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第三章 天青と藍晶は闇夜に輝く

口論

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 リリスが湿原の泥沼へと足を取られ、苦戦していたころ。

 銀髪青眼の男は猛然とヘパティカの南門へと向かっていた。空色の瞳は鋭く光りながら周囲を探り、男は荒々しく道なき道を蹴立てて進んでいく。 空を飛んでいるかのような速度で駆ける男の目に、ヘパティカの門が映る。そこには人影がひとつたたずんでいた。

「……おや、君が来たのか。私が待っていたのは別の人だったんだが」
「おい、なぜあの少女をあの場所へ行かせた?」
「知り合いだったのかい。まさかとは思ったが、本当だとはね」
「とぼけたふりをするな! 何もかもわかっていて、あいつをあそこへやったんだろう!」

 食えない笑顔で笑う主人に、男はひどく苛立ちを覚えた。少女があの場所へ来れたのは紛れもなくこの主人のせいだ。一つ間違えば、リリスは間違いなく殺されていただろう。

「なぜこんなふざけたまねをする!」

 苛立ちを隠さずに食って掛かると、主人は面白そうに笑った。彼はいつも全て自分だけが判っているような顔をする。 男はそれが気に食わなかった。

「どこかから見ていたのは知っている。俺が現れるかどうか確かめたかったんだろう?」
「おや、鋭いね。人間嫌いの君が現れるはずがないと思っていたんだが、いやはや驚いたよ」
「人間は嫌いだ。それは変わらない」
「じゃあ、なぜ山賊からあの子を助けたんだい? ただの通りすがりの気まぐれなら、君にあの子の行動をとやかく言う筋合いはないんだがね」

 思いもよらないところをつかれ、男はぐっと言葉に詰まった。少女にこだわる理由は自分でもわからない。人間嫌いは変わらない。それは先ほど言ったように本当だが、あの少女は出会ったときからなぜか気にかかる。普段の自分であれば、山賊に襲われている人間がいても興味すら湧くこともなく通り過ぎていただろう。それなのにあのときはどうしても気になって、気づけば山賊を打ち倒し、少女を山小屋に運んでいた自分にひどく困惑した。

「どうやら本当にあの子の言ったとおりらしい。珍しいこともあったものだ」
「面白がるな! まだあいつを関わらせるつもりか?」
「私は一応止めてみるが、あの子は自分できちんと納得できるまで君を追うだろう。自分で真実を聞き出すまではね。それは君もわかっているだろう?」
 「俺は妖魔だと言った。そして青い瞳は魔力を食らう妖魔の象徴だと。それ以上の真実はどこにある?」

 ぎりっ、と歯を噛みしめて男が問う。本当はわかっている。あの少女の問いに、自分は答えずに背を向けてその場を去ったのだから。それでもあの時少女に言った言葉に嘘はなかったし、男は自分のことをこれ以上少女に話すつもりはなかった。

「君はあの子が聞きたかったことをまだ言っていない。君は妖魔ではあるが、少年を殺した『青の妖魔』ではない、ということ──それがあの子の聞きたい真実だよ」

 一番聞きたくない答えだった。それだけは、絶対に話すまいと決めていたことだからだ。

「君だったら、自分の望みのためにあの子を利用することぐらい平気でやると思ったんだがね。私の思惑は完全に外れてしまったよ」
「あいつを……俺に食わせようと思ったのか」
「あの子の魔力はそこらの人間ごときじゃ扱えない。だからあの子は今まで魔法使いになれず、挙句に家を追い出された。 けれど、君なら扱えるだろう? 魔力を食う妖魔が人間ごときの魔力にのまれるなんてあり得ないからね」

 確かに主人の言っていることは完全に的を射ている。あの場で少女の息を止め、魔力を食らうことなど簡単に出来ただろう。たった一つの望みをかなえること。それ以外に自分が優先するべきことなどないのだから。

 そのためには人間を犠牲にしたってかまわない、むしろ人間など自分が利用する程しか価値のない虫けら同然のものだ。いままでそう思っていたはずなのに。

「私は君の望みに協力する──最初に私のところを訪れたとき、そう言ったはずだよ。 君が願いをかなえるために私は何でもする、と。君の願いはあの妖魔を倒すことだろう?」
「ああ、それこそが俺の望みだ」
「ならば、たかが一人犠牲にすることをためらう必要はないはずだ」

 主人の言葉に男は黙する。自分が復讐を遂げたい相手に対抗するためには、それが一番手っ取り早い方法である。リリスの持つ魔力を手に入れられれば、自分は簡単に本懐を遂げることができるだろう。そう頭では理解しているのに、どうしても素直に頷けなかった。

「明日、あの子はもう一度あの場所へ行きたいと望むだろう。『青の妖魔』は一度魔力を食らうと最低二日は人間を殺さない。 君に残された、あの子の魔力を手に入れる最後の機会だ」
「……お前はそれでいいのか。親友に、あの子を託されていたんじゃないのか?!」
「私の願いも君と同じ。そのために、最善の手段を選択するだけだよ」
 「しかし──」

 さらに言葉を継ごうとしたとき、視界のはずれにかすかな明かりが映る。 その方向に目を向けると、小さな人影が近づいてきていた。明かりの主が誰なのか気付いた男は舌打ちをし、さっと身を翻す。

 「どうやら時間切れのようだね」

 主人がそう告げるのを聞くのが早いか、男は門をくぐって姿を潜めた。 あの少女にはまだ見つかりたくなかった。

 足早に歩いて程なく大通りへと出る。 夜もだいぶ更けたころだというのに、通りにはまだ人が歩いていた。人目につくのが嫌いな男は大通りを素早く突っ切り、細い路地を辿っていく。路地の奥にあるのはヘパティカでも一番治安の悪い貧民街スラムだ。しばらく歩いたあと、周りの人が奇異な目で自分を見つめるのに気付いた男は愕然とする。まばらに立ち並ぶ古ぼけた街灯に照らされているのは、いつもは深くマントのフードをかぶって隠している銀の髪だった。

「俺は何を動揺しているんだ……」

 自分に呆れてそうつぶやくと、男は深くフードをかぶった。先ほどの主人の言葉に、まだ心が揺れているのだ。あの少女を犠牲にしたなら、自分は必ず『青の妖魔』を倒せる──それはわかっているはずなのに、頭の奥で何かが邪魔する。彼女に手をかけてはいけないと、相反する声が響くのだ。

 わけのわからない葛藤にもどかしさを覚え、周りのものを手当たり次第に破壊したいという衝動を必死で抑えた。大きく一つ深呼吸して気持ちを静めると、貧民街の入り組んだ道を抜けて宿へと向かう。 どの選択をするにせよ、明日はもう一度あの場所へ向かわなければならないだろう。全く気の乗らない予定に、男は深いため息をついたのだった。
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