戦場黎明の空

川崎

文字の大きさ
上 下
11 / 11
第一章

第十一話

しおりを挟む
 しばらくすると、ローディアは竈の上にあった陶器から、柄杓のような食器で水を掬って、台の上にあった別の陶器に注いだ。この世界の茶の淹れ方も、私の慣れないものであった。きっと、あの台上の陶器に茶葉が入っているのだろう。

 そして、次に彼女は台上にあった方の陶器を左に傾け、茶をカップに注いだ。向こうからは、嗅いだことのない植物の茶の芳醇な香りが伝わってきた。

 それからしばらくも待たない内に彼女は

「お待たせー」と言って、茶の入ったカップを二つ持ってきた。そして、向かい合うソファの間のテーブルに片方を置き、ソファに腰掛けた。今度彼女は、背を少しもたれさせて足を組み、落ち着いた素振りを見せ、持っていたもう片方に静かに口をつけた。

 彼女はほっと息をつき、二口目を口にした後、それをテーブルに置いた。それを見て、私もテーブルから茶を持って、口元に近づけて口にしてみた。

 すると、甘みと苦味、そして僅かな酸味のある植物の風味が口内に広がった。やはり、飲んだ事のない味である。嚥下すると熱さが喉をやや刺激し、より強くなった先程の風味が感じられた。

「これは…… 初めての風味ですね」

「これはね、ヨモギと稲の葉、それから胡椒とかコエンドロとかを乾燥させた茶だよ。ニフトって名前で、最近人気なんだよね」

 ローディアはそう答え、もう一杯茶を口にした。なるほど、ヨモギと稲かとスパイスとかを入れてるのか。あんなのは、茶にするなど考えた事も無いくらいだったが、実際はこんな風味の味になるのか。私は、不思議なその味を脳内でも蒸して味わった。

 味は、悪いものではなかった。この世界の茶というのは、「楓」の店に行った時も飲ませてもらったが、味は不思議なものの、悪くは無かった事をよく覚えていた。この茶もそうで、初の匂いではあるものの、不味いという事は決してない。

 私は十分にその味を堪能すると、テーブルに再び茶を置いた。また少しの静寂が流れ、私もやや足を延ばして腕を組み、ローディアと同じように楽な姿勢を取らせてもらった。そして、一つ思い出した事があったので話しかけた。

「あの、私気になることがあって」

「うん? どした?」

「疆術師のことなんですが……」

 私は聞いた。この前に見た、「疆術師」という不思議な集団についてだ。

 私は、この世界の魎靈術という物の魅力に囚われてしまっていた。あの妖術のような奇怪な技から漂う、美しくも焦らされるような感覚に、まるで催眠にでも掛けられたように惹きつけられていたのである。

 ただ、そんな探求心も何か、幼稚なものを感じて、私はローディアにもそんな気持ちを隠していたかった。でも、いつもこんなに魎靈の話をしたり、質問をしたりするものだから、既に感づかれているのかもしれない。

「ああ、そうそう。詳しい事後で話すって言ったままだったね」

 ローディアは思い出した様子で言った。

「はい、何なんですかねあの人達は」

 私がそう言うと、ローディアは短く息を吸って、右の手のひらを上に向けて如何にも説明する素振りを見せて述べた。

「ええと、まず、この世界には、魎靈術で悪靈とか罪人を駆逐したり、人命救助とか治安維持とかをしている人がいて、その人たちを魎靈術師って言うのね。で、そのなかでも選りすぐりの凄い強い人がいて、その人達のことを疆術師っていう訳よ。この人達は、疆術っていう、赤い光の紋様を伴う、強大な術を使えるのね。それで、今のところ特級の人は12人居て、この前の時みたいに重大な事件とかがあったら、すぐに現場に駆け付けて仕事するんだよね」

「はあ。魎靈術師ですか…… じゃあ、この前駆けつけたのは、特級の三人だけじゃないんですね?」

「うん。ほかにも、五角形の帽子かぶってる人居たでしょ? あれが魎靈術師の象徴」

「ああ。居ましたね、そんな人。ちなみに、五角形にはどういった意味が?」

「ああ、それは、五神教の教えに従ってるからだよ。この世界で5っていう数字関連のことあったら、だいたい五神教のことだから」

「あ、なるほど…… あと、この前来た三人の人って、名前は何て言うんですか?」

「ええと、あの私達を助けてくれたのが、ネローツさん。魎靈術師の中では、多分一番強い。そして、あの髪の長い女の人が、ロティスさん。この人も、同じくらい強い。そして、左側で戦ってた男の人が、イスムアさん。この人は、最近12人目の特級になった人」

