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一章

七節

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 クチバシ医者は自分の叫び声で目を覚ました。背から噴き出た汗がシーツに染み込み、額から流れた汗に長髪を捕われる。前髪を左右にかき分け上体を起こす。カーテンの隙間から日差しが漏れていた。朝だ。

 嫌な夢を見た。深い溜め息を吐き立ち上がると洗面台へ向かう。するとベッドの向かいのピューロと対になったカウチから物音がした。深い背凭れからは闇色の短髪が覗く。

「おはよう」闇色の短髪頭は低い声を発した。

「な、何故お前がいるんだ、この悪魔」クチバシ医者は慌ててマスクを被る。

「邪魔をしたくなったのでね。勝手にやっているよ。なあに、男の寝顔なぞ興味はないので安心すると良い」ランゲルハンスは湯気が立ち昇るマグをカウチから覗かせた。

「勝手に淹れるな」

「おや。私の所属者だからこそ未だ支払われぬ家の頭金に眼を瞑っているのに。どの口が言うのかね?」カウチから紙をめくる音が聞こえる。

「……分かったよ。悪かった。だけど今日は街へ花を売りに行かなきゃならない。帰ってくれ」クチバシ医者はミニキッチンへ向かうとグラスに水を満たし、飲み干した。

「だから邪魔をすると言ったろう」ランゲルハンスは鼻を鳴らす。

「邪魔するって……」

「クチバシ医者君、君の仕事をだよ」

「この悪魔が」

 身支度を整え花器に入れた切り花やブーケをリヤカーに積み終え、クチバシ医者はアームを持ち荷台を牽引する。古い為に木が擦れる音がするが積み荷は少々の水と花なので苦にならない。順調に街まで辿り着けそうだ。今日こそ売らねば、と意気込んでいると突如荷台が音を立て重さが加わる。

 立ち止まり振り返ると荷台には背を向けたランゲルハンスがいた。

「邪魔するなよ」

「邪魔すると言っただろう」本を読むランゲルハンスはクチバシ医者に目もくれない。

「じゃあ商売の邪魔だけはしないで下さいよ。頭金入金出来なくなるし」

「発車オーライ」ランゲルハンスは片手を挙げた。

 クチバシ医者は胸中で悪態を吐いた。しかし気持ちを切り替え、重くなったリヤカーを牽引する。右側には花畑、左側は荒れ地に挟まれた道を古びたリヤカーが音を立て進む。息を弾ませ牽引するのは痩躯の男、涼しい顔で荷台に座すのは逞しい体躯の男だ。

