上 下
5 / 18
①サッシャ・ルスター

5.三か月目(前半)

しおりを挟む
 サッシャはハイケに協力を仰いだ。

「皆さんの仕事の流れを資料としてまとめたいんです。でも、なんだか言いにくくて」

 ハイケは渋い顔をする。

「それは、いやがられると思うわ。担当者は資料にしなくても、全て分かってるもの。まとめる必要性を感じてもらえないんじゃない?」

「やっぱりそうですよね。なんだかそんな気がしていました」

 ハイケは肩を落とす。

「あなたに自分の仕事取られるんじゃないかって。そう思う人もいると思う」
「そんなつもりはありません」

 サッシャは目を丸くして首を横に振る。

「私は分かってるけど。ほら、あなた最近目立ってるから。若くて美人。部長のお気に入りで、仕事もできる。誰にでも愛想良く、皆から好かれている。ね、嫉妬の見本市みたいなもんじゃない」

 サッシャは固まって何も言えない。ハイケはサッシャの肩に手を置いた。

「やり方を考えてみるから、もう少し待って。焦らないのよ」
「はい、ありがとうございます」

 がむしゃらにやってきたけど、それだけじゃダメなんだ。サッシャは自分に足りないものの多さに、気分が暗くなった。


 イヤなことは重なるもので、ウィリアムからとんでもないことを言われる。

「私が王家主催の夜会に出るんですか?」
「そう、私のエスコート相手を務めてくれ給え」
「あの、でも、その……。ウィリアム様の奥様は……?」
「妻は今旅行に出ていてね。ほら、急に決まった夜会だから。じゃあ、そういうことで、頼んだよ」

 ウィリアムは、話はもうおしまいと言った雰囲気で書類に目を通し始める。サッシャは口を開けたが、また閉じて静かに部屋を出た。


 サッシャはあまりのことに仕事が手につかない。サッシャは気分を変えるために給湯室に行ってみる。のぞいてみると、ディランはいなかった。今頃は昼食の仕込みの時間だ。いるわけがないのに。

 サッシャは、給湯室で自分用のお茶を入れると、すみっこでこっそり飲んだ。さあ、戻って働かなければ。サッシャは気合を入れて事務所に戻る。


 仕事が終わってから、サッシャはディランの家に寄ってみる。仕事帰りに寄ったことは、まだ一度もない。サッシャは家の前でウロウロして、心が決められない。突然来て、迷惑じゃないかしら。

 やっぱり帰ろう、サッシャがそう思ったとき、ガチャッと扉が開いた。エプロンをつけて、生ゴミを持ってるディランが、目を丸くする。

「サッシャ、ビックリした。さあ、早く入りなよ。ちょうど晩ごはんができたとこ。俺はゴミ捨ててくるから、中で待ってて」

 ディランの言葉に、サッシャはホッとして部屋に入る。暖かい部屋の中には、トマト煮込みの匂いが漂っている。

 グウ~ サッシャのお腹がなった。サッシャは顔を赤らめる。

 ディランが部屋に入って来て、サッシャの頭にポンっと手を置く。

「話はゆっくり聞くから。まずは食べよう。俺、腹減っちゃって」

 ディランは手早くパスタを茹で始めた。

「簡単にトマト煮込みとパンですまそうと思ってたけど。ふたり分には量が足りないから、パスタにかけるね」
「あ、ごめんね。ごはんどきに突然来ちゃって」

 ごはん食べにおしかけたみたいになってしまった。サッシャは手土産もなく訪れたことに今さら気づいて焦る。


「なんで謝るの。俺は毎日だって来てもらいたいよ。うん、そうしなよ。毎日ごはんうちで食べたら? あ、お父さんに怒られるかな?」
「父は滅多に家にいないから、それは大丈夫だけど。……いいの?」

