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アラン編
中編
しおりを挟む―――どこをどう間違ったのか。
だれからも聡明な王だと誉めそやされるアランをもってしても、その疑問に対する解は2週間以上得ることができなかった。が、しかし、そのあと、唐突に訪れた少女の突撃をもって、その解は驚くほど容易く彼の手の中に転がり込んできた。
「謝って、ください」
自分にのしかかる適度な重み。成人男性のそれに比べれば、まるで羽のようでしかない―――いや、同年代の少女らと比べてみても、軽い方になるだろう亜麻色の髪の少女は今にも泣き出しそうな表情だった。
* * * * * * *
―――少女を浚ってから、すでに2週間が経過していた。
まるで飢えた獣のそれだとしか思えないほど常軌を逸した狂乱っぷりに恐れをなした周囲は、速やかに年端も行かぬ少女をアランに差し出した。当然と言えば当然の結果なのだが、それでも誰かが「待った」をかけてくれれば、辛うじてアランも思い留まり、彼女を彼女を傷つけずに済んだかもしれない。
だがしかし、仮定はしょせん仮定でしかなく、結局、アランが正気を取り戻したのは、アランが少女の悉くを奪い、すべてずたずたに引き裂いた後で。
乱れたシーツの中、痛みに耐えきれず、泣きたくもないのに嗚咽を漏らす少女の泣き声を目覚ましに―――その日、アランは史上最低の夜明けを迎えることになった。
「しばらく安面会は控えて頂きます」
緊急で呼び出した女医の言葉には静かな怒りが込められていた。「女の敵は死ね」と目だけで物語った女は、魔王城に勤めている医師ではなく、「人族の生態に詳しい」、「女性」の「医師」との触れ込みだけで緊急に呼び出された人物であった。
夜が明けてすぐの時間帯に呼び出された町医者の女は当初から静かな怒りを称えた眼差しを周囲に向けていたのだが、患者の診察後、その温度が上がっていた。相手が魔王だとか、自分がただの一般市民で、しかも魔力の弱い羊系の獣人族だとか、そんな垣根すら破壊してしまいそうなほど。「視線で相手が殺せるというのならば殺してやりたい」と、かなり不躾な態度で語り、その白衣に隠したメスを何度も確認した彼女は、結局そのあと文句の一つもなくしばらく魔王城に通ってくれた。
金払いが良かったことも理由の一つだとは思うのだが、仔細に記された報告書は執拗なほどに加害者であるアランのしでかした行動を浮き彫りにしていた。その冷たい態度でもってアランを追い詰める様とは裏腹に、彼女の医者としての技量は確かだったようで、彼女は目を見張るほどの回復を見せた。
傷つけたのは体だけではなかったけれど、彼女の体に色濃く残るダメージは、それだけでもアランを呆然とさせることに成功していた。
もっとも酷い下腹部―――特に膣の部分は裂けていたという。今後の人生そのものに影響が出るほどではないものの、しばらくは体自体、無理に動かさないように、と言われるほどの傷に加えて、全身に残る打撲痕のような赤黒いキスマークと、くっきりついた歯形。いずれも重症にまでは至らぬものではあるものの、それでも初日の少女は高熱を発し、一時期危うい状況になりかけた場面もあったのだとか。
ただひたすらに、熱にうなされる彼女が願ったのは、彼女を庇護し続けていた女たち。
医師がプライバシーに干渉しすぎていることを考慮し、躊躇いながら伝えてきた名前の数々を、「そうですか」と事もない風に聞き流しながら、それでもアランは「彼女を帰す」とも「彼女らを連れてくる」とも言い出せなかった。
―――あれは自分のものだ。
女性医師にすら見せたくない自分だけの宝物。
けれどそれは時に儚すぎて、扱いを間違えば途端に砕けてしまう。
―――所詮自分はあの父の息子で、その危険性にすら気づかなかった愚鈍な母の子でもある。
独占欲と自己中心的な考え。それに反するかのように覚えるほのかな罪悪感と、自身に対する嘲笑。そして激しいほどに身を焦がしてやまない恋慕。
それらがないまぜになった感情は、どうやっても外に出せなかった。
誰もがアランが彼女を―――希少な人族の少女を、面白半分で買いたたき、慰めにいたぶって、その負の感情を食らい、興味本位で世話人をあてがっているのだと思ってやまない。
