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17 ばら撒かれた手紙
しおりを挟むかくして、ローズのお手紙作戦は失敗に終わり、彼女の手元には誰にも見せたくないほどに恥ずかしいリオンへの手紙が大量に残されることとなった。
ローズは途方に暮れた。
「…………これを、どうしたらいいの……?」
机の横に集められた紙の山を前に立ち尽くす。思い悩みながら書いた手紙は、はっきり言って、あとから読み返してみると、どれも赤面ものの代物。おまけにこの量である。夢中で書いていて気がつかなかったが──積み上げてみると、それは床からローズの膝くらいまでに達するような量があった。
「申し訳なさすぎるほどの紙の無駄……」
それはともかく、これらをどうしたらいいだろう。
この恥ずかしすぎるラブレターの山は、なんとしてでも誰にも見られないうちに処分しなければならない。
彼の申し出を断る手紙だとはいえ、リオンへの想いがなみなみと詰め込まれた手紙は、王太子の婚約者としては流出不可の危険物。
それに何より、こんなものを誰かに読まれたら。たとえそれがキャスリンやヴァルブルガなどの親しい者であったとしても、壁に頭を打ち付けたくなるほどに恥ずかしい。
ここは誰にも処分を頼む訳にもいかなかった。しかも、これらのすべてが、確かにこの世から消えたのだというところを、しっかり自分の目で確認しなければ、けして安心できないとローズは思った。
(も──燃やすしかないわ……)
だが、困ったことに、これらを密かに燃やしてしまいたくても、今は冬ではないから部屋の暖炉は閉じられている。もちろんそれを使いたければ、開口部分を塞いでいるファイヤーボードを外してしまえばいい。
しかし……もしここで何かを燃やせば、煙突からは煙が出るわけで……。それはすぐに侍女たちにバレるだろう。
寒いわけでもないのに、暖炉を使えばきっと怪しまれ説明を求められる。
キャスリンに叱られるくらいなら、まあいいが……他の侍女たちに説明するのは少し障りがあった。
万が一『王女が誰かに書いた手紙を密かに燃やしていた』なんてことを噂されては、きっと何か面倒が起こるだろう。
「……困ったわ……」
ローズは考えた。
「そうね……他に何か燃やせる場所があるとしたら……厨房、かしら」
その思いつきは案外実現性があるように思えた。
王宮の厨房にはかまどがある。そこには多くの料理人が忙しく行き交っているが、昼食後は彼らも休憩の時間に入るから人気はなくなるはずだった。
時計を見ると、もうすぐ昼食の刻限。
うまくやればその時間帯に部屋を抜け出せそうだった。
こうして、ローズは、昼食を食べたあと、時を見計らって、侍女や護衛には仮眠を取ると伝えて人払いをした。幸い、彼女に一番厳しいキャスリンは、その時間は休憩に入る。
(いえ、キャスリンに事情を話してもいいのよ、でもね……そうしたらあの人、絶対着いてくるって言うものね……)
心配性の侍女は、きっとローズが火を使うのにいい顔をしない。おそらく自分がやると言うだろう。それはありがたいことなのだが、やはり彼女にも手紙を見られたらきまりが悪い。彼女とは身内と言っていいほどの仲。それはまるで、親や兄弟姉妹に己の恋文を見られるような気恥ずかしさなのである……。
(あ……や、やっぱり無理よ……)
ここはやはり、自分の精神安定のためにも、己で全部始末をつけたいとローズは思った。
そうと決まれば善は急げ。
ローズは部屋の中に一人になると、まず急いで、できるだけ目立たぬ服装に着替えた。そしてタンスの奥から大きな袋を引っ張り出すと、その中に手紙の残骸をぎゅうぎゅうに詰めて部屋を抜け出す。
侍女たちの控えの間の前を横切る時はさすがに緊張したが、ローズはこれまで誰にも告げずに部屋を出たことなどなかったから、誰にも怪しまれた様子はなった。
