上 下
33 / 41
六章

十二節

しおりを挟む
「……誰にも話す事はないと想っていました」

 話し疲れたポンペオは長い溜め息を吐くと首筋のエラを撫でた。

「……山で出会ったあの大蛇はアルキスだったのか」ディーは呟いた。

「ええ。彼は彼自身の恨みや憎しみ、後悔を膨らませ、そして南の地に流れ着き増えていった住民の負の感情を膨らませていったのです。怨念を背負った彼は山とも化したのでしょう。私の制止を振り切り、山を登っていた者達の話では年々大蛇は大きくなっていったと聞いて居ります」

「……ディー達がアルキスを殺した」膝を抱いたディーは俯いた。

「それが最善の策だったのだろうと想います。アルキスの伯父のような存在の私としては複雑な心境ですが」

「……誰も本当は『死にたい』なんて想わない。心の底では『生きたい』って願っている。苦しみを取り払えないから死を選ぶ」

「……仰る通りです。しかし殺すしか方法は無かったと想います。長い苦しみから取り払って貰ったと想います」

 ディーは洟をすする。

「……でもポンペオが医者を憎む理由が分かった。ディーもそんな事をされたら憎むかもしれない」

「……あの時代、あの場所でディーさんのような医者がいればきっと私はここには居なかったでしょうね」ポンペオは悲しそうに微笑んだ。

「……ポンペオはどうして死んだのか?」

「妹の診察を断った医者を殺して回ったハリラオスを刺し、自害しました」

「……そうか」

 ポンペオは首を横に振った。

「……全ては私が悪かったのです」

 ディーは視線を落とし小瓶の中で輝く星を見つめる。

「そんな事ない。やり方は不味かった。しかしポンペオは同じ痛みを持つ者に手を差し伸べる。優しい」

「ただの罪滅ぼしです」

 それきり二人は沈黙した。

 ディーの背中に張り付くダムは話を聞き、二人を案じていた。このままではポンペオもディーも落ち込んだままだ。助け舟を出してやる他無い。

 ディーの体内でダムは囁いた。『このままじゃポンペオは救われない。取り持ってやるからダムの言った通りに言葉を紡げ』と。

 ディーは返事の代わりに背を掻いた。

「……それでも誰かの為になる。無論自分の為にも」

 ディーは体内で響くダムの声に耳を澄まし言葉を紡ぐ。

「そろそろ幸福から眼を背けるのを止めにしないか? 悪い事をしたからと、ずっと自責の喪に服しているのはおかしい」

 俯いていたポンペオはディーを見遣った。ディーはダムの言葉を続ける。

「誰しもこの島に来られる訳じゃない。それこそ冥府の裁定によってエリュシオンへ逝くよりも低い確率だ。だからこそ二度目の不自然な生を謳歌してもいいと想う」

「しかし罪は消えません」顔を上げたポンペオは目頭を抑える。

「……罪は消えない。幾ら善行を積もうと消えない。しかし罰は受ければ消える。ポンペオは気の遠くなる時間の中、罰を受けた。もういい加減罰を止めないか?」

 ディーはポンペオの顔を覗く。ポンペオは目頭から手を離すとディーを見据えた。

「ディーを拐かした罰はダムが許す。だからもう思い悩むな」ディーはポンペオの猫のような瞳を見つめ返した。

 暫し互いを見据え合った。

 しかしポンペオの小さな笑い声が沈黙を破った。

「どうした? 何がおかしい?」ディーは問うた。

 瞳を閉じて笑っていたポンペオは答える。

「ディーさんの言葉では無かったのですね。背にいらっしゃるダムさんだとは」

「む。何故分かった?」ディーは眉を顰める。

「『罰はダムが許す』と。ディーさんにしては骨がある事を仰る、と想っていたらダムさんの言葉とは。ダムさんは賢いですが詰めが甘いですね」

「ダムばかりかポンペオにも馬鹿にされた」ダムの笑い声を体内で聞きつつ、ディーは頬を膨らませる。

「きっとそんな可愛らしい所がニュクス女神に好かれたのでしょうね」



 ポンペオとディーが互いの胸の内を明かす頃、医薬品の整理を終えたアメリアは、小屋へ帰ろうと海辺を歩いていた。儚げな月の光に照らされた水面が黒曜石のように艶かしく輝く。波の音に耳を澄ましつつ歩いていると砂浜に座す華奢な人影が見えた。アメリアは人影に歩み寄った。

