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15 遠い騎士
しおりを挟む「……なるほど?」
本日のあらましをローズから聞いたキャスリンは、スッと冷たい目になって、まずそう言った。
もちろん、それを今目の前で、真っ赤になった顔を両手で隠してプルプルしている彼女の主に向けたわけではない。
心かき乱された様子の王女には呆れも心配もするが、腹が立つのは騎士リオン──というよりその背後にいるであろう王太子である。キャスリンは、憎しみをすべて込めたという口調で吐き捨てる。
「また、そのパターンですか」
その口ぶりは、リオンの申し出が本気だとは、まるで信じているふうではない。
実際キャスリンは、リオンが本気で王女を守りたいと願い出たなどとは信じてない。彼女がまたと言ったように、彼女の王女にその手の嘆願をする輩は多く、キャスリンには、それらとなんら変わらない惑わしに聞こえたのだ。
『ローズ様をお守りしたい』
『心よりお慕いしております』
それらが、キャスリンにとって憎むべき台詞になったのは、もう何年も前のこと。
これまで幾人もがローズにそう言ってかしずき、『私にだけは心を許してください』と甘く微笑みかけてきた。
その度に、彼女の大切な王女は傷つく結果になったのだから──今回も、キャスリンが不快感と警戒感をあらわにしたのも無理はない。
王太子の遣わしてくる男たちの顔は、大抵どれも一見すると、キャスリンでも信じ込んでしまいそうなほどに愛情深く見えた。
それでもやはり裏切りがあって……。彼女はもう嫌というほどに目の当たりにしたのだ。偽りの愛が、いかに真に迫る言葉や眼差しで実行されるのかを。
悪人はいつでも善人の顔をして自分たちの傍に忍び寄ってきた。
ローズの場合、それは悲しみになり、警戒心と怯えになったが──キャスリンの場合は、大きな怒りと憎しみになった。
キャスリンは拳を握りしめる。
(もう、これ以上ローズ様につらい思いをして欲しくないのに……)
ローズは彼女にとっては、主であり、妹のようであり、娘のようでもあった。
こんなことを繰り返していては、ローズの真心と共に、彼女の精神が削られていくような気がしてならない。
もうすでに、王女は幼い頃の屈託のなさを失っていて、それを悲しむたび、キャスリンは王太子を憎く思っていた。
キャスリンの脳裏には、その手先と成り果てのだろう騎士リオンが思い出されて、さらに苛立ちが募った。
あのいつでも冷たい顔をした男が、まさかこうも王女の心を掻き乱す存在になるとは。
(油断していた……いえ、もしや最初からこうして油断させる作戦だったのかしら……)
誰しも、他とは違うものがあれば自然と目が向くもの。
彼も最初はローズに冷たくしておいて、自分を印象付け、後々こうして惑わすつもりだったのだろうか。その狡猾さにキャスリンの頬は怒りに燃えた。
「それで……もちろんこれまで同様きちんと拒絶しておいでになったのですよね?」
当然そうですよね? と圧をかけるようににじり寄られたローズが怯む。
「えっと……それがその……」
そこにははっきり迷いが見てとれた。
まごつくばかりで言葉を返せない王女の唇を見て、キャスリンは焦りを感じた。
「姫様……騎士リオンがお気に入りなのはわかりますが、言いなりになってはダメです! そのようなことを言い出してきた時点でもう彼は第一級の警戒対象ですよ!」
「う……」
「あちらはどうせ不貞の証拠を作りたいだけなんですから!」
「で、でも……もしかしたらリオンの気持ちは本当かも……」
ローズにもキャスリンが怒る理由はわかっている。
だが、彼に膝を折って切々と請われた時、ローズは本当に心を打たれたのだ。ローズは憤慨するキャスリンをなんとか宥めようと思ったらしい。しっかり目を合わせて訴えかける。
「ねえ聞いてキャスリン。あなたも知っての通り、私は人に謀られた経験で言ったら、もう人とは比べものにならないほどだと思うの!」
バーンと胸を張って主張された言葉は──正直中身がかなりもの悲しい。
それなのに、王女はあくまでもキリリとした表情で……訴えられたキャスリンは呆れと頭痛を感じた。
「…………姫様、それ、全然自慢になりません……」
片手で額を押さえて深々ため息をつかれたローズは、しかし負けじと反論する。ここで自分が負けては、また主人思いの侍女が、鬱屈とした気持ちを抱えることが分かっていた。こんな状況でも、できるだけ明るい未来を自分が信じていることを感じてほしかった。
「そうかしら。でもね、キャスリン、なんでも糧にしなくては。経験を無駄にしたら、それこそ悲劇よ」
開き直りを見せ始めたローズに、二人のやりとりを傍で聞いていたヴァルブルガが、「わー」と嬉しそうに両手を叩いて王女を称賛した。しかし、すぐにキャスリンに暗黒の目で睨まれて、彼女は苦笑しながら「すみません」と肩をすくめる。
けれども必死なローズはそんな侍女の手を取る。