廊下に出てからもできるだけ誰にも会わぬよう警戒しつつ慎重に厨房を目指した。
どうしても誰かとすれ違わなければならない時は、素知らぬ顔をして通り過ぎる。一瞬目を留められることはあっても、堂々としていれば案外なんとかなるもので。大抵の者は、ローズに気がついても「あれ?」という顔をするだけで、ローズが平静を装いニッコリ会釈をすると、怪しむ節もなかった。
いくつもの廊下を曲がり、階段を降り。いよいよ厨房が近くなると、ローズは思い切って使用人用通路の中へ飛び込んだ。
薄暗い通路を抜けて、厨房の入り口から漏れる灯が見えるところまで来ると、ローズはやっと緊張が和らぐ。
静かに中を覗くと、休憩中の厨房内は静かで、奥に料理長がいるだけだった。見知った中年の男の顔を見て、ローズはホッとした。
そうして彼女がおずおず厨房に入っていくと、彼女を見つけた大柄な料理長は驚いたように目を瞠る。
「サンドナーさん……」
「ローズ様? どうなさったんですか? こんなところへお一人で……何か召し上がりに?」
かまどの前の木の椅子に座っていた料理長は、腰を浮かせて少し慌てた様子でやってくる。
彼はもう長いことこの厨房に務めていて、ローズのことも小さな頃からよく知っている。一見怖い顔をしているが、幼いローズがホームシックに掛かると、故郷の料理やお菓子を作ってくれた優しい人だった。ローズは袋を抱えたまま彼に近づいていった。
「こんにちはサンドナーさん。いいえ、そうではないの。申し訳ないのだけど……燃やしてしまいたいものがあるんです。かまどにこれをくべさせてもらえないかしら……書き損じの手紙なのだけれど……」
そう言って料理長を見上げる。
いくらこれらを密かに抹消したくとも、厨房の主たる料理長にまで黙ってそれをするわけにはいかない。ローズは袋の中から便箋の端っこを引っ張り出して頼み込む。
「だめかしら……? 恥ずかしすぎて誰にも見られたくないの。早めにこの世から抹消したいのよ……」
「へぇ……? この世から……?」
王女の切なる哀願に、料理長は一瞬なんとも微妙な顔をした。だが、彼はすぐに快くかまどを使わせてくれると請け負った。
「まあ……火の扱いに気をつけてくださるなら……。安全のため一応お手伝いしたいところですがねぇ、それはわしも見ない方がいいんでしょうかね?」
王女がキャスリンすら連れずにやってきたことでそう察したらしい料理長に、ローズは大きく頷く。
「そうしていただけると大変助かります。もしこれが誰かの目に触れてしまったらと思うと顔から火どころの話ではないの。私、のたうち回ってしまうわ」
「はあ、そりゃあ大変だ……へえ、承知しました。ローズ様をのたうち回させる訳には参りませんので、わしはあっちの部屋に引っ込んどきますわ。どうか火傷なさらないよう気をつけてくだせえよ? なにかあったらわしもこっちに戻らなくちゃならねえですからね?」
見られたくないのなら、十分に気を付けてくれと言われ、ローズは嬉しくなった。
「ありがとうサンドナーさん! 私、しっかり気をつけるわ!」
王女だとはいえ、ローズも趣味で料理はするから、かまどを扱ったこともないというわけではない。
それを承知している料理長は、そのまま会釈して隣室に下がっていく。その背中を見送って、やっと目的地に辿り着いたローズは、「よし」と、かまどに向かった。
石造の立派なかまどの上には、炎が揺れていて、その上に大きな鍋がかけられている。
ローズはその前に立ち、袋から取り出した手紙を細く丸めて捻り、棒のようにしてから慎重に炎の中にくべていった。
パチパチと燃える炎の中で、白い紙はあっという間に黒ずみ消えていく。その様子に、とてもホッとした。
「……さ、早く終わらせてしまいましょう」
親切にしてくれた料理長には、万が一でも迷惑をかける訳にはいかないから、火が暴れぬよう、火傷をしないよう慎重な眼差しで火を見つめ、黙々と作業した。
