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③フローレンス・ブラーフ
3.二か月目(前半)
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「インク瓶が倒れなくなる板、私も買うわ」
いつものように、清書をしていると、ヘレナ女史から話しかけられた。
「来週のこの時間に、商人を連れて来なさい」
「はい」
フローレンスは仕事が終わると、大急ぎで文房具屋に向かった。扉を開けるとジョシュアがパッと笑った。
「フローレンスさん。どうしたの、そんなに慌てて」
「あの、あのインク瓶を置く板。王宮の偉い方が買いたいって」
「うおっ、マジか」
ジョシュアが立ち上がって、頭に手を当てる。
「すごく地位の高い女性だから、最高級のものにしてほしい。来週のお昼に持って来てって。王宮に来れる?」
「絶対行く。ありがとう、フローレンスさん。祐筆部にたくさん買ってもらったお礼もまだなのに。ねえ、よければ食事に招待させてもらえないかな?」
フローレンスは目を瞬いて口ごもる。
「え、そんなこと気にしないで」
「俺と食事に行くの、イヤ?」
「イヤじゃないけど……。でも」
「でも? イヤじゃないなら、行こうよ。休みの日に迎えに行く」
フローレンスはドギマギしながら頷いた。ジョシュアはパッと明るい笑顔を浮かべる。
翌日、フローレンスは同期のクロエと、妖艶美女のアラベラにこっそり相談した。
「キャッ、それってデートじゃない。やったねフローレンス」
クロエがピョンっと飛び跳ねる。
「デ、デートじゃないと思うけど……」
フローレンスはもじもじする。
「デートじゃなくても、デートにするのよ。フローレンス、あなたね、幼なじみに告白もできないまま振られたじゃない。それでずーっと、ウジウジめそめそウダウダしてたじゃない」
アラベラが腕組みをして鼻息を吹いた。
「あのときしばらく、あなたが使い物にならないから。大変だったわー」
アラベラが深く長いため息を吐くので、フローレンスは縮こまった。
「ご、ごめんなさい」
「フローレンス、がんばろう。かわいい服買って、お化粧もちゃんとしなきゃ。きっちりオシャレしたら、絶対大丈夫。フローレンスは美人だもん」
クロエが優しく言ってくれる。
「今日、ふたりでフローレンスの家に行くわ。服を確認するわよ。全部買うのはお金がかかるもの。手持ちの服を見て、買うもの決めなきゃ」
アラベラが目をギラギラさせている。
「いい男はね、すぐ捕まえないと。将来有望な商人で、カッコイイんでしょう? 絶対に落とすのよ」
「ええっ、私みたいな地味な女に、そんな高度な技術はありません」
「何ぬるいこと言ってるの。週末までにたたき込むから、覚悟しなさい。元はそんなに悪くないんだから。化粧と服と雰囲気よ」
アラベラがメラメラと燃えている。
「あ、部長です」
クロエが小声でささやいた。クロエとアラベラは、ツンとした表情を作ってフローレンスからスッと離れる。
仕事帰りにフローレンスの家にアラベラとクロエがやって来た。フローレンスの衣装棚を見て、クロエは絶句し、アラベラは叫ぶ。
「ちょっと、何これ。同じ白ブラウスと黒スカートがいくつもある」
「はい、そうなんです。まとめて買うと安くしてもらえたので。それに、毎日同じなら、悩まなくてすみますし」
「フローレンス、あなたの女子力はどこにいったの」
「元々無いんだと思います……」
「ダメだ、どうしよう。私たちの服貸すわけにもいかないしねえ」
アラベラはじろじろとフローレンスの体を見る。クロエは気まずそうに目をそらす。
「そうですね、おふたりの服を着ると、破れると思います」
フローレンスは淡々と言った。フローレンスはがっしりしている。骨太で鳩胸だ。胸が豊かかと思わせて、脱いだらガッカリされる感じだ。残念である。
それにひきかえ、アラベラは女性らしい丸みを帯びた理想的な体型だ。出るとこ出て、腰はキュッと引き締まっている。
クロエは華奢で可憐な乙女。強そうなフローレンスとは真逆なのだ。
「それにしてもフローレンス。どうして、よりにもよって似合わない形のブラウスを買うのよ」
「え?」
「あなた、首が短くて肩幅がっしりしてて、鳩胸じゃない。首の詰まって、肩にフリルのついたブラウスなんてもってのほかよ。強そうにしか見えないわよ」
「安かったので」
フローレンスは肩をすくめた。アラベラは険しい顔で腕を組む。
「おバカさん。安いってだけで、似合わない服買ったらダメ。あなた、仕事はできるのにねえ。見栄えをよくすることも少しは覚えなさい」
「お金を節約しないといけなくて。少なくとも弟が学園を卒業するまで」