「なぁ」痩躯の男が声を掛ける。

「何かね?」逞しい体躯の男は本から顔を上げない。

「何で付いて来るんだ。パーンやニエは街で見かけるがお前は見ない。人里が嫌いだろ?」

「そうだ。他者と交流を持つのが煩わしい。滅多に興味を持たない」

「じゃあ人嫌いが何故、僕に構うんだ」

「それは君に興味があるからに決まっている」

「迷惑だ」

「この島じゃ童貞は大変貴重でね。君が女に囲まれ焦る様を眺めるのは愉快だ」

「僕は不愉快だ! ……パーンにも言われたよ『清い匂いしかしない』って」

 ランゲルハンスは堪えきれず声を出して笑った。

「秋にワイナリーで収穫した後、清き乙女が茜ブドウを踏む行事がある。清きクチバシ医者君、君もニエと参加するかね?」

「誰が……って、え、ニエ、が?」歩みを止めたクチバシ医者は荷台を振り返る。

「揶揄い甲斐があるな、君は」

「悪かったな」クチバシ医者は吐き捨てると前を見据えリヤカーを牽引する。

「ところで君が来て日が経つ。現世の記憶を思い出したかね?」

「全く。でも……思い出す訳じゃないけどリアルな夢はよく見る」

「ほう」

「見たくない嫌な夢ばかりだ」

「そうか。……あの女も嫌な夢ばかり見ると言っていたな」

「あの女?」

「キルケーから聞いているだろう。シュリンクスだよ」

 殺人疑惑が掛かるランゲルハンスから出る筈の無い名が出た。クチバシ医者は唾を飲む。

「私を師と仰いだあの女もおぞましい夢を見ては話しに来た。恐ろしい思いをさせたくないとパーンを選ばず管理者の私にだけだ。パーンは妬いてね。実に愉快だった」

「パーンが可哀想だ」

「パーンよりもシュリンクスが不憫だと思うがね」

「お前に殺されたからか?」振り返ったクチバシ医者はランゲルハンスを睨む。

「ノーコメントだ」ランゲルハンスは口の端を少しばかり吊り上げた。

 クチバシ医者は舌打ちした。胸に積み木を沢山突っ込まれた気分になり口を閉ざす。苛立ち、先程よりも速いペースでリヤカーを牽引する。時折荷台から蓋を開け何かを飲む音が聞こえた。それすらも不愉快だった。

 荒れ地を越えたリヤカーは街へ入る。ヘカテ女神像やクリーニング屋を通り過ぎ、オリーブの木が生い茂る広場に入る。エンタシスの柱に囲まれたギリシャ風の噴水の前でクチバシ医者はリヤカーを止めた。ここなら商いをしても誰にも迷惑を掛けないだろう。

「僕はここで商売する。邪魔だ。何処かに行ってくれ」

「おや。邪魔をすると言っただろう」ランゲルハンスは荷台を降りると佇んだ。

 唇を噛んだクチバシ医者が拳を握ると、何処からかランゲルハンスを呼ぶ声がした。二人の男が見遣ると背から薄羽が生えた二人の美女が瞳を輝かせた。

「お久し振りですハンス様。滅多に街へいらっしゃらないハンス様に出会えるなんて」ブロンドの長髪の女がランゲルハンスに駆け寄った。

「まあハンス様からお酒の香りが。ところで今日はどうなさいましたの?」短いプラチナブロンドの女は負けじとランゲルハンスに近付く。

「久し振りに気が向いてね。所属者と共に来たのだよ」柔和な表情を作ったランゲルハンスは節くれ立った長い人差し指でクチバシ医者を示した。

 クチバシ医者を見遣った女達は軽く会釈をした。クチバシ医者も会釈を返す。

「まあ! お花が沢山!」長髪の女が荷台に積まれた花に気付いた。

「ここらじゃ手に入らないお花ね。どうなさいましたの?」短髪の女も荷台を覗き込む。

「この男はクチバシ医者と言ってね、荒れ地で花屋を開いた。しかし立地が悪い。客が来ない。だから売りに来たのだよ」ランゲルハンスは二人の女を交互に見つめた。

「それは大変」

「ハンス様はそのお手伝いを?」

「及ばずながら。しかし私も彼も人と接する事が不得手で困っているんだ」ランゲルハンスは微笑んだ。

「まあ! そんな事でしたら」

「私達も協力致しますわ」

 二人の女はクチバシ医者に花の値段を聞くと各々バラのブーケを買った。

「私の友人達にも声をかけてみますね」

「また参りますので絶対に移動しないで下さいね」二人の女は軽く地を蹴ると薄羽で空へ舞う。女達はランゲルハンスに手を振り二手に分かれて飛び去った。

 二人を見送ったランゲルハンスは何事も無かったように笑顔を消し、本を開く。最初の商品が売れるまで長期戦を覚悟していたクチバシ医者は呆然と空を仰ぐが我に返る。

「何のつもりだ?」クチバシ医者はランゲルハンスを睨む。

 しかし彼は本から視線を上げない。

「おい」

 ランゲルハンスは答えなかった。クチバシ医者が唇を噛んでいると背後からランゲルハンスを呼ぶ別の女の声がした。ランゲルハンスは本を閉じると柔和な表情で振り向き、花を売った。そんなやり取りが何件か続くと先程飛び去った二人の女が大勢の女達を連れて戻った。女に不慣れなクチバシ医者はたじろいだ。そんなクチバシ医者から女達の注意をランゲルハンスは逸らした。女達はランゲルハンスを囲み話に花を咲かせ、ブーケや切り花を買った。荷台の花は小一時間ではけた。