「え、そんな凄い人達なんですね」

「うん。ここら辺で知らない人居ないし、だから助けに来てもらったときは、私も店主も、ほんと驚いたんだよ」

「へええ」

 と私が言うと、また沈黙が訪れた。今度は、私はローディアに向けていた顔を下に向けて、組んでいた腕の袖の部分を眺めた。

「……なんか、どうしたの? そんな固い顔して」

 そう言われ、私はやや焦って、あっと小さく声を上げた。私の内心が見透かされたようで、微々たる焦燥感と恥らいを感じたのは確かである。だが私は、その小さな当惑に平然を装って話しかけた。

「ああ…… 気になったんですが、疆術師の人達ってあんなに素早く沢山術を使ってるのに、対価とかの面は大丈夫なんですか?」

「ううん…… それはなかなか難しい問題なんだけど…… まあ、特級の人達の肉体は、あたしたちよりずっと強靭だし、体力とかも凄いあるから、その点では大丈夫なんだよね。けど、寿命とか、五感とか、そういうものを支払うようになってる場合は、やっぱりどうしようも無いんだよね。そもそも仕事柄、死とは隣り合わせなわけだし、悪い言い方をすると、いつ死んでもおかしくない。魎靈術師っていうのは、そういう存在なんだ」

「……そうですか」

「うん…… なんか、暗い話になっちゃってごめんね。とにかく、あの人たち凄いんだよってことね」

「はい……」

 空気は重かった。私がそうしたのだろうが、魎靈術師への不可解な、憧憬にも似たその感情は、現実的な実情から淀んだ物になるのが分かった。人間の不思議に感じることというのは、ここまで思想的に大きなものになったことが分かり、私は自分の心をまるで他人であるかのように、客観視した。

 そして、静寂が一刻ずつ過ぎ去っていく中で、ローディアは耐えかねたのか、思い出したように、わざとらしくつぶやいた。

「そういえば、アルトも仕事探さないとね。金はあるって聞いたけど」

「ですね。私も最近考えてます」

 と私は言い、口を噤んだ。またもや重い静寂が訪れる。だが、私はもう良いと思い、あのとっくに予想された言葉を口にした。

「……魎靈術師って」

 私は下を向いたままそう呟いて、そのあとすぐにまた口を噤んだ。

 そう、私の思っていたのは、初めからそうであった。魎靈術師に成りたかったのである。いつしか、私はそう考えるようになっていた。それは、ネローツに救われた時だったか、確かそうなのだが、記憶は鮮明ではない。魎靈術に対する催眠のような私の感情は、いつしか私を魎靈術師に成るように仕向ける存在となっていた。

 もちろん、私が無力だということは知っている。興味本位でやった術は大いに失敗し、私を受け入れる靈が存在しているということも信じ難い。ただ、そんな事も忘れさせるほど、私は本当に惹かれていたのである。

 そして、私のそんな感情が私の口を動かし、幼稚な探求心を曝け出すように私はそうつぶやいたのである。

「うん……」

 彼女も頑なな表情をして、そう唸った。彼女は、生まれた時からこの世界に生きて、魎靈術という存在を目に焼き付けてきたのだ。私のこんな感情に対して、彼女がどう思うかなんて知れている。

「まあ、確かにあるけど、なるのが大変だね。いい感じに一緒になってくれる魎靈も探さないといけないし、そもそも安全な仕事とは言えないしね……」

 予想していたような回答が、ローディアの口から出た。私は口を噤んだままであった。特に、何か言うほどのことでもないのだ。

「まあでも、不可能とは言い切れないし、目指してみるのはありなんじゃないかな。あたしもアルトのことは本人に決めてもらいたいし」

 ローディアはその明るい声と表情を少しでも取り戻して言った。私の感情はもうとっくに気付かれているであろう。彼女が私にどんなことを思っているのかは知らないが、なんだか私は自分の言った事にすごく後悔をした。

 そして、彼女の言葉では安堵できない自分が居たのである。だが、そんな私の当惑とは裏腹に、ローディアの表情はまだ暖かみを帯びた物であった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(2件)

Kanata2
2023.01.21 Kanata2

見てるから川崎?

解除
Kanata2
2023.01.21 Kanata2

見てるかい?川崎

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。