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27 不覚の出来事
しおりを挟むこれはまったくもって予想外のことであった。
先ほどまで、自分の状態はひどかった(いや、ある意味今のほうがひどいが)。
疲れすぎと、いきなりの王太子との邂逅で、顔色も悪かったに違いない。
ローズは長いことハニートラップに脅かされているせいか、特に若い男性が苦手。反対に、自分たちを守ってくれているキャスリンたち女性には、同性ながら深い敬意があった。ゆえに、王太子の女性に対する偏見を感じて、正直血の気が引くほど怒っていた。
それなのに……リオンに助けられて。今は、顔も身体も熱くて熱くて……これは、この激変は、とてもではないが誰にも見せられない。だって、あまりにも、あからさま過ぎるではないか!
(…………あんまりなんじゃない……? あんまりにも私、単純すぎでは⁉︎)
ローズは恥ずかしさのあまり、声を殺して悶絶する。
彼を目にした瞬間、王太子に対する鬱屈とした気持ちも、疲れも一気に吹き飛んでしまった。
……絶望的な、溺愛ぶり。ローズはまた、己に引いた。
心の中で、誰かが威厳のある声で言う。
──ローズ?
──あなたはリオンへの気持ちを落ち着かせるために、励んでいたのではなくて?
(ええそうですとも! そうですとも!)
そのために自分は必死になった。
政務に励み、己の大義を思い起こさせ、趣味に勤しみ、恋をせずとも人生には他に楽しみもあると自分に言い聞かせた。神に祈り、役目を忘れつつある己を戒めて、どうか私に頑張る力を与えてくださいと懇願し──……いや、趣味もボロボロだったし、祈りも惚気に変わってしまっていたが──。気力と体力を振り絞って長距離走に死力を尽くしたのも、煩悩を消すためであった。だが……。
ローズは腕を交差させて遮断したその向こうを、隙間から恐る恐る覗き見る。
するとそこには神々しいまでに美しいリオンの顔が。それは見慣れた凛々しい表情ではなく、青い瞳は悲しそうで、金色の眉も不安そうに端が落ちている。それらが、おそらく自分へ向けられたものだと思うと──その尊さに拍車が掛かり、ローズはまたぎゅっと心臓をつかまれた。
(リオンが……ま……まぶしい……)
自分でも分かっている。このリオンの煌めきは、己の目の溺愛フィルターがゆえだ。そんなフィルターが掛かってしまうような状態なのだ今の自分は。
(だって! もう何日もリオン断ちしていたから……あ、会いたくて……)
そう、ローズはずっと、リオンに会いたかったのだ。
彼への想いをなんとかしなければと励んだ数日。たった数日だが、死ぬほど彼に会いたかったのだ。
だからもし、今この腕を下ろしてあんなに輝くようなリオンの顔をもう一度直視してしまったら。自分が何をしてしまうか怖かった。もしかしたら、好きが過ぎて、床にのたうちまわって叫んでしまうかもしれない。
この場には、王太子もいると言うのに、大音量で「好き!」と叫んでしまい、己の止められぬ想いを露呈してしまうやも。
そうなれば、セオドアは喜んで自分を攻撃してくるだろう。それだけならまだマシだが、リオンのことをも糾弾するかもしれない。
これは──ローズ的には大いなるピンチであった。
ローズは腕の下で、苦悩の声を漏らす。
「…………なんてこと……ぁ……ああ……今すぐ……泥でも頭から被ってしまいたい……」
「⁉︎ ローズ様⁉︎ な、なぜですか⁉︎ そんなことをなさっては、病気になってしまわれますよ⁉︎」
呻くように言うと、リオンが、そりゃあ意味が分からなかったのだろう。ギョッとして慌ててふためいている。が、もちろんローズにだってそんなおかしなことを口走ったのには理由がある。まあ……単に、今の真っ赤な己の顔を隠したいのである……。
そんな二人を数歩離れた場所で眺めつつ、ギルベルトがボソリと漏らした。
「……俺は……何かを察したような気がするんだが……これは口に出さぬほうがいいのだろうな……」
ローズとリオンを真顔で見つめたままこぼす騎士隊長に、「おや」とヴァルブルガ。
「さすがギルベルト様。お願いですからローズ様に不利に働くようなことは発言なさらないでくださいね。キャスリンさんにつけ狙われますよ」
「…………」
