裏切り者の夫はわたしにはもう要りませんから。

１話

　セリア・エルディーンは、この世界で最も強力な魔法使いの一族「エルディーン家」の長女だった。幼少期から強い魔力を持ち、周囲からもその才能を称賛され、特に婚約者であるレオナルド皇子からは、いつも特別な存在として扱われてきた。セリアもまた、レオナルドを信頼し、彼との未来を楽しみにしていた。

　王国の皇子と最強の魔法使いの家系を持つ娘――

　国中が二人の結婚を歓迎し、セリア自身もこれから始まる新しい生活に胸を躍らせていた。

　だが、その輝かしい未来が、ある夜、全て崩れ去ることになる。

　その日の夕暮れ、セリアは宮廷の庭園を散策していた。美しい花々が咲き誇る庭園は、セリアが心を落ち着けるためによく訪れる場所であり、彼女にとって特別な空間だった。だが、その日は何故か胸騒ぎがしていた。何かが心に引っかかり、彼女は目を閉じて深呼吸をし、魔力で周囲の空気を感じ取ろうとした。

　突然、耳に入ってきたのは、使用人たちの囁き声だった。彼らはセリアに気づかず、庭園の隅で静かに会話を交わしている。

「レオナルド様とルナ嬢は、あんなに長い間密会していたなんて…。驚いたわ、皇子にはもうすぐ婚約者がいるというのに…」

　その一言で、セリアの体が凍りついた。

　「ルナ」という名前を聞いた瞬間、彼女の心に鋭い痛みが走った。ルナはレオナルドの幼馴染であり、彼女にとっても長い間の友人だった。幼い頃から宮廷で共に育ち、ルナは信頼できる相手だったはずだ。だが、今この瞬間、全てが違って見えた。まさか、

　レオナルドとルナが密かに関係を持っていたとは――

　それも、何年も前から。

「嘘だ…そんなはずない…」

　セリアは頭の中で何度も自分に言い聞かせたが、使用人たちの言葉が真実を物語っているようで、彼女の心を蝕んでいった。疑念が芽生え始め、全身が震えた。セリアはその場を離れ、足早に宮殿内へと向かった。レオナルドに直接確かめることが必要だと感じたのだ。

　心臓の鼓動が速まる。廊下を駆け抜けながら、セリアはレオナルドの部屋へと向かった。何度も会話を思い出し、あれはただの噂に過ぎない、誤解だと自分に言い聞かせたが、胸の中に押し寄せる不安感は消えない。

　彼に会って、真実を聞けば、全てが元に戻るはずだ――

　そう信じたかった。

　宮殿の奥まった場所にあるレオナルドの私室に着くと、扉の前に立ったセリアは一度深呼吸をし、冷静さを取り戻そうとした。しかし、その瞬間、扉の向こうからかすかに聞こえる声が彼女の耳に届いた。それは間違いなく、レオナルドの声とルナの笑い声だった。

　扉の前で立ち尽くすセリア。心臓が痛むほどに鼓動を打ち、彼女は耳を澄ませた。中で交わされる会話は、彼女の心に容赦なく突き刺さった。

「セリアがこんなに愚かだとは思わなかったわ。彼女はあなたが自分だけのものだと信じている。可哀想なものね。」

　ルナの声が響いた。

「そうだな…だが、彼女はエルディーン家の力を持っている。まだしばらくは利用する価値がある。魔法使いの力は我が国にとっても重要だ。」

　レオナルドの冷淡な言葉に、セリアの全身が震えた。彼女を愛していると言ってくれた人が、今ではその愛を演じるだけで、

　彼女の力を利用しようとしていた――

　それが全て偽りだったという事実が、彼女を打ちのめした。

　セリアの視界が一瞬にしてぼやけた。裏切りの痛みが彼女の胸に深く突き刺さり、何もかもが信じられなくなった。彼女はどうしてここにいるのだろうか。彼女が愛し、信頼してきた人々が、今では彼女を利用し、裏で嘲笑している。

　彼女はその場から逃げ出したかったが、足が動かない。全てを聞いてしまった今、彼女はどうすれば良いのか分からなかった。

　だが、セリアはそのまま立ち尽くすことはしなかった。彼女は深呼吸をし、冷静になろうと努めた。今ここで感情に任せて行動することは、相手の思う壺だ。彼女が動揺し、混乱することを望んでいるに違いない。しかし、セリアはそんな風にはならなかった。

「もういいわ、レオナルド。」

　セリアは扉を静かに押し開け、二人の前に姿を現した。彼らは驚きの表情を浮かべ、一瞬言葉を失ったが、すぐにルナは冷ややかな笑みを浮かべた。

「セリア、聞いていたの？それとも、私たちを覗いていたのかしら？」ルナの挑発的な言葉に、セリアの胸はますます熱くなったが、彼女は冷静に対応した。

「そんなことをする必要はないわ。あなたたちが何をしていたのか、全て分かっている。」

　レオナルドは口を開き、言い訳をしようとしたが、セリアは彼を遮った。

「もう何も言わなくていいわ。私を愛しているふりをしていたのね。それは全て、私の家族の力を利用するためだった。あなたがそういう人だとは思わなかった。」

「セリア、これは誤解だ。俺は――」

「誤解？私は馬鹿ではないわ、レオナルド。あなたが私をどう見ているか、今ようやく理解できた。けれど、もう遅い。私はこれ以上、あなたの偽りの愛に騙されることはない。」

　セリアは静かにその場を去った。レオナルドとルナが何かを言おうとしたが、彼女は一切耳を貸さなかった。彼女の心は完全に壊れていたが、同時に決意が固まっていた。彼女は二人に復讐する方法を見つけるつもりだった。