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リオ
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晴れて恋人同士となった二人だったが、慰労パーティー以後、お互いに多忙な日々を過ごしていた。
リオベルはマダムから大まかな指示だけを受けて、以前のように刺繍を刺している。
刺し図はリオベルに一任すると言われ、久しぶりに自ら針を持って黙々とする作業に没頭した。
マイラーはと言うと、組事に順に、定例である過酷な環境下の訓練に参加していた。
訓練の内容を知らない者からすれば、別荘地として穏やかな気候のプリウスで過酷な環境など大げさだと思うだろう。
だが、初日から三日間飲まず食わず。
しかも睡眠以外の休息は無し。
その睡眠ですら野営テントすら無しの野宿だ。
四日目からやっと口に出来るのも干し肉一欠片とコップにして二杯の水。
それが最終日の二十日目まで続く。
まるで大戦の真っ只中のような日々を二十日間過ごすのだ。
その訓練を終えて戻った者は、命の危機すら感じさせる飢えと乾き、休む暇の無い訓練によって、心身ともに鍛え上げられる。
マイラーも柔和な雰囲気を残しつつ、より騎士らしい体躯と少しの鋭さを感じさせるようになった。
あのパーティーから一月半後、漸く二人の休みが重なった。
待ち合わせのカフェの前に居たリオベルに気が付き、マイラーがいつものように手を振りながら駆けてくる。
いつものようでいて、何故かいつもと違って見える。
久しぶりに会えたその人にリオベルの胸はドクンと音を立てた。
恋人なのだと意識して見るからなのか。
少しの緊張と恥ずかしさのような感情が何なのか分からなかった。
「大分待たせちゃったかな?」
「ううん、わたしもさっき着いたところ」
「リオ、少し痩せた?」
前触れもなく呼び方を変え、じっと瞳を見つめてくるマイラー。
リオベルは自分の頬が熱を持ったのに気が付き、その視線から逸らすように、そっと横を向きながら答えた。
「久しぶりに刺繍を刺すのに没頭してたら、何度か食事を摂るのを忘れたみたいで…。それより、リオって…」
「うん。折角恋人同士になったんだから、特別に俺だけっていうのが欲しかったんだ。嫌だった?」
「嫌じゃ…、ない…けど…、突然だったから…」
剣だこのできたゴツゴツした掌で傷付けてしまうことがないように、甲で優しく少し赤みを帯びているリオベルの頬を撫でた。
会えないでいた、たった一月半の間に、急に大人になってしまったようなマイラーの仕草はリオベルは落ち着かなくさせた。
「店が混み合う前に行こう」
いつもなら妹などの幼な子にするように、当然のごとく手を取られ一緒に歩いて行く。
それすらも許可を取るようにこちらに手を向けてくる。
意識しないことが無理だ。
おずおずとその手に自分の手を重ねた。
新しく出来たその店は話題にもなっているようで、若い客が列を成していた。
「あー、予約するべきだったな。今度にして、今日は別な店にする?」
「でも、次がいつになるか分からないし、折角だから、待たない?」
依頼の刺繍を納め、マダムからオーダー主の婦人へその出来栄えの確認と弟子として紹介をされたていた。
婦人もリオベルの刺繍の腕前とそのデザインを大層気に入り、再来月にこちらで催される小規模のパーティー用に娘二人ドレスをデザインしてみないかと依頼してきた。
小規模ながら、そのパーティーは王族の縁戚にあたる伯爵夫妻が昔から付き合いのあるこの婦人とその家族、それと同爵位のもう一家族を招待しているのだと言う。
婦人いわく、もう一家族の方には年頃の子息が二人居るらしいので、どうやら見合いをさせるつもりではないかとのことだった。
そのような大事な初顔合わせの場に着て行くドレスのデザインを自分がして良いものか躊躇したが、良い意味で貴族の婦人らしくないその婦人はあっけらかんと、
「相手に気に入られるために、ドレスを着るのではないわ。自分の価値を高める為にドレスを着るの。気に入らないドレスを着ていては自ずと気持ちも沈んでしまうけれど、逆であれば、ね?娘達が気に入らなければ、王都でオーダーするだけのことよ」
