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1.君を愛することはない

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「君を愛することはない」

 これから起こるあれやこれやを期待して、胸をとどろかせていたアンヌ。夫の言葉に目を瞬かせる。

「君には手を出さない。好きなように暮らしなさい。どこに入ってもいい。でも廊下の奥の小さな部屋にだけは入ってはいけないよ」

 夫は事務的にそう言うと、カギ束をアンヌに押しつけて、寝室を出て行った。

「手強いわ。このスケスケ夜着は、やりすぎだったかしら」

 アンヌはピラッピラの夜着を見下ろした。絶妙に、大事なところは見えないようになっている。姉と一緒に作ったのだが。祖母の古臭いドレスのレースを切り取り、つぎはぎした。

「やっぱり、おばあさまのドレスってのがダメだった? カビくさかった?」

 でも、何度も洗ったのだ。男の心を手玉に取るのが天才的にうまい姉だもの。間違えるはずがない。

「てことは、私に女としての魅力がないってことね。薄々、そうじゃないかとは思ってたけど」

 アンヌは鏡の前に立ってみる。きわどい夜着をまとった、頑丈そうな女。若くて、強そうだ。

「若さは全てを補う。ケーキの上の飾り砂糖みたいなもんだって。姉さんはそう言ってたけど。そうは言ってもね、私、父さんにそっくりだもんね。母さんに似てたら、姉さんみたいにモテモテだったのに」

 アンヌの顔はどこもかしこも丸っこい。目が丸いのはいい、かわいいと思う。唇が丸いのもなかなかだ。ポッテリしていておいしそう、なはず。問題は鼻だ。なぜ丸い。とがってスッとした鼻なら、よかったのに。母さんの鼻と父さんの目と唇。それなら完璧だった、姉さんみたいに。

 鼻に洗濯バサミを挟んでみたこともあったっけ。姉さんに大笑いされ、兄さんは目を閉じて見なかったことにし、父さんと母さんに泣かれた。それで、諦めた。アンヌ・モルナールは一生、丸い鼻だ。

 街一番の大金持ち、黒ヒゲことジェラルド・デュカスと結婚し、アンヌ・デュカスとなった今も、丸い鼻は健在だ。

「丸鼻の女王、アンヌ・デュカス。どうぞ、以後、お見知りおきを」

 踊り子がやるように、華やかに鏡の前でお辞儀をしてみる。フワリと破廉恥な夜着が揺れる。あいにく、見せるべき相手も、賞賛と欲望の目で見てくれるはずの旦那さまも、ここにはいない。

 アンヌは、ひとしきり鏡の前で、色っぽいであろう仕草を研究した。


 そんなくだらないことをやってる間に、寝てしまったようだ。朝日に照らされ、チュンチュン鳴く鳥の声に起こされた。

「とんだ朝チュンだわ。汚れなき、まっさらなアンヌ・デュカスの二日目。始まり始まり」

 アンヌは元気いっぱいでベッドから飛び降りた。手早く着替え、髪を結い上げると、意気揚々と部屋に入っていった。大きな机の端に、ジェラルドが座って紅茶を飲んでいる。

「おはようございます、あなた」

 アンヌはそそっと近づくと、夫の頬にチュッとキスをする。

 ギャッ ジェラルドは飛び上がった。

 ガチャン 使用人がお皿を落としそうになって、慌てて受け止めている。

「昨日はよく眠れまして? 私はひとりで寂しかったですわ。あら、このパン、フワッとサクッとモチっと。最高ね」

 部屋の隅にいるネズミを見つけたときみたいな顔をしているわね。アンヌは冷静に夫と召使いたちの表情を見つめる。

 仕方ないわ、まだ二日目。金目当てのごうつくばりと思われているんだわ。もしくは、行き遅れの行かず後家か。でも待って、私、まだ二十二歳よ。行き遅れの行かず後家ではないわ。

「待って、私、ジェラルドと結婚したんじゃない。行き遅れの行かず後家じゃなかった」

 嬉しくて、両手を上げて立ち上がった。ポカーンと口を開けているジェラルドを見て、心の声が出ていることに気づく。しまった。

 コホン 咳払いして座り直す。優雅に紅茶を飲み、口の中のパンクズを洗い流す。

「それで、今日は何をしましょうか? 海辺に散歩にでも行きませんか? かわいい貝殻を拾って、暖炉の上に飾るのはどうかしら」

 ジェラルドは驚いたようにアンヌを見る。

「私は仕事があるから。好きなように過ごしなさい。ただし、」

「廊下の奥の小部屋には入りませんわ」

 アンヌは胸を張る。モゴモゴ言いながら、仕事に出かけるジェラルドを見送ると、アンヌは召使いに声をかける。

「ねえ、板とクギと金づちを貸してもらえないかしら?」

「あ、はい、奥様。お待ちください」

 不審そうな顔をしながらも、使用人は必要なものを運んでくる。

「あの、どちらにお運びしましょうか」
「ええ、例の小部屋の扉の前にお願い。間違っても開けてしまわないように、板で打ちつけてしまいましょう」

 アンヌの言葉に、部屋にいた使用人たちが真っ青になる。

「それは、奥様、いけません。旦那さまに怒られてしまいます。旦那さまが入れなくなってしまいます」
「あら、確かにそうね。私は入らなくても、ジェラルドは入るわよね。ではこうしましょう」

