上 下
1 / 14

1.その婚約破棄、ちょっとお待ちなさい

しおりを挟む
「その婚約破棄、ちょっとお待ちなさい」

 まーたオリガ公爵令嬢のおせっかいが始まったぞ。

 周囲の生徒は半ばワクワク、半ばハラハラしながら行方を見守る態勢を整えた。円陣である。

 円陣の中には四人の男女。

「クインシー子爵令息、そなたはロザリー子爵令嬢と婚約破棄し、新たにシェリー男爵令嬢と婚約する、それで間違いはないか?」

「……はい」

 うなだれて小さな声でつぶやくクインシー子爵令息。

「それは両家の当主の許可を取った上でのことか?」

「……いいえ」

 さらにうなだれるクインシー子爵令息。うなだれすぎて鼻がボタンにつきそうだ。

 パチン、オリガ公爵令嬢は白いたおやかな手に優美な扇子を打ちつける。

「話になりませんね。貴族の婚約は契約であり、両家の当主が決めたことは、例え当事者であろうと勝手に変えることは許されぬ。それを許せば貴族社会はガタガタになり、王国の結束が揺らぎましょうぞ」

 パチン パチン パチン

「クインシー子爵令息、そなた陛下の治世に意を唱える気ではあるまいの?」

「いいいいいいいえ、そのような、滅相もございません」

 クインシー子爵令息は真っ青になって地面に崩れ落ちた。

「それではこの婚約破棄、このオリガが預かりましょう。追って両家の当主と話をつけるゆえ、そなたらは屋敷で待て。解決するまで登園はならぬ」

 クインシー子爵令息はただカクカクとうなずくばかり。

「さて、ロザリー子爵令嬢……。こたびはとんだことであったな。そなたの心中察してあまりあるが、このような衆人環視の場では話もできぬ。明日、我が家でお茶会をしようではないか。よいか」

 ロザリー子爵令嬢は涙がこぼれそうになるのを、すんでのところでこらえ、毅然とした態度で淑女の礼をとる。

 パチン パチン パチン パチン

「シェリー男爵令嬢……」

「はははははははいぃぃ……」

 シェリー男爵令嬢は普段の茶目っ気もすっかり影を潜めて、小刻みに震えている。

「そなたは商家の出であったな。父上が一代限りの男爵位を賜ったと。ということは、そなたはそもそも貴族ではない。貴族ではない、ただのシェリーよ。そなたの父はこの騒ぎを知れば、爵位を返還するであろうの」

「そ、そんな、だってアタシは子爵夫人になれるってクインが……クインが悪いのよ、アタシは反対したのに」

パチン

「お黙りなさい。見苦しいことを申すでない。よいか、この国は貴族社会で身分制度を前提に成り立っておる。貴族は高い身分を持つかわりに、国に奉仕することを求められておるわ。そう、ノブレス・オブリージュよの。そなたは貴族社会に疎い、こたびは見逃すが今後は己の行動に責任を持つように。よいな」

 ただのシェリーはプルプルと震えながら手を強く握りしめた。

 オリガ公爵令嬢は、周囲の生徒をぐるりと見回すと重々しく口を開く。

「このこと、面白おかしく広めるでないぞ。このような公衆の面前で婚約破棄などもってのほかじゃ。貴族にあるまじき振る舞い。学園の評判にも触りましょう。分かるな、学園の評判が下がれば、卒業した先達に申し訳がたたぬ。醜聞はこの学園内から漏らさぬよう」

 生徒たちは黙ってうなずいた。学園の評価が下がれば、卒業後の職探しに影響する。それは困る。

 円陣はすみやかに解散した。クインシー子爵令息は重い足取りで校門にむかい、ロザリー子爵令嬢はオリガに再度礼をとると優雅な歩みで学園内に戻る。

 ひとり立ち尽くす、ただのシェリーをおいて、オリガ公爵令嬢は満足気に馬車へ向かった。

「今日もよき働きができた。余は満足じゃ」



 オリガ公爵令嬢は、おじいちゃん子であった。忙しい両親にかわって、祖父が毎日遊んでくれた。お気に入りの遊びは世直しごっこで、お気に入りの本は悪を成敗する謎の貴族の物語、お気に入りの言葉はノブレス・オブリージュである。筋金入りである。