「全て売れましたね」

「良かった」二人の男と共に残った薄羽の女達が微笑む。

「あ、ありがとう御座いました」クチバシ医者は二人の女に頭を下げた。

 二人の女はクチバシ医者に微笑むとランゲルハンスを見つめてねだった。

「ハンス様。お時間、私達に下さいましな」

「素敵なティールームを知ってますの。ね。参りましょうよ」

 微笑み頷いたランゲルハンスは二人の女に両腕を絡まれて広場を去った。クチバシ医者が三人の後ろ姿を呆然と見送ると柱の影から白地のワンピース姿のユウが現れた。

「トリカブトのスケベ」眉根を寄せたユウは口角を下げた。

「え。いつの間にいたの? 今日お店は?」クチバシ医者は屈んでユウに視線を合わせる。

「お休み。今日はリュウと散歩してるの」

 しかしユウの側にはリュウはいない。

「リュウは?」

 ユウは広場の丘を指差した。丘はタンポポの絨毯だ。白い服を着たリュウは口を開きタンポポを踏みしめて素手でモンシロチョウを追っかけていた。

「牧歌的だなぁ」

「トリカブトの嘘つき! 女の人苦手だって言ったのに女の人に囲まれてちょっと嬉しそうだった」頬を膨らませたユウはクチバシ医者の手をとると思い切りつねり上げた。

「痛い痛い痛い」クチバシ医者は悲鳴を上げる。

 ユウは手を離すと瞳を潤ませクチバシ医者を睨んだ。ユウの眼は幼子ではなく翼竜でもなく女を思わせ、クチバシ医者は射すくめられた。彼の脳内で心臓の音が響き渡る。

「おっ痴話喧嘩かい?」声と共に空から一人の男が舞い降りた。背が高く華奢で狐顔だ。無造作に巻いた萌黄色のストールをなびかせ彼はユウの顔を覗き込む。

「ケイプ……」

 ケイプと呼ばれた男はハンカチを取り出すと彼女の頬を伝う涙を拭った。

「一体どうしたのさ。ハンスの野郎がいるって聞いたからよ、広場まで来たのにいねえしよ。おいらの可愛いユウが変な男に泣かされてらあ」

「おいらの?」クチバシ医者は男に問う。

 ケイプは口の端を吊り上げ嫌な笑みを向ける。クチバシ医者は彼からランゲルハンスと同じ物を感じ取った。

「おうさ」ケイプはユウの頭を撫でつつ鼻を鳴らした。

「君は誰だ?」

「あっしはシルフのケイプ。ユウとリュウの元管理者さ。お前さんは誰だい?」ケイプはハンカチをユウに渡すと立ち上がった。

「僕はクチバシ医者だ」負けじとクチバシ医者も立ち上がる。

 男達は互いを牽制するが突然ケイプが笑い出した。

「よう色男。お前さんがユウの言っていた『トリカブト』の御仁さね?」

 屈託の無い笑顔を向けられたクチバシ医者は戸惑ったが頷いた。ケイプはクチバシ医者の首筋に近づくと鼻を小刻みに動かした。クチバシ医者は後退る。

「ふん。ハンスの匂いが濃い。お前さん、ハンスの所属者だろう。さっきまで一緒にいたよな? あいつは何処に行ったのかい?」

「人の匂いを嗅いで分からないのか?」

「おうさ。秘密主義のあいつは匂いの筋を消すからな。しかし自身の残り香は消しても他人についた匂いは消せねえのさ」

「……悪魔ならさっき女を二人連れて茶を飲みに行った」

「っかぁー。卑怯な野郎だ。女の前じゃ積もり積もった煙草代要求出来ねえ。忙しいからわざわざ家まで取り立てに行けねえしよう」ケイプは頭を抱える。

「煙草?」

「おう。あっしン家にも井戸があってよ、所属者と共に煙草が流れ着くのさ。この島にゃ煙草はねえ。クリーニング屋のあっしは煙たいのが好きじゃねえからよ、あいつに払い下げてんだ。しっかし野郎一度として代金払った試しがねえ!」ケイプは地団駄を踏む。無造作に巻いたストールが軌跡を描く。突如静止すると溜め息を吐いた。