 アンヌは扉の取っ手にヒモをグルグル巻きつけ、隣の部屋の扉の取っ手につなげた。ヒモにはたくさん鈴もつけた。

「これで、開けられないわ。開けようとしたら、鈴が鳴ってうるさいから、みんなすぐ気づくわね。お願いよ、もし私が扉を開けようとしていたら、止めに来てよね」

「あの、奥様。あちらの部屋に入る時はどうすれば」
「あ……」

 本当よ。あっちの部屋にも入れなくなってしまったわ。

「あちらの部屋は、しばらく誰も入らないことにしましょう。幸い、使っていない部屋ですし」

 心配そうに見守っていた執事が、言ってくれた。優しい、なんていい人なのかしら。

「ありがとう。これで安心ね。さて、私は何をすればいいかしら。縫い物も掃除も料理もできるわよ。なんでも言ってね」

「滅相もございません。のんびりとお過ごしください。屋敷の中にはたくさんの美術品や書籍がございます」


 こうして、アンヌは優雅に美術品や書籍を楽しむことになった。主要な部屋のカギを教えてもらい、印をつけた。美術品を見てまわり、フカフカのソファーに座って分厚い本をめくる。なんて優雅な一日。

 一週間、穏やかにのんびり過ごして、アンヌはハタと気づいた。

「美術品と本とは仲良くなれたわ。使用人たちともそれなりに。でもジェラルドとの距離はちっとも縮まらない。どうしよう。ねえ、どうすればいいかしら?」

 ちょうどよく、お茶を運んできたネリーの腕をガシッとつかみ、隣に座らせる。

「スケスケ夜着、全く効果がないのよ。というか、ジェラルドは寝室に来ないから、見せることもできないのよ。ジェラルドはどこで寝ているの?」

 頼み込み、泣き落とし、ジェラルドの寝ている部屋の方角だけは聞き出せた。



「今夜こそ、ジェラルドを、落としてみせるわー」

 勇ましくいつもの鏡の前で宣言してから、こっそりと部屋を出た。

「どこかしら。とにかく、私の部屋から一番遠いところってのは確かなのよ」

 ロウソクを片手に、スケスケの夜着でさまようアンヌ。若い使用人が見たら失神するかもしれない。誰にも見つかりませんように。アンヌは気配を消し、幽霊のようにユラユラと歩く。

 じゃらじゃらじゃら アンヌが歩くたび、カギ束が音を立てた。

「そろそろだと思うのだけど」

 アンヌは扉に耳をつけて中の気配を探る。ひときわ豪華な扉。きっとここだわ。

「何も聞こえないわ。開けてみようかしら」

 ガチャ 適当なカギを差し込むが、回らない。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ どれもダメ。

「あー、どれがダメなカギだったか印つけるの忘れてた。バカバカ、バカアンヌ」

 ポカポカと頭を叩いていると、急に扉が開いた。扉の向こうにはロウソクに照らされたヒゲもじゃの男。

 ギャー 男が叫んだ。

「しっ、静かに。私です、アンヌです、あなたの妻です」

 アンヌはジェラルドの口を手でふさぐと、部屋に押し入った。アンヌはジェラルドを優しくベッドに座らせると、ロウソクを取り上げ、机の上に置く。

「さあ、今日こそは」

 アンヌはバーンと両手を広げ、ジェラルドの前に立つ。ジェラルドはすぐさま目をつぶる。

「君は、なんという淫らなものを着ているのだ」

「よしっ、効いた」

 アンヌは拳を握りしめる。よしっと思ったのもつかの間、アンヌはシーツでグルグル巻きにされ、部屋の外に出されてしまった。

 部屋の外には、なんとも言い難い表情をした執事。

「彼女を部屋に送り届けてやってくれ。体が冷えているだろうから、暖かい牛乳を。酒でもいい」
「かしこまりました」

 執事はうやうやしく言うと、手際よくアンヌを追い立てる。アンヌはうつむきながらトボトボと歩いた。

「暖かい牛乳とお酒、どちらがよろしいですか?」

 アンヌを部屋に送り届けて、執事は静かに聞いた。

「お酒を。カーッとなって、スコーンと寝れるような、強いのを」
「かしこまりました」

 すみやかに、琥珀色のお酒が運ばれる。アンヌはキュッと飲んで、泥のように眠った。

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