に気がついたヴォルデマーは、一瞬愛しげに笑い、そして──抱きかかえたままのミリヤムの髪に口づけた。

「っ!? え……」

 と、それにミリヤムと周囲が動揺しているうちに、ヴォルデマーは彼女を抱きかかえたまま傍にいた黒馬にひらりと跨った。人からしたら考えられぬような身軽さだった。

「!? 、!?」
「イグナーツ……すまぬが後は任せた」
「へ!?」

 ミリヤムが驚いている前で、イグナーツが涙を飛ばしそうな勢いで頷く。

「わかりました! ヴォルデまぁさま!! あとは、後は私めにお任せくださいっ」
「頼む」

 ヴォルデマーはイグナーツに頷くと、馬の腹を蹴り手綱を振った。黒馬はミリヤムの時以上に従順にその手綱に従う。
 目を丸くしているミリヤムは、ヴォルデマーの腕の中で馬に揺られながら、あっという間に馬場を離れて行ったのだった……



 その一連の出来事を──呆気に取られて見ていたアデリナの兵達が、我に帰って慌てた様子でウラに問う。

「ウラ様……! よろしいのですか? もしやあの見習い隊士は……追いますか!?」
「……」

 しかしウラはアデリナの兵を制止する。

「……いいの。違うわ、隊服を着てたじゃないの。あれはあの子じゃない。……ただの見習いでしょ」

 ウラは冷たい目のまま静かにそう言った。

「しかし……その様な雰囲気では……」

 戸惑う兵をウラはぎろりと睨む。

「あなた……そんな事今言っている場合? このアデリナ様のお召し物早く元通りにしなくては……出来なかったら大目玉よ? そうでしょ!?」
「……そ、それは、確かに……」
「ほら早くあなた達も持って頂戴。洗い場に運ぶわよ!」

 急いで! と、ウラは兵達を追い立てる。そうして兵達が洗濯物を手に慌てて馬場を離れていくと、彼女は少しだけ足を止めて後ろを振り返った。

「…………変な子だわ」

 それから、ふん、と鼻を鳴らして。ウラは馬場を去って行くのだった。



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