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ドアマットは許さない~シンデレラはハッピーエンド後も働きます~
しおりを挟むアッシュは売れっ子のメイドだ。しょっちゅう助っ人の依頼が入る。短いと一週間、長い時は数か月、お屋敷に住みこむ。そこでの仕事が終われば、次の依頼先に引っ越しだ。だから、アッシュの荷物は必要最低限。自分で持ち運びできる旅行トランクに入るだけ。そう決めている。
メイド服はたいてい勤め先で支給されるが、万一のときのために、どこのお屋敷でも浮かないメイド服は一着入れている。清潔な下着、寝巻き、どこにでも溶け込める服。ぎっしり書き込んだ黒革の手帳。なんでも洗える石鹸。たいがいの病気は治せる薬草茶。いざというときの解毒剤。魔牛も従えられる長いムチ。屋根から地面まで降りたり、賊を縛り上げたりするときに便利な長いロープ。様々な魔道具。姿を好きなように変えられる魔法の靴。そして、一級メイドの証明メダル。これらが、トランクの中にきっちりと詰められている。
こざっぱりとしたワンピースをまとい、羽飾りのついた帽子をかぶったアッシュ。すました顔で屋敷の裏口に立った。トントンッとドアを叩くと、すぐにひとりのメイドがドアを開ける。
「おはようございます。今日からこちらでお世話になるアッシュです。こちらが依頼書です」
スッと手紙を差し出すと、メイドはホッとしたようにアッシュを招き入れる。
「よかった。あなたが来てくれるなんて。本当に助かるわ」
「状況は?」
「ひどいの。もう、見てられない。なんとかしようと思っても、私たちの力じゃ限界があって」
「分かりました。大至急、メイド服をください。着替えてすぐに仕事を始めます」
アッシュはあてがわれた屋根裏部屋で手早くメイド服に着替える。黒いワンピースに白いエプロン、白い帽子をかぶった。認識阻害のネックレスをつけ、魔法の靴を履けば、完成だ。これでもう、アッシュはどこにでもいる、目立たないメイド。誰に見咎められることもない。
屋根裏部屋から階下に降り、教えられていた部屋に向かう。軽くノックし、答えを待たずにスルッと部屋に入り込んだ。中には傷だらけの少女。床に倒れている少女の首と手首を触り、脈をはかる。アッシュはポケットの中から万能解毒剤の入った小瓶を取り出すと、一滴を少女の口に垂らした。
血の気のなかった少女の顔に少し赤みがさす。脈も安定しはじめた。アッシュは薬草茶を入れて、ぬるくなってから少女の口にひとさじずつ流し込む。少女の呼吸が穏やかになった。
「かわいそうに。大丈夫よ、これからは私が守ってあげる」
アッシュは少女の髪を優しくなでつけ、やせ細った頬を軽く指でなぞる。
「まったく、どいつもこいつも。家族だからってなんでもやっていいって思ってるわね。こんな虐待、絶対許さないんだから」
トテトテトテ、アッシュの足元にネズミたちが集まる。ネズミたちの力を借りて、アッシュは少女をベッドに寝かせた。硬いマット、薄くゴワゴワの毛布。アッシュはフーッと息を吐くと、腕まくりをした。
「この子が元気を取り戻すまで、少なくとも一週間は必要ね。ローリーにお茶会でも開催してもらいましょう」
アッシュは窓を開けると、外に向かってピュイピュイと口笛を吹いた。すぐに小さな青い鳥がやってくる。アッシュは小鳥にむかってささやく。小鳥は首を左右に傾げながらアッシュの言葉をじっと聞くと、パッと飛び立っていった。
しばらくして、足音が響き、ノックされることもなくドアが開く。アッシュは壁際に立ち、静かに頭を下げた。化粧の濃い派手な身なりをした女性が入ってくる。女性はアッシュをチラッと見ると、ベッドの方にあごをしゃくった。
「あれ、具合はどうなの?」
「メアリー様は食欲がなく、痩せていらっしゃいます。回復するのに一週間は必要かと存じます」
「十日後に王家でお茶会が開かれます。あれも招待されているので、それまでに人前に出られるようにしてちょうだい」
「はい、奥様」
奥様はいまいましそうにメアリーをにらみつけると、不機嫌さを全開にして部屋を出て行った。
アッシュは「奥様に申しつけられましたので」を繰り返し、メアリーの生活環境を整えていく。
「メアリー様に滋養のあるスープと果物が必要です。奥様に申しつけられましたので」
「メアリー様のベッドのマット交換と、新しい毛布が必要です。奥様に申しつけられましたので」
「メアリー様に、日当たりと風当たりのいい南側の部屋に移っていただきます。奥様に申しつけられましたので」
