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【短編】婚約破棄されるその前に 〜こっちから破棄してやりますわ、だって悪役令嬢ですもの〜
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「アーリンゲ第一王子殿下、あなたとの婚約を破棄する」
学園の入学式後の舞踏会、入学式を終えたばかりの十歳の若き紳士と淑女たちは、高らかに響いたその声に、皆一様にピタリと動きを止めた。
「アーデルハイド、君はいったい何を言っているのだ」
学生たちの目がいっせいに会場の中央にむけられる。そそそすすすと波が引くように人が下がり、残るは三人の男女。
うず高く盛り上げられた豪奢な金の髪には、色とりどりの可憐な花びらが飾り立てられている。否、いずれ枯れて貧相な色に朽ち果てる、そんな花弁ではなかった。今にも舞い散りそうな繊細さを持って煌めくそれらは、全て宝珠である。
ホウッ……
令嬢の髪を彩る宝玉の麗しさに、はたまた貴重な輝石を惜しげもなく装飾品に仕立て上げる財力に、会場の若きレディたちはため息をこぼした。
十歳でありながら既にかすかな色気を醸す少女は、ニコリと微笑むと濡れた唇を開いた。そこからチラリとのぞく紅く艶やかなそれに、青き少年たちの目は釘付けになる。
「わたくし、公爵家令嬢アーデルハイドは、アーリンゲ第一王子殿下との婚約を破棄する、そう申し上げましたわ」
アーデルハイドは王子に冷たい一瞥をくべるとさらに続ける。
「アーリンゲ第一王子殿下は六年後、この場所で、わたくしに婚約破棄を告げるわ。そう、そこな男爵令嬢に心を奪われてねぇ」
会場中の視線が王子の隣に立つ可憐な乙女に注がれた。冷たい冬の朝、灰色の雲の隙間から、かすかに差し込む陽光に照らされた真白な雪のような、清らかな色合いの一輪の花であった。
なるほど。そうか。そう納得する空気が醸成された。
これなら無理もない、納得である。
「皆さんもお分かりでしょうけれど……」
そう言ってアーデルハイドは自分達に注視する観衆に訴える。
「第一王子殿下の婚約者は生半可な身分の貴族には務まりませんわ」
アーデルハイドの冷たい紅玉の瞳と、淡い雪の姫の揺れる紫水晶の瞳が交差する。紅い視線の強さに耐えきれず、淡い紫はそっと床にむけられた。
「王国内の貴族をまとめあげ、他国の王族と対等に渡り合い、先を見る目を持たない愚民を導かなければなりません」
確かに、その責務の重さたるや、我らにはとても背負えぬ。その重みの意味を知り、それに一歩も引かぬ矜持を持つ高貴なる存在に自然と頭を垂れた。
しかしながら、少なからぬ生徒が、彼女の居丈高な物言いにかすかな反発を覚えた。
学生は貴族の子女だけではない。学園は富裕層の子や、金はなくとも一定以上の能力を持つ平民にも門戸が開かれている。
貴族だけでは国は豊かにならぬ。優秀な平民は掬い上げ責任ある地位に就かせて、国力を底上げする、それが陛下の思いである。そしてそれは広く国に知らしめてある。
我らを愚民呼ばわりする、そのような者に頭を下げるいわれはない。己の力に自信のある、気概のある若人はおじけることなく、金の髪を持つ公爵令嬢を見つめた。
しかし、生まれながらに人を使い、常に見られ続けて暮らしてきたアーデルハイドにとって、一介の生徒たちの物言いたげな眼差しなど、空中を漂う微量なほこりほども気にならぬ。
「平民あがりのそこな女は、聖女の力を見せつけて男爵令嬢に成り上がった、青き血の流れぬもの。次代の王族を産むにふさわしい腹ではない」
ギリッ 誰かが歯を軋ませる
「まつりごとには相応の知識が必要。つい最近、読み書きを習った程度で間に合いましょうか」
ポタリ 紫の目から雫がひとつ