「無駄話しちまったな。ハンスがいねぇんなら店に戻るよ。可愛いかみさん一人で仕事させる訳にゃいかねえしよ」ケイプは地を軽く蹴り空に消えた。

 涙の跡が乾き、頬を膨らませたユウがクチバシ医者の袖口を引っ張った。

「分かった、分かった。何か奢るから機嫌直してよ」

 ユウはワゴン販売のジェラート屋を指差した。

 クチバシ医者はユウとリュウにジェラートを買い与えた。機嫌が直ったユウはジェラートを舐めている間、片手でクチバシ医者の手を握った。リュウはユウの袖を掴み、黙々とジェラートを舐めた。父親のような恋人のような不思議な気持ちになったクチバシ医者はリヤカーの荷台に二人を乗せ家まで送った。ドアの前で二人共名残惜しそうにクチバシ医者を見つめた。クチバシ医者は遊ぶ約束をして二人を家に入らせた。

 双子と別れたクチバシ医者は買い出しをして荒れ地へ戻って商品の見直しをしようと考えた。営業終了を想定していた時刻より大分早かった。

 リヤカーは街外れから中心部へ向かう。途中薄羽の女二人組が話題に出したであろうガラス張りのティールームに差し掛かる。テラス席の真上にはアーチ状の黒い鉄のルーフが掛かっている。そこにはハーブが繁茂した半球体の鉢が吊るされていた。窓から見える店内は女性客で賑わい、テラス席に座すのもロマンスグレーの上品な婦人だ。テーブルには丸まると太ったティーポット、美しい配色のティーカップ、スコーンやサンドウィッチをのせた三段重ねのプレートスタンドが鎮座する。

 女性はこんな店で話に花を咲かせ茶を嗜むのか。ニエもこんな可愛い店に来るのだろうかとクチバシ医者は考える。すると腹巻きに両手を突っ込んだパーンが現れた。パーンの隣には微笑むニエが居る。二人は店頭のメニュースタンドの前で立ち止まった。

 歩みを止めたクチバシ医者はニエとパーンの行動に見入る。

 二人はメニューを指しつつ額を合わせて相談する。笑った所でどうやらオーダーしたい物が決まったらしい。店内に入ろうとした瞬間、お仕着せに身を包んだ男の給仕がガラスのドアを開いた。二人は立ち止まり店から出る客達の為に端に避ける。

 出て来たのは薄羽の女達を連れ立ったランゲルハンスだった。パーンとランゲルハンス、会ってはならない二人が対峙した。瞳にランゲルハンスの姿を映したパーンは笑顔だったのが一転凍り付く。彼女は激しい憎悪に支配された。パーンを視認したランゲルハンスは視線をそらさず、後から出て来た薄羽の女二人の頭に軽く触れ一瞬の内に眠らせた。女達はその場に崩れ落ちた。驚いた給仕は駆け寄った。

 シュリンクスの事件を聞き知っていたニエは歯を食いしばるパーンの肩を強く握る。小刻みに震えるパーンの肩は呼吸が荒くなると上下に激しく動いた。

 まずい。クチバシ医者はリヤカーを放って往来をかき分けティールームへひた走った。

「ニエ、逃げろ」パーンから視線を離さずにランゲルハンスは忠告した。

 ニエは首を横に振りパーンの肩を強く握った。

「逃げるんだ」

 我を忘れたパーンは肩を握るニエを肘で突き飛ばした。腹を突き飛ばされたニエは後ろに倒れるが駆けつけたクチバシ医者に抱きとめられた。

 全ては一瞬だった。パーンは腹巻きからバタフライナイフのハンドルをつまみ出すと逆手で開刃した。そしてランゲルハンスの胸めがけて渾身の力でナイフ振り下ろす。固い肉を突き刺す嫌な感触と骨を擦る振動が手に纏わり付く。パーンはナイフを半回転させて胸から抜いた。傷口から血が噴き出しパーンや服、店を汚す。

