あなたにたべられたい

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アラン編

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「目玉?」

 唐突に来るなり用件を切り出してきた男の顔をまじまじと見やり、おうむ返しに単語だけを呟くと、目の前の男――― 一目でどんな女性でも落とせそうなほどにとびぬけた美貌の男は静かにうなずいて見せた。肩のあたりで切りそろえた黒髪に、紅玉を固めた特徴的な瞳。抜けるように白い肌は、いっそ艶めかしいほどに白く美しいのに、それでいて目の前の男は、鍛え上げられた体つきをしている。
 もっとも、そんな彼であっても軍の中ではだいぶ小柄な部類であり、部下の筋肉マッチョ共と一緒に並んでいる様は、まさしく「掃き溜めに鶴」。一部では「姫様」という呼称で呼ばれてすらいた、という過去があったのだが―――そのあたりは本人も掘り起こしてほしくない記憶だろう、と友人の立場としてはその記憶にそっと蓋をする。

 朝早くからの友人の突然の訪問に不躾な質問。そのどちらもに面食らったわけだったが、彼―――今生 魔王、アランドルフ・サハルは、至って落ち着いた風情で顎に手を当てていた。

 朝っぱらからたまには真面目に仕事を片付けねば、と出仕しにきたわけだが、まさか書類仕事をしている最中に約束もない知人の訪問があるなどと思い至る由もなく―――ついでに言うと、部下たちも誰も来ていないような早朝なので、茶の一杯も出せないというありさまだ。
 いっそ自分が茶でもいれてやろうかと思うのだが、妻たち―――3人いる妻たちは、声をそろえて「それだけはやめて」と懇願する。もう男女あわせて5人もの子供を持つ父親でもあるので、自分でできることぐらいはやれる、というところを見せたいのだが、立場のある者がそういった行動に出ると下の者たちの仕事を奪うことにつながりかねない―――というのが建前で、彼の入れる苦すぎる茶に辟易している、というのが実際である。

 おそらくだが、この友人も自分の苦すぎる茶は受け付けてくれないだろう。
 一時期、妻たちを見返したくて特訓を重ねていたことがあるのだが、その時に真っ先に「センスがない。やめておけ」とバッサリ断言した友人の眉間には今日も皺が見て取れた。
 その眉間の皺が不意にふっと緩む。

「忘れていた。出産祝いだ」

 どさり、と実に無造作に机の上に置かれた品は―――箱の包みから察するにおそらく産着の類である。上の子の時と同じく、「天使の綿毛」の二つ名で通っている魔羊素材でできた品だろう。最高級、と謡われている魔羊でできた布の手触りは実に柔らかであり、赤子の柔らかな肌を傷つける恐れもない上に、体温調節にもぴったり、それでいて通気性は抜群、という赤子の産着には、これ以上ないほどまでに最適な品なのだが、如何せん希少素材である。魔羊の体内に蓄積される魔力量と、その年の気候、魔羊自身の年齢などに深く関わって品質が大きく変わるものであるため致し方ないのだが、収穫量は1つの牧場で両手の平に集められる程度しかないという年もある。
 もっとも、この男の実家の領地にはそんな牧場がいくつかあるというのだから、希少素材を希少素材とすら思っていないのかもしれない。おそらくだが、品の選定は彼の母親によるものだろうと思うと、自然と口元はほころんだ。

「相変わらず君の母君は耳が早い。おまけにこういった細かなところに気が利く」

 まだ男女すらも公表した覚えはないのだが、ピンクの糸で施された精緻な刺繍に気づき、それが女児用のものであると理解し、アランは感嘆のため息を漏らした。

 ―――どこで情報が漏れたのだろうか。

 ついぞ心当たりがない―――と思うのだが、そもそも考えるだけ無駄なことではあるので、そのままその悩み事はポイと捨ててしまった。

「で、目玉だって?」
「目玉だ」
「目玉ねぇ……」

 ―――それで話が通じると思っているのだろうか。

 部屋に入るなり、開口一番、「目玉をどうした」と言いのけた男は、それで通じると思っている節がある。これでも幼い頃からの友人であり、それなりに交流もある。親友、と言って差し支えのない相手だけに、どこか謎かけでもしているかのようなやり取りには、思わず噴き出してしまいそうになるのだが、これで男の方はと言うと大真面目である。
 真面目に通じると思っているあたり―――「馬鹿だろう」と思うのだが、「親友」のプライドにかけて、そんな「分からない」なんてことは言えなかった。

