上 下
17 / 23
第三章 天青と藍晶は闇夜に輝く

再会

しおりを挟む
 闇の帳を下ろした空には、星々の光を覆い尽くす暗灰色の厚い雲が広がっている。満月は時折雲間から顔をのぞかせ、緑が芽吹き始めたばかりの湿原を照らしていた。

  松明を掲げ、人気のない街道をリリスは歩いていく。時刻はもうすぐ真夜中にさしかかる頃だった。歩いて来た方を振り返ると、ヘパティカの建物の影がわずかに見える。宿の主人に教えられたとおりに街道へ来たリリスは、気を張りつめて人影が現れるのを待っていた。

 その時はすぐに訪れた。大きめの雲間から顔を出し、涼やかな光で大地を照らしていた月の光が雲に吸い込まれるように姿を消す。 不意に湿原の枯れ草が大きくさざめき、あたりの空気が変わった。 手に持っている松明が不安げに大きく炎を揺らめかせ──突然ふっとかき消える。

 完全なる暗闇の中浮かび上がるのは二つの瞳。見間違えることのない、美しい青の瞳がそこにあった。

「あなたは……!!」

 リリスが小さく叫ぶ。妖しく光り、見る者すべてを惹きつける瞳はまさしくあの天青石の色だった。空色の瞳はじりじりとリリスとの距離を縮めていく。だが空気が震えるほどの威圧感に、少女は足がすくんで動けなかった。

「あなたが『青の妖魔』なの……?」

 殺されるかもしれない。底知れない恐怖がリリスを襲う。それでも震える声をやっとのことで絞り出すと、瞳が微かに揺らぎ、動きが止まった。手を伸ばせば届くほどの近さに恐怖を感じながらも、リリスはその場から動けないでいた。 だが問われたことが真実であると肯定するような沈黙に、リリスはぎゅっと唇を噛み締めた。

(お願いだから否定して。 自分は違うと言って)

 その思いを言葉に乗せて、目の前で瞳を揺らめかせる男に問う。

「本当にそうなの……?」

 問いかけても答えは返ってこない。度重なる沈黙の末、男は問いに答えずにリリスから逃れるように背を向けた。

「──去れ。もうここへは来るな」

 こぼされた言葉にリリスは目を見張る。湿原を吹き抜ける風がさらりと銀の髪を揺らした。雲間から気まぐれに顔を出した月がゆっくりと光を地に降り注ぎ始めると同時に、こちらへ背を向けた男は湿原の中へと歩き出す。後を追おうとリリスも足を踏み出すと、男はもう一度振り返った。

「俺に関わるな」
「いや! だって私はあなたからまだ答えを聞いていないの。私は信じてるもの、あなたはそんなことする人じゃないって」
「殺されたいのか」
「あなたは私を殺さないわ。だって山賊から助けてくれたでしょう」

 男の拒絶にもめげず、リリスは言い切る。少女には確かな自信があった。姿を現してから一度も彼は自分に殺気を向けていない。最初から殺すつもりなら、ひ弱なリリスごときいつでも殺せるはずだった。 こんな風に言葉を交わし、わざわざ忠告するようなことはしなくてもいいだろう。

「ならはっきり言うが、俺は妖魔だ。青の瞳は人の魔力を食らう妖魔の象徴。今日たまたま命拾いしたことを幸運に思うんだな」
「……待って、行かないで!」
「命が惜しければここを去れ。そしてもう二度と来るな」

 冷たくそう言い放った男は身を翻し、夜闇の中へと歩き出す。慌てて後を追おうとしたリリスは、いくばくも行かないうちに不意に大きくつんのめった。あわてて体勢を立て直すが、枯れ草の下に隠れていた泥沼に片足を捉えられ、動きを封じられてしまう。 とっさに伸ばした手は男のマントを掠めたものの、むなしく空を切った。

 すぐに男の姿は闇の中に溶けるようにして消えた。どこかに姿がないか目を凝らしてみたが、また隠れ始めた月は明るさを奪い、闇に包まれた湿原が広がるばかりだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

ゲンパロミア

人都トト
ファンタジー
環境が悪い、世界が悪い、運命が悪すぎて失ったあの日のシリアス。 最悪に完結した失敗の人でなしどもに、パロディの再演を。 病いの消えたとある街で異形の医者もどきは日常の夢を見る。 人外×少女の日常渇望系創作です。 (個人的に行っていたイラスト創作を小説にしているだけなので、自己満足が多い文章です。ごめんなさい!)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

処理中です...