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5.父
しおりを挟む「父さーん、助けてー」
アンヌは母の許しを得て、モルナール家の頭脳であり、最終兵器の父の助けを求めた。
父は頭がいい。そして高潔。平民の子どもたちに勉強を教えている。貴族の子弟の家庭教師を、という話はいつも断っている。
「そちらの方が儲かるのは分かっている。でも効率が悪い。ひとりの貴族を教える時間で、大勢の平民を教えられる。平民を全体的に底上げする方が、優秀な貴族をひとり育てるよりいいと思う」
それが父の持論だ。よって、うちはいつも金欠。父さんはいつも高邁な理想を実直に追い求めている。だが、悲しいかな理想だけでは生きていけない。パンを買うには金がいり、教科書やペンは空から降ってくるわけではないのだ。
父が清貧の生活を送るだけでは足りない。家族総出で馬車馬のように働いてきた。
父は、兄が父以上に稼いでることを知らない。兄は、父に似て頭が良かったので、貴族の子弟に家庭教師をしている。兄は、高邁な理想より、手っ取り早くお金を選んだ。ありがとう、兄よ。おかげで皆が生きていけます。
現実的でたくましい子どもたちをもった父は、今日も分厚い本を読んでいる。
「父さん、聞いてる?」
アンヌはさっと、父の手から本を取り上げた。こうしないと、生返事が返ってくるだけで聞いてもらえない。
「アンヌ、なんだいったい。読書の時間は邪魔しない約束だろう」
「父さん、授業以外はずっと読んでるじゃないのよ。娘の人生の一大事よ。助けてー」
アンヌは本を遠くに置くと、今までのことをかいつまんで説明する。
「そんなことになっていたとは。いつ孫が見られるかと思っていたのに」
父はいくつかアンヌに質問し、しばらく考えこんだあと、口を開いた。
「手紙を書きなさい。アンヌの気持ちを全て、包み隠さず書くのだ。それを私からジェラルドに渡してあげよう。義父から渡されたら、ジェラルドも本気だと分かるだろう」
「いい考えね。早速書いてくるわ」
アンヌはスクっと立ち上がると、父に本を押しつけ、大急ぎで屋敷に戻った。
アンヌは、ドキドキの出会いから、甘さのない新婚生活への落胆まで、全てあからさまに、赤裸々に書いた。つい、筆がのって、分厚い紙の束ができあがってしまったが、それは許してもらおう。
丁寧にたたんで、封筒にいれ、きっちり封蝋で閉じる。あとは、これを父に渡せばいいだけ。
ところが、父に渡す暇はなかった。夜遅く戻ってきたジェラルドは、こわばった顔で執事のヤンに荷造りを命じる。
「商会の船が難破しそうになって、ギリギリ隣国の港に着いたと連絡があった。積荷の確認と、船の修理、必要なら新しい船の手配もしなければならない。今から、現地に向かう」
アンヌは、邪魔にならないよう、部屋のすみに立っている。ジェラルドは、次々と使用人たちに指示をし、やっと最後にアンヌを見た。
「すまない。突然のことで驚いただろう。二週間ほど留守にする。お土産を買ってくるよ。何がいい?」
「そうね、あなたとお揃いの何かが欲しいわ。例えば、ペンとか、ハンカチとか。何か実用的なもの。使うたびにあなたの顔が思い浮かぶもの、ジェラルド」
ジェラルドは虚をつかれたように、固まった。深く息を吸い、そのまま吐くのを忘れている。
「ジェラルド、息を吐かないと、倒れてしまうわよ」
ジェラルドは途端に咳きこんだ。
「あ、ああ。わ、わかった。何か実用的な、ふたりでお揃いのものを探してくる」
「無事で帰ってきてね」
「ああ。その、屋敷の中はどこを見てもいいから。でも、」
「廊下の奥の小部屋には入りませんわ。鈴つきのヒモで取っ手を縛っていますもの。でもそうね、万全を期しましょう。カギをあなたにお返ししますわ」
アンヌはポケットからカギ束を取り出すと、唯一印のついていない、カギを外した。ジェラルドの手に、小さな金のカギを押しつける。
「さあ、これで安心ですわ。心置きなく旅立って、そしてなるべく早く帰ってきてくださいな」
ジェラルドは手の中のカギを見て、戸惑った表情をしている。
「あ、そうでしたわ。これを」
アンヌは分厚い封筒をジェラルドの上着の内ポケットに入れた。
「私の本当の気持ちを書きました。読んでください」
アンヌはジェラルドの手を握りしめる。ジェラルドはコクリと頷いた。
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