 サッシャにとってはありがたい話だ。家でシーンとした食卓で食べても、ちっともおいしくない。

「うん、大歓迎。サッシャと食べるとなんでもおいしいから」
「ありがとう。食費は払うからね」
「うううーーん、お願いします!」

 ディランは屈託なく笑った。サッシャもつられて笑う。


 食事が終わって、ふたりでソファーに腰かける。

「へえ、部長と夜会。それって仕事?」
「う、まあ、そう言えなくもない、かなあ」
「断れないんだね?」
「うん、上司だから」

 うつむくサッシャの手をディランが優しく握る。

「そうか。行くだけ行って、すぐお腹痛いって帰ってきなよ」
「そうね、できればそうする」
「俺が上司をぶん殴ってやろうか?」
「ダメだよそんなの。貴族を殴ったら捕まるよ。処刑されちゃうかもよ」

 サッシャは想像すると怖くなって、情けない顔になる。

「そうだな。ごめん、助けてあげられなくて」
「そんなことない。今日会えて嬉しかった」
「ね、俺と踊ってくれない? 部長と踊る前に、俺と踊ってほしいな。つっても、全然踊れないんだけどさ」

 ディランはサッシャの手を引っ張り、立ち上がる。ふたりは遠慮がちに体を近づける。

「いざとなったら、足踏んでやれ」

 サッシャは思わず笑った。

「それならできそう」
 
 サッシャはディランの胸に額をつける。ディランはサッシャの髪に顔を埋めた。


***


「いいこと思いついたわ」

 翌朝ハイケがコソッと話しかけてくる。

「仕事内容をまとめる件よ。あれ、部長からやればいいわ。そのあと私。そしたらみんな、部長の指示なんだなって思うはず」

「そっか、そうですね。あ、そしたら部長に許可取らないと」
「うーん、いいんじゃない、それはできてからで。多分あの人そういうの興味ないと思うし。それに、下手に許可取ると、今以上にべったりされるわよ」

 サッシャは真顔になる。それは、とてもイヤだ。

「部長の仕事は大体分かってるから。はい、昨日簡単にまとめておいた。議事録とか、予算資料とか、必要なものは棚に入ってるから調べてみて。分からないことあったら聞いてくれればいいわ」

「ハイケさん、すごいです。いつもありがとうございます」

 サッシャは感激する。なんて素晴らしい先輩なんだろう。

「がんばってね。やる意味があると思うわ。でもあんまり残業しないようにね」
「はい」

 サッシャは通常業務をなるべく早くすませ、資料作成に取りかかる。申請書類の数が大幅に減り、不備もほとんどなくなったので時間はあるのだ。

 ハイケの助けを借りながら、部長とハイケの仕事の流れはまとめ終わった。

「次はコリンさんがいいと思う」

 ハイケが言った通り、コリンは話を持ちかけると快く承知してくれる。

「いいと思う。こうやって自分の仕事を改めて話してみると、結構無駄があるなーって気づくもんだね。逆に、これはもっと時間かける方がいいなということも見えてくる。他の人のができたら見せてくれる?」

「はい」

 サッシャは理解者が増えてホッとした。焦らず少しずつやろう。気合を入れて紙をめくる。


 そうこうしてるうちに夜会の日がやってきた。サッシャは昨日からため息が止まらない。ルークと婚約解消をしてから、夜会には出ていなかった。サッシャは夜会が苦手だ。気が重い。

 サッシャはなるべく目立たないよう、薄い空色の地味なドレスをまとう。髪には、今朝ディランがくれた青い花をつける。花弁の大きな華やかな花。「幸運は必ず訪れる」という花言葉らしい。花屋の店員が教えてくれたとディランが言っていた。


 子爵家の馬車で会場まで行く。ウィリアムは迎えに行くと言ったが、サッシャは断った。ふたりきりで馬車に乗るなんて、何をされるか分からない。

「それはさすがに、仕事の中には入らないわ」

 サッシャはまたため息を吐きながら窓の外をボーッと眺める。会場に着いて馬車を降りる。入口で待っていると、次々と貴族たちから声をかけられた。

「今日はひとり? 私がエスコートしようか?」
「いえ、部長と……。仕事ですから」

「そう、あとで一緒に踊ってくれる?」
「え、あの、お約束はできません。仕事ですから」

 あらゆる誘いを、「仕事ですから」で断る。便利だわ、働いていてよかった、と心底思った。

 颯爽とウィリアムが現れる。

「やあ、待たせたかい? すまない」

 ウィリアムは自然にサッシャをエスコートすると会場に入っていく。ウィリアムは色んな人と挨拶しながら、サッシャを紹介してくれる。偉い人がたくさんだ。サッシャは緊張のあまり手がじっとりする。