「ね? そうではなくて? 私、謀られに謀られて、もうそろそろ殿方を見る目も養われてきている頃だと思うのよ。事実、最近ではハニートラップに引っかかることも無くなってきていたでしょう?」
そこでローズは言葉を切って、誰かを思い出すような顔をした。
「リオンの目には、真心があったと思う」
もしかしたら、そう信じたい気持ちがあって、そのように感じただけかもしれなけれど、とローズは心の中でつぶやく。するとそんなローズの言葉を聞いて、黙り込んでいたキャスリンは、重く口を開く。
「……だとしても。ローズ様が男性の近衛騎士を拒んでおいでなのは周知の事実なんですよ?」
指摘されて、ローズの顔が陰った。己の侍女が、何を言いたいのか理解した顔だ。
現在彼女は、王太子の策略を警戒して周りには男性の召使いをわずかしかおいていない。護衛の近衛騎士についても同じであり、ローズのそばを守るのは皆女性である。
「そこに男性である騎士リオンを迎え入れてしまったらどうなります? 仮に騎士リオンが王太子殿下の手先ではなかったとしても、殿下はすぐに騎士リオンに目をつけるに違いありません!」
「ぅ……キャ、キャスリン待って、ふ、ふりがなが……他所に漏れたら処罰されるレベルよ⁉︎」
侍女のあまりの言いように。ローズは誰かに聞かれやしないかと慌ててキョロキョロしているが、王太子に怒り心頭のキャスリンはそれどころではなさそうだ。
幸い、そつの無いヴァルブルガがもうとっくに人払いをしてくれていて、私室の中に他の者の姿はない。ローズはホッとしてヴァルブルガに感謝の眼差しを送ったが──キャスリンの憤りはまだまだ収まりそうになかった。
「そうなれば結局は同じことじゃありませんか! これまでの男どもと同じように、騎士リオンも王太子に見返りを与えられるか、脅されるかして王太子の手先に成り果てるに決まってます! そんなことになったらまた姫様は落ち込んでしまわれるでしょう⁉︎」
「キャスリン……」
懸命に訴える侍女に、ローズが悲しげに眉尻を下げる。
──確かにその通りであった。
これまで謀に加担した者たちのその理由は、王太子に金を積まれたなどというものはまだいいほうで。中には失脚をちらつかされて手を貸した者や、家族を盾に脅されたという者もあった。王太子のやり口が汚くなっていくのは、おそらく婚姻が迫っているせいだとは思うのだが……。
ということは、リオンはすでに王太子に脅されている可能性があるし、それにもしあの申し出が本心であった場合にも、彼には多大なる迷惑をかける可能性があった。
近衛騎士は、そう誰もが簡単に就けるものはない。
大きな熱意と努力、そこにさらに手柄を立てる機会という運や、取り立ててくれる上官などに恵まれて、やっとほんの一握りの騎士が辿り着けるような、そんな職である。
もしここで自分がリオンを受け入れたせいで、彼にその職を失わせることとなったら──ローズはきっと、大いに後悔することになるだろう。
彼女は、将来は絶対にこの国の王太子妃になって、国の為に働き、祖国の期待にも応えるつもりである。
そのためには、絶対に王太子の謀にはかからないつもりでいるし、立場を危うくするようなことはもちろん避けねばならない。
──つまり。
リオンのハニートラップは、これまでの者たちと同じように、必ず失敗することになるだろう。それを──他でもない自分が望んでいるのだ。
「…………」
ローズの表情が悲しく凪ぐ。
(そして彼が失敗した時、あのわがままな王太子殿下は、彼をどうなさるだろう……)
……そんなことは、分かりきっていた。
ローズは静かに息を吸った。そして、己の中の迷いを追い払うように、ゆっくりと大きく息を吐く。
その瞳は開いているが、まぶたが伏せられて視線はすっかり下を向いてしまっている。悲しそうであり、何かを自分の心に強く言い聞かせているようでもあった。
ローズはできるだけ落胆が言葉に滲まないように、つぶやく。
「……つまり──絶対に、リオンは傍には上げるわけには、いかないってことなのね……」
ローズは、どこかでそれを分かっていた気がした。
でも、リオンの熱意にあてられて、浮き足立って。どうしても、あの言葉を信じたくなってしまっていた。
多少の無理をしてでも、どうにか道はないかと足掻きたかった自分に気がついて。ローズはここにきてやっと、どうしても彼を傍に置きたかった自分の気持ちを理解した。
今までの人たちの言葉と、彼の言葉とを同じように、すっぱりあしらえなかったその理由。
(…………私……リオンが好きなのね……。特別な意味で)
彼だと安全だからとか、顔が可愛らしいからとか、そういった弱い気持ちではなく。もっと強い気持ちが、ローズをリオンに引きつけている。どうあっても傍に置けない、駄目だと分かって初めて、逆にそれが彼女の中で鮮明になってしまった。
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