そうして次々に手紙を燃やしていると──ローズはふと、まるで手紙が炎に浄化されていくみたいだと思った。
「……この手紙たちみたいに、心も炎が清めてくれたらいいのに……」
今、ローズの心の中はさまざまなことでとても乱れている。
こうして手紙が炎に焼かれ消えていくように、王太子への呆れや不満、彼に愛される交際相手への羨望も──……いっそ、リオンへの想いも消えてくれたらどんなに気が楽だろかとローズは思った。
(私は、この国の王妃になりたい)
国民を愛し、困っている民を助けられる力が欲しかった。その為には、“隣国の王女”や“王太子の婚約者”では足りない。時には国王すら動かせるような、そんな存在を目指してきたのである。
──その為には、今自分が抱えているごちゃごちゃした感情は、消し去ってしまったほうが、きっといい。
リオンだっていずれは誰かを娶るだろうから、こんな気持ちを他の女に抱えられていても迷惑なだけ。しかも自分は好きな気持ちを隠すのがものすごく下手だったようだから、きっと密かに想うなんてことも……できないに違いない。
ぽろりと言葉が出る。
「消してしまいたい……」
口に出してみると、なんだか胸が痛んだ。
ローズはため息をこぼし、ぼんやりと炎を見つめた。いつの間にか、手紙をくべる手が止まっていたが、気がつかなかった。
今度はリオンの隣に立つ誰かを想像してみる。すると、気持ちが重くなる。それは、王太子の隣に立つ女性を見た時とは、比べ物にならないくらいに。重くて、渦巻くようで、胸がズキズキずる。この気持ちは、いったいなんなのだろう。
自分は王妃になりたいわけで、王太子の隣に立つべきで。だから、こんな想像で切なくなったりしてはならないのに。
(……でも……できることなら……)
ローズはリオンの顔を思い浮かべる。
──リオンとお呼び捨てください……。
そう言ってくれた、あの時の彼の顔。端正な顔に、微かな微笑みがゆっくりと広がって。それはどこか照れ臭そうでもあり、瞳はとても優しかった。……忘れたくとも、あの顔は忘れられっこないと、ローズはなんだか泣きたい気持ちになった。
思い出すだけで、胸の奥がぽかぽかと温かく、鼓動が静かに早まって、幸せな気分になってしまう。
「……好きなままでいたいな……」
思わず本心が唇からこぼれ落ちた。
──と、その時だった。
ぼんやりしたローズがつぶやいた次の瞬間、かまどの炎の中で、バチッと木が爆ぜるような音がした。その拍子にローズのほうへ何かが飛んできて、思わず「あ!」と声が出た。咄嗟に驚いて後ろへ下がる。──と。
「ローズ様!」
「⁉︎」
両腕と背中に何かが触れて、頭の上から声が降ってくる。
「大丈夫ですか⁉︎」
「──え……?」
ローズはパチパチと瞳を瞬いた。
頭を上げて振り仰ぐと……そこにある青い瞳が、自分のほうを見下ろしていた。
ローズの背中と両肩を受け止めた騎士は、平素の冷静さをかなぐり捨てたように焦った様子で、彼女の身を案じている。
「火傷をなさいませんでしたか⁉︎」
また問われて、ローズが唖然とした。
「…………リオン……?」
「よかった……お怪我はなさっていないようですね……」
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そこには何かが散らばっている。
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どうやらローズがかまどから後退った時に、脚が当たりでもしたらしい。それは袋の開いた口から飛び出して、ローズやリオンの周りの床を埋め尽くしている…………。
「ヒィ⁉︎」
「⁉︎ ローズ様⁉」
王女の突然の悲鳴に。リオンはギョッとしてローズを凝視している。
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