「外交に必要な数々の言語、国によって異なる作法、季節によって使い分ける挨拶の言い回し。もの心ついた頃より、教え込まれたわたくしにとっては、息をするように易しいですけれど。……ねぇ」
もはやもの音ひとつしない空間に、令嬢が扇子をパチリパチリと手に打ちつける音だけが響く。
「歴史、法律、統計学、算術、学問はもちろんのこと、音楽、絵画など芸術の素養も求められますわねぇ。乗馬にダンスは貴族のたしなみ。そしてもちろん社交ですわ。各貴族家の歴史、家と家の関係性、当主の趣味など、知らなければならないことは、貴族の家の数だけございますわね」
白雪の乙女が震える手を握りしめ、愛らしい瞳に力をこめ、王家の次に身分の高いその人に立ち向かおうと、頭を上げた。……彼女を守ろう、そんな思いが皆の胸をよぎった。
「アーデルハイド」
そんな空気を一掃するかのようにアーリンゲ第一王子は笑う。
「また悪役令嬢ごっこかい?」
アーデルハイドの柔らかな頬が朱に染まった。
「君が何を言おうと、私の気持ちは変わらないよ」
王子の甘やかな声音に、幼き令嬢たちは密かにもだえた。
「初めて会った日に誓ったとおり」
王子は跪いてそっと手を取った。
「我が愛は一生、あなたのものだ。アーデルハイド」
王子は嫋やかな手に静かに口づけを落とす。
叫ばないようにハンカチで必死に口をおさえるお嬢さんたち。
「どうしてですの? わたくしは悪女ですわ。国を破滅させる魔女ですわ。六年後に振られるぐらいなら、今終わりにしたいですわ。どうして分かってくれませんの?」
真っ赤になって身をよじらせる公爵令嬢は、なんというか。うん。いい。
なあんだ、高貴なカップルのプレイか。
そんな弛緩した雰囲気が会場にただよった。
「ち、違いますわ。わたくしはあなたとは結婚いたしませんわ」
そう叫ぶアーデルハイドを慣れた手つきで外へ連れて行くアーリンゲ。
第一王子とのイベントを攻略した満足感を粉々にされた少女を取り残し、華やかな舞踏会が再開されたのであった。
<完>
学園の入学式後の舞踏会、入学式を終えたばかりの十歳の若き紳士と淑女たちは、高らかに響いたその声に、皆一様にピタリと動きを止めた。
「アーデルハイド、君はいったい何を言っているのだ」
学生たちの目がいっせいに会場の中央にむけられる。そそそすすすと波が引くように人が下がり、残るは三人の男女。
うず高く盛り上げられた豪奢な金の髪には、色とりどりの可憐な花びらが飾り立てられている。否、いずれ枯れて貧相な色に朽ち果てる、そんな花弁ではなかった。今にも舞い散りそうな繊細さを持って煌めくそれらは、全て宝珠である。
ホウッ……
令嬢の髪を彩る宝玉の麗しさに、はたまた貴重な輝石を惜しげもなく装飾品に仕立て上げる財力に、会場の若きレディたちはため息をこぼした。
十歳でありながら既にかすかな色気を醸す少女は、ニコリと微笑むと濡れた唇を開いた。そこからチラリとのぞく紅く艶やかなそれに、青き少年たちの目は釘付けになる。
「わたくし、公爵家令嬢アーデルハイドは、アーリンゲ第一王子殿下との婚約を破棄する、そう申し上げましたわ」
アーデルハイドは王子に冷たい一瞥をくべるとさらに続ける。
「アーリンゲ第一王子殿下は六年後、この場所で、わたくしに婚約破棄を告げるわ。そう、そこな男爵令嬢に心を奪われてねぇ」
会場中の視線が王子の隣に立つ可憐な乙女に注がれた。冷たい冬の朝、灰色の雲の隙間から、かすかに差し込む陽光に照らされた真白な雪のような、清らかな色合いの一輪の花であった。
なるほど。そうか。そう納得する空気が醸成された。
これなら無理もない、納得である。
「皆さんもお分かりでしょうけれど……」
そう言ってアーデルハイドは自分達に注視する観衆に訴える。
