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12.【外伝】ハリソンの回想

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「お兄さん、また泣いてるの?」

「え?」

「はい、これで顔拭いたら? お兄さん昨日からずっと泣いてるね」

「俺の大切なふたりがやっと結婚したからな」

「あの王子様とお姫様? キレイだったなーふたりとも。あんなキレイな人、今まで見たことない。びっくりしちゃった」

「そうだな。殿下の心からの笑顔は十年ぶりだ」

***

 ハリソンはテオドールの五歳上だ。子供の頃から、テオドールの侍従兼護衛となるべく鍛えられた。ハリソンは十歳のときから、テオドールの近くに見習いとして侍るようになった。テオドールとオリガの蜜月の二年間も間近で見ていた。

 五歳のとき婚約したテオドールとオリガは、まるで魂の半身をみつけたかのように惹かれあった。始終べったりとひっつき、離そうとすると泣き叫ぶ。最初は微笑ましく見られていたが、徐々に行きすぎを心配する声が大きくなってきた。

 テオドールとオリガが七歳になったとき、オリガの父親である宰相が決断した。

「テオドール殿下。十年、オリガと節度ある距離を保ってください。そうでなければ、婚約は解消させていただきます。陛下もご承認済みです」

 テオドールはひと言も発しなかった。青ざめて、ただ宰相の顔を見つめ、しばらくしてうなずいた。

 テオドールはそれからオリガを必要以上に遠ざけた。近くにいると愛情が隠せず止められないからだと、ハリソンにだけ教えてくれた。

 オリガは泣いて泣いて泣き続けた。仕方なく陛下が、オリガの記憶をヌルでいじった。テオドールとの婚約をなかったことにしたのだ。


「オリガ、そなたの婚約者のテオドール第一王子殿下だよ、ご挨拶しなさい」

 宰相がオリガをテオドールに引き合わせる。大人たちは固唾を飲んで見守った。

 オリガはテオドールの顔をじっと見つめると満面の笑みを浮かべ、テオドールにトコトコ歩み寄ると、テオドールの手をキュッと握った。

「テオドール殿下、オリガです。初めまして」

 テオドールは真っ白な顔をして固まっていたが、ようやく口を開いた。

「ああ。オリガ、初めまして。テオドールと呼んでくれ」

 オリガはキラキラとした瞳でテオドールの目をのぞきこむと、明るく言った。

「テオドール、好きじゃ」

「ああ……」
 
 テオドールは鋼の意志で耐えた。


 ハリソンは王と宰相に直談判した。

「たった七歳の殿下に、なんという重荷を負わせるのですか。どうかお考えなおしください」

 一度決めたことをすぐには撤回できないと、ハリソンの訴えは退けられた。

 ハリソンは自室に戻って、テオドールの分も泣いた。テオドールは決して弱音を見せないのだから。


 それから十年、十年もの間テオドールは耐えた。週に一度のお茶会と、ふたりで出席する夜会や公式行事だけが、テオドールの楽しみであった。感情を表に出さないよう、仮面をつけ、情欲を抑え込めた瞳でオリガを見つめた。


***


「キリアン殿下の件がなければ、求婚はオリガ様の誕生日の予定だったのだけど」

 ハリソンは密かにキリアンに感謝している。

 学園の生徒はテオドールとオリガの間に割ってはいるようなことは、決してしない。女生徒たちはオリガのことが大好きで、オリガの思いが早く報われることを祈っていた。

 貴族の男子生徒は、入学前に家長から密かに告げられている。

「テオドール殿下の婚約者であるオリガ様は大層美しい。だが間違っても声をかけるな、距離をとれ。お家取りつぶしになりたくないであろう」

 男子生徒は何か大きな力が働いていることを察知し、きっちりと距離をとった。

 たまに事情を知らない平民男子がオリガに近づくと、速やかに貴族子息によって遠ざけられ、コンコンと言い含められた。


 そんな環境に一石を投じたのがキリアンだ。十年のすれ違いをどう埋めていくか、決めあぐねていたテオドールの背中を押すには十分であった。


「もう待たぬことにした。オリガの婚礼衣装を大至急仕上げさせろ」

 ハリソンは秘密裏にオリガの侍女ベルタと連絡をとり、超特急料金でテオドールと対になる婚礼衣装を作らせた。


「オリガ様の暴走はおもしろかったけど、大変だった……。オリガ様が殿下の執務室の天井に張りついてるのに気づいたときは、目が飛び出るかと思った」

 テオドールが目ぶりで反応しないよう指示したので、必死でこらえたのだ。

「オリガ様、殿下の船室に忍び込むし。殿下もよく耐えられたものだ」

 ハリソンはもちろん同行者は皆、オリガの潜入に気づいていた。見てみぬふりをするようテオドールから通達されていたのだ。

「十年ぶりにオリガ様を抱きしめることが叶って、殿下はお幸せそうだった。耐えるのは地獄だっただろうけど」

 ハリソンは酒をぐっと飲み干すと、机に頭をのせる。そろそろ酔いが回ってきた。

「おふたりがお幸せになったことだし、俺もそろそろ結婚したいなあ」

 侯爵家の四男であるハリソンはそれなりにモテる。だが、テオドールの侍従であるハリソンは、生半可な相手では許されない。

「だったら、アタシと遊ぼうよお兄さん」

 さっきから酔っ払ってウダウダ呟いてるハリソンを、適当にあしらっていた飲み屋の女がハリソンを誘う。

 ハリソンは涙と酔いでよく見えない目をゴシゴシとこすった。あだっぽいが、人の良さそうな女だ。ハリソンはちょっと迷ったが、首をふって断った。

「悪いな。俺、好きな人がいるんだ」

 ハリソンはフーが届けてくれた、ベルタからの手紙をポケットから出す。ハリソンが結婚式の様子を細かく書いてベルタに手紙を送ったら、丁寧な返事がきたのだ。

「年上の女性なんだけど、仕事に対する姿勢が似てるっていうか、主に対する思いに通じるものがあるっていうか。あの人となら、仕事も家庭もうまくやっていける気がする」

「そしたらね、思いを告げるのにピッタリのものがあるよ。どうだい、この宝石、これぐらいの質のものは、王都でもなかなか手に入らないはずだよ」

 女が抜け目ない笑顔で、布張りの箱に入った宝石を見せる。

「おいおい、ここで商売始める気かい? でも、そうだな……」

 ハリソンは苦笑いしながら、ひとつの宝石を手に取った。傷もない美しい翡翠だ。

「これならベルタさんの瞳に合いそうだ」

 ハリソンは酒と宝石の代金を払うと、よろりと立ち上がる。


 王都に戻ったら、ベルタさんに思いを伝えてみよう。
 オリガ様がいつも殿下に言うように、まっすぐに。
 ハリソンは手の中の翡翠をしっかり握りしめた。


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