 言葉を反芻しているうちに、不意に頭にひっかかり―――嫌な記憶がよみがえってきた。

「…………昔集めてたアレ?」
「おそらく―――先日話していた人族の男だが、奴隷時代に妙な魔族に目玉を抉られたことがあったそうだ」

 ―――ああ、それは自分かもしれない。

 今からおおよそ―――もう10年も前の話になるだろうか。あの頃の自分はどうにか彼女の―――妻の一人である、とある人族の女性の代わりになる目が見つからないかと、人の目玉を集めていたことがあった。
 傷つけた彼女のために何かがしたくて、と言えばそれだけなのだが、変なプライドが邪魔して随分と遠回りをして、やたら設定なども凝ったものを作って、正体がばれないように注意していた。そして、今生の魔王がそんな奇行に走っていたことを知るのはこの男と妻の一人だけである。

 集めた目玉はすべて無駄になった。そのどれもが彼女と適合しなかった上に、その当時進められていた正妃選定に残った彼女―――妻、ヴァネッサに事の次第を詳らかにされたあげく、「普通に医者に見せた方が早いでしょう」とばっさり一刀両断され、当時はなけなしのプライドすらもズタズタにされたものだった。
 その時の話が元となり「ダメだこの人、自分がついてなきゃ」という意識が芽生えたということで、ヴァネッサとはそのまま結婚。現在1男1女を設ける結果と至り、更に医術+魔術の両方を備えた人物として紹介を受けたのが後の第二妃ツクレティアである。

「当時集めた物はすべてヴァネッサに焼却処分されたはずですが……」
「ならいい。人族の中にも妙な能力を持つ者はいるものでな。お前以外の手に渡っていると厄介なことになった」
「なるほど」

 「妙な能力」とその一言でまとめあげられてしまったわけだが、そういった話であれば彼が急いでいたことも理解が及ぶ。
 魔族たちからすれば「か弱い」―――はっきりと言って「脆弱」とすら評される人族だが、その個体差には目を見張るものがある。時には魔族にとって大いなる脅威となりかねないような存在が生れ落ちることもあり―――おそらくだが、その人物の瞳には魔力を通せる能力が備わっていたのだろう。

 軍内部に属することが決まっている相手の体の一部を持つ第三者。場合によってはその瞳からその第三者に軍内部の情報が筒抜けになる、という事態は避けねばならない―――が、しかし、そもそもその第三者=魔王である上に、対象物自体がすでに滅却済みである。

「ヴァネッサ様のことならば心配するようなことはあるまい」
「……」

 安堵の感情を込めてそう言ってのけた男の言葉に、アランは思わず視線をあらぬ方向へと向けてしまった。

 ―――言えない。その灰を最終処分したのが自分などと。ましてや、処分に困って庭に撒いた、などという事実、今更言い出せない。

 当時からして、ヴァネッサは人族贔屓だった。
 ―――というか、彼女は単に自分よりもか弱い存在を守ることに重きを置く騎士だった。自分の領地にいる孤児たちを、夫を戦争で亡くした未亡人たちを守りたくて騎士を目指した、という魔王軍の中での紅一点。だれよりも高潔な「騎士」という言葉が似あう女性が彼女だった。

 「王たる者が、恥を知れ!!」

 人族の目玉を抉り、時にはその命すらも奪ってとある女性の視力を取り戻そうとした男に対し、彼女はその頬を容赦なく殴った。それもグーで。そして、呆けた顔を晒す男を尻目に、自分の伝手のすべてをつかい、当時最高水準だった医療のすべてでもって彼女の視力を取り戻そうと奔走し―――それは現在も続いている。
 彼女が焼却処分したそれは、彼が責任をもって処分するように、と言い含められたのだが、当時からしてだいぶ考えなしだったアランは―――当然のように処分方法など知る由もなく、「灰=土に巻くと良い」という単純明快な考えの元、魔王城を囲む庭の一部に灰を撒き、「処分した」と断言していた。

 ―――魔力を通すような特殊なものだと、大分処分方法が甘かったような……。

 だがしかし、もう10年も前の話である。
 あれからもう―――10年もの月日が流れてしまった。

 懐かしいやら物悲しいやら。自分も年だな、と思い、アランは深々とため息をついた。


 * * * * * * * 


 「鬼の忌子」

 その言葉は、どこまでもアランにつきまとい、その人生に深く影を落とすこととなった。
 曰く、アランは物心つく前に自らの母を殺した父を殺した「親殺しの鬼」なのだと。

 燃えるようなクセのある赤毛に、それとは真逆の澄んだ緑の瞳。そして、その髪から見え隠れする二本の小さな角。
 赤い髪は鬼族の象徴。そして、緑の瞳は森に住まう賢人、エルフ族の象徴―――そして、その頭についた小さな角は彼が純血の鬼ではなく、混血児であること何よりも如実に現わしていた。
 だから、アランはどこへいっても自己紹介が必要だったことはなく、一目で「鬼の忌子」であることを看破され―――逃げる場所など、生れ落ちたその瞬間からどこにもなかったのだった。