リオベルは早々に二人分のデザインを受けることになった。
具体的に顧客に繋がる内容を伏せながら、ことのあらましをマイラーに話した。
「次はいよいよ、本格的にデザイナーデビューかぁ。凄いな。俺も頑張らないとな」
なかなか進まない順番待ちをしながら、どう過ごしていたかなどをお互い語り合った。
「マイラーさんこそ凄いと思う。そんな命の瀬戸際まで追い込まれる訓練をやり遂げるなんて」
「本当にしんどかった…。皆、訓練内容は同じだお思ってたのに、常駐組は手合わせの相手を交代でするだけで、目の前でいつも通りの休憩と食事をするんだからな。何度、一人か二人殴り倒して水を奪ってやろうと思ったことか。派遣組も楽じゃないよ」
「仲が悪くなったりはしないの?」
「多分、俺、酷い接し方してたと思う。余裕なんて無いからね。でも、向こうも慣れてるから。訓練が終わったら何事も無かったようにしてくれる。有り難いよ。今、フレックスがその訓練に参加してる組なんだけど、戻ったら早々に四人で集まれると良いな」
「そうね。わたしもバタバタしてて、ジェミニとは偶然会った時に少しだけ話をしたきりかな」
「再来月に任務が決まってるけど、それ以外なら多分自由に休みも取れると思うから」
「時間のある時に工房に立ち寄ってジェミニにも話しておく。ブティックの人達にもその後のお礼をちゃんと言えてなかったからちょうど良いわ。決まったら、マイラーさんに連絡するね」
「あの、俺のことも、その…、…レオって呼んでくれる?」
「?レオ?」
「あー、うん、…俺二つ名前が有るって言って無かったよね。親が兄貴達に名前を付けて良いって任せたら、二つから絞りきれなくて、そのまま二つ。そのもう一つが恥ずかしくさ」
「どんな名前なの?」
「…レオーネ。響き的に女性の名前だから、皆は知らないんだ。ああ、勿論上官とかは経歴の書類とかで知ってるとは思うけど。フルネームで呼ぶ人なんか居ないから、他の人には知られてない。俺もあんまり好きじゃなかったしね」
「好きじゃなかったって、何が好きになるようなことが有ったんだ」
「…リオと、レオだとお揃いっぽいなって」
待ち合わせから今の順番待ちまで、それまでのマイラーとは違う雰囲気に戸惑いが少しあったが、今のマイラーはリオベルと繋いでない方の手で恥ずかしそうに斜め上に視線を送りながら、鼻の下を摩っている。
変わらない仕草を見られて、リオベルはホッとしたのと少し可笑しくなって、クスリと笑ってしまった。
「あ、笑った…。やっぱり女性名だよね」
「あ、ううん、そのことで笑ったんじゃないの。それと、レオーネって、他国では獅子か…」
「え、うそ!獅子なんて格好良い!うわぁ、もっと早くに知っておけば、揶揄われること心配しなくて済んだのに…」
そう言って項垂れ、マイラーは巻毛をガシガシと掻いている。
心の中で綿毛って言う意味もあるけど、どちらかと言えばマイラーには獅子より綿毛の方が合っていると思ったが、口には出さないでおこうとリオベルは決めた。
ーーーー
「じゃぁ、リオ、また連絡する!」
「うん。…レオ、…またね」
呼びなれないながらも、頑張ってレオと呼ぶリオベルにマイラーは黙って口を手で覆っている。
「レオ…?」
「…良い!ああ、何か良い!レオーネで良かった!」
喜んでもらってるなら良かったと、リオベルはにこりと微笑んで見せた。
少し固まっていた、マイラーがリオベルをじっと見つめていたと思うと、リオベルの頬にリップ音がした。
「えっ?!」
気が付いた時にはマイラーは背を向けて走り出していた。
そして振り向かずに叫んでいた。
「俺頑張るっ!リオ、また!」
少し片言気味に叫んでいるマイラーはもう遠くの方まで走り去っていた。
ーーーー
オーダーを依頼してくれた婦人が、マダムのドレスを受け取りに来る時、一緒に娘達を連れてくる。
その時までにベースとなるシルエットだけデザインを済ませておけば良いとマダムに言われ、早々にデザイン画を仕上げておいた。
婦人達がやって来るまで日にちが取れたリオベルは、お世話になったブティックへ挨拶と共に工房を訪ねていた。
