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59 深夜の横暴 ② 勤め人たちの悲哀
しおりを挟む過去にそんなことがあったのに、また王太子を任せるのは気の毒ではともらす男に、もう片方の侍従は、じゃあどうしろと⁉︎ と、悲壮な顔をした。
「あんな殿下は俺たちの手には──……」
と、侍従が反論しようとした瞬間のことだった。
彼らの少し先を行っていた王太子が、自分を引き止めていた侍従を払い除けて彼らのところへ駆け戻ってきた。話しをしていた侍従たちは、鬼の形相でつめよられてギョッとする。
「ぉい! ぜんぜんローズの部屋につかないじゃないか! さてはお前たち……わたしに間違った道を教ぇたな⁉︎」
怒鳴りつけるセオドアに。いえ──先陣切って歩いていたのは殿下でしょ──? ……とは、もちろん誰も言えない。
代わりに侍従たちはセオドアにすがりついて懇願する。
「で、殿下、もうお部屋に帰りましょう! ね⁉︎」
「そうですよ! 部屋で御令息たちがお待ちです! ローズ様のところに行ったって叱られるとわかっているじゃありませんか! 御令息たちと楽しく過ごせば──」
と、侍従二人がセオドアを説得しようとした瞬間。セオドアは掴まれていた腕を払い上げて彼らを拒む。
「うるさい! 私はローズのところにいく! あいつは私の女だろう⁉︎ 私が顔を見にいって何が悪い!」
セオドアは怒りで真っ赤になった顔で言い切り、侍従たちを睨みつけてから身を返す。
そんな酔った男の脳裏に焼き付いているのは、昼間に見たリオンに抱き止められたローズの姿だった。
その光景は、彼にも思いがけないほどに腹立たしいものだった。
「ローズのやつ……自分はいつでも清廉潔白という顔をしておきながら……なんなんだ! あの顔は……」
セオドアは、ローズの整然とした顔か、呆れ果てたという叱り顔しか知らない。それなのに、リオンの腕にいる時、ローズは顔を紅潮させ、セオドアの知らない顔をしていた。悔しいが──とても可愛らしかったのだ。
セオドアの奥歯がギリリと噛み締められる。
ずっと自分が服従させたかった女が、気持ちの上で、明らかにあの、セオドアにとっては取るに足らない騎士に服従していた。それが、どうしても我慢ならなかった。
これまで散々な仕打ちをしておきながら、セオドアにはどこかに『ローズは自分の婚約者である』という頭があった。いや、たとえ自分が捨てた相手でも、未来永劫相手が別の相手を得て幸せになるのは許せないという傲慢さか。自分がよそを見るのはよくても、自分が捨てる前に相手によそを見られるのは気に食わないのだろう。
酒のせいでいつもより自制の効かなくたったセオドアは廊下の奥を睨みつける。
「私は……私のものを取られるのが大嫌いだ!」
「で、殿下……⁉︎」
その発言には、セオドアの周りで侍従たちが唖然としている。
王太子の言葉には、どこか、ただならぬ情念が滲み、爛々とした眼差しにもどこか嫉妬の念のような薄暗い影がちらつく。
これには先ほど『王女に助けてもらっては』などと言っていた侍従も慌てる。
こんな状態の王太子を、今王女に合わせたら、何か……これまでとは違う問題が起こってしまいそうな危険な気配を感じた。セオドアとローズは婚約関係にあるとはいっても、今はまだ婚前。何かあっては大事である。
「お、おおお待ちください殿下!」
「黙れ!」
吐き捨てて、時折フラつきながらもセオドアはズンズン廊下を進んでいく。その方向は、まさにローズの部屋への道。正確な道をいきはじめた王太子に、侍従たちは慌ててそのあとを追う。そんな彼らに後ろからああだこうだと引き留められて、セオドアはその鬱陶しさに次第に耐えられなくなった。彼は不意に駆け出し、廊下をよろめきながら走った。
侍従たちの驚きの声を振り切り廊下を進むと、もうそこにはローズの部屋の前。明かりの下で立番をしている衛兵たちが、暗闇から突然現れた王太子に目をまるくしている。
「え⁉︎ お、王太子殿下⁉︎」
「何事ですか?」
少し慌てたような衛兵たちはすぐにセオドアに駆け寄ってきて。その後ろからも騒ぎを聞きつけたのか、詰所にいたらしい衛兵たちが大扉を開けて顔を出した。
「おい! 今すぐ扉を開けろ! ローズを出せ!」
「殿下……ローズ様はすでにご就寝なさっています。また明日明るい時間においでくださ──」
「黙れ! お前たちもこいつらと同じことしか言わぬな! いいからローズを出せ!」
止めようとする衛兵を、セオドアは怒鳴りつける。
そんな王太子がどうやら酒に酔っているらしいと察した衛兵たちは、困り果てたという顔を見合わせる。
もちろん衛兵たちも王太子の命令は聞かねばならぬ立場だが、こんな非常識な時間に彼をローズのところに行かせる訳にはいかない。
衛兵たちは四人全員でさりげなく廊下を塞ぎ、王太子の行く手を阻む。
「殿下……お願いです。そんなことをしたら我らがキャスリン殿に殺されます」
「そうですよ……殿下知らないんですか? あの侍女、ローズ様の前では封じられてますが、実は相当執念深くて陰湿な王女溺愛モンスターなんですよ?」
どうかわかって下さいと懇願する衛兵たちは真顔だ。
が、それが酔ったセオドアに通じようはずもなかった。
「あ⁉︎ 貴様ら、侍女ごときが恐ろしくて私の命令を聞けないのか⁉︎ 情けない奴らめ!」
王太子は衛兵らを睨みつけて怒鳴ったが。これまでこの持ち場で色々経験している衛兵らは心の底から(当たり前だろ……)と思った。
ともあれ、これは衛兵たちには困った事態になった。
使用人にとって、大トラになった貴人は非常に厄介だ。無理に取り押さえて怪我でもされたら大変だし、しかしここを守るという役目はまっとうしなければならない。
衛兵たちにできたのは、押し入ろうとする王太子をやんわりと身体で壁をつくり押し戻すくらいのこと。詰所にいた者たちも集まって、皆でなんとか大扉から手の届かないところまで王太子を押しやった。
だが、もちろんセオドアはそれに腹を立てて大声を出して怒り狂っている。
衛兵たちは困り果てた。
「おい……どうするよ? 誰か呼んできたほうがいいんじゃねぇか? このままここで騒いでたら、ローズ様がお目覚めになってしまうぞ。あとでキャスリン殿にどやされる……」
衛兵の一人が表情を曇らせると、ついてきていた王太子の侍従が慌ててそれを止める。
「お、お願いです! それだけは……あまり大事にしたくはないんです! そんなことをしたらあとでこちらが大変です!」
「……そりゃあそうかもしんねぇけど……」
「でもなぁ……」
必死にすがりつてくる侍従たちを見て衛兵らは困惑顔。だが、同時に憤慨して腕を振り回す王太子を見て、衛兵たちは同情的な眼差しでしんみりした。
「……お互い……勤め人同士大変だな……」
衛兵の思いがけない同情に。王太子の侍従たちは揃ってわっと両手で顔を覆って涙した。どうやら……普段から相当に大変な思いをしているらしい。そんな男たちを見て衛兵たちもついほろりとして……。
ローズの部屋前に、騒ぐ王太子を囲んでおかしな連帯感が生まれていた。
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