 今どき、のじゃ言葉は流行っておらぬが、そのようなことはオリガには些細なことであった。王家に次ぐ高貴な身分として、伝統を守っているのである。

 オリガの婚約者はテオドール第一王子である。オリガはいずれテオドールと共に国を導くときに備え、幼き頃より王妃教育を受けてきた。それは厳しいものであった。だがオリガにとって厳しさは問題にはならない。

「壁は高いほど、乗り越えたときの喜びも大きいのよ。のじゃ」

 オリガはたまに間違う、だが気にしない。間違えて正しいことを覚える、その繰り返しでしか、人は成長しないと知っているからだ。


 みっちり詰まった王妃教育の息抜きは人助けである。誰か困っておる者はおらぬかと、常に視線を動かしている。オリガの視力はとても良い。遠くまでくっきりとよく見える。

「あれは……なにやら木に引っかかっておるのか。よし、手助けいたそう」

 オリガは軽やかな足取りで近寄る。

「そなた、スカーフが木に引っかかったのじゃな。よし、わらわが風魔法で取ってやろう。…………ほれ」

 薄桃色の髪の女生徒は、とまどった表情でオリガを見つめる。

「あ、悪役令嬢のオリガ……」

 思わず漏れた言葉を取り消そうと、女生徒は手をぶんぶんと顔の周りで振る。

「ほう、そなた、わらわの別名を知っておるとは……大したものじゃ。わらわはオリガ・アクヤーク・ロッセリーニである。そなた、名をなんと申す?」

「パ、パメラです」

「うむ。パパメラじゃな、覚えておこう」

 ご機嫌な様子で立ち去るオリガの後に、途方に暮れたパメラが残された。

「悪役令嬢、キャラ変してる。まさかオリガも転生者なの?」

 パメラの小さなつぶやきは、風に吹かれて消えていった。




「おや、あれはパパメラではないか。あやつ噴水の周りで何をウロウロと。さては何か落としたな」

 オリガは満面の笑顔で噴水に向かった。

「パパメラではないか。どうしたのじゃ。おや、そなた、噴水の中に懐中時計を落としたのじゃな。よし、わらわが水魔法でとってやろう。…………ほれ」

「あ、ありがとうございます」

「よいのじゃ。そなた少しうかつなところがあるのではないか? 気をつけよ」

 オリガはやり切った達成感を胸に、ニコニコしながら戻っていく。

「……クッ、またイベントの邪魔された。やっぱりオリガも転生者なのね」

 パメラの悔し涙は噴水の中に溶けていった。



「……パパメラ、あやつ騎士団長の子息とジャレ合っているようじゃが。ふむ、騎士団長の子息には婚約者がいたのではないか? そうよの、そうじゃそうじゃ。いかんの、火種は早めに消すに限る。また人前で婚約破棄などやられると、学園の、いや、わらわの評判がガタ落ちではないか」

 王家の影も真っ青な忍び足で、オリガはキャッキャウフフの空間にすすすーっと割って入った。そう、イチャつく男女の間に。

「近っ」

 思わず飛びのく若き男女。

「ウィリアム侯爵令息、そなた、何をやっておる。ここは学園ぞ。火遊びは仮面舞踏会のみにしておけ」

 ウィリアム侯爵令息はハッと息をのんで固まった。

「パパメラ、そなた男爵令嬢であったな。残念だがこの男はやめておけ。こやつは女遊びがひどい。婚約者は目をつぶって見てみぬふりをしておるが、それはあくまでも仮面舞踏会でのお戯れのみじゃ。学園内で他の女に手を出せば、メンツを潰されたと家同士の争いにつながる。上位貴族のいさかいに巻き込まれては、そなたなど一瞬で吹き飛ばされるぞ」