「あなたのそういう堅実なところ、素敵だと思うわ。でもね、今は例外よ。明日フローレンスの良さを活かせる服を買いに行きましょう」
色々話し合って、黒スカートに合わせるブラウスを買いに行くことになった。
仕事を早目に終わらせてもらって、三人で服屋に行く。アラベラ行きつけのお店らしい。少し流行りから遅れた服が安く買え、働く女性に人気だそう。
アラベラはいくつもブラウスを広げ、フローレンスに当てる。
「フローレンスは肌が白くてキレイだから、落ち着いた深みのある赤いブラウスがいいと思うわ。胸元は広く開いてる方が、首回りがスッキリ見えるわね」
「あ、このブラウス安いです! 三枚で一枚の値段ですって」
フローレンスは喜び勇んで棚のブラウスに手を伸ばす。
ペチン アラベラがフローレンスの手を叩き、クロエはフルフルと首を振っている。
「安いからって、似合わない服に飛びつかない。こんな首にリボン巻くような服、ダメよ。生地がフワフワだし、太って見えるわよ。こういうのはクロエみたいな子向きね」
フローレンスはガッカリしてお得なブラウスを棚に戻す。
「フローレンス、この赤いブラウスが似合うと思う。試着してきたら」
クロエに励まされて、フローレンスは試着室に入った。あら、似合うかもしれない。フローレンスは鏡をじっくり見る。いまだかつてなく、かわいい気がする。気のせいかどうか、ふたりに見てもらおう。
そっと試着室から出ると、アラベラは微笑み、クロエは手をパチンと叩いた。
「決まりよ」
「すっごくカワイイ」
クロエは同じ型のブラウスを、赤と鮮やかな緑の二枚買った。三人で小さなレストランに入って、前祝いをする。
「白と黒しか着たことないの。まさかこんな派手な色が似合うと思わなかった」
「あなた、自分のこと地味って思ってるみたいだけど……。目も大きいし、肌もキレイだし、磨けば光るのよ。フローレンスに足りないのは自信と色気ね」
「う……」
フローレンスはパンをのどにつまらせた。クロエがドンドンっと背中を叩いてくれる。
「が、がんばります」
その後、ふたりがカワイイ仕草なんかを教えてくれたが、アラベラはすぐ諦めた。
「やめやめー。なんか、フローレンスがやると不気味。見ててこっちが恥ずかしくなる。そのまま、ちょっとオドオドしてるぐらいがカワイイわ」
「フローレンスの優しくて真面目で謙虚なところ、きっと好きになってもらえると思う」
「がんばります!」
フローレンスはもう一度、ふたりに誓った。
いつものように、清書をしていると、ヘレナ女史から話しかけられた。
「来週のこの時間に、商人を連れて来なさい」
「はい」
フローレンスは仕事が終わると、大急ぎで文房具屋に向かった。扉を開けるとジョシュアがパッと笑った。
「フローレンスさん。どうしたの、そんなに慌てて」
「あの、あのインク瓶を置く板。王宮の偉い方が買いたいって」
「うおっ、マジか」
ジョシュアが立ち上がって、頭に手を当てる。
「すごく地位の高い女性だから、最高級のものにしてほしい。来週のお昼に持って来てって。王宮に来れる?」
「絶対行く。ありがとう、フローレンスさん。祐筆部にたくさん買ってもらったお礼もまだなのに。ねえ、よければ食事に招待させてもらえないかな?」
フローレンスは目を瞬いて口ごもる。
「え、そんなこと気にしないで」
「俺と食事に行くの、イヤ?」
「イヤじゃないけど……。でも」
「でも? イヤじゃないなら、行こうよ。休みの日に迎えに行く」
フローレンスはドギマギしながら頷いた。ジョシュアはパッと明るい笑顔を浮かべる。
翌日、フローレンスは同期のクロエと、妖艶美女のアラベラにこっそり相談した。
「キャッ、それってデートじゃない。やったねフローレンス」
クロエがピョンっと飛び跳ねる。
「デ、デートじゃないと思うけど……」
フローレンスはもじもじする。
「デートじゃなくても、デートにするのよ。フローレンス、あなたね、幼なじみに告白もできないまま振られたじゃない。それでずーっと、ウジウジめそめそウダウダしてたじゃない」
アラベラが腕組みをして鼻息を吹いた。
「あのときしばらく、あなたが使い物にならないから。大変だったわー」
アラベラが深く長いため息を吐くので、フローレンスは縮こまった。
「ご、ごめんなさい」
「フローレンス、がんばろう。かわいい服買って、お化粧もちゃんとしなきゃ。きっちりオシャレしたら、絶対大丈夫。フローレンスは美人だもん」
クロエが優しく言ってくれる。
「今日、ふたりでフローレンスの家に行くわ。服を確認するわよ。全部買うのはお金がかかるもの。手持ちの服を見て、買うもの決めなきゃ」
アラベラが目をギラギラさせている。
「いい男はね、すぐ捕まえないと。将来有望な商人で、カッコイイんでしょう? 絶対に落とすのよ」