 ニエはランゲルハンスに駆け寄ろうとする。しかしクチバシ医者に取り押さえられているので身をよじっても振り切れない。彼女は暴れ、声にならない叫びを上げた。

 パーンは血飛沫に染められた空気を胸いっぱい吸い込んだ。そして満足そうな顔をしてナイフを離すと気を失い、倒れた。店内やテラスから悲鳴が上がる。薄羽の女達の介抱をしていた給仕はその場にへたり込み茫然自失としていた。

 歯を食いしばったランゲルハンスはパーンを見遣る。そして捨てられたナイフを拾い胸へ刺し戻した。傷口がナイフによって閉じる。血飛沫は止まった。隻眼を閉じて落ち着きを取り戻したランゲルハンスは瞳を開く。胸から血を滴らせつつ平然と店内へ入った。そして客達に向かって指揮者のタクトのように人差し指を下ろした。悲鳴を上げていた客達は気を失い崩れ落ちる。それを見届けるとテラス席で怯える婦人にも同じ術を掛けた。

 クチバシ医者の腕を振り切ったニエがランゲルハンスに駆け寄ると抱きついた。包帯や白いワンピースが血で汚れるが構わない。ランゲルハンスを仰ぐニエの目許の包帯から彼の血と彼女の血が混じった涙が流れる。ランゲルハンスはニエを一度だけ撫でてやった。

 店頭を血まみれにされ客達を眠らされた店長がランゲルハンスに近付く。

「ハンス様、悪ふざけが過ぎます。このような事が起きたらもうこのお客樣方には店に来て頂けません」

「すまない。術を掛け眠らせてこの一件は忘れさせた。迷惑をかけた。これをとっておき給え」ランゲルハンスは懐から金貨が詰まった袋を取り出すと店長に渡した。

「……いえ、まあ、お気持ちを戴けるなら私共もこれ以上申し上げません。しかしもう一つだけお願いが御座います」店長は金貨の詰まった重い袋を撫でた。

「何かね?」

「野次馬共も眠らせて下さい。悪い噂を立てられると敵いません」店長はテラスを見遣った。そこには道を行き交っていた者達が足を止め、血まみれになっても平然としている悪魔を見物している。

 いつの間にか出来たギャラリーに向かい、ランゲルハンスは人差し指を振る。野次馬達は一斉に地に膝をついて崩れ、眠りに落ちた。

「これでいいかね?」ランゲルハンスは溜め息を吐いた。

「ありがとう御座います」

「ついでに伝え給え、君達の管理者に『煙草の金はこの店で返した』と」

「畏まりました」恭しく一礼した店長は地面に寝かされた薄羽の女達を待ち合いの椅子に座らせる。そして給仕や女給と共に店頭の掃除を始めた。

「おい」クチバシ医者はランゲルハンスに声を掛けた。

「何だね。居たのかね」

「胸、平気なのか? 魔術で治せないのか?」

「無論。以前刺されかけた時のかすり傷よりは痛むがね。私は不死だ。不死故に治癒の魔術は自分には使えん」ランゲルハンスは胸に突き刺さるナイフを眺めて笑った。

「笑えるなら平気だな。不死身でもニエは心配するんだ。無茶はよせ」

「ああ。流石にこれ以上の痛みはなるべく味わいたくない。それよりもこれを何とかし給え」先程から胸の近くに顔を埋めて動かないニエをランゲルハンスは揺する。
「自慢するな。少しは安心させてやれ」

「では仕方あるまい。商売を手伝ってやったな? バイト代を私に出すと思ってあとは何とかし給え」震えるニエの肩を抱いたランゲルハンスは消えた。

 クチバシ医者の足許には返り血を浴びて気絶するパーンが倒れていた。彼女は満足そうな顔をして微笑んでいた。
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