リオベルは耳を疑った。
「知らなかったの?ジェミニ、二週間前にここを辞めてったよ」
リオベルはマダムから大まかな指示だけを受けて、以前のように刺繍を刺している。
刺し図はリオベルに一任すると言われ、久しぶりに自ら針を持って黙々とする作業に没頭した。
マイラーはと言うと、組事に順に、定例である過酷な環境下の訓練に参加していた。
訓練の内容を知らない者からすれば、別荘地として穏やかな気候のプリウスで過酷な環境など大げさだと思うだろう。
だが、初日から三日間飲まず食わず。
しかも睡眠以外の休息は無し。
その睡眠ですら野営テントすら無しの野宿だ。
四日目からやっと口に出来るのも干し肉一欠片とコップにして二杯の水。
それが最終日の二十日目まで続く。
まるで大戦の真っ只中のような日々を二十日間過ごすのだ。
その訓練を終えて戻った者は、命の危機すら感じさせる飢えと乾き、休む暇の無い訓練によって、心身ともに鍛え上げられる。
マイラーも柔和な雰囲気を残しつつ、より騎士らしい体躯と少しの鋭さを感じさせるようになった。
あのパーティーから一月半後、漸く二人の休みが重なった。
待ち合わせのカフェの前に居たリオベルに気が付き、マイラーがいつものように手を振りながら駆けてくる。
いつものようでいて、何故かいつもと違って見える。
久しぶりに会えたその人にリオベルの胸はドクンと音を立てた。
恋人なのだと意識して見るからなのか。
少しの緊張と恥ずかしさのような感情が何なのか分からなかった。
「大分待たせちゃったかな?」
「ううん、わたしもさっき着いたところ」
「リオ、少し痩せた?」
前触れもなく呼び方を変え、じっと瞳を見つめてくるマイラー。
リオベルは自分の頬が熱を持ったのに気が付き、その視線から逸らすように、そっと横を向きながら答えた。
「久しぶりに刺繍を刺すのに没頭してたら、何度か食事を摂るのを忘れたみたいで…。それより、リオって…」
「うん。折角恋人同士になったんだから、特別に俺だけっていうのが欲しかったんだ。嫌だった?」
「嫌じゃ…、ない…けど…、突然だったから…」
剣だこのできたゴツゴツした掌で傷付けてしまうことがないように、甲で優しく少し赤みを帯びているリオベルの頬を撫でた。
会えないでいた、たった一月半の間に、急に大人になってしまったようなマイラーの仕草はリオベルは落ち着かなくさせた。
「店が混み合う前に行こう」
いつもなら妹などの幼な子にするように、当然のごとく手を取られ一緒に歩いて行く。
それすらも許可を取るようにこちらに手を向けてくる。
意識しないことが無理だ。
おずおずとその手に自分の手を重ねた。
新しく出来たその店は話題にもなっているようで、若い客が列を成していた。
「あー、予約するべきだったな。今度にして、今日は別な店にする?」
「でも、次がいつになるか分からないし、折角だから、待たない?」
依頼の刺繍を納め、マダムからオーダー主の婦人へその出来栄えの確認と弟子として紹介をされたていた。
婦人もリオベルの刺繍の腕前とそのデザインを大層気に入り、再来月にこちらで催される小規模のパーティー用に娘二人ドレスをデザインしてみないかと依頼してきた。
小規模ながら、そのパーティーは王族の縁戚にあたる伯爵夫妻が昔から付き合いのあるこの婦人とその家族、それと同爵位のもう一家族を招待しているのだと言う。
婦人いわく、もう一家族の方には年頃の子息が二人居るらしいので、どうやら見合いをさせるつもりではないかとのことだった。
そのような大事な初顔合わせの場に着て行くドレスのデザインを自分がして良いものか躊躇したが、良い意味で貴族の婦人らしくないその婦人はあっけらかんと、
「相手に気に入られるために、ドレスを着るのではないわ。自分の価値を高める為にドレスを着るの。気に入らないドレスを着ていては自ずと気持ちも沈んでしまうけれど、逆であれば、ね?娘達が気に入らなければ、王都でオーダーするだけのことよ」
リオベルは早々に二人分のデザインを受けることになった。
具体的に顧客に繋がる内容を伏せながら、ことのあらましをマイラーに話した。