それだけのことを彼はしてきたし、そう思われて当然の人種だったのだから、それはごくごく自然なことではあった。
「……とりあえず、体の傷は治しましたし、意識もはっきり戻りました」
そう言われてからも丸1週間、アランは彼女を放置し続けた。
メイドを派遣し、彼女に対する扱いを放置することだけはなかったものの、それ以上も、それ以下もできなかった。
会えば―――いや、その視界の端にでも捉えてしまえば、途端に理性を無くしてしまう自分自身が怖かった、ということもあったのだが、それ以上にもう二度と、彼女の弾んだ声が聞こえないのだということを思い知りたくなかった。
―――所詮私は自分のことしか考えない。考えられない。
どこまでいっても自分本位なその本性。あえて軽く、調子のよいフリを装いながら―――けれど、その内心では誰も彼も、自分ですらも信用してなどいない。その薄っぺらさをまざまざと目の当たりにさせられて、不意に怯まされる。まるで駄々をこねる子供か、子供のころから結局自分は変わっていなかったのか、とそんな風にしか思えなかった。
けれどそうまで悩んで、むしろ気持ち的には開き直った。
―――何が起ころうとも、もう怖いものは一つとしてない。
だって、アランはもう彼女を捕まえてしまった。これより先、彼女を「捨てる」という選択肢などはありはしないのだから、やることなどほぼ決まっている。
そんな気持ちで、少女にあてがった離宮を訪ねた。最低限の世話だけはさせているだが、「さてどこに」と、足をあてどもなく進めた次の瞬間、まるで彼女は待ち受けていたかのように彼の正面に立っており、驚かされる。だがしかし、彼女自身も驚いていたらしく、後ろから彼女の名を呼ぶメイドの声をBGMに二人はそのまま時を止める。
そうして、お互いにお互いの存在を認めたと自覚した直後に彼を見舞ったのが、少女の渾身のタックルだったという次第である。
* * * * * * *
「あやまって」
アランに馬乗りになったまま、少女ははっきりと鋭い声でそう言った。
柔らかな声に走る緊張。確かに自分を向けて、その言葉を発しているのは彼女だ―――と理解した直後にふわりと沸き立つ心が、どこまでも忌々しい。
「わたしに、あやまって」
「……」
声がわずかに上ずる。いつも通りに、ただ静かに、それを受け入れて、謝罪するか―――さもなければ、あざ笑って拒否してやればいい、と分かっているのに、アランの思考はどこまでも鈍り切っていた。
―――いっそ、憎まれたほうが。
もうアランは彼女を手放す気がない。なればこそ、その立場を彼女に教え込むべきであり、そもそも、どうして自分はなされるがままに彼女にのしかかられているのか、と鈍い思考がぐるりと駆け巡る。
―――もっと傷つけて。
そうして、彼女が自分をその胸に刻みこんで―――自分以外のすべての存在を消してくれればいい。
そう思って唇を開いた次の瞬間、ぱたた、と零れ落ちてきた水滴は、アランの思考のすべてを奪った。
「あなたが、どこのだれとか、なに考えてる、とか、どうでもいい―――」
「……」
「とにかく、あなたは、わたしに、あやまって!」
ぱたり、と勢いに合わせて水滴がアランの頬へと飛び散る。
―――そうでないと、わたしがあなたを許せないから。
最後の言葉は消え入りそうなほどか細く―――しかし、その言葉があったからこそ、アランの時は再び動きを取り戻した。
ごくり、と喉が鳴る。
まさかたかだか彼女と話しているだけで、『上級種』と自身を称するふざけてはいるものの腕前だけでは確かな学校の一同を敵に回した時よりもなお緊張を強いられることがあるなどと思いもしなかった。
「ご、めん…なさい……」
蚊の泣くような謝罪の言葉が飛び出たのは完全に意図しない反応であり、アラン自身、自分で何を言ったのか分からなくなったほどだ。けれどその瞬間、確かにアランは彼女に対し、謝罪した。
そして、この瞬間、アランと彼女―――こと、マリーとの関係は決定的なものとなったのである。