「こんばんは。トゥット」

 アメリアに呼ばれた青年は微笑み返す。

「お疲れ。アメリア」

「……どうしたの? こんな所に座って」

 小枝のような二本の角が覗く亜麻色の髪を月光に輝かせたトゥットは蜜色の瞳を細める。

「アメリアを送ろうと想って。……夜道を女の子一人で歩かせる訳にはいかないじゃん?」

 アメリアは微笑む。

「女の子扱いしてくれるなんて嬉しい。でもトゥットも昼間、患者達のお世話をして疲れたでしょ? 一人で帰れるから大丈夫だよ」

「アメリアだって仕事で疲れてる。俺以上に疲れてると想う。だって率先して仕事してた。女の子なのに力仕事を沢山こなして大変だったと想う。……それに」

「それに?」

「昼間は忙しくて喋れないからさ、帰り道くらい少し話したい、と想ってさ。アメリアは酷い目に遭っても皆の為に一生懸命だから……優しいし、強いし、可愛いし素敵じゃん。仲良くなりたいって想って。……ダメ?」

 頬を染めたアメリアはトゥットに気付かれまいと俯く。

「え、えっと……その……」

「送らせてよ?」トゥットはアメリアに手を差し出した。

 あまりにも自然な彼の手にアメリアは自らの手を重ねたくなった。

 しかし脳裡にイポリトの顔が横切る。

「……ごめん。気持ちは嬉しいんだけど……その、恥ずかしいし……好きな人居るから……」

「ごめん」トゥットは手を引っ込めた。

『あはは。振られちったぁ』とトゥットは笑った。それを横目に見遣りつつ、アメリアは引いては押す、さざ波に耳を傾ける。隣を歩くトゥットは痩せ細っていても筋骨はしっかりしていた。

「トゥットってさ。痩せてるけど体しっかりしてるよね。背もスラッと高くて、スポーツ選手みたい。普段何して働いてるの?」アメリアは問うた。

 体格を褒められたトゥットは頭を掻く。

「普段は漁してるよ。銛で魚を突いてる」

「水が綺麗だから魚見易そう」

「魚見易いから俺も見られ易いんだ。大変だけど獲れると楽しいよ」

「魚の他に何か素敵な物は見える?」

「綺麗な貝とか割れた陶磁器とか見えんだ。偶に拾う。絵が付いたカップとか俺の宝物。貝も拾いたいけど、大抵毒を持ってる巻貝だから放ってる」

「でも巻貝綺麗なんでしょ? どんな柄なの?」

「黒い斑点だったり、紫色だったり、細かい三角形の柄だったり色々」

「見てみたいなぁ」

「アメリアは泳げる?」

「そこそこ。北の街で人魚に教えて貰ったの」

「……じゃさ、今度休み取れるなら、泳ぎに行かない?」

「……デート?」アメリアは眉を下げた。

「まさか! 振られたばかりじゃん。気晴らしに遊ぶのどうかなって……」

 口をもぞもぞと動かすトゥットの隣でアメリアは爪先を眺めて思案する。どうしよう。綺麗な海に潜りたいし、素敵な柄の貝も見たい。でも友達とは言え男の子と出掛けるなんてイポリトがなんて言うかな……。でも現世での想い出も全部、イポリトの頭から消えちゃったんだ。あたしを相棒として認めてくれてるけど、今は愛情なんて感じてないようだし……。でも……。

 長い溜め息を吐くアメリアを見遣り、トゥットは眉を下げる。

「ごめん。困らせた。好きな人いるのにさ。この話忘れて」

「ううん! 困ってない」アメリアは勢い良く首を横に振る。

「でもアメリアにこんな顔させた。気が回らなかった。ごめん」

「謝らないで。あたしこそごめん。折角友達が誘ってくれたのにつまらなそうな顔して。少しだけ考えさせて?」アメリアは微笑んだ。

「……無理してない?」眉を下げたトゥットは問う。

「ううん! 急に誘われたから驚いただけ。ほら、女って色々準備があるでしょ? お腹のお肉何とかしたいとか、どんな服着ようだとか……だからちょっと考える時間が欲しいの」

「ん。分かった」トゥットは照れ臭そうに微笑んだ。

 小屋の前までトゥットに送って貰うとアメリアは立て付けの悪い扉を開けた。ディー、ポンペオ、イポリトは既に戻っていた。

「ただいま」

 アメリアの挨拶に各人は銘々返事をした。サンダルを脱いだアメリアは気怠そうにテーブルの脚に寄りかかるディーに小声で問う。

「ねぇ、ディー。……お願いがあるんだけど」

 ディーはアメリアを横目で見遣る。

「……何?」

「魔術で洋服とか水着出せる? あたしのへっぽこ魔術じゃそんな物出せなくて……」

「無論。もうデートに誘われたのか? 休みが必要だな」

「デートじゃないよ! 友達と遊びに行くの!」

「ふうん」

 大股を開き、寝藁に寝そべっていたイポリトは乙女達の方を見遣った、

 ディーとアメリアは話を続ける。

「あと一週間もすれば少し患者が落ち着くとライルが言っていた。そろそろ休診日を設けよう。皆働き過ぎだ」

「やった」アメリアは両手を胸の前に組んだ。

『マイクロビキニ出してやる』とディーは笑い、アメリアは『普通の出して』と赤面する。

 窓から月を眺めつつイポリトは鼻を鳴らした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...