「次はいよいよ、本格的にデザイナーデビューかぁ。凄いな。俺も頑張らないとな」
なかなか進まない順番待ちをしながら、どう過ごしていたかなどをお互い語り合った。
「マイラーさんこそ凄いと思う。そんな命の瀬戸際まで追い込まれる訓練をやり遂げるなんて」
「本当にしんどかった…。皆、訓練内容は同じだお思ってたのに、常駐組は手合わせの相手を交代でするだけで、目の前でいつも通りの休憩と食事をするんだからな。何度、一人か二人殴り倒して水を奪ってやろうと思ったことか。派遣組も楽じゃないよ」
「仲が悪くなったりはしないの?」
「多分、俺、酷い接し方してたと思う。余裕なんて無いからね。でも、向こうも慣れてるから。訓練が終わったら何事も無かったようにしてくれる。有り難いよ。今、フレックスがその訓練に参加してる組なんだけど、戻ったら早々に四人で集まれると良いな」
「そうね。わたしもバタバタしてて、ジェミニとは偶然会った時に少しだけ話をしたきりかな」
「再来月に任務が決まってるけど、それ以外なら多分自由に休みも取れると思うから」
「時間のある時に工房に立ち寄ってジェミニにも話しておく。ブティックの人達にもその後のお礼をちゃんと言えてなかったからちょうど良いわ。決まったら、マイラーさんに連絡するね」
「あの、俺のことも、その…、…レオって呼んでくれる?」
「?レオ?」
「あー、うん、…俺二つ名前が有るって言って無かったよね。親が兄貴達に名前を付けて良いって任せたら、二つから絞りきれなくて、そのまま二つ。そのもう一つが恥ずかしくさ」
「どんな名前なの?」
「…レオーネ。響き的に女性の名前だから、皆は知らないんだ。ああ、勿論上官とかは経歴の書類とかで知ってるとは思うけど。フルネームで呼ぶ人なんか居ないから、他の人には知られてない。俺もあんまり好きじゃなかったしね」
「好きじゃなかったって、何が好きになるようなことが有ったんだ」
「…リオと、レオだとお揃いっぽいなって」
待ち合わせから今の順番待ちまで、それまでのマイラーとは違う雰囲気に戸惑いが少しあったが、今のマイラーはリオベルと繋いでない方の手で恥ずかしそうに斜め上に視線を送りながら、鼻の下を摩っている。
変わらない仕草を見られて、リオベルはホッとしたのと少し可笑しくなって、クスリと笑ってしまった。
「あ、笑った…。やっぱり女性名だよね」
「あ、ううん、そのことで笑ったんじゃないの。それと、レオーネって、他国では獅子か…」
「え、うそ!獅子なんて格好良い!うわぁ、もっと早くに知っておけば、揶揄われること心配しなくて済んだのに…」
そう言って項垂れ、マイラーは巻毛をガシガシと掻いている。
心の中で綿毛って言う意味もあるけど、どちらかと言えばマイラーには獅子より綿毛の方が合っていると思ったが、口には出さないでおこうとリオベルは決めた。
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「じゃぁ、リオ、また連絡する!」
「うん。…レオ、…またね」
呼びなれないながらも、頑張ってレオと呼ぶリオベルにマイラーは黙って口を手で覆っている。
「レオ…?」
「…良い!ああ、何か良い!レオーネで良かった!」
喜んでもらってるなら良かったと、リオベルはにこりと微笑んで見せた。
少し固まっていた、マイラーがリオベルをじっと見つめていたと思うと、リオベルの頬にリップ音がした。
「えっ?!」
気が付いた時にはマイラーは背を向けて走り出していた。
そして振り向かずに叫んでいた。
「俺頑張るっ!リオ、また!」
少し片言気味に叫んでいるマイラーはもう遠くの方まで走り去っていた。
ーーーー
オーダーを依頼してくれた婦人が、マダムのドレスを受け取りに来る時、一緒に娘達を連れてくる。
その時までにベースとなるシルエットだけデザインを済ませておけば良いとマダムに言われ、早々にデザイン画を仕上げておいた。
婦人達がやって来るまで日にちが取れたリオベルは、お世話になったブティックへ挨拶と共に工房を訪ねていた。
リオベルは耳を疑った。
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