一週間がたつ頃には、メアリーの頬は少しふっくらし、アッシュと笑顔で話せるまでに快復した。
「アッシュ、本当にありがとう。私、もう諦めていたの。お父様は領地での仕事が忙しくて滅多にこちらにいらっしゃらないし。お継母さまは私が憎くて仕方ないみたいで。ごはんも食べられなくて」
ハラハラと涙を流すメアリーの手を、アッシュは優しく握りしめた。
「間に合ってよかったです。プッツェルマン子爵家の正当な後継ぎはメアリー様です。必ずや、正当な地位にお戻しいたします」
「私、地位とかは別にいいの。ごはんを食べられて、叩かれたりしなければ、それでいいの。今はとっても幸せ。ずっとアッシュがいてくれればいいのに」
「メアリー様。残念ながら、私はいつまでもはいられません。メアリー様に戦う術を身に付けていただかねばなりません。踏まれ続けていると、舐められます。誇り高く、立ち向かいましょう」
「どうやって? 私、剣は使えないわ」
メアリーは自信無さげに目をふせる。
「美貌、魔力、筋力。これを鍛えれば勝てます。メアリー様は、美貌と魔力は既にお持ちです。あとは、筋肉をつけること」
「魔力はともかく。筋肉は必要なのかしら?」
メアリーは折れそうに細い手を組み、首を傾げる。
「メアリー様。覇気は、筋肉に宿ります。適度な筋肉は美貌を輝かせ、スッとした立ち姿は人目をひき、舐められない覇気を作ります。いざとなったら、お前の首をへし折るぜ。そう心の中で唱えるだけで、強くあれます」
「そんなこと、考えたこともなかったわ。でも、そうね。やられっぱなしは、イヤだわ」
「では、鍛錬を始めましょう。本当は庭の散歩から始めたいところですが。ご家族に見られると面倒ですからね。部屋の中で鍛えましょう」
「がんばるわ」
メアリーが握りこぶしを作ってかわいらしく微笑んだとき、バンッとドアが開く。
「あーら、本当に元気になったのね。つまんないの」
「お母さまが大目に見てるからって、いい気になるんじゃないわよ」
「お茶会が終わったら、あんたなんて用済みなんだから」
厚化粧でゴテゴテと着飾った少女が三人、ニヤニヤと笑ってメアリーを見ている。
「お義姉さま」
「あんたにオネエサマって呼ばれるとゾワゾワするのよ。黙りなさいよ」
パチンッ いい音がしてアッシュが派手に吹っ飛ぶ。アッシュの頬がみるみる内に赤く腫れあがる。
「えっ、私、あれ? あいつを叩いたつもりだったんだけど」
金髪縦ロールの三女は不思議そうな顔をして、手をブラブラ振る。
「お義姉さま、アッシュに手をあげるのはやめてください」
「うるさいわね、私たちに口答えしようっていうの。生意気よ」
頭につけた大きなリボンを揺らしながら、次女がメアリーの髪をつかむ。握られたハサミがギラリと光る。
ジャキンッ アッシュの髪がひとふさ、ハラリとベッドの上に舞った。
「あれ、おかしいわ。なんでメイドの髪が切れてるの」
次女がいぶかしげに頭を振る。リボンがプルプル揺れる。
「あんた、お茶会に何着ていくつもり? あ、ごめーん。あんたあの貧相な母親のお古のドレスしかないわよね。私がマシなの見立ててあげるわ」
大きな花飾りを頭につけた長女が、ズカズカと部屋を横切り、衣装棚を開ける。
「これがいいんじゃない。鶏ガラなあんたにピッタリよ」
薄いピンクの上品なドレス。長女は強引にメアリーの頭からドレスを被し、ニヤニヤしながらビリッと引き裂いた。
キャッ アッシュが叫び、胸元を隠す。アッシュのメイド服の胸元が破れている。長女は気味が悪そうにアッシュを見た。
「なんでお前の服が破れるのよ。なにかおかしいわね」
長女は気味が悪そうに後ずさると、アッシュとメアリーをにらむ。
「お茶会が終わったら、家から出ていってもらうから。今のうちに荷物をまとめておきなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
アッシュは頬を腫らし、髪を乱し、服の胸元がビリビリの状態で、神妙に頭を下げた。
三人が出て行ったあと、メアリーがアッシュの頬に手を当て謝る。アッシュが魔道具でメアリーの嫌がらせを肩代わりしたのだ。メアリーは赤い石のついた指輪、アッシュは青い石のついた指輪をつけている。稀少な身代わり魔道具。
「アッシュ、私のためにごめんなさい。私、必ずもっと強くなるわ」
「少しずつ鍛えましょう」
アッシュとメアリーは手をつなぎ、真剣な目で見つめ合う。