アランの謝罪の声はひび割れていて掠れていたものの、それでも激昂する彼女にも確かに届いたらしく、やがて彼女は不意に肩の力を抜いたかと思うと、その顔をくしゃりと歪め、ぽろぽろとこらえきれない涙をこぼし始めた。
「マリー……これは、その…っ」
「うっさい! とんでもなく怖かったんだからーーーーーーっ!!」
ばきっ、と小気味よい音とともに軽快なパンチがアランの顔面目掛けて叩き込まれる。
―――これが後世に後々にまで語り継がれる、人族との戦いの最中では一度たりとも流血したことがなかった「狂乱の魔王」が、鼻血などと言う不名誉な傷を負った「狂乱の魔王 血の襲撃事件」として後々まで語り継がれることを、当時のマリーはもちろんのこと、アランすらも想像していなかった。
* * * * * * *
「痛いです……」
「わたし、もっと痛かった。体が裂けると思ったし、食べられてると思った。かじられて、指とかなくなっちゃったとか思った」
「………………」
場所を変えて、離宮でも奥まった場所に位置する、彼女の寝室にほど近いプライベートルームにまで移動した後、ぶすくれた顔でアランは苦情を申し出たわけだが、結果は惨敗。普段なら口の達者な商人相手にだって負けたこともなければ、どれほど難しい議会の場であろうと常勝だったはずのアランが、無残にも言い負かされてしまった。倍以上になって返ってくる言葉の数々に、思わず腰が引けそうになる。
「指とか減ってない? 短くなってない?」としきりに気にする彼女に、自分が何をしでかしたのか、記憶こそ薄いものの自覚症状のあるアランと、痛みと驚愕とでいっぱいいっぱいだったマリー。
アランはどうにも言い切れない感情を無理に吐き出すかのような息をつき、ひょいとマリーの体を抱えあげてそのままソファに沈み込んだ。
「お茶を準備するから」と言っていた彼女だが、その足取りはまだ鈍く、どうやら部屋の中は歩数を数えて記憶しようとしている途中なのだということぐらい、聞かなくても分かる。反論はとりあえず聞いたのち拒否、後ろからびくびくと様子をうかがっていたメイドの一人にお茶の指示をだし、ようやく二人っきりになることができた。
ソファにまで移動を余儀なくされた彼女はしばらくその腕から抜け出ようともがいていたようなのだが、結局アランががっちりとその体を拘束していることに気づき―――あっさりと体から力を抜いた。
「指、みせてください」
「ん」
あれほど酷い目に合わせた相手だというのに、マリーの方に気負う姿勢はなく、すんなりと彼女はその手を持ち上げてアランに示す。抱きかかえられていること自体に対しても嫌悪感はないようで、至って素直なのが逆に不気味で恐ろしい、とアランは背筋に冷たいものを感じるほどだった。
ゆっくりとアランが細い手指でなぞれば、彼女にもその輪郭ぐらいはおぼろげながらに理解できたようで、とりあえず「指が欠けていない」ことぐらいは証明できたようであった。
さて、長さはどう証明すべきか、と苦笑しつつ、とりあえずお互いの手のひらを合わせてみたのだが、その小ささたるや―――感動ものであった。
こんな小さな手だったのか―――でも、手のパーツはサイズこそ違えど、アランのそれと変わらず、れっきとした「手」である、と思うと唸り声が零れてしまいそうだった。
―――あ。途中で縛った気がする。
不意にあの夜のことを思い出す。
細い手首をいつまでも押さえ続ければ折れてしまいそうだ、と恐怖し、紐で縛ったのは理性のなせる技だったのか、それとも嗜虐心故の行動だったのか。克明に思い出すことまではできないもののアランはぼんやりとその小さな手を見つめ続けた。
「アルさ……あ。えーっと………アラ……あらん、ドルフ、様? 魔王様? 陛下?」
「なんでもいいですよ」
面倒臭さを込めてそう言った直後、彼女はまっすぐにアランを見上げてきた。なんとなく身の置き所がないような居心地の悪さに口ごもってしまったのだが、そもそも彼女を抱え込んで離さないのはアランのほうであり―――そもそもなぜこの態勢に移行してしまったのか、と唖然とする事態に陥る。
透明なそのガラス色の瞳は、アランを映してはいても、それが彼女自身に知覚されることはない。だがしかし、まるで心のほうを見透かしにかかってくるような真っすぐの瞳に、アランは即座に逃げを選択したくなっていた。