 鬼の一族の情は深い。それが唯一無二の存在への愛情ともなれば、時に相手を苦しめ―――殺してしまうほどに深く、それが故に他種族との軋轢を生むこともしばしばあった。が、大体の場合、鬼族は鬼族でまとまることが多く、必然的に血は濃く、その力は強大さを増していたのと同時に、種としてのバランスは崩れつつあった。
 近親婚は深く禁じられていた。けれど、それに近い婚姻を繰り返した鬼族は、徐々に先細っていた一族であったことも間違いなく、中にはなかなか子に恵まれない夫婦や生まれても虚弱な者、若くして夭折する者も多かった。

 そんな一族に新たな風を取り入れようとして、たまたまその第一号となったのが鬼族の頭領の孫であり、その相手となったのがエルフ族のとある娘の一人だった。二人の出会いは見合いにほど近いものだったとのことだが、その実は―――あまりにもエルフ族の娘にとって過酷なものであった。
 そもそもエルフたちは、鬼族からの申し出に応えるつもりなどなかった。魔族の中でも随一の長寿を誇る種である彼らは、次代の育成にかけてどこか楽観的な考えを持っており、鬼族と同じく「純血」に対するこだわりを持つ彼らは、種としての危うさに対してまだ危機感などが薄かったのだと思う。
 彼らが見合いの場に出してきた娘はすでに両親も縁者もなくなった、身寄りのない娘たちか、でなければ、何らかの事情があって、外に出さざるを得なかった娘たちばかりだった。

 アランの母親はそのうちの前者にあたる。若くして両親を失い、親類縁者には養育を放棄された天涯孤独の娘だった。だが、そんな娘であろうと一族には変わりなく、全員が嫌々ながらに面倒を見ていた。
 つまり、彼女は人身御供に最適だったのだ。

 そして、そんな意図など知る由もなく、そんな娘に本気の恋をしたのがアランの父だった。
 父から母への愛情は本物だった。けれど、母から父への愛情が存在していたのかは、今となっても分からない。

 ただ、アランが知っているのは産み月近くになって母が父を捨てて逃げたことと、逃げ延びた先で自分を産んだこと。
 母はアランのことを慈しんで育ててくれていたとは思うのだが、時折悲しそうな顔をする母の顔は忘れられず―――けれど、言葉通りの鬼の形相の父に追い詰められ「逃げて」と叫んだ母の形相もまた忘れられないでいる。

 すべてはまるで夢の中での出来事のようだった。
 そして、気が付けば母は美しい顔のままでこと切れており、父は鬼の形相のままでこと切れていた。

 何が起こったのかはアランに理解できぬまま、けれど、鬼族の里に引き取られた後、エルフ族が自分の引き取りを拒否したことと、自分が鬼族の間でも忌避されているということを知り、それ以外の情報もまた細々と―――パズルのピースが集まるかのごとく、徐々に組み上がっていき、すべてに理解が及んだ。

 ―――すべてが、何もかもが、馬鹿馬鹿しい。

 鬼族の族長の一族として、という名目の元、里から出されたのは、10歳にならない時分だった。当時は「とうとう捨てられたのか」と思ったものだったが、正直なところ今になってみると、その真意は逆だったのかもしれない、とも思う。アランの両親の出来事から種としてのひっそりとした滅びを迎合する風潮だった鬼族の中でも、一層厳格だったアランの祖父母が、突如としてアランの首都への留学を決めてきた。
 「仕送りはする」との端的な一言だけで、知る人もいない、知る場所もない魔国の学院へと送り出した祖父とは結局一度も顔を合わせないままで、祖母は毎日静かに父の遺影を前に泣いていたことだけは覚えている。

 ―――すべてを粉々にしてしまいたかった。

 自分のうちからフツフツとこみ上げてくる感情が抑えきれず、気が付けばすべてに立ち向かい、歯向かい、牙を剥く性質だけが研がれ―――そうして気が付けば、あれよあれよという間に魔王である。これ以上は歯向かえる存在もなくなったかと思ったのだが、そうなってもまだ身の内の熱は収まるところを知らなかった。
 当時歯向かってきてくれていた人族は恰好の標的になってくれた。けれど、そんな熱も年と共に落ち着いた―――かのように見えて、そうではなかったことを思い知らされたのは、彼女と出会ってからのこと。

「申し訳ありませんが、お水を頂けないでしょうか?」

 亜麻色の髪と、閉ざされた瞳。まだ幼さの残る顔立ちの、「子ども」と言っても過言ではないはずの少女を前に身震いした。が、当時はなんのことはなく、頭を横に振って「寒気かな」とすら思った。
 その顔立ちがどこか記憶の中にぼんやりと残す母のものとよく似ている、と気づいたのは、魔力酔いでふらふらになった友人を背負って魔王城に帰還してからのことであった。
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