「第一王子殿下の婚約者は生半可な身分の貴族には務まりませんわ」
アーデルハイドの冷たい紅玉の瞳と、淡い雪の姫の揺れる紫水晶の瞳が交差する。紅い視線の強さに耐えきれず、淡い紫はそっと床にむけられた。
「王国内の貴族をまとめあげ、他国の王族と対等に渡り合い、先を見る目を持たない愚民を導かなければなりません」
確かに、その責務の重さたるや、我らにはとても背負えぬ。その重みの意味を知り、それに一歩も引かぬ矜持を持つ高貴なる存在に自然と頭を垂れた。
しかしながら、少なからぬ生徒が、彼女の居丈高な物言いにかすかな反発を覚えた。
学生は貴族の子女だけではない。学園は富裕層の子や、金はなくとも一定以上の能力を持つ平民にも門戸が開かれている。
貴族だけでは国は豊かにならぬ。優秀な平民は掬い上げ責任ある地位に就かせて、国力を底上げする、それが陛下の思いである。そしてそれは広く国に知らしめてある。
我らを愚民呼ばわりする、そのような者に頭を下げるいわれはない。己の力に自信のある、気概のある若人はおじけることなく、金の髪を持つ公爵令嬢を見つめた。
しかし、生まれながらに人を使い、常に見られ続けて暮らしてきたアーデルハイドにとって、一介の生徒たちの物言いたげな眼差しなど、空中を漂う微量なほこりほども気にならぬ。
「平民あがりのそこな女は、聖女の力を見せつけて男爵令嬢に成り上がった、青き血の流れぬもの。次代の王族を産むにふさわしい腹ではない」
ギリッ 誰かが歯を軋ませる
「まつりごとには相応の知識が必要。つい最近、読み書きを習った程度で間に合いましょうか」
ポタリ 紫の目から雫がひとつ
「外交に必要な数々の言語、国によって異なる作法、季節によって使い分ける挨拶の言い回し。もの心ついた頃より、教え込まれたわたくしにとっては、息をするように易しいですけれど。……ねぇ」
もはやもの音ひとつしない空間に、令嬢が扇子をパチリパチリと手に打ちつける音だけが響く。
「歴史、法律、統計学、算術、学問はもちろんのこと、音楽、絵画など芸術の素養も求められますわねぇ。乗馬にダンスは貴族のたしなみ。そしてもちろん社交ですわ。各貴族家の歴史、家と家の関係性、当主の趣味など、知らなければならないことは、貴族の家の数だけございますわね」
白雪の乙女が震える手を握りしめ、愛らしい瞳に力をこめ、王家の次に身分の高いその人に立ち向かおうと、頭を上げた。……彼女を守ろう、そんな思いが皆の胸をよぎった。
「アーデルハイド」
そんな空気を一掃するかのようにアーリンゲ第一王子は笑う。
「また悪役令嬢ごっこかい?」
アーデルハイドの柔らかな頬が朱に染まった。
「君が何を言おうと、私の気持ちは変わらないよ」
王子の甘やかな声音に、幼き令嬢たちは密かにもだえた。
「初めて会った日に誓ったとおり」
王子は跪いてそっと手を取った。
「我が愛は一生、あなたのものだ。アーデルハイド」
王子は嫋やかな手に静かに口づけを落とす。
叫ばないようにハンカチで必死に口をおさえるお嬢さんたち。
「どうしてですの? わたくしは悪女ですわ。国を破滅させる魔女ですわ。六年後に振られるぐらいなら、今終わりにしたいですわ。どうして分かってくれませんの?」
真っ赤になって身をよじらせる公爵令嬢は、なんというか。うん。いい。
なあんだ、高貴なカップルのプレイか。
そんな弛緩した雰囲気が会場にただよった。
「ち、違いますわ。わたくしはあなたとは結婚いたしませんわ」
そう叫ぶアーデルハイドを慣れた手つきで外へ連れて行くアーリンゲ。
第一王子とのイベントを攻略した満足感を粉々にされた少女を取り残し、華やかな舞踏会が再開されたのであった。
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