「ウィリアム、今日は随分若い女性を連れているな」

 声をかけられ、ふたりは振り返る。怜悧で整った顔立ちの青年が立っていた。

「これはアレックス殿下」

 ウィリアムはうやうやしく頭を下げる。サッシャは慌ててカーテシーをした。

「そなた、名はなんと申す?」
「サッシャ・ルスターと申します。ルスター子爵家の長女でございます」
「そうか、学園一の才媛と聞いたことがある。なぜウィリアムと?」
「サッシャは私の部下なのです」

 ウィリアムが言った。

「そうか。彼女を少し借りてもよいか?」
「もちろんでございます」

 サッシャはよく分からないまま、アレックス第三王子と踊ることになった。どうしよう。アレックスがなにやら言っているが、緊張のあまりよく聞き取れない。

 アレックスがサッシャの耳元に口を寄せてささやく。

「なぜ働いている?」
「自立したいと思っておりますので」
「結婚はしないつもりということか?」
「ええ、そうですね」
「結婚して子を成すのが貴族の務めだとは思わないのか?」
「別の形で国に貢献したいと思っております」
「そうか、おもしろいな」

 まずい、興味をもたれてしまった。これは、足を踏むべきであろうか。

「また会おう、サッシャ・ルスター」

 サッシャが足を踏むか逡巡しているうちに、音楽が終わってしまう。アレックスは立ち去り、サッシャは好奇の眼差しにさらされる。サッシャはさっさと退散することにした。グズグズしていると、貴族女性に取り囲まれ、帰れなくなってしまう。

 サッシャはウィリアムに近づくと小声でささやく。

「ウィリアム様、申し訳ございません。体調が優れませんので、これにて失礼させていただきます」
「そうだな、帰りたまえ」

 ウィリアムは周りの視線からサッシャを隠すように、出口まで送ってくれる。サッシャは馬車に乗ると座席に崩れるように倒れた。

 なんだか、とてもイヤな予感がする。


しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

とある虐げられた侯爵令嬢の華麗なる後ろ楯~拾い人したら溺愛された件

紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
侯爵令嬢リリアーヌは、10歳で母が他界し、その後義母と義妹に虐げられ、 屋敷ではメイド仕事をして過ごす日々。 そんな中で、このままでは一生虐げられたままだと思い、一念発起。 母の遺言を受け、自分で自分を幸せにするために行動を起こすことに。 そんな中、偶然訳ありの男性を拾ってしまう。 しかし、その男性がリリアーヌの未来を作る救世主でーーーー。 メイド仕事の傍らで隠れて淑女教育を完璧に終了させ、語学、経営、経済を学び、 財産を築くために屋敷のメイド姿で見聞きした貴族社会のことを小説に書いて出版し、それが大ヒット御礼! 学んだことを生かし、商会を設立。 孤児院から人材を引き取り育成もスタート。 出版部門、観劇部門、版権部門、商品部門など次々と商いを展開。 そこに隣国の王子も参戦してきて?! 本作品は虐げられた環境の中でも懸命に前を向いて頑張る とある侯爵令嬢が幸せを掴むまでの溺愛×サクセスストーリーです♡ *誤字脱字多数あるかと思います。 *初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ *ゆるふわ設定です

母と妹が出来て婚約者が義理の家族になった伯爵令嬢は・・

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
全てを失った伯爵令嬢の再生と逆転劇の物語 母を早くに亡くした19歳の美しく、心優しい伯爵令嬢スカーレットには2歳年上の婚約者がいた。2人は間もなく結婚するはずだったが、ある日突然単身赴任中だった父から再婚の知らせが届いた。やがて屋敷にやって来たのは義理の母と2歳年下の義理の妹。肝心の父は旅の途中で不慮の死を遂げていた。そして始まるスカーレットの受難の日々。持っているものを全て奪われ、ついには婚約者と屋敷まで奪われ、住む場所を失ったスカーレットの行く末は・・・? ※ カクヨム、小説家になろうにも投稿しています

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...