「ええっ、私みたいな地味な女に、そんな高度な技術はありません」
「何ぬるいこと言ってるの。週末までにたたき込むから、覚悟しなさい。元はそんなに悪くないんだから。化粧と服と雰囲気よ」
アラベラがメラメラと燃えている。
「あ、部長です」
クロエが小声でささやいた。クロエとアラベラは、ツンとした表情を作ってフローレンスからスッと離れる。
仕事帰りにフローレンスの家にアラベラとクロエがやって来た。フローレンスの衣装棚を見て、クロエは絶句し、アラベラは叫ぶ。
「ちょっと、何これ。同じ白ブラウスと黒スカートがいくつもある」
「はい、そうなんです。まとめて買うと安くしてもらえたので。それに、毎日同じなら、悩まなくてすみますし」
「フローレンス、あなたの女子力はどこにいったの」
「元々無いんだと思います……」
「ダメだ、どうしよう。私たちの服貸すわけにもいかないしねえ」
アラベラはじろじろとフローレンスの体を見る。クロエは気まずそうに目をそらす。
「そうですね、おふたりの服を着ると、破れると思います」
フローレンスは淡々と言った。フローレンスはがっしりしている。骨太で鳩胸だ。胸が豊かかと思わせて、脱いだらガッカリされる感じだ。残念である。
それにひきかえ、アラベラは女性らしい丸みを帯びた理想的な体型だ。出るとこ出て、腰はキュッと引き締まっている。
クロエは華奢で可憐な乙女。強そうなフローレンスとは真逆なのだ。
「それにしてもフローレンス。どうして、よりにもよって似合わない形のブラウスを買うのよ」
「え?」
「あなた、首が短くて肩幅がっしりしてて、鳩胸じゃない。首の詰まって、肩にフリルのついたブラウスなんてもってのほかよ。強そうにしか見えないわよ」
「安かったので」
フローレンスは肩をすくめた。アラベラは険しい顔で腕を組む。
「おバカさん。安いってだけで、似合わない服買ったらダメ。あなた、仕事はできるのにねえ。見栄えをよくすることも少しは覚えなさい」
「お金を節約しないといけなくて。少なくとも弟が学園を卒業するまで」
「あなたのそういう堅実なところ、素敵だと思うわ。でもね、今は例外よ。明日フローレンスの良さを活かせる服を買いに行きましょう」
色々話し合って、黒スカートに合わせるブラウスを買いに行くことになった。
仕事を早目に終わらせてもらって、三人で服屋に行く。アラベラ行きつけのお店らしい。少し流行りから遅れた服が安く買え、働く女性に人気だそう。
アラベラはいくつもブラウスを広げ、フローレンスに当てる。
「フローレンスは肌が白くてキレイだから、落ち着いた深みのある赤いブラウスがいいと思うわ。胸元は広く開いてる方が、首回りがスッキリ見えるわね」
「あ、このブラウス安いです! 三枚で一枚の値段ですって」
フローレンスは喜び勇んで棚のブラウスに手を伸ばす。
ペチン アラベラがフローレンスの手を叩き、クロエはフルフルと首を振っている。
「安いからって、似合わない服に飛びつかない。こんな首にリボン巻くような服、ダメよ。生地がフワフワだし、太って見えるわよ。こういうのはクロエみたいな子向きね」
フローレンスはガッカリしてお得なブラウスを棚に戻す。
「フローレンス、この赤いブラウスが似合うと思う。試着してきたら」
クロエに励まされて、フローレンスは試着室に入った。あら、似合うかもしれない。フローレンスは鏡をじっくり見る。いまだかつてなく、かわいい気がする。気のせいかどうか、ふたりに見てもらおう。
そっと試着室から出ると、アラベラは微笑み、クロエは手をパチンと叩いた。
「決まりよ」
「すっごくカワイイ」
クロエは同じ型のブラウスを、赤と鮮やかな緑の二枚買った。三人で小さなレストランに入って、前祝いをする。
「白と黒しか着たことないの。まさかこんな派手な色が似合うと思わなかった」
「あなた、自分のこと地味って思ってるみたいだけど……。目も大きいし、肌もキレイだし、磨けば光るのよ。フローレンスに足りないのは自信と色気ね」
「う……」
フローレンスはパンをのどにつまらせた。クロエがドンドンっと背中を叩いてくれる。
「が、がんばります」
その後、ふたりがカワイイ仕草なんかを教えてくれたが、アラベラはすぐ諦めた。
「やめやめー。なんか、フローレンスがやると不気味。見ててこっちが恥ずかしくなる。そのまま、ちょっとオドオドしてるぐらいがカワイイわ」
「フローレンスの優しくて真面目で謙虚なところ、きっと好きになってもらえると思う」
「がんばります!」
フローレンスはもう一度、ふたりに誓った。
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