***
王家のお茶会は、ローレンツ第二王子と婚約者アシュリーの登場と共に、始まった。太陽のように華やかな金髪のローレンツ。月のように神秘的な銀髪のアシュリー。一幅の絵のように似合いのふたりに、庭園に集まった令嬢の視線が集中する。
「なんてお美しいのかしら」
「太陽と月の邂逅ですわね」
「目の保養ですわ。あら、あのご令嬢はどなたかしら」
「アシュリー様と随分親し気ですわね。うらやましいですわ」
アシュリーが優しく微笑みかける栗色の髪の令嬢。薄いピンクのドレスは飾り気がないが、かえって令嬢の儚げな雰囲気を引き立てている。
「あら、あのゴテゴテしたご令嬢たちはいったい」
「あのお三方、アシュリー様にあんなに近づくなんて、無礼ですわ」
「えっ、うそ」
ゴテゴテした令嬢のひとりが、あろうことか紅茶をアシュリーにかけた。もうひとりはアシュリーの腕をつねり、三人目が足を踏んだ。
庭園は痛いほどの沈黙に包まれる。
「私の愛しいアシュリーになんという無礼を。引っ立てろ」
ローレンツ王子の冷気で庭園の温度が一気に冷えた。令嬢たちは寒そうにむき出しの腕をさする。
衛兵が厳しい表情で、三人のゴテゴテ令嬢を連れていく。
「違うんです。なにかの間違いです」
「妹が出すぎた真似をしていたから止めようとしただけです」
「アシュリー様に何かしようなど、決して思っておりません」
ゴテゴテ令嬢は叫んでいるが、ローレンツとアシュリーは見向きもしない。
「皆、騒がしくてすまなかったね。さあ、ゆっくりお茶会を楽しんでくれ。メアリー、アシュリーの着替えに付き添ってくれないか」
メアリーは膝を軽く落として礼をし、アシュリーと共に王宮に戻っていった。
「メアリー様。ああ、思い出しました。メアリー・プッツェルマン子爵令嬢ですわね」
「ああ、あの方。確かお母さまがお亡くなりになってから、社交界に出られなくなったとか。うっすら記憶がございますわ。かわいらしいご令嬢でしたもの」
「後妻に軟禁されていると、聞いたことがございます。その、メイドの情報網ですけれど」
令嬢たちは口に手を当てて、目を丸くした。
「まあ、ということはあのゴテゴテ令嬢は後妻の連れ子ですかしら?」
「後妻は、元々は平民らしいですわよ。男爵家に嫁いで、ゴテゴテ令嬢を産んで、男爵が亡くなってからプッツェルマン子爵の後妻になったそうですわ」
「あらあら、たいした成り上がりですこと。恐れ入りましたわ。どんな汚い手を使ったのやら」
「身分の低い後妻が、身分の高い前妻の娘をいじめる。よくある話ですけれど、許しがたいですわね」
令嬢たちは眉をひそめて首を振る。
「本当に」
「でも、それももう終わりですわね。アシュリー様にあんなことをして、ただで済むわけがありませんもの」
「お家お取りつぶし。もしくは、当主が家督をメアリー様にお譲りする。そんなところかしら」
「きっとそうですわね。メアリー様がアシュリー様に付き添ったということは、もしかすると侍女になるのかもしれませんし」
途端に令嬢たちが目を輝かせる。
「うらやましいですわ。わたくしもアシュリー様の側近の地位を狙っておりましたのに」
「わたくしもですわ。そうすれば、ローレンツ殿下の側近とお近づきになれますものね」
「まあ、欲望があからさますぎですわよ。もっと秘めてくださいまし」
令嬢たちの話題は、ローレンツの側近の誰がどのように素敵かに移っていった。
***
アシュリーの着替えを手伝いながら、メアリーは何度も詫びる。
「アシュリー様、私のせいで申し訳ございません」
「あら、いいのよ。私もこうやって魔女のおばあさまに助けてもらったんだもの。次は私が別の人を助ける番よ。それに、働くのは楽しいし。私、メイドが向いているのよね」
アシュリーは誇らしげなドヤ顔を見せる。
「私も、アシュリー様のようになりたいです」
「筋肉と魔力よ。危険がある仕事だから、強くならないとね。身代わり魔法をうまく使って、大げさに痛がってるフリするんだけど。まったく痛くないわけではないし。髪を切られることもあるし」
メアリーが涙目になって頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
「いいのよ。あいつらに倍返ししてやるから。もっと色んな魔法や魔道具を工夫するわ。そういうの考えるの、楽しいのよ」
「私もがんばります」
メアリーは両手をギュッと握りこぶしを作ってやる気を見せる。
王国からドアマットを消すために、アシュリーとメアリーは張り切るのであった。
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