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48 居眠り侍女
しおりを挟む「……え?」
侍女たちの居室で不安そうな声が上がった。
鏡台の前に座り、髪をほどこうとしていた手を止めて、顔をしかめて振り返っているのはキャスリンである。
「……今晩の夜勤はアニスだった⁉︎ え……あの子に夜勤をさせて大丈夫なの?」
今晩のローズの部屋に控える担当者の名前を聞いて、キャスリンは一抹の不安を覚えた。
その娘は、ローズに対する忠心はあるが、とにかく夜に弱いらしく、たびたび夜勤中にはうつらうつらと船を漕いでいる。
キャスリンは鏡のなかの自分を見ながら考えた。
もう彼女は着替え終え、寝衣姿。
だが、アニスのほのぼのした顔と、昼間におろおろしていた主を思い出すと……。なんだか急に不安になってきた。
「……、……戻ったほうがいいかしら……」
「──またまた」
つぶやいたところへ、背後にくすっと穏やかに笑う気配。
「! ぁあ……ヴァルブルガ、あなたなの……」
驚いて振り返ると、部屋の入り口に、すでに寝支度を整えたヴァルブルガが立っていた。
薄黄色のネグリジェを来ているキャスリンに対し、彼女は昼間同様男性用の寝衣を身につけている。
またその姿が様になっているとあって、彼女に色気ある微笑みを向けられたキャスリンと同室の侍女が、恥ずかしそうな顔で慌てて部屋を出て行った。……どうやら、洗面所に逃亡したらしい。
そんな彼女にキャスリンは呆れ顔だが、ヴァルブルガは知らん顔で彼女に近づいて、髪を結い直そうとしている先輩侍女の手からクシを取り上げた。
「だめだめ。キャスリンさん。今日の昼間はいろいろあって、キャスリンさんだって医官を探し回ったりしてお疲れでしょう? 大丈夫、もしアニスが居眠りしていても、衛兵だっていますし、ローズ様だってもうとっくにおやすみになられてますよ、きっと」
言いながら、ヴァルブルガはキャスリンの髪をクシで整えはじめた。
しかしキャスリンはまだ心配そうな顔。
「でも……」
「でもじゃありません。もし明日、キャスリンさんが疲れた顔をしていたら、今度はローズ様が心配なさるんですよ?」
「…………」
そう言われるとキャスリンも弱い。キャスリンはムッとした顔をして、しかしもう着替えようとはしなかった。
そんな彼女に、ほどいた髪をとかしてやりつつ、ヴァルブルガは「それはそうと……」と、話を向ける。
「え、なに……?」
「今日の昼間のことですけど。キャスリンさん、どうして騎士リオンに、態度をお変えになったんですか? 気に入らないっておっしゃっていたでしょう?」
「え……」
指摘された侍女は少し不愉快そうな顔をした。
「なんなの……あなたも不気味だったと言いたいの? ちょっと騎士に愛想よくしただけじゃないの。まったく……」
どうやらこの様子では、あのあと目撃者(※ギルベルトとかギルベルトとかギルベルト)に、いろいろ言われたらしいなとヴァルブルガは推察した。
キャスリンはブツブツ言いながら、別にと続ける。
「あの時は──姫様のお身体とお心第一。騎士リオンはそのために利用できそうだと思ったからよ!」
「ええ確かに。騎士リオンとお会いになったあとのローズ様はすごくお元気そうでした。──とてもお恥ずかしそうでしたが」
昼間のローズとリオンを思い出したヴァルブルガは、一瞬手を止めて笑む。なんだかとても微笑ましい気持ちだった。くすりと笑って。……が、ふと鏡の中を見ると、彼女が髪を整えているキャスリンは、じっと押し黙り、何事かを考え込んでいる。
「キャスリンさん? どうかなさいました?」
「……」
「?」
ヴァルブルガが(いったいどうしたんだろう?)という顔をすると、キャスリンは、深いため息を一つ。
「……昼間の姫様……運動のなさり過ぎで、結構あれな状態だったじゃない……?」
「“あれ”?」
ヴァルブルガがキョトンとすると、キャスリンは早口で捲し立てる。
「疲れてお顔もげっそりしていたし! お髪もほつれて乱れていた。汗もかなりかいておいでで姫様の美貌が台無しで──! およそ淑女とは言い難い状態だったでしょう⁉︎」
キャスリンの勢いにヴァルブルガはちょっとびっくりした様子だったが、彼女はああなるほどと頷く。
「でも……そんなローズ様も可愛らしいし、素敵なんですけどね?」
ヴァルブルガが平然と返すと、キャスリンは大きく頷く。だが、もちろん二人とも、それは身内贔屓な感覚なのだということもわかっていた。
それがまた他人の目からすると違うのだということも、二人は理解している。
ゆえにかキャスリンの眉間にはグッとしわがよる。
「──実際、王太子は? 姫様を見てまたひどいことを言ったのでは⁉︎」
キャスリンは鋭い眼差しで、その場面に居合わせた同僚を見上げる。と、ヴァルブルガは困ったように肩をすくめた。キャスリンは思った通りだと、憤ったように息を吐く。
「まあそうでしょうよ、あの男なら……」
王太子はとにかく綺麗で可愛い女性が好きだ。
美しくなければ女ではないという、偏っていて、キャスリン的に言えば“胸くその悪い考え”の持ち主である。実際には見ずとも、その反応は予想がつくというもの。
思い出すと無性に腹が立った、が、その脳裏に別の男のことが思い出されると、彼女の怒りは勢いを失った。
「? キャスリンさん?」
静かになったキャスリンの顔をヴァルブルガが横から覗くと、彼女は渋々という感じで言った。
「だけどほら……騎士リオンは……そんなこと気にしていなかったから……」
「あら……」
──キャスリンは思ったのだ。
あの時、ダンスホールでローズを抱き留めていた騎士を見て、彼女は咄嗟に襲いかかってしまった(※未遂)が──。
よくよく思い出してみると、騎士リオンは真剣に王女を心配しているようだった。
その行動は、騎士として適切であったかと言われれば、そうではなかったかもしれないが……。彼は冷静さを欠いて、慌ててはいても、ローズに触れている手は優し気に見えた。
ローズが汚れているとか、汗まみれとか。そんなことは少しも問題にしている様子はなくて。傷つけぬよう、失礼に当たらぬようにと苦慮する素振りが、ローズを大切に思うキャスリンには……とても好感が持てたのだ。
そんなことを思い出し、キャスリンはまたふんと鼻を鳴らす。──ただし、今度のそれは、どこか嫌味のない音であった。
キャスリンは鏡台の椅子の上で胸を張る。
「……ま、でも完全に信頼したわけでもないし、姫様に対する忠心だって私のほうが上ですけど……! お慕い歴も、お守り歴も! 私のほうが! 断然上よ!」
「……おやぁ……」
唐突にも、謎に勝ち誇り、虚勢を張りはじめた侍女に。ヴァルブルガがその後ろで笑いを噛み殺している。
なんとも忠義で可愛らしい人だなぁ……と、思っていたわけだが……。
──しかし、彼女たちは……。
まさにこの時、彼女たちの主人が、自らの勘違いでドツボにハマり、大変な事態に陥っていることを、まだ知らない……。
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