ヴァルブルガにニッコリ微笑まれ、ギルベルトはそれきり沈黙した。
まあ、色々察しがいい外野はともかく。ローズのピンチは未だ続いている。己が恥ずかしすぎて気がついていないが、ローズは未だ、床の上でリオンに抱き抱えられたままである。
その事実に彼女が気がついた時──ローズがどうなるのかがやや心配であるが。今のところそのことをうっかり失念しているローズは呻く。
「なんて……こと……なんてことなの……私はもはや、恋の虜……虜囚なの⁉︎」
「と、虜……?」
その言葉を聞いたリオンが、ハッとして横を向いた。
そこには、転倒して尻餅をついているのに、リオンに見向きもされなかった王太子がポカンとして座り込んでいる。
リオンはまさか、王女が言う「虜」なる言葉が、自分へ向けられているなどとは思いもしない。この場の顔ぶれは、近衛騎士隊長ギルベルトと侍女ヴァルブルガと、王太子だけ。自分を勘定に入れなかったリオンは、咄嗟にそれを、王太子のことだと思った。
(──ローズ様……そんなにも……王太子殿下のことを⁉︎)
思わず奥歯を噛み締めると、ぎりっと憎々しげな音が出て。見かねたギルベルトが待った待ったと止めにかかる。
「……リオンリオン、やめろ、そんなに王太子殿下を睨むな」
「………………」※リオン、ものすごく睨んでいる。
ローズが目の前で倒れてしまったこともあって、彼の放つ苛立ちは、殺気とも言えるものであった。
だが、幸いなことに。王太子はそんなリオンの視線には気がついていなかった。
そのとき彼の視線は、リオンに抱き止められたローズに向いていた。
(なんなんだあれは……)
彼は先に入手した手紙から、ローズがリオンに想いを寄せていることを知っていた。
それは、自分が想い人クラリスを迎え入れるためには、大いに役立つものだと本気で嬉しかったのだ。出会った頃から、ローズは彼に口喧しかった。この隣国王女を追い出せば、きっと自分は愛する人を妃にして、小煩い説教からも逃れられ、思うままの生活が送れる。そう、嬉しかったはず、だった。
しかし。
王太子は、自分が目にしたものに対して、一瞬感じた感情に戸惑った。
きっと、ローズを腕に抱え、上から見ているリオンには、角度的にもそれが見えないのだろうが……。尻餅をつき、リオンに抱き抱えられたローズと、ほぼ同じ高さで横から彼女を見ていた王太子には、その彼女が腕で隠した顔がしっかり見えていた。
リオンの腕の中で、彼の可愛げのない婚約者は、顔を真っ赤にして静かに悶絶している。
年中恋を追い求め、意中の女性が自分に好意があるのかないのかを気にしてばかりいる彼には、それが、恋情ゆえのものだとすぐにわかった。
ローズは確かにリオンを好いている。
王太子の婚約者という身分でありながら、不埒にも騎士に想いを寄せている。
──それが分かって嬉しいはずなのに。そんな己の婚約者を見ていると、なぜだかひどくイライラした。
これまでは、自分が目の前に現れると、ローズは必ず自分を見た。
厳しくあっても、その視線は必ず自分に向いていたのだ。対立し、叱ってきても、それはとても甲斐甲斐しく自分のことに注視し、彼女はいつも自分のために動いてくれていた。
それなのに。
今は自分が床に転んでいるにも関わらず、ローズの瞳が自分に向けられることはなかった。
その目は隠されていても、リオンだけを見ている。
それが分かって、だんだん頭に血が昇っていく自分がショックだった。あんなやつさっさと隣国に帰って欲しいと心底嫌って煩わしく思っていたはずなのに、その自分が、目の前の二人を今すぐ引き離したいと苛立っているのだと知って、それがとても衝撃的で。
「……ばかな!」
王太子は、思わず吐き捨てながら床を拳で殴りつける。
「殿下?」
すると傍にいたギルベルトが不思議そうな顔でやってきたが、セオドアは案じる彼の手を振り払い、勢いよく立ち上がったかと思うと、その場を逃げるように後にした。ダンスホールを飛び出ると、廊下で待たせていた彼の配下たちが慌てて、ギルベルトと共にその後ろを追いかけて来た。が、セオドアはそんな者たちに苛立つように「ついてくるな!」と怒鳴りつけた。
(……ありえない……あいつだけはありえない! ありえないんだ‼︎)
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