婚約破棄狙いの王太子が差し向けてくるハニートラップ騎士が…ツンデレかわいくて困る!

あきのみどり

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25 審判と星

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 ローズはけして王太子を睨んでいるというわけではなかったが、冷え冷えと澄んだ瞳は神々しくも彼女の顔を呆然と見る男の目を射抜いた。

「殿下……今、『価値はない』とおっしゃいましたか……?」
「ぅ……」

 見るからに、圧倒的に劣勢な王太子ではあったが、生来の鼻っ柱の強さもあって。この時点ではまだ威勢の良さがかろうじて残っていた。ローズが、王女として立派であらなければならない、王太子には特に情けないところを見せられないと思っているのと同様に、王太子のほうでも、幼い頃から比べられてきたローズにだけは、負けたくないという思いがあった。

「お、夫となる私を喜ばせられないなら、お、お前に価値など……」

 しどろもどろに答える王太子に、ローズは「ええ、ええ」と頷く。……その様を見ていたギルベルトとヴァルブルガは、ローズの手に幻の教鞭が見える、と思った。教師がよく持っているあの短い鞭が。
 ローズはスパルタ教師の面持ちで婚約者の前に立つ。

「私についてはそれでも結構です。しかし、殿下の意識の根底にはどうにも女性に対する偏見があるように思えてなりません。将来国民の父となろうというお方が、そのように女性を軽んじていてどうなさいます! 王妃や王太子妃でなくとも、世の妻、女性たちが皆、男性の機嫌だけ取っているのだなんてことをお思いなのでしたら、それはまったくもって大きな間違いです!」
「⁉︎ ⁉︎」

 ピシャーンッッッ‼︎ と、雷を落とされたセオドアがよろろと後退った。こうなると、もうローズの勝ちであった。

「そもそも女が美しくあろうとすることにだってそれなりの苦労があるのです! 女は前髪の長さ、巻毛の一筋のシルエットにすら気を使い、日々鏡と格闘しておるのです!」
「⁉︎ ⁉︎ ちょ、ロ、ローズ……待っ……」
「いいえ待ちません! 淑やかにするのにだって訓練あってこそ! 指先の仕草、スカートのあしらいひとつにも美し見せるためには技術がいるのです! 女に女らしくせよとおっしゃるのなら、せめてそこをご理解ください! そして敬意を払うべきです! そうでなくては、殿下であろうと、他の殿方にしても、美しい女性を愛でる資格はないのです! そして女が男を喜ばせるためだけに存在するような物言いはおやめください! そのような意識を持っておられては、私とクラリス嬢が婚約者の座をめぐって争う前に、彼女に愛想を尽かされますよ⁉︎」
「⁉︎ ⁉︎ ⁉︎」

 ローズの覇気に及び腰になった王太子は、後ろに下がる拍子に床に尻餅をつく。そんな男にローズは上からビシッと指を突きつけた。

「お見受けしたところクラリス嬢はご容姿に恵まれた方ですが、かなり美容にも気を遣っていらっしゃる! そこをきちんと理解なさいませ⁉︎ でなくては、とんちんかんな褒め言葉や贈り物をして見損なわれますよ! しっかりクラリス嬢を見て言葉を選んでいらっしゃいますか⁉︎ 殿下のお好きな赤毛や素敵なスタイルばかりをお褒めになっていらっしゃいませんか⁉︎」

 途端、王太子がギクリと肩を揺らし心当たりがありそうな顔をした。どうやら図星だったらしい男の顔は次第に悔しげに赤くなっていく。

「う、うるさいっ! ク、クラリスが私に愛想をつかすわけがないだろう! 貴様は──貴様はそんなことを言って私を脅かすつもりだな⁉︎ っ、こういうところが嫌なんだ! お前みたいな可愛げがない女は──」

 と、セオドアが怒鳴ろうとすると、それ以上の勢いでローズがキャシャー! と、蛇が如き形相で反論する。

「人をどうこう言う前に己を顧みなさいませ! 殿下がすぐに政務をほったらかしでおデートに行かれるから、私にしわ寄せが来ているとご存知でしょう⁉︎ 今のままでは殿下のサポートに割く時間が多すぎて、己のことにまで手が回りません! 私に可愛らしくあれとお命じになるのでしたら、私が安心して己の可愛らしさを磨くことができるようにしてくださいませ⁉︎」