そんなアランの心情など知る由もない彼女はいたっていつもと同じ風に言葉を続ける。
「とりあえず、私の手、大丈夫?」
「……ええ」
「足も? 脇腹とかも……がぶっ、ってすごく痛かったのよ」
語彙が出てこなかったのか、まるで子供のような表現に、マリー自身が赤面して身もだえる。そんな様に思わず笑みが零れ落ちそうになってしまい、慌てて表情を引き締めた。
「指も、足も、キレイなままですよ」
さすがにこれで体のラインをなぞったり―――脱がしてまで確認するのは最悪手だと分かっているので自重しているのだが、思い出せばあの女医は「体中の傷を消した」と断言していたし、何よりその手にあったはずのあかぎれすらも一つたりとも見当たらないあたり、あの医師は随分と優秀だったらしいと、今更ながらにそう思う。
「後で特別報酬でも送っておくか」と思っているあたり、自分はまだまだ余裕だったらしい―――いや、これもすべては現実逃避のなせるわざか。
そのいずれかは判断がつかなかったものの、彼女はアランの言葉にほっと息をつき、「よかった」と呟いた。
ふんわりとした笑みを浮かべるその柔らかな顔。
それは、アランが彼女とつかず離れずの距離をとっていた時のものと変わらぬものであり、妙な既視感と共に胸をぐっと押さえつけられたような圧迫感を覚えたアランは再び言葉を詰まらせた。
―――何を、しにきたのだったか。
するり、とその小さく、細く、未成熟な肢体に指を滑らせたのはごく自然な、無意識の動きで―――けれど、彼女はそんなアランの行動に過敏なほどの反応を見せた。びくっ、と震えて強張った体に、アラン自身もはっとしたのだが、すべてはもう遅い。
腕の中、硬直しきった小さな体はあまりにも哀れだった。けれど、アランの予想は今回もまた悉く覆されることになる。
「―――するの? えっち」
どストレートに問われた言葉に絶句。声こそ低く、近くにいなければ聞こえないほどの音量ではあったものの、はっきりと問われたその言葉に、パキリ、と音を立ててアランの中にあった清楚な少女像が崩れ落ちた。
が、しかし、妖艶に誘ってくるわけではなく、さりとてあっけらかんと誘ってくるでもない。
顔は真っ赤。恥じらいつつのお誘い―――と思いかかった直後、そういえば、彼女は一応娼館育ちだったな、と思い出し、これは日常的なアレなのだろうか、だがしかし、前回の交わりの時に確認してしまったのだが、彼女は紛れもなく処女だったし、何より、自分の暴虐に怯えて震え、性的な行為に拒否感を示していたし、とぐるぐる考えが回る。
彼女の体の震えに気づいたのはその直後、だった。
「だ、大丈夫、よ。人族の娼婦、だもん。最初から、そういう扱われ方するのも分かってるし、ちゃんと、金額分、は、ちゃんとで―――」
「マリー」
「できるわ! へ、下手だと思うけど、手とか、口とかでの方法もわ、わわわ、わかってるし! ちゃんと謝ってくれたんだから、それぐらいがんば―――」
「マリア!」
「!」
思わずあげた上ずった声に、再び彼女の体が跳ねる。きゅぅう、と引き結ばれた唇は必死に悲鳴をあげまい、とする者のそれで。その表情は蒼白に近かった。
『そういう扱われ方』
不意にまざまざと見せつけられた彼女と、アランとの間にある生まれ持った差。
つまるところ、彼女にとってあの夜の暴虐は、所詮「人族」の「娼婦」としては受け入れて然るべきものであり―――だがしかし、今までの信頼関係を無に帰す、アランの自分勝手な行動だけが彼女にとって受け入れがたく、それに対する謝罪しか彼女は求めていなかった。
腕の中で震えながらも、自分と対峙する少女がまるで知らない相手のようにしか思えず、不意に目元からぽろり、と涙が零れ落ちる。
「…………マリー、約束する」
だから、いつかきっと。
自分が彼女に胸を張って「愛している」という言葉を伝えられるようになるために。少しでも、その差が縮まるために。
自分が、自分として使えるもの、すべてを尽くそうと、そう心に決めた。
―――二度と無神経な自分が彼女のその繊細な心を傷つけないために。
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