 パメラはうつむいたまま黙っている。

「パパメラ、かわいそうに。ひょっとして初恋であったのか? ウィリアム侯爵令息、そなた純情な乙女をもて遊ぶなど貴族の風上にもおけぬ。しばらく屋敷で謹慎せよ」

 ウィリアム侯爵令息はギリッと口を固く閉じ、不満の色を抑え込んだ。パメラはまだうつむいたままだ。

「パパメラ、落ち込むでない。そなたに釣り合う身分の令息を探してやろう。なに、二十組ほどの婚約をまとめた実績があるのじゃぞ。安らかな気持ちで待っておれ」

 あ~忙しい忙しい~、そうつぶやきながらオリガは去っていった。


「もーーーなんなのよ、あいつーーーー」

 パメラの雄叫びは青い空に吸い込まれて、そして消えた。



<完>


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

王子様、あなたの不貞を私は隠します

岡暁舟
恋愛
アンソニーとソーニャの交わり。それを許すはずだったクレアだったが、アンソニーはクレアの事を心から愛しているようだった。そして、偽りの愛に気がついたアンソニーはソーニャを痛ぶることを決意した…。 「王子様、あなたの不貞を私は知っております」の続編になります。 本編完結しました。今後続編を書いていきます。「王子様、あなたの不貞を私は糧にします」の予定になります。

悪『役』令嬢ってなんですの?私は悪『の』令嬢ですわ。悪役の役者と一緒にしないで………ね?

naturalsoft
恋愛
「悪役令嬢である貴様との婚約を破棄させてもらう!」 目の前には私の婚約者だった者が叫んでいる。私は深いため息を付いて、手に持った扇を上げた。 すると、周囲にいた近衛兵達が婚約者殿を組み従えた。 「貴様ら!何をする!?」 地面に押さえ付けられている婚約者殿に言ってやりました。 「貴方に本物の悪の令嬢というものを見せてあげますわ♪」 それはとても素晴らしい笑顔で言ってやりましたとも。

嫌われ者の悪役令嬢の私ですが、殿下の心の声には愛されているみたいです。

深月カナメ
恋愛
婚約者のオルフレット殿下とメアリスさんが 抱き合う姿を目撃して倒れた後から。 私ことロレッテは殿下の心の声が聞こえる様になりました。 のんびり更新。

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

【完結】許婚の子爵令息から婚約破棄を宣言されましたが、それを知った公爵家の幼馴染から溺愛されるようになりました

八重
恋愛
「ソフィ・ルヴェリエ! 貴様とは婚約破棄する!」 子爵令息エミール・エストレが言うには、侯爵令嬢から好意を抱かれており、男としてそれに応えねばならないというのだ。 失意のどん底に突き落とされたソフィ。 しかし、婚約破棄をきっかけに幼馴染の公爵令息ジル・ルノアールから溺愛されることに! 一方、エミールの両親はソフィとの婚約破棄を知って大激怒。 エミールの両親の命令で『好意の証拠』を探すが、侯爵令嬢からの好意は彼の勘違いだった。 なんとかして侯爵令嬢を口説くが、婚約者のいる彼女がなびくはずもなく……。 焦ったエミールはソフィに復縁を求めるが、時すでに遅し──

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

処刑された悪役令嬢は、時を遡り復讐する。

しげむろ ゆうき
恋愛
「このバイオレットなる者は王太子であるフェルトの婚約者でありながら、そこにいるミーア・アバズン男爵令嬢や隣国の王太子にロールアウト王国が禁止している毒薬を使って殺害しようとしたのだ。これは我が王家に対する最大の裏切り行為である。よって、これより大罪人バイオレットの死刑執行を行う」 そして、私は断頭台で首をはねられたはずだった しかし、気づいたら私は殿下の婚約者候補だった時間まで時を遡っていたのだった……

婚約破棄ならもうしましたよ?

春先 あみ
恋愛
リリア・ラテフィール伯爵令嬢の元にお約束の婚約破棄を突き付けてきたビーツ侯爵家嫡男とピピ男爵令嬢 しかし、彼等の断罪イベントは国家転覆を目論む巧妙な罠!?…だったらよかったなぁ!! リリアの親友、フィーナが主観でお送りします 「なんで今日の今なのよ!!婚約破棄ならとっくにしたじゃない!!」 ……… 初投稿作品です 恋愛コメディは初めて書きます 楽しんで頂ければ幸いです 感想等いただけるととても嬉しいです! 2019年3月25日、完結致しました! ありがとうございます!

処理中です...