 王太子の言葉をバッサリ斬って捨てるローズに、ギルベルトとヴァルブルガがとてもワクワクした顔で陶酔している。
 ……普段おとなしい人ほど怒らせると怖いとは、まったくこのこと。
 確かに、ローズは王太子に言い訳などはしないが、それは彼から己自身に関する個人的批判や口撃を受けている間だけ。
 王太子の高慢な口が国民に向いた時は、ローズはこの国で一番王太子に容赦がなくなる。
 そして、これが王太子の父、カムブリーゼ王が息子に再三王太子に泣きつかれても、ローズをけして手放さない理由でもある。
 ローズはただしとやかな娘ではない。この胸に秘めた気概こそが、国王が彼女をわがままな息子の妃にと望む理由であり、王太子がこそこそハニートラップなどという回りくどい手口を使う一因でもある。
 ローズはリオンのことではオロオロしがちな娘だが、言う時は言うのである。特に、幼い頃から自分の夫になるのだと言われ続けてきた王太子が相手であると、それは大いに発揮され、この男の傲慢さを圧倒する力を持っていた。

 しかし、さすがに今回は彼女の疲労も限界を超えていたようだ。──それに、口で勝てるからと言って、王太子の言葉や態度に、ローズが傷つけられていないわけでもない。

「殿下が独り立ちしてくださってこそ私だって──……」

 きっと──……そう、言いかけた瞬間。図らずも悲しくて目の奥が熱くなった。どうやら『価値がない』と、言われたことが、思ったよりも胸に突き刺さっていたらしい。
 思わず文句が口から出そうになって。だがすぐに、私心で憤り、王太子にそれをぶつけてはならないと思い直す。王太子にぶつけるのは、大義の元にある意見だけにしなければと。ローズは堪えるために、憤りを振り払おうと、頭を激しく横に振った。──と、その瞬間、くらりときて、膝がカクンと下に落ちていた。

「ぁ……」

 どうやら一瞬の気の緩みを突いて、溜まった疲れもまた表に出てきてしまったらしい。足から力が抜けて、バランスを失い、斜めになって倒れるローズに。彼女の傍を少し離れていたヴァルブルガとギルベルトが、慌てているのが分かった。
 だが、彼らが駆けつける前に、視界にはゆっくりと闇が混じっていく。感覚も鈍く、遠くなった。
 それなのに。
 誰よりも彼女の近くに立つ王太子は、ギョッとした顔をしたものの、ローズに向かって、手すら差し出さなかった。
 それが己に対する審判のように思えて──ローズの唇に、虚しい笑みが浮かぶ。虚無感のせいか、めまいのせいか。過ぎていく時間が、とてもなだらかに感じた。──しみじみと、胸が痛い。
 倒れゆきながら、ローズは諦観の念に囚われた。

 ……仕方のないことだ。

(──だって……私、本当に“可愛げ”がないから──……)

 重い瞼の裏側で、いつも王太子を叱っている自分を思い出した。
 仕掛けられたハニートラップを、冷たくあしらう自分はどれだけ感じが悪かっただろう。
 そんな自分の行動を間違っているとは思わないし、後悔するわけではなかったが。それでも、夫となるべき人に、手すら差し伸べてもらえない自分が虚しい。もっと上手くやれていたなら、もっともっと王女として、王太子の婚約者としてできたことがあったのではないか──。そんな悔しさが胸に渦巻いていた。

 そうしてローズの指先はぐったりと落ちていった。それが冷たい床に触れ、次いで、腰が床に叩きつけられ──肩が……。
 その時だった。

「──ローズ様!」
「!」

 ぼんやり衝撃を覚悟した時。さっと己の身を包み込んできたものに、ローズはハッと息を吸った。何かが自分の身体を抱きしめている。
 温かい感触に、暗く落ちかけた意識が急浮上し、目の前から暗闇が去っていった。
 何故だか、視界がとても輝いて見えた。
 黄金の光が眩く、その中央に碧い碧い……星のような瞳が自分を見つめている。なんという鮮やかな色だろうか。
 
「ローズ様! 大丈夫ですか⁉︎ ローズ様!」
「ぁ──……」

 誰かが必死に自分を呼んでいる。その声は、優しいのに、大きな不安に満ちていた。
 ローズはもどかしげに瞬きをする。ぼやけた視界を晴らし、早く彼を見るために。
 それが誰なのかは、すぐに分かっていた。
 でも、ずっと見ていたくて、見つめていて欲しくて。
 ローズはその名を、呼び惜しんでいた。


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